クリスマスが近づく頃人恋しくなって、友達の間で話題になっていたマッチングアプリを始めた。
なかなかマッチしなかったのでつまらなくなってやめた。
同時期に、SNSでいわゆるナンパ師と呼ばれる発信者たちのアカウントをよく見るようになった。『セックスに至る最短ルート』とか『美女1000年斬りモテ講師』とか『モテる男のTender備忘録』といったアカウント名が目を引いて、一人フォローすると何人もおすすめに出てきた。彼らのフォロワーは数万人もいて、女性を落としてセックスまで持っていくためのテクニックについての記事が有料販売されていた。おそらく案件であろうヤリチンのためのサプリの宣伝を行っている人もいた。
彼ら曰く、〝惚れさせたい女性がいるならまず先にヤりましょう〟。女性はセックスをした相手に執着するように脳ができているので寝てしまえばこちらの勝ちだと書かれていた。
似たようなアカウントを複数閲覧して小手先のテクニックを勉強した俺は、再びマッチングアプリを入れた。ぽつぽつとマッチするようになった。
夏が訪れる頃、会った相手と手軽に最後までいくようになっていた俺は、何だか変な自信が付き始めていた。
俺が小夜さんに手を出さなかったのは、俺が童貞だったからだと思う。
下心がないとか、綺麗な感情しか抱いてないとかそういうのじゃなくて、単にやり方に自信がなかっただけだ。
――『〝アリ〟じゃないと一緒に寝ないって』
今なら俺も、そう思う。
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小夜さんが就職してから会える日は減っていたけれど、関係性は細々と続いていた。
具体的には月に一度。小夜さんは俺の部屋にやってきて、俺のベッドで眠って帰っていく。
その月に一度のチャンスを、今月こそは逃さないと決めていた。
部屋にはエアコンの音だけが静かに響いていて、窓の外では虫が鳴いていた。小夜さんは、俺のベッドに腰掛けてスマホをいじっていたけれど、画面にはあまり意識が向いていないようだった。
俺は勇気を出すため、あの飲み会で言われた言葉を何度も反芻していた。
一緒に眠るだけの関係――そのはずだった。でも、もうそれだけじゃ物足りなくなっていた。
「小夜さん……」
気付けば俺は甘えるように彼女の名前を呼んでいた。
小夜さんがこちらを見た。その目は少し眠たげだったけれど、瞬時にいつもと違う空気を察したような色があった。俺が手を伸ばすと、小夜さんは一瞬、分かりやすいくらい肩を強張らせた。
その仕草に俺は少しだけ後悔しかけた。でももう止まれなかった。ずっと欲しかったものが、やっと手に届くような気がしていたから。
服を脱がせていく俺に、小夜さんは何も言わなかった。
ただ、しばらく黙った後、ぽつりと呟いた。
「……やっぱりこうなるよね」
その声には、驚きよりも諦めがあった。
それが何を意味するのか俺にはよく分からなかった。夏の熱に浮かされたようにうまく頭が回らなかった。
俺は浮かれていた。小夜さんが体を許してくれた。それって結構、やっぱり脈アリなんじゃないかって。
けれど、事が終わった後、小夜さんはすぐに身支度を始めた。
俺が声をかけようとすると軽く手を上げて制してきた。
「今日はもう帰るよ」
玄関の前で、小夜さんが靴を履く音だけが響いていた。
俺はドアの横で、何か言葉を探していた。でも、何を言っても冷たい沈黙は埋められそうになかった。
――やってしまった、という空気を感じた。
小夜さんが顔を上げた。
その目にはもはや優しさはなかった。目尻の下がったあの柔らかな眼差しがすっかり消えていた。
残っていたのは、遠ざかるような無表情――そこには確かに、軽蔑の色があった。
俺と目が合っても小夜さんはすぐに視線を逸らした。まるで直視することすら汚らわしいと言われているようで、胸の奥が鈍く痛む。
小夜さんはドアを開け、蒸し暑い夏の夜の風の中に出ていった。
俺は追いかけることができなかった。
今あの背中を呼び止めたら、きっと酷い言葉が返ってくるような気がした。
ドアが閉まる音が響く。
しばらくしても何も聞こえなくなって、ようやく息をついたとき、スマホが振動した。
《バおわ!》
万里沙からだった。
明るい絵文字とともに届いたメッセージは、何も知らない無垢な明るさに満ちていた。
俺は返信画面を開いたまましばらく止まっていた。そして慣れた指の動きで最低な文言を打ち込んで「送信」を押した。
《会いたい。家行っていい?》
他人の好意を利用すること、女に甘えることがうまくなった自分に、吐き気がした。
その日を境に小夜さんからの連絡は途絶えた。
既読はつかず、電話をしても出てくれることはなかった。ブロックされているかの確認のためにスタンプを買って送ろうとしてみると、『このスタンプは相手が既に持っています』ばかり表示された。
俺は小夜さんにメッセージを送るのをやめた。トーク画面を開いた時、小夜さんの名前が目に入ると心が痛むようになってきたから。
ずっと大事にしてきた関係を自分で壊してしまったことに、俺は遅れて気付いた。

