目が覚めて慌てて飛び起きる。スマホを確認すると5:45。安心して胸を撫でおろす。窓の外は青白く、ちょうど朝日が昇ったところだ。二度寝する時間はあるけれど、次に起きれる自信はない。ベッドから下りて腕をぐーっと天井まで伸ばす。肩甲骨あたりが伸びて気持ちがいい。「よしっ!」頬を軽くたたいて気合を入れた。今日は決戦の日、負けられない戦いが始まる。
 鏡に映る自分の顔、切れ長の奥二重の目はきつく見られがちだが鼻筋が高いのが唯一の自慢。髪は日に焼けて、黒髪なのに少々赤みがかってパサパサだ。いつもより念入りにヘアオイルをつけて艶がでるようにし、歯も丁寧に二回磨いた。リュックにプレゼントも入れて準備万端で玄関を出る。向かいの家の玄関前に停めてある自転車、27型の黒色でストレートハンドル、暗い場所では自動でライトが付く。俺のは母さんのお下がりのシルバーのママチャリ、自動でライトは付かない。遠目でみると形はほとんど変わらないのに近くでみたらやっぱりこっちの方がかっこいい。「どうせアンタはすぐに壊すでしょ」って、俺は新しいのを買ってもらえなかった。ああ無情。羨望の念をこめてじっとりと自転車をみていたらガチャと玄関のドアが開いた。ドキドキと早なる胸を押さえる。眠そうにぼんやりした様子でようちゃんが出てきた。アクビをしたのだろうか、ぱっちりとした大きな猫目には涙がにじんでおり、小さな鼻は少し赤らんでいる。サラサラの黒髪は陽に当たると青光りして、ようちゃんの白い肌を引き立てている。
 「はよーどした?」
 カバンを自転車の前カゴに入れて足でスタンドを解除、ハンドルを握り自転車を前進させる。そしてようちゃんが自転車に(またが)った。そのタイミングで俺は荷台に乗っかる。怪訝な顔でみられたが素知らぬ顔をする。
 「早く行かないと遅刻するぞ」
 「またパンクしたの?」
 「……画鋲踏んだ」
 「バスでいけよ」
 「金ない」
 小さくため息をつくとキッと俺を睨みつける。大きな猫目が鋭く光るが俺には効果なし。
 「この前注意されたじゃん」
 「とっておきの秘密の抜け道をみつけた」
 「やだよ、俺は平穏に暮らしたい」
 「えー冒険しようぜ。いつからそんなビビリになったんだよ」
 「もう冒険する歳でもないだろ」
 なかなか了承してくれないようちゃんにチッと舌打ちをする。ポケットからスマホを取り出して確認すると
 「やばっ! もう30分! 遅刻だ!(実際は15分)」
 「やばい!! しゅん抜け道教えろ!」
 「オッケー!」
 あんなに渋ってたのに、遅刻しそうになると(実際は余裕)慌てて俺を後ろに乗せて爆速で自転車を漕ぎ出すようちゃん。ちょろい、ちょろすぎる。
 いつもの通学路は住宅街の坂を下り南下して国道沿いの道を進むんだけど、俺の抜け道は北上し田畑のあぜ道を通って学校の裏門に着くという算段だ。舗装されていない道を自転車をガタガタ揺らしながら漕ぎ進む。振り落とされないようにようちゃんの腹に手を回してぴたっと背中にくっついた。身長は5センチほどしか変わらないが、ようちゃんは俺とは違って細身で身体が薄い。そして体力もない。朝から体重60キロの俺を後ろに乗せて額に汗かき自転車を漕ぐ様子をみているとものすごく申し訳ない気持ちになるけど今日だけは許してほしい。ようちゃんにくっついて登校できる特別な至福の時間だから。
 「おはようさーん! 朝から元気だねぇ~」
 「ようちゃーん! がんばってんなぁ~!」
 畑仕事をするじいさんばあさんの声援が所々から聞こえてくる。ようちゃんは苦笑しながらそれに応え、俺は優雅にヒラヒラと手を振る。黄金の稲穂が秋風に揺れて土やもみ殻の香りを感じる。用水路の端には赤い彼岸花が点々と咲き始めていた。ふと、ふわりと鼻腔をかすめたいい匂い。優しい木の香りがようちゃんの首筋から香る。
 「なんかいい匂いする」
 「え?」
 「……もしかして香水?」
 「あーうん。ちょっとだけ」
 少し甘さもありお香みたいな香りで落ち着く。……ん? この匂い嗅いだことあるんだけど。確認のために項にクンクンと鼻先をくっつけた。くすぐったそうに身を捩るようちゃん。
 「ひゃっ! ちょ、危ないからやめろ」
 「あのさ、これって透明の瓶に入ってる?」
 「うん、そうだけど」
 「シルバーのフタでおしゃれなラベル付いてる?」
 「そうそう、よく知ってるね」
 マジかーーーーー!?!? かぶったーーーーー!!!!!
