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季節は巡る。
姉ちゃんの結婚式が行われる一週間前になった。
俺も久しぶりに実家に帰った日。夕飯を食べ終わった後、姉ちゃんは突然とんでもないことを言い出した。
「小夜も式に誘ったんだけど、来てくれるみたいなんだよね」
テレビの音が急に遠のいた気がした。俺は箸を持ったまま、姉ちゃんの顔を見た。
「は? 何言ってんの?」
「家知ってるから招待状送った」
あっけらかんとした返事。悪びれた様子なんて一切ない。
「デリカシーなさすぎだろ」
思わず言葉が口を突いた。
自分でも驚くくらい、強い声だった。
でも姉ちゃんは普通の顔で答えてくる。
「呼ばなかったら、このまま一生気まずいままじゃん。そういうの嫌だし」
俺はしばらく言葉が出なかった。
こたつの中で指先がじんわりと熱くなっていく。
「……そういうの、身勝手って言うんだよ」
俺の声が低いことに気付いたのか、姉ちゃんがぴたりと動きを止めた。
そして、ゆっくりと唇を動かす。
「やっぱ陣、知ってたんだ」
姉ちゃんは勘が鋭い。珍しくムキになっている俺を見てすぐに理解したらしい。
「でももう何年も前の話だし、小夜も、別にそんなに引きずってないって」
「……本当にそう思ってんの?」
「小夜からの返事、すごいあっさりしてたよ?」
その「あっさり」が、どれだけ小夜さんの中で無理をして絞り出されたものだったか、姉ちゃんは知らない。
俺は何も言えなくなって、興味をなくしたふりをしてスマホをいじった。
テレビから流れるワイドショーの音が、部屋の隅でぼんやりと鳴っていた。
「てか、陣さぁ」
唐突に姉ちゃんが声をかけてくる。何気ない声色のくせに、核心を突くような言葉だった。
「大学の時、小夜とまた会ってたでしょ?」
ぎくりと背筋が跳ねる。
スマホを持つ指先が微かに震えた。
「……え、なんで」
「あんた顔に出るから。やっぱりかぁ〜! ひどいこと言われた?」
「…………」
姉ちゃんは口を閉ざす俺を見て、手を叩きながら笑った。
「あいついい子のフリしてめっちゃ性格悪いっしょ!」
テンション高く、楽しそうに、まるで悪友の悪口を言うみたいに。
俺は黙ったまま、居たたまれない気持ちになって俯いた。
「どちらか一方だけが削れるような関係は、どのみちうまくいかないって。私が保証するわ」
何もかも見透かされたようで恥ずかしかった。
俺は返す言葉を持たなかった。
少しの沈黙の後、ふと問いがこぼれる。
「……姉ちゃんってさ、小夜さんのこと、好きだったの?」
姉ちゃんはソファに寝転びながら、視線を天井に向けたまま、軽く息を吐いた。
「ううん。好きだったかどうかはよくわかんない。でもまあ、若気の至りで済ませられることは、粗方やっといた方がいいからね」
にやりと笑う姉ちゃん。
俺は苦笑するしかなかった。
小夜さん、あれも姉ちゃんの受け売りだったのかよ、って。
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秋晴れの空の下、姉ちゃんの結婚式は郊外のガーデン付きのチャペルで行われた。風は少し冷たいが、陽射しは柔らかい日だった。
白とオリーブグリーンを基調にした装花が並ぶバージンロード。列席者の拍手に包まれながら、姉ちゃんはウエディングドレス姿で父と腕を組んで歩いてきた。
俺は最前列に座っていた。いつもと雰囲気の違う姉ちゃんを、どこか遠く感じながら見つめていた。そのドレス姿は堂々としていて、肩の力が抜けたような幸せな顔をしていた。
神父の問いに応え、誓いのキスを交わすと、歓声と拍手がチャペル中に響いた。カメラのフラッシュ。シャボン玉が風に流れて空へ消えていく。
俺はちらりと、後ろの方に並んでいる小夜さんを見た。相変わらず綺麗だった。シンプルな装いなのにどこか浮世離れしていて、人の目を引く。
小夜さんは幸せそうな姉ちゃんの笑顔を見て何を思うんだろう。
披露宴も終盤、いよいよブーケトスの時間になった。
姉が振り返って、笑いながらブーケを高く掲げる。
「じゃあ、いくよー! 誰か幸せ、受け取って!」
ブーケがふわりと宙を舞う。人々の手が伸び、騒がしくなった中――それは、誰の頭上でもなく、不思議と小夜さんの胸元に落ちていった。
彼女は軽く目を瞬かせた。
受け取るつもりなどなかったのだろう。ただ、その場に立っていただけなのに、花は彼女を選んだようにすら見えた。
ざわめきの中で笑いが起こる。「小夜ちゃんじゃん」と誰かが声を上げる。姉ちゃんと、小夜さんの高校の時の同級生だった。
ブーケを受け取った小夜さんは、ぴくりとも笑わなかった。
しかし誰もが小夜さんの反応など気にもとめていなくて、すぐに主役たちの方に視線を移す。
俺だけが小夜さんをずっと見つめていた。
参加者たちが会場から出ていく中、俺は人の流れに逆らってこちらに近付いてくる一つの人影を捉えた。
花束を胸に抱えたまま、無表情にこちらへ歩いてきたのは、小夜さんだった。
小夜さんは俺の目の前で足を止める。
「はい」
差し出されたのはブーケだった。
「……え、なんで」
俺が受け取ろうとせず立ち尽くすと、小夜さんは小さく、悲しげに微笑んだ。
「このまま一生気まずいままは嫌だから。謝罪の品だよ」
また姉ちゃんと同じようなことを言う。小夜さんと姉ちゃんは、同じくらい身勝手だ。
「……いらないよ。それは小夜さんがもらいなよ」
「わたしもいらない。新しい恋、するつもりないから。古い恋を忘れるために別の人を利用して心を埋めるの、ダサいなって思うようになったの。それをわたしに教えてくれたのは陣くんだよ。陣くんがあの時怒って、本音をぶつけてくれたから気付けた。もう陣くんにしたみたいに、誰かを利用したりしない。しばらくは一人で、この痛みを抱いていくつもり」
小夜さんはそう笑って、俺の胸にブーケを押し付けた。
その笑い方は、俺が小学生の時――まだあどけなさが残っていた頃の、小夜さんの笑顔だった。
「お幸せに。陣くん」
小夜さんはくるりと俺に背を向けた。
肩越しに一度も振り返らず、会場の外へと、花の匂いがまだ残る空気の中へ、すっと溶けていった。
俺はその背中を見つめながら、不思議な開放感に包まれていた。
ようやく終わったと思った。
最後に小夜さんの笑顔が見られて、ずっと胸につかえていた嫌な心残りがなくなった気がした。
少しの未練を抱えたまま、俺はあの夜から抜け出した。
あの夏小夜さんの手を握った感触をもう思い出せない。
手のひらに残るあの湿った温度は、俺の手の中にもうなかった。
【完】

