放課後の教室、ジャージ姿の生徒が慌ただしく作業している。ガヤガヤと雑音が飛び交う中、俺もダンボール紙をこげ茶色のペンキで着色していく。となりでちひろが緑の色画用紙を葉っぱの形に切っている。二週間後の文化祭に向けて目下準備中。1年生は展示をする。ウチのクラスのコンセプトは森と動物の共生。森に住む動物の営みを展示物で表現するとかなんとか。ただひたすら黙々と作業に没頭できるから、こういうのは嫌いじゃない。その間俺の頭の中をぐるぐるしているのはもちろんようちゃんのこと。学年が違う俺たちは学校で絡むことはほとんどない。文化祭は一緒に過ごせる貴重な学校行事だ。なんとしても一緒に回りたいところだが、まだ声をかけられずにいる。
「少し休憩しませんか?」
一緒に作業している花村さんが飴をくれた。レモン柄の包み紙がレトロでかわいい。
「ありがとう」
口に入れると甘酸っぱい味が広がる。
「懐かしい味する」
「ホッとしますよね」
話しているちひろと花村さんの前には大量の葉っぱが山盛りになっている。
「すげー量」
「めっちゃ集中した。最初は歪だったけど慣れてきたらきれいに切れるようになってさ。これなんか本物みたいじゃない?」
ちひろに手渡された色画用紙の葉っぱはやっぱり色画用紙だった。
「……葉脈とか書いて真ん中折ったらそれっぽく見えなくもない」
「そこまでする気力ないわ」
ぐっと腕を天井に伸ばして肩甲骨を引き上げ、首を回してから立ち上がった。
「ペンキなくなったから取ってくる。どこにあるんだっけ?」
「生徒会室じゃね?」
教室を出ていこうとしたらクラス委員の青山に呼び止められた。ついでに他の備品も取ってきてほしいと頼まれてちひろと一緒にいくことになった。生徒会室に向かう途中で2年の教室を覗くとようちゃんが女子と和気あいあいと話している。衣装の採寸中らしい。女子がメジャーでようちゃんの肩幅を測っていた。
「出た、ようちゃん警察」
「距離近すぎだろ」
「採寸してるからね」
「どっかでみたことあると思ったら、おまえようじのーー」
出入り口付近にいた男子が声をかけてきて、よくよくみてみるとようちゃんの友達の直樹先輩だった。俺はこの先輩が少し苦手だ。むすっとしていて笑ったところをみたことがない。背が高くてガタイがいいので威圧感があり、ちょっと怖い。
「あ、直樹先輩」
「ようじ? 呼ぶか?」
「いや、だいじょうーー」
「呼んでください!」
俺の背後からちひろが答えたせいで直樹先輩がようちゃんを呼び出した。
「おい、誰が呼び出せと--」
ちひろに文句を言っている途中でようちゃんが来てしまった。
「しゅん、どうした?」
「いや、あの……忙しそうだな」
「まぁ、バタバタはしてるけど。なに? またお金ないって?」
教室の奥からようちゃんを呼ぶ女子の声が聞こえる。ようちゃんは振り向いて「ごめん、ちょっと待って」と謝っていた。
やばい、早く言わなきゃ。
「……文化祭、一緒に回ろ」
よし、言えた! 俺えらい!
ようちゃんは途端に困ったように眉を下げてあーと唸っている。
「……当日、午後から軽音部のステージあるから、それがおわってからでもいい?」
首がもげるほど高速で頷くと、ようちゃんは小さく笑ってくれた。
「あたしも一緒に回っていい?」
どこから現れたのか、知らない女子がひょっこり会話に入ってきて、俺とようちゃんは顔を見合わせる。
「あー……」
ようちゃんが答えあぐねていると
「吹部も午後からステージ立つから、それがおわったら合流するね」
そう一方的に告げて教室の奥へ行ってしまった。ようちゃんと目が合い苦笑してがっくりと肩を落とす。
「ごめん……」
「いや、うん……大丈夫」
全然大丈夫ではないけど、ようちゃんのクラスメイトだし失礼なこと言って気まずくなったらようちゃんがかわいそうだし……とか考えてたら断れなかった。しかたなくようちゃんにバイバイして生徒会室へ向かう。
「まさかのようちゃん泥棒が現れるとは」
「はい?」
「しゅんがようちゃん警察だから、さっきの女子はようちゃん泥棒」
うまいこと言ったつもりなのだろう、ちひろはドヤ顔でニヤニヤしている。前言撤回、冗談じゃない、なにがようちゃん泥棒だ。俺たちはつき合い始めたばかりで距離を測りかねているのに、そんな大事な時に横からひょいっと奪われたらたまったもんじゃない。
「奪われてたまるか」
文化祭当日--ジャンケンに勝ちクラス展示の受付係の順番を一番にしてもらった俺とちひろ。俺は受付席に座りそわそわしていた(人見知り)。ちひろは、見に来てくれた他クラスの生徒や保護者ににこやかに対応している。普段、そこまで愛想がいい方ではないのに、こういう時は臨機応変に対応できる。
ちひろマジすげー、神!