 今日9月15日はようちゃんの17歳の誕生日。俺はこの日のために、ようちゃんのスマホの欲しいものリストをこっそり盗み見てプレゼントを用意した。欲しいものリストにはヴィンテージのアコースティックギター(くそ高い)レコードプレイヤー(まぁ高い)ビートルズのLP(買える)ウッド系の香水(買える)があった。この中で一番安いビートルズのLPにしようと思ったのだがレコードプレイヤーがない状態でレコードだけプレゼントするのはどうなんだろう? と思い直し、次に安い香水をプレゼントに選んだ。この香水をドーンとプレゼントしてビシッとかっこよくようちゃんに告白する! 誕生日に告白することは半年前から決めていた。そのために日々こつこつとアプローチもしてきた。プレゼントもようちゃんの欲しいものをリサーチした。計画は完璧! だったはずなのに……
 「……しゅんはさ、この香りどう思う?」
 ショックで打ちひしがれる俺に遠慮がちに聞いてくるようちゃん。
 「やらしい。えろい」
 俺は少し投げやりに答える。
 「そっか~だめか~」
 「だめじゃないけど、俺はようちゃんの体臭がすきだから」
 「はぁ? お前が汗臭いって言うから俺はーー」
 「俺? 俺が言ったから香水つけたの?」
 「そうだよ! わざわざ昨日買ってきたの!」
 「へぇ~~……ふ~~ん……ほぉ~~ん……」
 なにそれ、俺の発言でようちゃんわざわざ買いに行ったのかよ! やばい! かわいい! うれしい!
にやけそうになる口元を手の甲で隠し、ふわふわと浮き立つ気持ちを抑えるようにゴホッと咳払いした。
 「なんだよ」
 「そんな色気づいたって、どうせ汗かいたら香水の匂い取れるだろ」
 「うるさいな、ちょっとはマシだろ」
 「俺はようちゃんの体臭嗅ぎたいのに」
 「変態」
 「だって安心する」
 どさくさ紛れにぎゅっと抱きついてさらに身体をくっつけた。ようちゃんの背中にグリグリと頭を擦り付ける。マーキング、マーキング。俺はこの至福の時間を満喫するため、昨日みたテレビの話や最近ハマっている音楽の話、反抗期の妹の話、他愛ない話をずっとしゃべり続けていた。ようちゃんは自転車を漕ぐのに必死だったけど時折相槌を打ってくれて、それだけで俺は満たされた気持ちになった。
 学校の裏門付近に到着したところで荷台から降りた。すかさず怒鳴り声が耳をつんざき、たまたま居合わせたのか見張っていたのかわからないが体育教師が鬼の形相でこちらにやってきた。俺とようちゃんは顔を見合わせて落胆する。よりによって一番脂ののった体力おばけの白ティー(いつも白いティーシャツを着ているティーチャー)にみつかるとは。しかも一度説教が始まるとなかなか解放してくれないしつこいタイプだ。下を向いて目を瞑りなにか別のことを考えてやりすごそうとしたが、なにを思ったのか俺は教師の説教に口をはさんでしまった。「あの、一応公道じゃなくて私道を通ってきました。所有者(じいさんばあさん)には許可取ってるので大丈夫かと」慌てたようちゃんが肘でつんつん突いてくるが時すでに遅し。火に油を注ぐ結果になってしまい説教がさらに長引いた。俺たちはもう二度と二人乗りはしないと心に誓った。

 約15分間の説教がおわり遅刻ギリギリで教室に駆け込む。リュックの中から申し訳程度の教科書とノートを取り出していると、底のほうにある小さな紙袋をみつけて思い出した。グレーの不織布袋に包まれて小さな白い紙袋に入っているそれ、ようちゃんへの誕生日プレゼントの香水だ。
 「ちひろーこれやる」
 前の席に座る友人のちひろに紙袋を差しだす。
 ちひろは、人見知りの俺に奇跡的にできた友人だ。日比野(ひびの)駿(しゅん)藤澤(ふじさわ)千紘(ちひろ)と、出席番号順で前後で、ちひろの方から声をかけてくれて仲良くなった。趣味はスマホゲームでこづかいはほぼそれに課金している。そのせいで金欠になり、昼飯を買えなくなった時に弁当をわけてやったらめちゃくちゃ感謝された。そこからぐっと距離が縮まり、俺と一緒にダンス部に入部してくれた。かわいい顔をしているのに、前髪とメガネで顔を隠している。見た目は陰キャだが、俺よりコミュ(りょく)があり達観している。
