ようじside
 
 文化祭がおわると空気はすっかり秋めいていた。田んぼでは稲刈りがおわり山の木々は少しづつ葉の色が変わっていく。この間まで暑い暑いとクーラーをガンガンにつけていたのに、今じゃ朝晩は冷えて毛布が必要なくらいだ。教室の中でも、もう半袖を着ている奴はいない。カーディガンやベスト、ブレザーを着ている生徒もいる。カーディガンやベストは学校指定のものじゃなくてもいいので、ピンクや水色、ベージュや黒、各々好きなものを着ている。個性が出ていておもしろいし、教室内がカラフルになって華やかでいい。俺は学校指定の濃紺のカーディガンを愛用している。何回洗濯してもヨレないし、肌触りもよくてすきだ。
 「ようじ~呼ばれてるけど」
 ぼんやりと教室内を眺めていると不意に名前を呼ばれた。友達の直樹がふいっと出入り口に視線を送る。その先には女子が三人固まってこちらをうかがっていた。
 ああ、またか。
 ズンと心が重くなる。
 『また』っていうのは違うよな。あの子たちにとってはたぶん初めてのことだしすごく緊張もしているだろうし。
 そう思うとさらに心が重くなる。
 「いってくる~」
 重い腰を上げて立ち上がると、直樹がポンと肩を叩いてくれた。冷やかしてくると思っていたのに、直樹なりの労いに少しだけ心が軽くなる。
 「なに?」
 できるだけ感情がのらないように、でも冷たくならないように、彼女たちに声をかける。
 「あの、ちょっと中庭に来てほしいんだけど」
 三人のうちの真ん中にいる子が話し始めた。教室内の時計を確認するとあと5分で休み時間がおわる。中庭に行っている時間はない。
 「ここじゃだめ?」
 三人で目くばせをして右端にいる子がウンと頷きなにかを差しだした。
 「三原くん、文化祭の時に歌ってた歌、すごくきれいで感動しました。これ、よかったら食べて。じゃあ……」
 俺の顔も見ずに下を向いたままで、差しだされたものを受け取るとすぐに背中を向けて早歩きで退散していった。残りの二人が慌てて彼女の後を追い、廊下の向こうで小さくなった三人の背中は恥ずかしそうに寄り添ってどこかうれしそうだった。
 せっかく歌をほめてくれたのにありがとうを言う暇もなかったな。
 「手紙とクッキー?」
  廊下側の一番後ろの席に座っている笹原さんがチラと俺の手元を見遣る。
 「いいなぁ~」
 「食べたいの?」
 苦笑しながらふるふると小さく首を振り前に向き直った。なにが『いい』のかよくわからないまま、俺も自分の席に帰った。

 放課後、部室で一人の時間を過ごすのがすきだ。空き教室に所狭(ところせま)しと楽器が置かれている状態でゆっくりくつろげるスペースなんてないけど、俺はこの(せま)さが気に入っている。軽音部は基本自由で活動時間は決まっていない。好きな時にきて好きなだけギターを弾ける。厳しい上下関係もないし顧問も適当だしゆるくて最高。部員は10人ほどいるけど活動してるのは瀬戸先輩と俺くらいだから部室には先輩以外誰もこない。
 休み時間に受け取った手紙をカバンから取り出す。ピアノのイラストが描かれた封筒にはエンボス加工がされていてきれいだ。便箋にも同じようにエンボス加工してある。そこに書かれた文字は、とても読みやすくてきれいだった。内容は、歌詞やメロディーの感動した個所について事細かく書かれていた。そして最後に応援していますと添えられていた。俺が予想していた内容と違っていて、なにかしら返事を考えなくてはいけないプレッシャーから解放されて安心した。自分の作った歌がこんなに人の心を動かしていたなんて、自分の感情を吐き出すために作っただけなのに共感してもらえるなんて。ズンと重かった心が解されてじんわりとあたたかくなる。幼いころ、お気に入りの毛布にくるまれていると安心した。そんな感覚。もう一度、丁寧に書かれた文字を一つずつ読み返す。何度も読み返しているうちに鼻の奥がツンと痛くなって目の奥から涙がこみ上げてくる。
 ガチャと無遠慮にドアが開いて瀬戸先輩が入ってきた。俺の顔を見るなり驚いて「どうした?」と、教室の隅で三角座りをしている俺の隣に座る。読んでいた手紙を手渡して、膝に顔をうめた。
 「……先輩が作った曲についても書いてあります。文化祭で二曲目に歌った曲」
 先輩は手紙に目を通し、しばしの沈黙の後、口を開いた。
 「わぁ……こんな風に思ってくれたんだ。具体的に感想もらうことないからうれしいね」
 「……なんかもう胸がいっぱいで、晩飯食えないかも」
 「ははっ、俺は食べるけどね」
 「俺も食いますけど……」
 「それくらいうれしかったってことだね」
 先輩の言葉に頷いてから手紙をカバンにしまった。くしゃくしゃにならないよう、クリアホルダーに入れる。
 「そういえばさっき、おさななじみくん女の子から手紙もらってたよ」
 「なんですかそれ!? 誰に!? どこで!?」
 身を乗り出して先輩に詰め寄ると、先輩は驚いてパチパチ瞬きした。
 「体育館裏。誰かは知らないけど」
 俺はカバンを抱えたまま慌てて部室を飛び出して体育館裏に向かった。くつを履き替えることなど頭から抜けていて、上靴のまま体育館裏に到着した。息をきらして辺りを探すけど、そこにしゅんの姿はない。急いで駐輪場に向かう。
 いた! しゅんだ!
