夏休みに入ってすぐに行われた大きなバスケットボールの大会。うちの高校は準々決勝まで勝ち進み、ベストエイト入りを果たすことが出来た。惜しくも決勝までは進めなかったものの、悔いのない試合ができて充実した大会になったと俺は思っている。
とはいえこれで部活動が終わるわけではない。冬にまた大きな大会があるのでそれに向けて練習をしなければならないし、秋にも練習試合がいくつも控えている。
気を緩めるわけにはいかない。
夏休みも部活の合宿や自主練に明け暮れる日々で、友人と遊ぶような予定も特に入れていなかった。そんな夏休みを送っていた俺の元に、久住から突然誘いの連絡が入った。
【海にいこう!!!】
日程などの連絡はなく、ただ海に行こうという内容だけが送られてきていたので…イタズラかと思った俺はそのメッセージを既読スルーした。
しかし、夜の23時頃…部屋で筋トレをしているとスマホが着信を告げ相手が久住だと分かった瞬間に、何やらとても嫌な予感がした。
とはいえ昼間のメッセージも無視してしまった手前、続けて無視するのも可哀想なのでとりあえず着信を受けてみる。
「……なに」
『唯以くん!迎えに来たよ、あーそーぼー』
なんて非常識なやつなんだ。と思いつつ…部屋の窓から下を眺めて見ると、バイクが一台停まっているのが確認できた。
来たものを追い返すなんてことは俺には出来ない。親に出掛けてくると告げてからマンションを出る。案の定バイクに跨っている久住を発見し、ゆっくりと近付けば…俺を見つけた久住は嬉しそうに笑った。
「唯以くん、久しぶり!バスケ部すげぇじゃん!俺も応援行けば良かったなぁ〜」
「久しぶりってほどでもないだろ。久住は…日焼けしたな?真っ黒じゃん。」
「三日に一回は海行ってるからね。ほら見てよ、ここ。クラゲに刺された。名誉の負傷!」
何言ってんだこいつ、という目で久住を見ると、楽しそうに笑いながら久住は俺の頭にヘルメットを被せた。
「バスケもいいけど、たまには遊ばねぇーと。」
「余計なお世話なんですけど。」
「まぁまぁ、朝までには帰すから。一緒に思い出作ろう。」
思い出を作るというのは…悪くないかもしれない。
「っていうか、バイク…無事だったんだ?」
「そうそう。修理出しててさぁ…昨日ようやく返ってきたんだよ。」
車種が何なのかなんて俺にはもちろん分からないが、久住の乗っているバイクは、よくヤンキー漫画なんかに出てくるような改造されまくって背もたれが着いているような…そんな派手な仕様のものではない。
車やバイクに興味が無い俺が見ても"かっこいいな"と思ってしまうような、黒を基調としたシンプルなデザインのクラシックバイクだ。
久住の座るバイクシートの後方部に跨り、軽く久住の腰の辺りの服を掴んでみる。
「いやいや、唯以くんバイク初心者?そんなんじゃ振り落とされるって……ちゃんとこうやって、掴まってろ。」
グッと腕を引かれ、半ば強制的に久住の腰に腕を回され…背後から俺が久住に抱きついているような絵面が完成する。
「……これ、正解なのか?」
「当たり前!初心者は黙って言うこと聞いてろ。」
バイクで二人乗りなんて人生で初なのでよく分からない。詳しいであろう久住がこれでいいというのなら、これが正解なのだろうと深く考えることなく、腕に力を入れて振り落とされないように久住にしがみつく。
「あー……出たよ無自覚天然ボーイ。」
「ん?なに、なんか言った?」
「いや?その調子でちゃんと掴まってて。」
「てか今更だけど…無免じゃないよな?」
「大丈夫、俺免許取って1年以上経ってるから。後ろに唯以くんを乗せて走ってもなんの問題もねぇーよ。」
バイクの免許を持っていない俺に、詳しいルールを説明されたところでそれが本当がどうか分からない。しかし交通違反なんて理由で学校に連絡がいくようなことになれば…部活に迷惑がかかるのでそれだけは避けたい。
「法定速度、ちゃんと守れよ。」
「もちろん。今日は後ろに唯以くん乗せてるし、安全運転重視でいくから大丈夫。」
本当かよ…と疑いながらも、初めてのバイクに内心テンションが上がる。テーマパークのアトラクションに乗る前の気持ちによく似ている。
「よし、レッツゴー」
なんて軽快な掛け声と共に発進したバイク。思っていたよりも身体が不安定なので、思わず久住の腰に回した腕に力を込めてしまう。
夜の街をバイクで駆け抜けるという人生初の経験。部活で毎日が充実していると思っていたが…俺はとても狭い世界の中で生きていたのだと気付かされる。
バイクのエンジン音が心臓に響くような感覚も、夜風をきって走り抜ける快感も、線のようになって流れていく景色や風景も……知らなかった。久住に出会うことがなければ、おそらく一生知ることのない世界だっただろう。
目的地だと思われる場所に到着して、停車したバイクから久住と共に降りる。着いたのはこの辺りで一番大きい海水浴場。当たり前だが夜なので、海は真っ暗な闇に包まれて青い色をしていない。