ちひろのおかげで特にトラブルもなく受付係をおえて次の受付係にバトンタッチした。急いで2年の教室へ向かう。お目当てはもちろん、ようちゃんのクラスのメイド喫茶だ。
「うわ〜並んでんじゃん」
教室前には既に列ができており、俺たちも列の最後尾に並ぶ。並ぶ客にメニューが配られた。それに目を通すと、駄菓子のセット、駄菓子+ドリンクのセット、焼き菓子+ドリンクのセット(おまじない付き)で、だいたい100円〜300円の価格帯だ。
「俺はこれにする!」
迷うことなく『おまじない付き』を指差すとちひろは「だろうね」と乾いた笑いを浮かべた。ようちゃんがメイドをすることは調べがついている。
ふふっ、メイドようちゃんに萌え萌えキュン! してもらってスマホに収めるんだ。
「でもさ、おさななじみなんだからお願いしたら個人的にやってくれんじゃね? わざわざこんな列に並ばなくても」
「文化祭だからやってくれるんじゃん。普段なにもない時にそんなことしねぇよ。特にようちゃんは」
お願いしたとしても恥ずかしがって断固拒否だろうな。恥ずかしがってるところもみたいけどしつこくして嫌われたらイヤだし。
そうこうしてる間に俺たちの番がきた。教室内に足を踏み入れるとそこはまるでメルヘンの世界。教室内はパステルカラーの風船や飾りで彩られ、カーテンもピンクに変わっていた。教室の隅にフォトブースが設置されていて記念撮影できるようになっていた。本物のメイドカフェに行ったことはないけどきっと雰囲気はこんな感じなんだろう。窓際の席に案内されてそこに座る。楽しみでワクワクしている俺とは反対にちひろは室内の雰囲気に戸惑っている。
「……なんで来るんだよ」
「あれ? 直樹先輩は?」
「部の方に顔出してる」
「ふ~ん」
ぶすっとして不機嫌極まりないようちゃんが注文を取りに来た。俺はすかさずスマホをかまえる。膝丈の黒のワンピースに白のフリル付エプロン、黒のニーハイに猫耳カチューシャを付けて胸元には『ようちゃん』と丸文字で書かれた名札(猫のシール付)を付けている。そしてほんのりメイクもしているらしい。長いまつ毛がクルクルしていて頬と唇はやわらかなピンク色。
ようちゃん! かわいい! 似合ってる!!
カシャカシャと無言で連写しまくる俺をよそに「ご注文は?」とちひろに聞くようちゃん。
「おすすめあります?」
「炭酸のシゲキがたまらない、胸がシュワシュワフルーツソーダ……がおすすめです」
「もっとメイドさんっぽく言ってください」
大きな猫目がギロッと俺を睨む。
「おまえ、後でスマホ貸せよ。さっき撮ったやつひとつ残らず消してやるからな」
「このメイドさんちょーこわいんですけど」
「この、うさぎちゃんセットの駄菓子詰め合わせでお願いします」
「はーい。しゅんは? 水でいい?」
「冷たい……メイドさんのおすすめでお願いします。おまじない付きで」
「残念でした。シュワシュワフルーツソーダにはおまじない付いてません」
「マジか、じゃあおまじない付きのやつに変えますーー」
メニューを変更しようとしたらようちゃんの姿はこつぜんと消えていた。そして秒で注文の品を運んできた。ちひろの注文したものは文字通り駄菓子の詰め合わせで、5種類の駄菓子が袋に入ってうさぎのシールが貼られている。俺の注文したものは、サイダーの中に俺の大好きな丸型のシャーベットアイスがぷかぷか浮かんでいた。炭酸の泡がグレープアイスを取り囲んでしゅわしゅわしている。夏っぽい爽やかな見た目で映えそうだ。試しにひとくち飲んでみると、口の中にサイダーのしゅわしゅわが広がってほんのりぶどうの味がした。
「それ、俺が考案したやつ。うまい?」
俺の手にあるサイダーを指さし得意げな顔をしてから期待の眼差しを向けてくる。
「まぁ、普通にうまい」
「普通ってなんだよ」
「そのアイス、しゅんがいつも食べてるやつですよね?」
「そうそう、しゅんが食べてるのみておもいついたんだよね」
「俺のおかげじゃん。お礼はおまじないでいいよ」
「だから、おまじないは付いてません!」
「おさななじみの特権使うんで特別にお願いします」
「特権適用外です」
「えー」
ようちゃんとごちゃごちゃやり合っていると「あれ、やばくね?」とちひろが呟いて、その視線の先を追うと、片付けをしている女生徒におっさんが絡んでいた。「かわいいね、一緒に写真撮ろう」とニヤニヤしながらしつこく誘っている。すかさずようちゃんが間に入っていった。
「すいません、フォトブースはお客さんに楽しんでもらうために作ったので俺たち生徒は一緒に映れないんです」
「きみ、かわいいね~男? この際男でもいいか。代わりにきみが一緒に撮ってくれる?」
「え、だから撮れないんだってーー」
おっさんの汚い手でようちゃんの細い手首をつかんでいる。
なんじゃあいつ!? その汚い手を離せ! 今すぐようちゃんから離れろ!
