女子の一人が食い気味に聞いてきた。

「それって今も関わりあるの?」
「……うん、たまに。普通に喋ったり、一緒のベッドで寝たりもする」
「寝たり!?」
「ちょっと待って、それめっちゃ重要じゃない? え、それって何もしてないの?」
「何もしてないよ。ただ、隣で寝てるだけ」

 俺の一言で急に場が盛り上がり始めた。
 それまで少し離れた場所でピザを食ってた奴らも俺たちのいるソファの近くにすり寄ってきた。

「一緒に寝てるだけって何だよ!」
「陣、童貞?」
「絶対向こうも待ってるよね。ヘタレって思われてんじゃない?」

 からかうようなことを言われ、俺は恥ずかしくなって黙り込んだ。

「それ、脈ありだと思うけどな。一度も手出してないの?」

 隣の先輩が不意に聞いてきた。こくりと頷けば、彼女は真剣な声音で言及してくる。

「女の子に恥かかせちゃだめだよ。一緒に寝るってことは向こうも勇気出してるんだから、男気見せなきゃ。待ってるよ、その人は」

 視線が合った。酔いの回った頬が熱くなる。誰かが「うわ〜やらし〜」とからかって、場が和やかに笑いに包まれる。

 先輩の言葉は、俺の胸の奥で静かに残った。
 ——脈、あるのか。

「ま……待ってるかな」

 酒が入っていることもあって、舌がうまく回らなかった。自分から出てきた声が思いのほか上ずっていて、俺キモいかも、と思った。

「〝アリ〟じゃないと一緒に寝ないって」

 遊び慣れてる女の先輩の発言なだけあって、その言葉は俺に歪んだ期待を抱かせた。

「ていうか、陣くんは万里沙だと思ってた」

 別の誰かの声が聞こえる。
 万里沙というのは同じサークルの同級生で、俺が一番仲の良い女の子である。

 その時、ちょうどインターホンが鳴った。
 すでにグラスが三巡目に差しかかる頃だった。
 玄関に近い位置にいた誰かが立ち上がってドアを開けると、ワイワイとした室内のざわめきが一瞬だけ和らぎ、その空気の切れ目を縫うようにして、万里沙がひょっこりと顔を出した。

「おっそーい、何してたんだよ!」
「ごめんごめん、バイト長引いちゃってさー」

 万里沙は笑いながら、軽く手を挙げて部屋に入ってくる。
 淡い色のシャツワンピ。素っ気ないくらいのカジュアルさなのに、不思議と目を引く。髪はざっくりひとつにまとめてあって、首筋が見えていた。その健康的な雰囲気に、自然と視線が惹かれてしまう。

「陣、お疲れ~。あ、なんかいい匂いする。香水変えた?」

 万里沙が俺の隣にストンと座る。
 そして誰に促されるでもなく、自分で紙コップを取って「じゃ、乾杯しよっか」と笑う。
 他の奴らが笑いながらツッコミを入れる。

「お前、初手からテンション高いな。乾杯はもう済んだっつーの」
「遅れた分、取り返さなきゃでしょー?」

 誰かが冷蔵庫から新しい缶チューハイを取り出した。
 そうして場が再び回り出すと、万里沙は遅れて来たにも拘らず、いつの間にか会話の中心に溶け込んでいた。

 万里沙はこういう場に強い。明るすぎないけどちゃんと目立つ。男にも女にも好かれる、絶妙なバランスの女子だ。

 俺は紙コップに注がれた飲みかけのハイボールを見つめながら、横で楽しそうに笑ってる万里沙の横顔をちらりと見た。
 万里沙はテーブルの下、皆から見えない角度で、悪戯するかのように俺の手に手を重ねていた。



 結局朝まで飲んだ。リビングには昨日の名残がそのまま残っていた。空になったペットボトルや、転がったままのクッション。雑魚寝したサークルの仲間たちが、ソファや床の上で気持ち良さそうに眠っている。

 一番奥の布団からそっと起き上がり、台所でコップに水を汲んでいると、背後からふわっと音もなく誰かが近づいてくる気配がした。

「おはよ、陣」

 振り返ると、万里沙が髪もまだ少し乱れたままの寝起き顔で立っていた。目を細めながら、まるで子どもみたいにあくびを噛み殺している。

「おはよ。起こしたか?」
「ううん。なんか目が覚めちゃって」

 万里沙はそのまま俺の隣にぴたっと立ち、俺が飲みかけていた水を少し分けてくれと言って、同じコップに口をつけた。

 万里沙は多分、俺のことが好きだ。そういうのって案外分かってしまうし、サークルの共通の友達からも聞いている。万里沙は口止めしているだろうが、そんな秘密はすぐに本人まで回るものだ。

 多分俺も万里沙のこと、ちょっと好きなんだと思う。可愛いし。性格も明るくて、一緒にいて居心地がいい。

 でも小夜さんの方が好きだから、あわよくば小夜さんとと考えているから、万里沙との関係性に明確な名前を付けることはしていない。
 万里沙は確かに外を見なければ可愛いけれど、それは大学の同じ学部内という閉鎖的な人間の中で、他に比べれば美人という程度。小夜さんほどじゃない。
 有り体に言えば、俺は万里沙を手頃な女としてキープしておきたいと思っている。最低だけど。でも万里沙を突き放す勇気も、完全に受け入れる誠実さも、俺はどっちも持ち合わせていない。

「まだ眠いなぁ」

 嬉しそうに頬を緩めた万里沙は、俺の肩にもたれかかってきた。
 俺は一瞬ドキリとしつつも、そのまま肩を貸した。

 朝の光が、カーテン越しにふわりと揺れる。
 みんながまだ眠っている静かな時間。
 なんてことない時間なのに、胸の奥がほんの少しざわめいていた。

 万里沙の髪からシャンプーの匂いがする。
 普通の恋が、楽な恋が手を伸ばせばすぐそこにあるような気がした。
 でも俺は、まだ手を伸ばすことができないままでいた。


 俺のことが好きな万里沙は、俺が好きな人に迫られて女装なんてしてることを知ったら、どう思うだろうなと思った。