 遠目からでもわかる形のいい後頭部をみつけて駆けだす。近くには女子がいてなにやら話をしている。しゅんより20センチほど低い身長で、ウェーブがかった茶髪に大きな目、かわいらしい印象だ。顔を赤くしてペコペコと何度も頭を下げている。しゅんの表情はこちらからは見えない。時折、頷いたり首を振ったりしている。不意に、しゅんがこちらを振り返り俺は慌てて駐輪場近くの植え込みに身をかがめた。走ってきたせいで心臓が早鐘を打っている。胸に手を当てて息を吐く、途端にズキッと胸が痛んだ。
 「……なにやってんだよ」
 呟いた独り言は秋の乾いた空気の中へと消えていく。しゅんが女子と二人で並んでいる姿を見たとき、お似合いだと思った。どこにでもいる初々しい高校生カップル。しゅんが俺とつき合っていなかったら、そんな未来があったのかもしれない。いや、渡された手紙を読んだらそれが現実になるかも。俺フラれるのかなぁ……
 「ようちゃん?」
 ぐるぐると頭の中でよくないことを巡らせていると急に目の前にしゅんが現れて、驚いて抱きしめていたカバンを落としてしまった。しゅんは呆れて可笑しそうに笑いながらそれを拾ってくれる。
 「もしかして、みてた?」
 「……うん」
 差しだされたカバンを無言で受け取る。しゅんの顔をみれなくて少し視線を下げた。しゅんの手には薄ピンクの封筒があり、わかりやすく赤いハートのシールで封がしてある。
 「モテ期きたかも」
 自慢気に封筒をみせてきたしゅんに俺は苦笑することしかできない。
 「ようちゃん上靴のままじゃん、いこ」
 俺の手を取り歩き出そうとするしゅん。動かない俺を不思議そうに見ている。
 「女子から手紙もらってうれしかった?」
 「え?」
 「本気にすんなよ。文化祭で目立ってたからかっこよくみえただけで、つき合ったら『思ってたのと違う』とか言われてフラれるんだから」
 怪訝な顔をしているしゅんに畳みかけるように言葉を放つと、しゅんは少し困ったように眉を下げる。こんなことを言いたいんじゃない。しゅんを困らせたいわけじゃないのに口から勝手に酷い言葉が飛び出した。ズキズキと胸が痛む。
 「ようちゃん、違うんだよ。これはーー」
 しゅんの話を遮るようにバタバタとちひろくんが駆け寄ってきた。
 「ごめん、あの子もう行った?」
 「ちひろ! おまえが逃げ回ってるから俺がーー」
 二人の言い合いが始まったので俺は「部活に戻る」と告げてその場を後にした。しゅんに呼び止められたけど振り返らずに校舎に入った。これ以上あそこにいたら、またしゅんに酷い言葉を吐いてしまいそうだったから。

 しゅんと口をきかなくなって3日が経った。幼いころからよくケンカして取っ組み合いなんてしょっちゅうだったのに、いつも知らず知らずのうちに仲直りしていた。高校生になってからは大きなケンカはなかったからしゅんに会わない日が続くなんて久しぶりだ。ケンカというか、しゅんに合わせる顔がなくて俺が一方的に避けてるだけなんだけど。
 最低だと思う。勝手に嫉妬してしゅんを避けて、うだうだ考えてまだ謝れずにいる。このままじゃだめだ。今日こそ謝らなきゃ。
 休み時間、1年の教室まで来てしゅんのクラスをのぞくけどしゅんの姿は見当たらない。トイレにでもいってるのか?