「はい! 俺もそのメイドさんと撮りたいんで、一緒に撮りましょう!」
おっさんからようちゃんを引き離し、戸惑うおっさんをフォトブースに誘って、ようちゃん俺おっさんの並びでちひろに撮ってもらった。
「証拠写真ばっちり撮れたんでカスハラで訴えますね」
ぼそりと警告するとおっさんは焦ってそそくさと退散した。
「あ、おっさん映ってない」
ちひろから渡されたスマホを確認すると、画面には俺とメイド姿のかわいいようちゃんしか映ってなかった。
「ちひろナイス。あとでようちゃんにも送るから」
「いらねぇし、消せよ」
「三原くん、ありがとう。あの人断ってもしつこく誘ってきたから、来てくれて助かった」
さっきおっさんに絡まれてた女子がようちゃんにお礼を言いに来た。黒髪ボブでおとなしそうな感じ。か弱そうにみえたから絡んできたのだろうか。ようちゃんも華奢だし。
「俺はなにも……逆に絡まれたからね。追い出したのはコイツ」
そう言って俺を指さすようちゃん。女子は視線を俺に移すと、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
「いやいや、無事でよかったです」
「本当にね」
「佳純~!」
「華凛ちゃーん!」
あの、ようちゃん泥棒の女子がやってきておっさんに絡まれてた女子に勢いよく抱きついた。抱擁して慰めている。絡まれていた女子は涙目だ。そしてようちゃんも会話に入って事の経緯を説明していた。
「ちひろ、いこっか」
「え? いいの? ようちゃん警察発動しなくて」
「いいんだよ。おまえ、色々食いたいものあるって言ってたし」
「からあげにポテトにやきそばにたこやきに、チョコバナナとアイスとーー」
「ちひろさん、午後からダンス部のステージあるの忘れてませんか?」
「バカ野郎。そのためのエネルギー補給だよ」
「さすが、大食漢」
体育館の舞台袖、ダンス部のメンバーで円陣を組む。メンバーといっても9人しかいない。それでも9人集まれば5分の演技時間の間は観客を楽しませられるはず。
「楽しんでいきまっしょう!」
「ウォイッ!」
部長のかけ声で各々気合を入れて舞台に飛び出た。ちひろと目を合わせて互いにうんと頷く。スタンバイ位置について、音楽のイントロが流れ出す。この瞬間、なんともいえない緊張感が胸の中に広がる。とにかくおもいっきり楽しもう! 気持ちを切り替えて顔を上げた。
「おつかれ!」
「しゅん! めっちゃよかった!」
「あざーっす!」
あっという間の5分間だった。楽しすぎてあまり記憶がない。ちひろはダンス初心者にも関わらず堂々としていた。ステージに立つと人が変わったみたいに生き生きとリズムにのっていた。黄色い声援にも物怖じせず舞台慣れしているようだった。
「ちひろ舞台慣れしてるよな? なんかやってた?」
舞台袖、タオルで汗を拭いながらちひろに聞いてみると「あー」と視線を泳がせている。
「ちょっとややこしいからさ、また追々話すわ」
「うん……?」
話したくないことなら無理に聞かない。誰だって聞かれたくないことの一つや二つあるだろう。
「あ、始まったんじゃない?」
