ようちゃんとダラダラ過ごしていたらあっという間に春休みが終わっていた。今日は始業式、俺は2年、ようちゃんは3年になる。いつものように玄関前でようちゃんを待っているのだけど一向に出てこない。
 「ようちゃーん! 遅刻すんぞー!」
 二階のようちゃんの部屋に向かって叫んでいると、ガチャと玄関ドアが開いた。
 「しゅんちゃん、待たせてごめんね。あの子、全然降りてこなくて」
 申し訳なさそうにおばさんが出てきた。
 「おばさん、おはよー。俺ちょっとみてくるね」
 「お願いね」
 勝手知ったる他人の家、玄関で靴を脱ぎバタバタと階段を駆け上がってノックもせずにドアを開ける。部屋の中を見回すと、ベッドが膨らんでいてようちゃんの頭が布団から少し出ていた。
 「まだ寝てんのかよ」
 掛け布団を剝ぎ取ると、ようちゃんは寒そうに背中を丸める。
 「ようちゃん起きろ。さっさと着替えて」
 腕を引っ張って起き上がらせる。まだ開ききっていない目を俺に向けて「何時?」と呟いた。
 「8時15分」
 「やっべ……遅刻する」
 腰をさすりながらベッドから下りて、スウェットを脱ぎ始めた。
 「今日バスにする?」
 「……もちろん。誰かさんのせいで身体だるいんで」
 シャツの袖に腕を通しながらじっとりと俺を睨みつける。
 「ごめん、つい……」
 ようちゃんに近寄り背中から抱きしめると脇腹に肘鉄をくらった。地味に痛い。ふと、机の上のプリントに目が留まった。進路希望調査票と書かれてある。ようちゃんの第一希望は大学進学で志望校はーー
 「A大!?」
 俺の声にびっくりしたようちゃんはスラックスにベルトを通すと俺の手からプリントを抜き取りカバンにしまった。
 「A大って、たける兄ちゃんの大学だよな?」
 「そうだけど」
 「なんで?」
 「なんでって、たまたまだよ」
 「たまたまって……」
 大学なんて山ほどあるしようちゃんの学力ならそれこそ選びたい放題なのに、なんでよりによってA大……
 「ようちゃんが入学した時にはたける兄ちゃんは4年だろ? ってことは、1年間一緒に通うことになるよな?」
 着替えおわるとカバンを手に取り、さっさと部屋を出て階段を降りるようちゃん。その後にぴったりとくっついて質問を投げかける。ようちゃんはくるっと後ろを向いてじっと俺をみつめ、少し背伸びをして唇を寄せた。一瞬だけ触れてすぐに離れていく。なにが起こったのか理解できず固まっていると、既に靴を履き終えたようちゃんが「いくぞ」と先に玄関を出て行ってしまった。
 「ちょ、ようちゃん! まって!」
 住宅街の坂を下っていくようちゃんの背中を追う。追いついて隣に並ぶと、ようちゃんがスッと手を差しだした。俺はそれをぎゅっと握ってぶんぶん振り回す。「痛い、バカ」と眉をしかめるようちゃん。そんな顔も愛おしくてすきだ。
 「おはよ~。仲良しだね~」
 「おはよー。今日、始業式なんだ」
 近所のおばさんに声をかけられて、ようちゃんは手を握ったままにこやかにしゃべっている。スマホを取り出して時間を確認していると、背後からバスの走行音がした。
 「ようちゃん! バスくる!」
 「いってきまーす」とおばさんに手を振り、ようちゃんの手を引いてバス停めがけて走った。なんとかバスに飛び乗り、一番後ろの席に座ると安心して息を吐いた。そういえば、ずっと手をにぎりっぱなしだった。ようちゃんは「腹へった」と呟いて、俺の肩を枕にして目を瞑る。しばらくバスに揺られながら、見飽きた景色をぼんやり眺める。車窓から差し込むあたたかい日差しにふぁっとあくびが漏れた。
 「……まだ合格するかもわかんないし、志望校だって変わるかもしれない」
 突然、独り言のようにボソボソと呟き始めたようちゃん。俺は窓の外に目を向けたままで耳をかたむける。
 「A大に進学したとしても、俺がたける兄ちゃんとどうこうなるなんて、ありえないだろ?」
 「ゼロパーセントじゃないと思いますけど」
 「ゼロパーだよ、ゼロパー」
 「なんでそう言い切れるんですか?」
 「おまえこそなんで……」
 「……ごめん、ようちゃんを困らせたいわけじゃない」
 「うん、わかってる」
 そう言ってまた目を瞑ってしまった。俺はずっと、ようちゃんの握った手をぎゅうぎゅうと握りこんでいた。

