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 父親が帰ってきたのと同時に、隣県の専門学校に通っている姉ちゃんも夏休みだからって帰省してきて、家は一気に賑やかになった。

 夕飯は三人で食べる。俺たち家族は多分、比較的仲が良い。

 父さんは相変わらずビールを飲みながら、会社の誰それがどうしたとか、業界の景気がどうとか、誰も本気で聞いていないような話を続けていた。
 姉ちゃんは化粧を覚えたての頃よりも眉毛が自然になっていて、でも口調は変わらない。

「そういえば、あんた、小夜のこと覚えてる?」

 手に持っていた箸が一瞬、空中で止まる。

「……誰だっけ?」

 少しだけ遅れて答えた。
 姉ちゃんはあからさまにがっかりした顔で、わざとらしく肩をすくめた。

「酷い。昔よく遊んでもらってたでしょ。ほんとに覚えてないの?」

 覚えているに決まっているが、今も小夜さんと会っていることを姉ちゃんにバレるのは色々言われそうで嫌だった。

「昨日小夜と同じ大学に行った友達のストーリーに映ってるの見たんだけどさ、小夜、すごい雰囲気変わってない? 大学のミスコン出てたらしいよ。目立ちたがるタイプじゃなかったのに、変わったよね」
「……気になるなら連絡すれば?」
「ムリムリ。あたしブロックされてるもん」

 姉ちゃんと小夜さんは、高校の時に大喧嘩をしてから一度も喋ってないらしい。

 俺が小夜さんと出会ったのは小学校高学年の時だ。
 小夜さんは、姉ちゃんの中学の同級生だった。

 三つ年上の小夜さんは昔から面倒見が良くて目がくりくりしていて可愛くて、俺が恋に落ちるのにそう時間は掛からなかった。
 小夜さんは俺の初恋の相手が当時のクラスメイトの明美ちゃんだと思っているが、あれは俺が自分の気持ちを隠すために付いた嘘で、本当の相手は小夜さんだった。フェイクとして明美ちゃんの名前を挙げたのは、ちょっとだけ小夜さんに似てたから。勝手に名前を使ったのは申し訳なかったと思っている。

 小夜さんはアクションゲームの操作が俺よりうまかった。自称ゲーマーだった俺は負けたのが悔しくて何度も勝負を挑んだ。テレビゲーム以外でも、オセロとか将棋もした。将棋は俺にとっていつまでも難しかった。小夜さんにはいつも負けるけど、たまに勝てたりして。そうやっていつも遊んでいた。それは俺が中学校に上がる頃まで続いた。

 小夜さんは年を重ねるごとに美人になった。小夜さんや姉貴と同じ、家から通える中高一貫校に入った俺は、高等部に居る小夜さんの噂を頻繁に耳にした。小夜さんは決して目立つタイプではないけれど誰もが認める美人で、隠れファンが多かった。
 思春期特有の反抗心や異性と遊ぶ恥ずかしさもあって、その頃には俺はあまり小夜さんや姉ちゃんとは昔のように遊ばなくなっていた。小夜さんが何だか遠くに行ってしまったように感じた。

(じん)くん、すごく背が伸びたね」

 でも小夜さんは、全校集会の後など、たまに体育館で声を掛けてきてくれた。俺は小夜さんに声を掛けられたくてわざとゆっくり体育館を出ていた。

「私もう負けちゃってる。怖い、ちょっと前までもっとちっちゃかったのに。陣くんにはこれ以上変わってほしくないなあ。目元の雰囲気もおねえちゃんに似てきたよね。大人っぽくなっちゃって」

 小夜さんと話した後は、それを見ていたクラスの男子に羨ましがられた。お前どこで小夜先輩と知り合ったんだよとか、紹介してくれよ、とか。
 俺は話を濁して、絶対に紹介なんてしなかった。でも羨ましがられるその感じは嫌じゃなかった。小夜さんと仲が良いことを周りに知らしめられているようで気分が良かった。俺はお前らの彼女より格上の女の人と関わりがあるんだぞってアピールするように、わざと見せつけた。
 遠くなっていく小夜さんに対して、小さな独占欲はずっとあった。


 はっきり物を言うキツい性格の姉ちゃんと違って、小夜さんは優しくて繊細だから、姉ちゃんと喧嘩した時はよく泣いていた。
 特に印象的だったのは中二の夏休みのことだ。車一つ通っていないようなド深夜に家の近くのコンビニまでアイスを買いに行った俺は、帰る途中で公園のブランコで泣いている小夜さんを見かけた。

 「こんな時間に何してんの」と慌てて近付くと、小夜さんはすぐに服の裾で涙を拭き取って、「何でもない」と早口で言った。
 確かその日は姉ちゃんが小夜さんと花火大会に行っていたはずの日で、姉ちゃんは随分遅くに帰ってきたと思ったら荒々しくドアを閉め、無言で部屋に閉じこもっていった。
 彼女もおらず祭りとは無縁でただゲームをしていた俺は何だあれと思ったが、関わると面倒そうなので何も言わなかった。

「……姉ちゃんと喧嘩した?」

 俺の問い掛けに対して、小夜さんは無言だった。

「あいつなんか酷いこと言った? ごめん、姉ちゃん、怒ると言い方キツくなるから」
「……ありがとう。陣くんは優しいね」

 泣きはらした目を細めて、小夜さんが笑う。俺は小夜さんに、欲しかったらあげると言ってコンビニで買ってきたアイスを譲った。正直女の人が泣いているのを見た時どうやって慰めていいのか分からなかったし、その時俺が持っていた手札はアイスだけだった。

「家まで送ってく。危ないし」

 小夜さんがアイスを食べ終わって、楽しそうに笑うようになってからそう切り出した。もう真夜中だったから、さすがに危ないと思った。
 小夜さんはちょっと驚いたような顔をしてから、「陣くん、いつの間にかしっかりものになったねぇ」と我が子を愛おしむように、おかしげに言った。


 花火大会で何があったのかは知らないけれど、それ以降、小夜さんは姉ちゃんの家に来なくなった。
 基本的に姉ちゃんを介して小夜さんと会ってた俺は、小夜さんの連絡先も知らないし、会う口実も無くなって会えなくなった。
 後悔した。

 だから俺は、次小夜さんとまた出会えるきっかけがあれば、絶対にその繋がりを離さないと決めていたのだ。

 
 思い出に浸っていた俺は、久しぶりの家族全員が揃った食卓で小夜さんのことばかり考えているのは何か間違っている気がして、黙ってお茶を飲んだ。
 父親はテレビのニュースに夢中で、姉ちゃんの専門学校での話を聞き流していた。