やわらかいアコースティックギターの音が聞こえる。急いで舞台袖から客席へと移動する。ダンスの衣装がダボダボの裾が広がったパンツ(ワイドパンツというらしい)なので足が絡まってこけそうになったがなんとかこらえて席に着いた。舞台上にようちゃんの姿はなく、舞台の下に瀬戸先輩と並んで座っている。舞台上だと緊張するのでお客さんと同じ目線がいい、とかなんとか言っていた。俺はお客さんが近い方が緊張するけど。ダンスの盛り上がりから一変、会場は優しく穏やかな空気に包まれていた。ようちゃんの声がマイクにのると、そこここから感嘆のため息が漏れる。中音域の甘い声がスッと耳に入ってきて心地いい。瀬戸先輩とのキレイなハーモニーは鳥肌が立つくらい最高だしサビの高音で裏声に切り替わるところもすごくいい。あと、高音を出すとき少し苦しそうに眉間にシワが寄るんだけど色っぽくてドキドキする。俺が座っている位置からはようちゃんの表情まで確認できないから今日は見れないのが残念だ。
ゆっくりとした曲調の一曲目がおわりようちゃんと瀬戸先輩がしゃべり始めた。軽く自己紹介をして、さっきの曲の解説や文化祭での推しポイントなどを話して終始和やかな雰囲気のまま次の曲が始まった。二曲目はさっきよりもアップテンポでポップな曲調だった。少し緊張が解れたのか、伸び伸びと歌っているように聞こえる。
やっぱりようちゃんは心から音楽がすきなんだな。俺が踊ることがすきなのと同じくらいに。
あっという間に二曲目がおわり、惜しまれつつも退場していった。
「ようちゃん先輩うたうますぎじゃない?」
隣に座っていたちひろが驚いて目をシパシパさせている。俺は誇らしげにフフンと鼻をならす。
「そりゃモテるよな。顔もかわいいし」
会場にいたお客さんは二人の歌声に魅了されてうっとりしていた。ファンになった人もいるかもしれない。きっと文化祭直後はようちゃんへの告白ラッシュがくる。やばい、モヤモヤぐるぐるしてきた。学年一の美女がようちゃんを誘惑しキスから始まるラブコメが開幕。トラウマなんかすぐに克服して真実の愛をみつけたんだとかなんとか言われて俺がフラれるっていう……
「おーい、しゅん~?」
目の前にはヒラヒラと手を振るようちゃん。気づけば俺は舞台袖にいてギターを持ったようちゃんと瀬戸先輩に笑われていた。どうやら瞬間移動したらしい。
「なんかトリップしてたから運んでおいた」
ちひろがドヤ顔で親指を立てている。
「マジか……遂に瞬間移動の能力が開花したのかと」
「いいなぁ~俺も欲しい」
「瞬間移動体験サービスでも始めようかな? 1回500円で」
「いいじゃん。体験したい」
冗談を言いながらひとしきり笑った後、ちひろは飲食の模擬店を制覇しにいき、瀬戸先輩は自分のクラスに戻っていった。
「俺らもいこっか」
ギターをケースにしまって一旦部室に置きに行ってから模擬店を回ることにした。
「しゅんのダンス、母さんたちが動画撮ってるんだって」
「え、来てたんだ」
「最前にいたじゃん」
「全然気づかんかった」
「どんだけ緊張してんだよ」
「客はみんなカボチャかじゃがいもだと思ってるから」
「わかる、俺もそう」
「ようちゃん……それはさすがに失礼じゃね?」
「え!? なにその急な裏切り!?」
ようちゃんの歌すげーよかったよ! 歌いだしは少し声が震えてたけど緊張感が伝わって泣きそうになったし瀬戸先輩とハモるところはマジで鳥肌モンだしサビの高音で裏声になるとこが最高にすき!! 心の中にいくらでも感想が湧きあがってくるのに口に出せない。本当は直接伝えたいのに、永年おさななじみをやってきたせいか気恥ずかしさが勝ってしまう。
「そういえばさ、一緒に回るって言ってた人いつくんの?」
軽音部の部室に寄ってギターを置いてから校舎内の模擬店に向かう。模擬店の校内マップに目を落としていたようちゃんが視線を上げた。
「あー、それね、丁重にお断りした」
「あ、そうなん?」
「俺も、しゅんと二人で回りたかったし……」
えー!? なにそれ!? めっちゃうれしい!! 二人きりになるの諦めてたのにここにきてまさかの逆転満塁ホームラン!?!?