 ぼんやりとスマホをいじっていたちひろ、おそらくアプリゲームにいそしんでいたのだろう。顔を上げて俺と紙袋を交互にみた。
 「なにこれ?」
 「香水」
 ちひろはしばらく思案した後、紙袋を覗いて中を確認する。
 「……ようちゃん先輩の?」
 「そう、誕プレ。なんか既に持ってるみたいでさ」
 「えぇ……」
 「昨日買ったんだって」
 「そんなことあるんだ」
 ちひろは哀れみの目を俺に向け、紙袋からリボンの付いた不織布袋を取り出しそれをまじまじとみつめる。
 「でもさ、これ俺がもらっちゃったらようちゃん先輩とおそろいになるけどーー」
 ちひろの発言を聞くやいなや、ちひろの手からプレゼントを奪い取る。
 「おらー席つけー」
 ガラッと勢いよく戸が開いて担任教師が入ってきた。寝ぐせをつけたまま今にも閉じてしまいそうな重そうな瞼をなんとかこじ開けてバンッと出席簿を教卓に放り、黒板を消しながら連絡事項をぼそぼそと伝え始める。ちひろはなんとも言えない顔をして前に向き直り、俺も慌ててプレゼントをリュックにしまった。

 昼休みーー
 『誕生日プレゼント 当日用意』→『誕生日プレゼントが間に合わない……そんな時は!』→『素直に謝って、後日プレゼントをわたす』→『相手をがっかりさせてしまうかもしれない』
 「だめじゃん!」
 『なんとかプレゼントを間に合わせる』→『ソーシャルギフトなら手軽にお祝いができる』
 「だめじゃん! 愛がない!」
 こんなんで告白できるかー!
スマホを机に叩きつけそうになるのをなんとか堪え、頭を抱えて机に突っ伏した。
 「あぁ~学校おわったらソッコーで買いに行くしかない~~金がない~~」
 「5時間目数学だよ」
 頭上から降ってきたちひろのやけに冷静な声にバッと顔を上げる。
 「小テストある……勉強してない……補習確定……」
 風船がしぼむみたいに力が抜けて、再度机に突っ伏した。
 「購買いってくる」
 藁にもすがるおもいで、席を立とうとしたちひろの腕をつかんだ。
 「お願いします、ちひろさま……カンニンングさせてください……一生のお願い……」
 「こんなところで一生のお願いを使うのやめときな。あと、頼む相手間違えてるから」
 「こんなお願い、ちひろにしか頼めない」
 「だったらあきらめて自力でがんばれー」
 「ひどい……冷たい……」
 縋りつく俺の手をあっさりと振りほどき購買に行ってしまった。俺は仕方なく教科書を開き、弁当を食べながらブツブツと念仏を唱えるように数学の問題を解き始めた。

 直前に頭に叩き込んだ公式はきれいさっぱり抜け落ちて小テストの結果はボロボロ。俺の努力は無駄に散った。念仏勉強法がいけなかったのだろうか。効果的に暗記するには声に出して読むべし、と誰かのなにかで聞いた気がするんだけど。
 放課後、ひいひい言いながら補習の問題を解く。前の席に座る男ーーちひろも同じく補習を受けていた。ちひろの解答をカンニングしたところで結局補習になっていた。うん、一生のお願いをここで使わなくてよかった。
 なんとか補習をおえてちひろと昇降口に向かう。補習のおかげでHP80パーセント消費した。
 「ようちゃん先輩の誕プレどうすんの?」
 「あーどうすっかな~」
 2年生の下駄箱をのぞくとようちゃんのくつはもうなくなっていた。
 「ようちゃん帰ったっぽい」
 「一緒に帰る約束してなかったの?」
 「補習の間待たせとくのも悪いからな」
 「いつも甘えてるくせに変なとこで遠慮するよね」
 「親しき中にも礼儀あり、とかなんとか言うだろ?」
 「うんうん」
 「おまえ、意味わかってないだろ?」