 「あ、ようちゃん先輩」
 廊下をうろうろしていたらちひろくんに会った。ジャージ姿で少し慌てている。
 「さっき、しゅんが保健室に運ばれて」
 「え?」
 「体育の時間にサッカーボールに当たったんです。行ってあげてください」
 それを聞いて急いで保健室に向かう。廊下の角で教師にぶつかりそうになって「走るな」と注意されたけど「はーい」と返事だけしてまた走る。教室とは別の棟にあってけっこう遠い保健室。たどり着いた時には授業開始を告げるチャイムが鳴ってしまい、教室に引き返そうかと思ったけど今更戻ったところで遅刻扱いになるからもういいかと諦めた。それよりもしゅんが心配だ。コンコンと遠慮がちにノックをして「失礼します」と戸を開けた。そろっと中をのぞくと養護教諭の姿はなく、静かに入室してカーテンで仕切ってあるベッドの方までいく。
 「しゅん?」
 人の気配はあるが声をかけても反応がなくて、そっとカーテンを開けた。しゅんがこちらに背を向けてベッドに横たわっている。
 「寝てんの?」
 相変わらず反応はない。傍にあった丸椅子に腰かけてしゅんの背中をみつめる。
 大きいなぁ、いつの間にこんなに逞しくなったんだろう。小さかったおさななじみが瞬く間に成長して今じゃ俺の恋人だなんて、いまだに信じられないけど。しゅんの成長速度に追いつけなくて、いつか俺を置いて遠くへ行ってしまったりして。そうなったらやだなぁ……。
 そっと手を伸ばしてしゅんの背中に触れる。
 「……この間はひどいこと言ってごめん」
 俺の独り言のような小さな呟きは、しんと静まった室内に消えていく。
 「俺、女子に嫉妬して……しゅんを取られちゃうんじゃないかって、余裕なくて……かっこわるいよな」
 背中に触れていた手を引っ込ませて、膝の上でぎゅっと拳を握る。
 「おまえが頼れるような、かっこいい恋人になれるようがんばるから……」
 だから、どこにもいかないで……最後の言葉は喉につかえてうまく声にならなかった。
 「しゅん、ごめんな」
 突然ぐるんとしゅんが寝返りを打って俺は驚いてびくっと身体を震わせてしまった。じっと向けられる視線にいたたまれなくて目を伏せる。
 「嫉妬してたんだ?」
 「……いつから起きてたの?」
 「最初から」
 「……あ、そう」
 むくりと起き上がりおもむろに俺の手をとり、この間俺がしたように手のひらをマッサージし始めた。
 「サッカーボールに当たったって聞いたけど」
 「顔面直撃、鼻血ブー」
 「大丈夫かよ」
 「試合中にゴール前でボーっとしてて」
 「めずらしい。負けず嫌いだからいっつも無駄に気合い入ってるのに」
 マッサージしている手をぴたっと止めて、またじっとみつめられる。
 「俺ばっかり嫉妬してんのかと思ってたから、なんか安心したっていうか、ちょっとうれしかった」
 「え、しゅんも嫉妬してたの?」
 「そりゃするだろ」
 「ふふっ、かわいいなぁ〜」
手を伸ばして頭を撫でると「ガキ扱いすんな」とぷうと頬をふくらませる。頬をつんとつついてやると、胸の中にぎゅっと包まれた。
 「ちょ、しゅん? ここ保健室だから」
 しゅんはおかまいなしに抱きしめたままで話を続ける。
 「あの手紙さ、俺宛てじゃないから」
 「へ?」
 「女子からちひろ宛ての手紙を、俺が預かったの」
 「は? 俺はてっきりしゅんがもらったのかと……」
 「ようちゃんの勘違いでした」
 ゆっくりと腕を解いてにっといたずらっぽく笑うしゅん。
 え……じゃあ俺は勝手に勘違いして3日間もうだうだしてたってこと?
 「なんだよそれ……」
 肩を落として盛大にため息をつく。
 「誤解を解こうとしてるのにようちゃん俺のこと避けるしさ」
 「……それは、ごめん」
 「へへっ、いいよ」
 「なんかご機嫌ですね」
 「そう?」
 仲直りできてうれしい反面、勘違いしてたことが恥ずかしくて自分に呆れる。そんな俺をよそにしゅんはにこにこ笑っていて、モテ期がきたちひろくんの話をし始めた。
 いつの間にか自分の中で、しゅんへのすきが大きく膨らんでいっている。そのうち膨らみすぎて爆発したらどうしよう。今回みたいに感情があふれて止まらなくなるんだろうか。そうなってしまったら怖いけど、しゅんとなら大丈夫な気がする。しゅんとならキスも、できるようになるかもしれない……
 「そういえばようちゃん、今授業中だけど大丈夫?」
 「あ……忘れてた」