「なに固まってんだよ、いくぞ?」
「幸せをしみじみ噛みしめてました」
「は?」
「いや、なんでもないです」
斜め前を歩くようちゃんの耳がほんのり赤くて、思わず手を伸ばしてようちゃんの手を握る。驚いて振り返ったようちゃんは目をパチパチさせていた。
「ようちゃん……うた、すげーよかった」
みるみるうちにようちゃんの顔が赤くなっていき、恥ずかしそうに手の甲で口元を隠した。
「……そっか、それは、よかった」
そしてだんだんと視線が下にずれていく。と思ったら、ぎゅっと手を握り返された。
「しゅんのダンス、本当はちゃんとみたかったんだけどタイミング的にやっぱ無理だった。母さんが撮ってるやつあとでみてもいい?」
みたかった、みてもいい? ってかわいすぎんか!? もちろんだと言わんばかりに首がもげるほど頷くとようちゃんは可笑しそうに顔を緩めた。
抱きしめたい! 今すぐ抱きしめたい!! 途端にぐうぅ〜とようちゃんの腹がなって、「腹へったー! 早くいこ!」とぐいぐい手を引かれて校舎内に入った。抱きしめるタイミングは逃したけど、それを上回るほどにときめかせてもらったので俺は今死んでもいいかもしれない。いや、ウソです。まだまだ死にたくありません。ようちゃんとしたいこといっぱいあるんで。
「少し休憩しませんか?」
一緒に作業している花村さんが飴をくれた。レモン柄の包み紙がレトロでかわいい。
「ありがとう」
口に入れると甘酸っぱい味が広がる。
「懐かしい味する」
「ホッとしますよね」
話しているちひろと花村さんの前には大量の葉っぱが山盛りになっている。
「すげー量」
「めっちゃ集中した。最初は歪だったけど慣れてきたらきれいに切れるようになってさ。これなんか本物みたいじゃない?」
ちひろに手渡された色画用紙の葉っぱはやっぱり色画用紙だった。
「……葉脈とか書いて真ん中折ったらそれっぽく見えなくもない」
「そこまでする気力ないわ」
ぐっと腕を天井に伸ばして肩甲骨を引き上げ、首を回してから立ち上がった。
「ペンキなくなったから取ってくる。どこにあるんだっけ?」
「生徒会室じゃね?」
教室を出ていこうとしたらクラス委員の青山に呼び止められた。ついでに他の備品も取ってきてほしいと頼まれてちひろと一緒にいくことになった。生徒会室に向かう途中で2年の教室を覗くとようちゃんが女子と和気あいあいと話している。衣装の採寸中らしい。女子がメジャーでようちゃんの肩幅を測っていた。
「出た、ようちゃん警察」
「距離近すぎだろ」
「採寸してるからね」
「どっかでみたことあると思ったら、おまえようじのーー」
出入り口付近にいた男子が声をかけてきて、よくよくみてみるとようちゃんの友達の直樹先輩だった。俺はこの先輩が少し苦手だ。むすっとしていて笑ったところをみたことがない。背が高くてガタイがいいので威圧感があり、ちょっと怖い。
「あ、直樹先輩」
「ようじ? 呼ぶか?」
「いや、だいじょうーー」
「呼んでください!」
俺の背後からちひろが答えたせいで直樹先輩がようちゃんを呼び出した。
「おい、誰が呼び出せと--」
ちひろに文句を言っている途中でようちゃんが来てしまった。
「しゅん、どうした?」
「いや、あの……忙しそうだな」
「まぁ、バタバタはしてるけど。なに? またお金ないって?」
教室の奥からようちゃんを呼ぶ女子の声が聞こえる。ようちゃんは振り向いて「ごめん、ちょっと待って」と謝っていた。
やばい、早く言わなきゃ。
「……文化祭、一緒に回ろ」
よし、言えた! 俺えらい!
ようちゃんは途端に困ったように眉を下げてあーと唸っている。
「……当日、午後から軽音部のステージあるから、それがおわってからでもいい?」
首がもげるほど高速で頷くと、ようちゃんは小さく笑ってくれた。
「あたしも一緒に回っていい?」
どこから現れたのか、知らない女子がひょっこり会話に入ってきて、俺とようちゃんは顔を見合わせる。
「あー……」
ようちゃんが答えあぐねていると
「吹部も午後からステージ立つから、それがおわったら合流するね」
そう一方的に告げて教室の奥へ行ってしまった。ようちゃんと目が合い苦笑してがっくりと肩を落とす。
「ごめん……」
「いや、うん……大丈夫」
全然大丈夫ではないけど、ようちゃんのクラスメイトだし失礼なこと言って気まずくなったらようちゃんがかわいそうだし……とか考えてたら断れなかった。しかたなくようちゃんにバイバイして生徒会室へ向かう。
「まさかのようちゃん泥棒が現れるとは」
「はい?」
「しゅんがようちゃん警察だから、さっきの女子はようちゃん泥棒」
うまいこと言ったつもりなのだろう、ちひろはドヤ顔でニヤニヤしている。前言撤回、冗談じゃない、なにがようちゃん泥棒だ。俺たちはつき合い始めたばかりで距離を測りかねているのに、そんな大事な時に横からひょいっと奪われたらたまったもんじゃない。
「奪われてたまるか」
文化祭当日--ジャンケンに勝ちクラス展示の受付係の順番を一番にしてもらった俺とちひろ。俺は受付席に座りそわそわしていた(人見知り)。ちひろは、見に来てくれた他クラスの生徒や保護者ににこやかに対応している。普段、そこまで愛想がいい方ではないのに、こういう時は臨機応変に対応できる。
ちひろマジすげー、神!