 「え?」
 ちひろと話しながらくつを履き替えて昇降口を出た。とぼとぼと校門を出ると「あっ」とちひろがなにかに気付いて声を上げる。ちひろの視線の先を追うと、自転車をおしながらこっちに向かってくるようちゃんがいた。思わず目を見開く。
 「え? なんでいるの?」
 「なんでって、今から帰るとこなんだけど」
 「もしかして待っててくれた?」
 「いや、たまたま通りかかっただけだし」
 「ふ~ん」
 うわ! やばい! にやける! 絶対待っててくれたよな。だって少なくとも1時間は補習受けてたのに偶然通りかかった態にするとか無理があるだろ。
 俺は緩みそうになる口元を引き結んで必死に耐えた。
 「あ、俺こっちなんで。じゃあな、しゅん」
 「おう、また明日」
 空気を読むことに長けているちひろは早々と退散した。さすが俺の親友。
 「ちひろくん、だっけ? あの子いい子だよな」
 「? なんでようちゃんちひろのこと知ってんの?」
 「……いつもおまえと一緒にいるじゃん」
 「紹介したっけ?」
 「したよ、したした。そんなことより、これ」
 財布を取り出してその中から200円を俺に手渡す。
 「こづかい?」
 「ちがうよ、帰りのバス代。お金ないって言ってたから」
 「え?」
 「さすがにもう二人乗りはできないから、バスで帰れよ。じゃあーー」
 自転車に(またが)りペダルを漕ぎ出すようちゃん。俺は慌てて荷台を引っ掴む。
 「っ!? おまえあぶないってーー」
 「あ、ごめん……」
 一緒に帰ろう、喉元まで出かかった言葉を飲み込んで荷台から手を離す。自宅まで徒歩45分。今朝は俺のわがままでようちゃんの体力を半分以上奪った上に白ティーの説教で精神的にもダメージをくらったはず。今だって一時間も待っててくれたんだからこれ以上負担はかけられない。
 「……今日は俺のせいでようちゃんにいっぱい迷惑かけたな。疲れただろ? 早く帰って休めよ」
 怪訝な顔をして俺をみるようちゃん。
 「今更なに言ってんだよ。しゅんに迷惑かけられるなんていつものことだし、慣れすぎて迷惑とか思ってないから」
 「迷惑耐性つきすぎ」
 「しゅん限定だけどね」
 ちょっ、『しゅん限定』ってなんだよ。いちいちときめかせんじゃねぇよ。腹立つなぁ。
 「迷惑ついでにさ……」
 「うん?」
 「えーっと……」
 「一緒にかえる?」
 おもわぬようちゃんからの提案に、花が咲いたみたいにぱぁっと心があたたかくなって、俺は前のめりに何度もうなずいた。そんな俺をみてようちゃんはクスクスと笑っている。
 なんだよ、ようちゃんも俺と一緒に帰りたかったんじゃん。
 同じことを望んでたのになかなか言い出せなかった。なんだかおかしくて少し照れくさい。
 「あ、俺が自転車おすよ」
 「うん、ありがと」

 ようちゃんと並んで自転車をおしながら歩道を歩く。あぜ道と違って国道沿いは田畑がないから草花や虫・土の匂いは感じられないけど、空は高くオレンジ色の雲が一面に広がっていた。
 「あ、みて! いわし雲!」
 「あれいわし? さば雲じゃない?」
 「えーいわしだって! 模様が細かいもん」
 「じゃあ明日は雨? 体育サッカーできないじゃん」
 「明日はバスケだな」
 「あーようちゃんがいわしとかさばとか言うから腹へってきた」
 「あぁ、俺も……」
 二人そろって進行方向が徐々に左側にずれて気づけばコンビニに到着していた。財布の中の小銭を睨みつけながら数えているとようちゃんが同情して奢ってくれた。イートインスペースにて、からあげ5個、肉まん1つ、コーラ1本を二人で分け合っていると、ようちゃんのクラスの女子に会った。楽しそうに会話をしている二人を横目でチラ見しているとからあげが喉に詰まった。
 「ンン゛っっ!?!? ……げほっ、ごほっ!」
 「わっ、大丈夫か?」
 ようちゃんが背中をさすってくれる。
 「じゃあ、わたしいくね」