 学校に着くと校庭にクラス発表の紙が貼りだされていた。
 「3年のとこみてくる」
 「ん~」
 ようちゃんとわかれて2年のクラス発表をみにいく。自分の名前を探しているとドンッと右肩に衝撃を受けた。
 「あ、すんませんーーって、ちひろじゃん」
 ぶつかったのではなく、ちひろがタックルをおみまいしてきたのだった。
 「しゅんの名前、そこに載ってるよ」
 「あ、3組か」
 そして俺の名前の下に『藤澤千紘』と書かれてある。
 「おなクラ!?」
 「イェーイ!」
 テンションが上がってちひろとハイタッチ。
 「ガチで安心したわ。新しいクラスで友達作るとかハードル高すぎ」
 「どんだけ人見知りこじらせてんだよ」
 いや〜よかった。実はけっこうドキドキしてたんだよな。クラス替えの神様、ありがとう!
 「藤澤、そいつと同じクラスだったのか?」
 突然ぬっと背後から直樹先輩が現れて心臓がビクッと飛び跳ねた。
 「はい、腐れ縁ってやつですかね」
 「よかったな」
 「直樹先輩はどうでした?」
 「うん、俺もようじとは腐れ縁らしい」
 「よかったっすね」
 「帰りは、そいつと帰るんだろ?」
 「え? あー、しゅんはようちゃん先輩と帰るんじゃないっすか」
 「じゃあ、迎えに行く」
 「あ、はい」
 そう言うと、直樹先輩は静かに校舎に入っていった。
 「どうなってんの??」
 「俺もよくわかんないんだけどさ、」
 ちひろ(いわ)く、バイトで直樹先輩とシフトがかぶることが多く、話しているうちに打ち解けていったんだとか。バイト中はよく気にかけてくれて、行き帰りも送り迎えしてくれるらしい。
 「たぶん、俺が女子によく絡まれるから同情してくれてんだよ」
 「いやいや、それにしたってやりすぎだろ」
 「なっ。お人よしでお節介で変な人なんだよ」
 そう言いながらも、ちひろはどこかうれしそうで、口角が上がっていた。
 もしかして俺がちひろを守ってやってくださいとか言っちゃったからか?いや、人に言われたからってここまでしないよな。直樹先輩、ちひろのこと……

 ちひろと他愛ない話をしながら階段をのぼる。1年の教室は1階だったけど2年の教室は2階にある。少し廊下を歩いて2年3組の教室にたどり着いた。そういえばここ、ようちゃんが2年の時に使ってた教室だ。教室に入ると座席表が黒板に貼ってあった。出席番号順なので、俺(日比野駿)の後ろはちひろ(藤澤千紘)。席に着き、早速後ろを向く。
 「3年の教室って別の校舎だっけ?」
 「うん、確か北校舎じゃない?」
 「とおいー」
 「去年みたいに気軽に会いにいけないね」
 「逢瀬(おうせ)の場所を作らねば」
 「そういえばさ、ウチの店で買ったやつ、使った?」
 「え? あー……たぶん、半分くらいは使ったかな」
 「ガチで? ようちゃん先輩大丈夫?」
 「だ、だからなんでようちゃんが出てくんだよ! 関係ないし!」
 「(もう隠す意味ないと思うんだけど)……スマホ、さっきからブーブー鳴ってるけど」
 「え?」
 ちひろの発言に動揺して気づかなかった。慌ててポケットからスマホを取り出す。ようちゃんから怒りのスタンプが5個も届いていた。
 「ぶっ」
 今気づいたのかよ。
 猫のゆるキャラがぷりぷり怒っているのをみてふきだすと、ちひろが「なに?」と聞いてきたのでスマホ画面をみせた。
 「ん? なにがおもしろいの??」
 理解できないと眉をしかめるちひろに、「ごめん、こっちの話」と謝ると、ますます首をかしげる。
 新しいクラスになったから、『ようちゃんには手を出すな!』と牽制攻撃を仕掛けておいた。たぶん、何人かのクラスメイトの目には入ったはず。ひとまず、作戦は成功。俺がようちゃんの恋人だって声高に主張するつもりはないけど、大人しく息を潜めているつもりもない。
 今日も部屋にいったら怒るかな……

***

ようじside

 3年の教室は北校舎の3階。怠重(だるおも)い身体を引きずって階段を登る。明日から学校だからとしゅんを部屋に入れないようにしていたのに、母さんにうまいこと言って家に転がり込んでいつの間にか俺の部屋でゲームをしていた。追い出そうにも、ベッドに組み敷かれては抵抗できず、そのまま流されて……。はっきり断れない俺も悪いんだけど、しゅんが日に日にかっこよくなっていくからドキドキしちゃってつい許してしまう。
 「こんなんでいいのかな……A大のことも納得してないみたいだし」
 独り言を言いながらため息をついていると、いつの間にか教室に着いていた。
 「おはよ」
 教室に入ると何人か見知った顔がいたので挨拶をする。みんな挨拶を返してくれるが、その後なぜか無言になって目を逸らされる。え? なに? なんかついてる?
 顔をペタペタ触ったり、手足やカバンを確認したけどわからない。ひとまず自分の席に着いてカバンを下ろした。スマホを取り出し、カメラを起動して自撮りモードに切り替えた。

 「ようじ」
 聞き慣れた声が聞こえて顔を上げると、直樹が隣の席に座っていた。
 「おはよ。よろしくな」
 「おー。腐れ縁だな」
 「え? 俺らそういう関係だっけ?」
 「あれ? 違った?」
 「あはは、まぁいいや。ところでさーー」
 直樹に近づいて話を続けていると、ポカーンと口を開けて固まってしまった。
 「直樹?」
 目の前でヒラヒラと手を振ると、直樹は目を逸らして俺のスマホを指差す。
 やっぱなんかついてたんだ!
 慌ててスマホで自分の顔を確認する。マジマジとみてみたけど、特に変わった様子はない。スマホをかたむけると首筋が映り、鎖骨の辺りに赤い跡がみえた。
 「うわっ!?」
 慌ててそこを隠して教室を飛び出しトイレに駆け込む。トイレの鏡で改めて確認すると小さな赤い跡が二つ付いていた。
 「くそっ、しゅんの奴……」
 他にも付いていないか念入りに確認してからカッターシャツの第一ボタンを留めてネクタイをキュッと締めた。首回りがちょっと窮屈だけど、これでなんとか隠せる。
 「はぁ……」
 ポケットからスマホを取り出し、しゅんに怒りのスタンプを何個も送ってやった。
 こんな状態で教室に戻れないじゃん……
 「しゅんのバカ……」