ちひろのおかげで特にトラブルもなく受付係をおえて次の受付係にバトンタッチした。急いで2年の教室へ向かう。お目当てはもちろん、ようちゃんのクラスのメイド喫茶だ。
「うわ〜並んでんじゃん」
教室前には既に列ができており、俺たちも列の最後尾に並ぶ。並ぶ客にメニューが配られた。それに目を通すと、駄菓子のセット、駄菓子+ドリンクのセット、焼き菓子+ドリンクのセット(おまじない付き)で、だいたい100円〜300円の価格帯だ。
「俺はこれにする!」
迷うことなく『おまじない付き』を指差すとちひろは「だろうね」と乾いた笑いを浮かべた。ようちゃんがメイドをすることは調べがついている。
ふふっ、メイドようちゃんに萌え萌えキュン! してもらってスマホに収めるんだ。
「でもさ、おさななじみなんだからお願いしたら個人的にやってくれんじゃね? わざわざこんな列に並ばなくても」
「文化祭だからやってくれるんじゃん。普段なにもない時にそんなことしねぇよ。特にようちゃんは」
お願いしたとしても恥ずかしがって断固拒否だろうな。恥ずかしがってるところもみたいけどしつこくして嫌われたらイヤだし。
そうこうしてる間に俺たちの番がきた。教室内に足を踏み入れるとそこはまるでメルヘンの世界。教室内はパステルカラーの風船や飾りで彩られ、カーテンもピンクに変わっていた。教室の隅にフォトブースが設置されていて記念撮影できるようになっていた。本物のメイドカフェに行ったことはないけどきっと雰囲気はこんな感じなんだろう。窓際の席に案内されてそこに座る。楽しみでワクワクしている俺とは反対にちひろは室内の雰囲気に戸惑っている。
「……なんで来るんだよ」
「あれ? 直樹先輩は?」
「部の方に顔出してる」
「ふ~ん」
ぶすっとして不機嫌極まりないようちゃんが注文を取りに来た。俺はすかさずスマホをかまえる。膝丈の黒のワンピースに白のフリル付エプロン、黒のニーハイに猫耳カチューシャを付けて胸元には『ようちゃん』と丸文字で書かれた名札(猫のシール付)を付けている。そしてほんのりメイクもしているらしい。長いまつ毛がクルクルしていて頬と唇はやわらかなピンク色。
ようちゃん! かわいい! 似合ってる!!
カシャカシャと無言で連写しまくる俺をよそに「ご注文は?」とちひろに聞くようちゃん。
「おすすめあります?」
「炭酸のシゲキがたまらない、胸がシュワシュワフルーツソーダ……がおすすめです」
「もっとメイドさんっぽく言ってください」
大きな猫目がギロッと俺を睨む。
「おまえ、後でスマホ貸せよ。さっき撮ったやつひとつ残らず消してやるからな」
「このメイドさんちょーこわいんですけど」
「この、うさぎちゃんセットの駄菓子詰め合わせでお願いします」
「はーい。しゅんは? 水でいい?」
「冷たい……メイドさんのおすすめでお願いします。おまじない付きで」
「残念でした。シュワシュワフルーツソーダにはおまじない付いてません」
「マジか、じゃあおまじない付きのやつに変えますーー」
メニューを変更しようとしたらようちゃんの姿はこつぜんと消えていた。そして秒で注文の品を運んできた。ちひろの注文したものは文字通り駄菓子の詰め合わせで、5種類の駄菓子が袋に入ってうさぎのシールが貼られている。俺の注文したものは、サイダーの中に俺の大好きな丸型のシャーベットアイスがぷかぷか浮かんでいた。炭酸の泡がグレープアイスを取り囲んでしゅわしゅわしている。夏っぽい爽やかな見た目で映えそうだ。試しにひとくち飲んでみると、口の中にサイダーのしゅわしゅわが広がってほんのりぶどうの味がした。
「それ、俺が考案したやつ。うまい?」
俺の手にあるサイダーを指さし得意げな顔をしてから期待の眼差しを向けてくる。
「まぁ、普通にうまい」
「普通ってなんだよ」
「そのアイス、しゅんがいつも食べてるやつですよね?」
「そうそう、しゅんが食べてるのみておもいついたんだよね」
「俺のおかげじゃん。お礼はおまじないでいいよ」
「だから、おまじないは付いてません!」
「おさななじみの特権使うんで特別にお願いします」
「特権適用外です」
「えー」
ようちゃんとごちゃごちゃやり合っていると「あれ、やばくね?」とちひろが呟いて、その視線の先を追うと、片付けをしている女生徒におっさんが絡んでいた。「かわいいね、一緒に写真撮ろう」とニヤニヤしながらしつこく誘っている。すかさずようちゃんが間に入っていった。
「すいません、フォトブースはお客さんに楽しんでもらうために作ったので俺たち生徒は一緒に映れないんです」
「きみ、かわいいね~男? この際男でもいいか。代わりにきみが一緒に撮ってくれる?」
「え、だから撮れないんだってーー」
おっさんの汚い手でようちゃんの細い手首をつかんでいる。
なんじゃあいつ!? その汚い手を離せ! 今すぐようちゃんから離れろ!