 「うん、バイバイ」
 女子を見送る余裕もなくて、慌ててコーラを流し込んだら炭酸でまたむせた。吐きそうになるのをなんとかこらえて全部飲み込む。
 「…………っ、はぁ~~~死ぬかと思った」
 「なにやってんだよ」
 呆れながらタオルを取り出して口元を拭ってくれる。やっぱようちゃんは優しい。
 「あ、なんか付いてる」
 そう言って指で唇に触れて、あろうことかそれを自分の口元に運びぺろっと舐めてしまった。
 「え???」
 タオル持ってるんだからそれで拭けばよくない? なんで指で取って舐めるんだよ!? 意味がわからない!
 「うん?」
 「あーこれだから無自覚天然タラシは」
 「は? なに?」
 「そういうの女子にもしてんの? 乙女心を(もてあそ)んで罪な男だな」
 「いや、さすがに女子相手は……って、お前が乙女心を語るなよ」
 「少なくともようちゃんよりはわかってるつもりだけど。恋する乙女の気持ち」
 「なにそれ……お前、恋してんの?」
 「……してる」
 その恋の相手は今目の前にいるんだけど、全然気づいてないよな。気づけ気づけと念を込めてじっとみつめてみるけどふいっと視線をそらされてしまった。かなしい。

 長々とコンビニで休憩していたせいで辺りはすっかり真っ暗になっていた。住宅街の上り坂、規則的に並ぶ街灯に照らされて遊歩道に影が映る。ようちゃんの影と俺の影が並んでふわふわしてる。片手を上げてようちゃんの影を俺の影で攻撃してみた。俺の変な動きに気付いたようちゃんは呆れながらも影で応戦してきた。いつまで経っても決着がつかない影と影の戦いは混沌を極めていた。
 「月デカッ!!」
 戦いに終止符を打ったようちゃんの一言に、俺も夜空を見上げる。空気が澄んでいて星がキラキラ輝いている。じっとみていたら吸い込まれそう。その中でも一際存在感を放っているのが、デカデカと君臨するお月様だ。いつもは控えめに浮かんでいるのに今日はやけにその存在を主張している。
 「十五夜? だんご食いたい」
 「そういえば、だんご三兄弟の歌聞いて、だんごがかわいそうって泣きながら食ってた奴いたな~」
 「は? なにそれ? だれの話? 初耳ですけど」
 「あの頃は素直でかわいかったな~」
 「ははっ、今でもかわいいし」
 「うん、しゅんはかわいいし、かっこよくなった」
 「……っ、急にほめられたら調子狂うんだけど」
 徒歩45分プラス休憩15分の、合計1時間の帰り道はあっという間に過ぎ、自宅はもう目の前。幼いころから飽きるほど一緒にいるけど、ようちゃんをすきになってから二人でいる時間が特別になった。いつでも会える距離にいるのに、わかれるのが名残惜しいと言ったらようちゃんは呆れるかな。
 「じゃあな、17歳おめでと」
 おしていた自転車をようちゃんに返して俺は自宅の玄関ドアへ向かう。
 「しゅん待って」
 ようちゃんは自転車を停めると俺の元にやってきた。
 「俺にわたすものあるだろ?」
 リュックの中にはわたせなかったようちゃんへのプレゼント(香水)がある。でも、ようちゃんは既にそれを持っているからわたしたところでリアクションに困るだろうしがっかりさせたくない。ようちゃんには申し訳ないけどプレゼントは後日改めてわたそう。告白も仕切り直しだ。
 「ようちゃん、誕プレ自分から要求するとか図々しいな」
 「え? あ、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど」
 あせってる、かわいい、もっといじめたい……じゃなくて。
 緩みそうになる口元を引き結び、むくむくと湧いてくる加虐欲を抑え込む。
 「ふふ……うん、ごめん。今年は間に合わなかったからあとでわたす」
 今度はようちゃんが頬を緩めて俺のリュックを指さした。
 「入ってるだろ、ここに」
 え!? なんで知ってんの!? エスパーかよ!?