「唯以くんごめん、めちゃくちゃ今更だけど…乗り心地悪くなかった?腰とか痛めてない?」
「他を知らないから乗り心地がどうかは分からないけど…風が気持ちよかった。身体は大丈夫。」
「そっか。なら良かった。」
ヘルメットを脱いで久住に手渡す。被っていた時は分からなかったが…"唯以くん専用"とマジックで書かれているのを見つけて羞恥心で死ぬかと思った。
「ていうか、なんで急に海?しかも…夜?」
恥ずかしくなってきて…とりあえずバイクから離れようと、足を進めた俺の後を久住がついてくる。
「別に何をするってわけでもないんだけど…唯以くん部活ばっかで疲れてんじゃないかと思ってさ。」
「……好きでやってることだから。」
「…女子マネージャー、増えたって聞いたけど。その辺は大丈夫?夏の大会でバスケ部の人気に火がついたみたいだし、見学にくる奴らも結構いるんだろ?」
「何が言いたいんだよ。」
「唯以くん、無理してない?ちょっと心配で、連れ出してみた。」
その言葉に、思わず泣いてしまいそうになった。
実は…久住の言う通り。最近女子マネージャーの数が増えて、女の子が苦手な俺は人見知りを存分に発揮し、練習以外の面で気をつかうことが増え、かなり気疲れしていた。
他にも…見学に来る生徒のほとんどが女子で。シュートを決める度に飛んでくる黄色い声援に内心ウンザりしていたのもまた事実。それでも応援してくれているのに"やめて欲しい"なんて言えるはずもなく…。
やり場のない思いを抱えながら日々を悶々と過ごしていたのだった。
後ろを歩いていた久住が俺を追い越して、一歩前に出る。
「唯以くん、俺に言ってくれただろ?頼ることは甘えじゃないって。」
「…それは、子どもが親に頼るのは…って意味で、」
「同じだろ。唯以くん、忘れた?俺は唯以くんの友達であり彼氏であり、それ以上でも以下でもない!"友達以上恋人未満"という最強のパートナーだということを!」
勢いよく振り返り足を止めた久住。同じように足を止め、向き合うような形で見つめ合う。
あれ?っていうか、そんなフレーズ初めて聞いた気がするけど。何だか物凄く都合のいい存在のような言い方だけど大丈夫かな。
「いいように使えばいいんだよ、俺のこと。」
「……例えば?」
「そーだなぁ…最前列で試合の応援行くとか?"唯以くんLove"って書いたうちわ持って。」
「絶対やめて。悪目立ちするどころの騒ぎじゃない。」
「じゃあ、マネージャー脅して辞めさせる?」
「もっとよくないね、それは。」
「なら…たまにこうやって息抜きに連れ出してやる。唯以くんの心の闇が晴れるまで、バイクで何処までも駆け抜けてやるっていうのは……どう?」
ふざけているのかと思いきや、急にガチトーンでそう告げた久住。おそらく初めからこれが言いたかったのだろう。
「……悪くないな。」
「まったく、素直じゃねぇーなぁ。」
どっちがだよ…と思ったが、機嫌を損ねられると面倒なので口にしない。事実、今こうして久住が夜の海に連れ出してくれたことにより…抱えていたストレスのようなものが解消されたような気がするから。
「もっと別のやり方があったのかもしれねぇけど…バスケ部は唯以くんの聖域だし。俺が勝手に余計なことをして、唯以くんが築き上げてきた人間関係を壊すようなことはしたくなかったんだ。」
何も考えていないように見えて、久住が人一倍…気遣いの出来る良い奴だと、知っている人間はどのくらいいるのだろう?
きっと俺じゃなくても、同じように困っている人間がいれば久住は手を差し伸べるんだろうな。
「……ん?唯以くん、なんか元気なくね?疲れた?そろそろ帰るか。明日も朝練だろ。」
帰るという言葉が久住の口から出た瞬間、"まだ帰りたくない"と思ってしまったことを告げれば…久住はどんな顔をするのだろうか。まぁ…そんな自爆発言をする気にはなれないし、恥ずかしいから絶対口には出さないけど。
「言っとくけど、俺は普段ここまで面倒見がいい人間じゃないから。」
「……え…?」
バイクの元へと足を進め始めた久住。その後を今度は俺が追いかけるようにして続いて歩く。
「まぁ…仲間が喧嘩でやられたりしたら、助けに行ったりすることはあるけど。こんな風に…俺の方から誘い出して、誰かを慰めたり、励ましたり?そんな面倒なこと…他のやつには絶対にしない。」
やられたらやり返す精神…みたいな序盤の発言は気になったものの、後半の言葉が胸に深く刺さり、少し息が苦しくなった。
「要するに…唯以くんは俺の特別ってこと。だからいつでも頼ってよ。」
そう言って振り返った久住を、海岸沿いにある街灯がスポットライトのように照らしている。ただ立っているだけなのに、その姿がキラキラと輝いて見える俺の目はどこかおかしいのだろうか?
「帰るよ、唯以くん。」
俺専用のヘルメットを放り投げてきた久住。それをしっかりとキャッチして…落とさないように胸に抱える。
夜風に吹かれながらバイクで駆け抜ける帰り道は、夏の蒸し暑い夜にも関わらず、俺の心に潤いを与えてくれた。