「はい! 俺もそのメイドさんと撮りたいんで、一緒に撮りましょう!」
おっさんからようちゃんを引き離し、戸惑うおっさんをフォトブースに誘って、ようちゃん俺おっさんの並びでちひろに撮ってもらった。
「証拠写真ばっちり撮れたんでカスハラで訴えますね」
ぼそりと警告するとおっさんは焦ってそそくさと退散した。
「あ、おっさん映ってない」
ちひろから渡されたスマホを確認すると、画面には俺とメイド姿のかわいいようちゃんしか映ってなかった。
「ちひろナイス。あとでようちゃんにも送るから」
「いらねぇし、消せよ」
「三原くん、ありがとう。あの人断ってもしつこく誘ってきたから、来てくれて助かった」
さっきおっさんに絡まれてた女子がようちゃんにお礼を言いに来た。黒髪ボブでおとなしそうな感じ。か弱そうにみえたから絡んできたのだろうか。ようちゃんも華奢だし。
「俺はなにも……逆に絡まれたからね。追い出したのはコイツ」
そう言って俺を指さすようちゃん。女子は視線を俺に移すと、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
「いやいや、無事でよかったです」
「本当にね」
「佳純~!」
「華凛ちゃーん!」
あの、ようちゃん泥棒の女子がやってきておっさんに絡まれてた女子に勢いよく抱きついた。抱擁して慰めている。絡まれていた女子は涙目だ。そしてようちゃんも会話に入って事の経緯を説明していた。
「ちひろ、いこっか」
「え? いいの? ようちゃん警察発動しなくて」
「いいんだよ。おまえ、色々食いたいものあるって言ってたし」
「からあげにポテトにやきそばにたこやきに、チョコバナナとアイスとーー」
「ちひろさん、午後からダンス部のステージあるの忘れてませんか?」
「バカ野郎。そのためのエネルギー補給だよ」
「さすが、大食漢」
体育館の舞台袖、ダンス部のメンバーで円陣を組む。メンバーといっても9人しかいない。それでも9人集まれば5分の演技時間の間は観客を楽しませられるはず。
「楽しんでいきまっしょう!」
「ウォイッ!」
部長のかけ声で各々気合を入れて舞台に飛び出た。ちひろと目を合わせて互いにうんと頷く。スタンバイ位置について、音楽のイントロが流れ出す。この瞬間、なんともいえない緊張感が胸の中に広がる。とにかくおもいっきり楽しもう! 気持ちを切り替えて顔を上げた。
「おつかれ!」
「しゅん! めっちゃよかった!」
「あざーっす!」
あっという間の5分間だった。楽しすぎてあまり記憶がない。ちひろはダンス初心者にも関わらず堂々としていた。ステージに立つと人が変わったみたいに生き生きとリズムにのっていた。黄色い声援にも物怖じせず舞台慣れしているようだった。
「ちひろ舞台慣れしてるよな? なんかやってた?」
舞台袖、タオルで汗を拭いながらちひろに聞いてみると「あー」と視線を泳がせている。
「ちょっとややこしいからさ、また追々話すわ」
「うん……?」
話したくないことなら無理に聞かない。誰だって聞かれたくないことの一つや二つあるだろう。
「あ、始まったんじゃない?」
やわらかいアコースティックギターの音が聞こえる。急いで舞台袖から客席へと移動する。ダンスの衣装がダボダボの裾が広がったパンツ(ワイドパンツというらしい)なので足が絡まってこけそうになったがなんとかこらえて席に着いた。舞台上にようちゃんの姿はなく、舞台の下に瀬戸先輩と並んで座っている。舞台上だと緊張するのでお客さんと同じ目線がいい、とかなんとか言っていた。俺はお客さんが近い方が緊張するけど。ダンスの盛り上がりから一変、会場は優しく穏やかな空気に包まれていた。ようちゃんの声がマイクにのると、そこここから感嘆のため息が漏れる。中音域の甘い声がスッと耳に入ってきて心地いい。瀬戸先輩とのキレイなハーモニーは鳥肌が立つくらい最高だしサビの高音で裏声に切り替わるところもすごくいい。あと、高音を出すとき少し苦しそうに眉間にシワが寄るんだけど色っぽくてドキドキする。俺が座っている位置からはようちゃんの表情まで確認できないから今日は見れないのが残念だ。