 背中に背負っていたリュックを前に抱き警戒しながらようちゃんをみていると、ようちゃんはおかしそうに笑った。
 「ちひろくんだっけ? 誕プレかぶって落ち込んでるからなぐさめてあげてくださいって言ってたから」
 「は? ちひろ?? なにそれ? いつ?」
 「えーっと、昼休みに購買で会った時に」
 いや、ちひろよ! なにバラしてんだよ! こっちは必死に取り繕おうとしてたのに!
 「いいからほら、さっさと出せよ、兄チャン」
 「カツアゲやめて」
 バレてるならしかたない。玄関先に腰を下ろし、リュックから紙袋を取り出しておずおずとそれを差しだす。
 「この袋見覚えある」
 「でしょうね」
 隣に座ったようちゃんはうれしそうに受け取って律儀に「開けていい?」と聞いてきた。適当に返事をすると紙袋から大事そうに不織布袋を取り出しそっとリボンを解いて中身を取り出す。箱に入った透明な瓶を取り出すとフタを開けてワンプッシュした。今朝、ようちゃんの首筋から感じた匂いがふわっと漂ってくる。
 「うん、やっぱいい匂いだ」
 満足気に頷いてから、それを大事そうにしまう。
 「持ってるやつもらってもうれしくないだろ?」
 「うれしいよ、しゅんが選んでくれたから。ありがと」
 頭の中でようちゃんの声が反芻する。しゅんが選んでくれたから、しゅんが選んでくれたから、しゅんが選んでくれたから……
 「ってか、なんで俺の欲しいやつわかったの?」
 「え? それはあれよ。子どもの頃からの付き合いだから、ようちゃんの考えてることは手に取るようにわかるわけよ、うん」
 欲しいものリストを盗み見たなんて言えるはずもなく、適当に早口でごまかした。
 「そうなの? お前すごいな……なんかちょっと怖いんだけど」
 半信半疑で若干引かれた。まぁそうなるよね。
 背後でガチャと玄関ドアが開いて母さんが出てきた。
 「アンタたちこんなとこでなにやってんの?」
 「え、いやべつに」
 「おばさん、こんばんは」
 「あ、ようちゃん晩御飯食べてく? 今夜ウチおでんだからさ」
 「ようちゃんは今日誕生日だから家でおばさんが誕生日ディナー作って待ってんの」
 「あ、そっか! 誕生日か~おめでとう!」
 「ありがとうございます」
 話しながら俺のママチャリに乗る母さん。
 「コンビニでからし買ってくるから夏海(なつみ)のことみててね」
 「俺いこうか?」
 「大丈夫、大丈夫。すぐ帰るから」
 「あ、おばさん、その自転車パンクしてーー」
 「ようちゃんも早く帰りなさいよ~」
 自転車に(またが)り颯爽といってしまった。
 やばい、そういえばようちゃんにはパンクしたってウソついたんだった。
 「え? おばさん大丈夫? あれパンクーー」
 「あーなんか大丈夫みたい。じゃあーー」
 そそくさと家の中に逃げようとしたら首根っこをつかまれる。
 「ぐえっ」
 「パンクしたっていうのは?」
 「……すみません、ウソです」
 「なんでウソついたのかな~?」
 「……いや、あの、ほら……ねぇ?」
二人乗りしてようちゃんにくっつきたかったから、なんて言えるわけねぇー!
