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小夜さんとは、駅前のコンビニ横で待ち合わせた。
吐く息は白く、街路樹は裸になっていた。
俺はポケットに手を突っ込んだまま、遠くから歩いてくる小夜さんを見つけた。
グレーのコートに、黒いマフラーだった。
「久しぶり」
小夜さんは柔らかく笑った。
もしかしてあの時のことって夢だったんじゃないかって思うくらい、可愛い笑顔だった。
「……うん」
俺の返事はやけに小さくなった。
再会の一歩目はどこかぎこちなくて、親しさよりもよそよそしさが先に立った。
小夜さんは、駅から少し歩いたところにある、こぢんまりとしたビジネスホテルへさっさと歩いていく。
そこで違和感を覚えた。以前は、必ず夕食を共にしてから一緒に寝ていた。なのに今日は、どこにも寄らずにホテル。
「……小夜さん」
フロントで、俺の声に小夜さんが振り返る。
「ホテルに荷物置いたら、一緒に飯行かない? 俺、バイトしてるから奢るし。折角だからちょっと高いところでさ……」
俺は多分、焦っていた。
「この辺で、今から予約できるところないでしょ」
「や、それは今から探すし……」
「そういうの、君には求めてない」
顔面に貼り付けたような笑顔で言い切った小夜さんは慣れた手つきでカードキーを受け取り、エレベーターへ向かった。
俺はその背中に従うようにして歩くしかなかった。
――やっぱり前の小夜さんじゃない。
部屋はよくあるダブルルームで、冬らしく暖房が効いていた。
小夜さんがコートを脱いでベッドに軽く放り投げた。ふわりと香水の匂いが漂った。
「お腹、空いてるでしょ」
小夜さんが持ってきた紙袋を開けると、中からはコンビニのおでんとおにぎり、温かい緑茶のペットボトルが出てきた。
少し湯気の立ったそれらをテーブルに並べながら、小夜さんは笑った。けれど、その笑いは唇だけで形作られたもののように感じた。
「とりあえず、食べよ」
俺はこくりと頷いて、おにぎりを手に取る。
コンビニのおでんはアツアツで、少し食べづらかった。
「就活は終わったの?」
「うん。内定もらった」
「そうなんだ。おめでとう」
それきり会話は途切れた。
部屋には暖房の音と、俺の小さな咀嚼音だけが響いていた。
小夜さんは少し痩せた気がした。口紅も薄くなって、昔ほど甘い香りもしない。
それでもやっぱり綺麗だった。
食べ終えてゴミを捨てた頃、小夜さんがふと、何でもないように言った。
「久しぶりに、どう?」
俺は一瞬、動きを止めた。
「……え?」
冗談だろ、という気持ちで聞き返す。
けれど小夜さんは声のトーンを変えず、俺が最も言ってほしくなかったことを言ってくる。
「女装してくれる人、他にいなくって」
この数ヶ月の間に積もった期待を一気に踏みにじられたような感覚だった。
静かだった部屋の空気がぴしりと凍りついた。
「……今日って、もしかして、俺に女装させるために呼んだ?」
怒りが沸騰するようだった。
俺の声は自分でも驚くほど冷たかった。小夜さんはようやく俺を見た。けれどその目は驚いていなくて、むしろ呆れているようだった。
「……どうしたの? いつもしてたことでしょう」
「俺、小夜さんに会えて嬉しかったよ。久しぶりに話せるって思って。飯でも食いながら、いろんな話したいって思ってた。……でもさ」
言葉が詰まる。情けない。けど、もう止まらなかった。
「俺は小夜さんのことずっと好きだった。なのに、久しぶりに会ったくせに、それ?」
小夜さんはしばらく黙っていた。
「都合のいい時だけ声かけて、都合のいいこと言って、……俺のこと何だと思ってんの?」
思わず声が上ずった。
「小夜さんは、こんなに尽くしてる俺のこともっと好きになるべきだろ」
ぶつけた言葉に、小夜さんが静かに眉をひそめるのが分かった。
「女物の服とかアクセサリーとか付けられんのさあっ……俺ほんとは、すげえ嫌だった……っ彼女にもフラれるしっ、俺、なんでこんな、」
声が震えた。自分でも驚いた。
――俺は、嫌だったんだ。
でも、嫌だって言えなかった。そんなことを言えば、俺と小夜さんの繋がりがなくなるから。
女装をしなくても一緒にいられる自信なんか、最初からなかったから。
室内が静まり返った。
「……幼稚」
小夜さんから発された声だと、一瞬分からなかった。
顔を上げると、小夜さんが俺を見下ろしていた。拒絶でもなく怒りでもない。もっと冷たい、見下すような感情を孕んだ目だった。
「何で、自分を犠牲にしてひたむきに尽くしてれば、必ず報われると思ってるの?」
小夜さんがあははっと笑った。乾いた虚ろな声だった。
「男ってほんとキモい」
言葉の端が痛かった。でも小夜さんは止まらない。
「みんな言ってくるよ。デート代出したでしょ、運転したでしょ、だからホテル行こうって」
「俺はちが、」
「違わないよ」
切り捨てるように、小夜さんは言った。
「払った金の対価にセックスを要求してくる男と、自分の嫌なことを耐えた対価に恋愛感情を要求してくる君。無意識なのか意識的なのか知らないけれど、わたし、男から向けられるそういう強要が、気持ち悪くて仕方がないの」
そして気持ちの悪いものを見る目で俺を見て吐き捨てる。
「自分が勝手に貢いで、尽くしたんだろうが」
その言葉の重さに、何も言い返せなかった。
いや、言いたいことは山ほどあった。でも喉の奥で全部詰まって出てこなかった。
部屋の冷房が、まるで俺の心の中を映してるみたいに冷たく吹き続けていた。
「……小夜さんは、なんで俺と一緒に寝てくれてたの? 俺のこと、ちょっとはいいなと思ってたからなんじゃないの?」
縋るように問いかける。
どうすれば戻れる? どうすればまた小夜さんとの糸を結べる? どうしたら小夜さんは、昔の優しい小夜さんに戻ってくれる?
「安心したかったからだよ」
小夜さんはきっぱりと言い切った。
「〝男の中にもいい人がいる〟って確信を得たかった。わたしに手を出してこない人もいるって分かれば、少しは男という生き物を好きになれるかもって期待してた」
頭を鈍器で殴られた気になった。
あの日俺が小夜さんを抱いた時、俺は明確に小夜さんが求める存在ではなくなったのだ。
俺が小夜さんと関わりを持ち続けるために必要な小夜さんからの期待はもう、二度と戻ってこない。