ゆっくりとした曲調の一曲目がおわりようちゃんと瀬戸先輩がしゃべり始めた。軽く自己紹介をして、さっきの曲の解説や文化祭での推しポイントなどを話して終始和やかな雰囲気のまま次の曲が始まった。二曲目はさっきよりもアップテンポでポップな曲調だった。少し緊張が解れたのか、伸び伸びと歌っているように聞こえる。
やっぱりようちゃんは心から音楽がすきなんだな。俺が踊ることがすきなのと同じくらいに。
あっという間に二曲目がおわり、惜しまれつつも退場していった。
「ようちゃん先輩うたうますぎじゃない?」
隣に座っていたちひろが驚いて目をシパシパさせている。俺は誇らしげにフフンと鼻をならす。
「そりゃモテるよな。顔もかわいいし」
会場にいたお客さんは二人の歌声に魅了されてうっとりしていた。ファンになった人もいるかもしれない。きっと文化祭直後はようちゃんへの告白ラッシュがくる。やばい、モヤモヤぐるぐるしてきた。学年一の美女がようちゃんを誘惑しキスから始まるラブコメが開幕。トラウマなんかすぐに克服して真実の愛をみつけたんだとかなんとか言われて俺がフラれるっていう……
「おーい、しゅん~?」
目の前にはヒラヒラと手を振るようちゃん。気づけば俺は舞台袖にいてギターを持ったようちゃんと瀬戸先輩に笑われていた。どうやら瞬間移動したらしい。
「なんかトリップしてたから運んでおいた」
ちひろがドヤ顔で親指を立てている。
「マジか……遂に瞬間移動の能力が開花したのかと」
「いいなぁ~俺も欲しい」
「瞬間移動体験サービスでも始めようかな? 1回500円で」
「いいじゃん。体験したい」
冗談を言いながらひとしきり笑った後、ちひろは飲食の模擬店を制覇しにいき、瀬戸先輩は自分のクラスに戻っていった。
「俺らもいこっか」
ギターをケースにしまって一旦部室に置きに行ってから模擬店を回ることにした。
「しゅんのダンス、母さんたちが動画撮ってるんだって」
「え、来てたんだ」
「最前にいたじゃん」
「全然気づかんかった」
「どんだけ緊張してんだよ」
「客はみんなカボチャかじゃがいもだと思ってるから」
「わかる、俺もそう」
「ようちゃん……それはさすがに失礼じゃね?」
「え!? なにその急な裏切り!?」
ようちゃんの歌すげーよかったよ! 歌いだしは少し声が震えてたけど緊張感が伝わって泣きそうになったし瀬戸先輩とハモるところはマジで鳥肌モンだしサビの高音で裏声になるとこが最高にすき!! 心の中にいくらでも感想が湧きあがってくるのに口に出せない。本当は直接伝えたいのに、永年おさななじみをやってきたせいか気恥ずかしさが勝ってしまう。
「そういえばさ、一緒に回るって言ってた人いつくんの?」
軽音部の部室に寄ってギターを置いてから校舎内の模擬店に向かう。模擬店の校内マップに目を落としていたようちゃんが視線を上げた。
「あー、それね、丁重にお断りした」
「あ、そうなん?」
「俺も、しゅんと二人で回りたかったし……」
えー!? なにそれ!? めっちゃうれしい!! 二人きりになるの諦めてたのにここにきてまさかの逆転満塁ホームラン!?!?
「なに固まってんだよ、いくぞ?」
「幸せをしみじみ噛みしめてました」
「は?」
「いや、なんでもないです」
斜め前を歩くようちゃんの耳がほんのり赤くて、思わず手を伸ばしてようちゃんの手を握る。驚いて振り返ったようちゃんは目をパチパチさせていた。
「ようちゃん……うた、すげーよかった」
みるみるうちにようちゃんの顔が赤くなっていき、恥ずかしそうに手の甲で口元を隠した。
「……そっか、それは、よかった」
そしてだんだんと視線が下にずれていく。と思ったら、ぎゅっと手を握り返された。
「しゅんのダンス、本当はちゃんとみたかったんだけどタイミング的にやっぱ無理だった。母さんが撮ってるやつあとでみてもいい?」
みたかった、みてもいい? ってかわいすぎんか!? もちろんだと言わんばかりに首がもげるほど頷くとようちゃんは可笑しそうに顔を緩めた。
抱きしめたい! 今すぐ抱きしめたい!! 途端にぐうぅ〜とようちゃんの腹がなって、「腹へったー! 早くいこ!」とぐいぐい手を引かれて校舎内に入った。抱きしめるタイミングは逃したけど、それを上回るほどにときめかせてもらったので俺は今死んでもいいかもしれない。いや、ウソです。まだまだ死にたくありません。ようちゃんとしたいこといっぱいあるんで。