 俺は苦笑しながら、顔を覗き込んでくるようちゃんから目をそらす。
 「正直に言ったら許してやるよ」
 ようちゃんからの視線が痛くて、背中に冷や汗が浮かぶ。
 どうしよう、ここは正直に言うべき? でもさすがにくっつきたかったとは言えないしな。オブラートに包もう。
 意を決してごくりとつばを飲み込んだ。
 「……っ、ようちゃんと~~~からです」
 「え? なに?」
 俺の声が小さすぎたのか、ようちゃんは首を傾げている。何度も言うのは恥ずかしいので、もう一度ようちゃんに聞こえるくらいの声量で伝えた。
 「だから、ようちゃんと一緒に学校行きたかったから」
 ようちゃんは意外そうに目を丸くしたあと、ふっと小さくふきだした。
 「そんなの、べつに普通に言えばいいのに」
 「……言いたくても言い出せないときあるだろ?」
 「ふふっ……」
 「なんだよ」
 「ほんとかわいいね。プレゼントかぶったり、わざわざウソついたり」
 「……うるさい」
 あー恥ずかしい、ダサい、かっこ悪い。完全に色々空回りしてる。
 ようちゃんがからかうように頭をくしゃくしゃに撫でてきて、俺はそれを軽く振り払う。
 「やめろって」
 思わず手首をつかんで引っ張ってしまった。ようちゃんは俺の方に寄りかかり顔がぐっと近づく。吐息がかかる距離、少し唇を寄せれば重なってしまいそうで、ようちゃんから目が離せない。どくどくと心臓が大きな音を立てる。きれいな薄茶色の瞳はうっとりとこちらをみつめていて俺は吸い寄せられるようにゆっくりとようちゃんに近づく。
 ダメだ! 今キスしたらようちゃんに嫌われる。告白どころじゃなくなる。
 触れる寸前のところで理性を取り戻し、ようちゃんから顔を離す。
 なぜようちゃんにキスをしてはいけないかというとーーようちゃんは中学生の時、当時つき合っていた彼女にキスをねだられたが拒否し、ケンカ別れしたのだ。俺は偶然その現場に出会(でくわ)したのだが、ようちゃんはひどく落ち込んで泣いていた。その時に『キスにトラウマがある』と話してくれたのをよく覚えている。トラウマになった理由まではわからないけど、とにかくようちゃんはキスを怖がっているようだった。
 「……ごめん」
 「いや、俺の方こそ…」
 お互い顔が見れなくて、しばらくそっぽを向いたまま黙っていた。風にのって、夕飯のおいしそうな匂いがする。空を見上げると、月が少し遠のいて小さくなっていた。それでも、美しく光り輝いている。
 「そろそろ帰るわ」
 先に沈黙を破ったのはようちゃん。
 え? 帰るの? 俺は思わず、立ち上がろうとするようちゃんの腕をつかんだ。
 「ようちゃん……」
 振り向いたようちゃんの顔は耳まで真っ赤になっていて、瞳が涙を含んでゆらゆらと揺れている。
 「俺とつきあって……」
 気づいたら口に出していた。本当はもっとかっこよくスマートに告白するつもりだった。たくさん言葉も考えたのに、出てきたのはこの一言だけ。このタイミングが合っているのかどうかはわからない。ただようちゃんの真っ赤な顔を目にした瞬間、ようちゃんへの想いがあふれてしまった。
 ようちゃんは大きな目をさらに大きくして驚いている。ぱちぱちと瞬きをするたびに涙がこぼれ落ちそうだ。固まってしまったようちゃんの腕をそっと離す。ゆっくりと立ち上がり、ようちゃんに手を差しだした。ようちゃんは俺の顔と手を交互に見てから手をつかむ。引っ張って立ち上がらせるとじっと俺をみつめる。
 「……うん。いいよ」
 ようちゃんは目を伏せて恥ずかしそうに頷いた。
 「へ?」
 間抜けな声が口から飛び出た。ようちゃんはおかしそうに小さく笑っている。
 「……しゅんと、つきあう」
 え? ほんとに? マジで? 信じられない……
 「ようちゃん……ほんとに?」
 俺の問いに小さく頷く。
 「ほんとにいいの?……あとでやっぱつきあわないとかなしだからな?」
 「そんなこと言わないから」
 「……そっか」
 「じゃあ……」
 「うん、また明日」
 バイバイとぎこちなく手を振って、互いの家に入っていく。照れくさくて別れ際に目を合わせられなかった。ドアに背を預け、胸に手を当ててずるずると玄関に座り込む。
 夢じゃないよな……?
 試しに頬をつねってみたけど、ちゃんと痛かった。夢じゃない。頬が緩みニヤニヤするのを止められない。リビングから出てきた妹と目が合って怪訝な顔をされた。