先輩とお昼ご飯の交換を初めて、一週間が経った頃。

 その日は久々に、雨が降った。


「ちょっと寒いけど、ここでいい?」


 そう言って、先輩は屋上の手前の階段で私を待っていた。


「…すみません、遅れて。雨が降ったから、会えないかと思いました」


 私はそう言って、先輩の横に座った。
 雨の日の低い気温でひんやりとした床は、座った瞬間冷たさを感じた。


「つめた……」


 少し身震いした私を見て、先輩が立ち上がる。


「やっぱ寒いし、今日は場所変えようか」

「はい」


 そう話す先輩も、少し寒そうだった。いつからここで待っていたんだろう。
 日直の仕事で来るのが遅くなってしまったから、まあまあな時間、ここで先輩を待たせてしまったかもしれない。


「先輩、ごめんなさい。寒いのに待たせて」

「いいよ。もともと絶対会うっていう約束でもないし。俺が待ちたかっただけ」

「……ありがとう、ございます…」


 先輩は空き教室を見つけて、鍵を借りてくれた。
 使われていない教室はやはり少し冷えていたが、屋上からの隙間風がない分、かなり過ごしやすかった。


「さ、食べよう」


 やや日常となりつつある、交換会。
 先輩は今日、低糖質パンだの、サラダチキンだの、やけに健康的なものを買いそろえていた。


「あのー、この前コンビニ飯で太らないのかみたいな話したからさ。もしかしたら、上谷さんもカロリーとか気にしてるのかも、と思って…」

「ああ…」


 特に深い意図もなく振った話だったが、気を遣わせてしまったらしい。
 まあカロリーが気にならないかというとそれも違うが。


「全然適当でいいんですけど…」

「さすがにそういうわけにはいかないって」


 先輩もお弁当を開く。
 白身魚フライを中心に、ジャーマンポテト、大根と大根の葉の漬けもの、ほうれん草を巻き込んだ玉子焼き。ご飯はラップでくるんだ焼きおにぎり。デザートにりんご。


「こんな立派なお弁当もらっておいて、適当ってわけには」


 先輩はそう言って、箸で玉子焼きをつかむ。
 最近、決まって玉子焼きから食べる先輩。かなり、お気に入りなのだろう。


「…うん、うまい」


 飲み込む前に、焼きおにぎりも一口頬張る。
 私もそれを横目に、サラダチキンを頬張った。


「あの、先輩…」

「ん?」

「よかったら、連絡先交換しませんか」


 先輩がびっくりして顔をあげた。

 これまではなんとなく始まった関係だったから連絡先を交換せずにここまで来たのだが、今日寒い中先輩を待たせてしまったことで思いなおしたのだ。
 私がそう説明すると、先輩は二つ返事で応えてくれた。


「ん、追加した」


 先輩は私に、やけに味のある猫のスタンプを送ってきた。横に大きな猫が、よろしく、と手を挙げていた。
 思わず、笑みがこぼれる。


「……なんですか、この猫」

「かわいくない?」

「……感性は人それぞれですよね」

「待ってどういう意味?」


 わざとらしくジト目で見てきた先輩に、私はまた笑ってしまった。


「かわいいっていうのは、こういうやつじゃないですか?」


 私が最近お気に入りの、まん丸な猫のスタンプを送り返す。
 隣にいる先輩が、すぐさま既読を付ける。


「いや、これはあざとい」

「別にあざとくてもいいじゃないですか」

「俺の猫は、飾らないかわいさがあるでしょ」


 先輩はそう言ってまた同じスタンプを送ったあと、スマホを閉じた。
 けれど直後、短く先輩のスマホが震える。

 先輩は、ちらっとそれを確認する。


「……ごめん、親からだ。ちょっと返していい?」

「はい」


 先輩がメッセージをうっている間、しばしの静けさが部屋を包む。
 窓の外で降りしきる雨音が、やけに大きく耳をうった。

 見るともなく風で揺れる木を見ながらパンを食べ進め、時折喉が渇くと水筒のお茶を飲む。


「……ん、もういいよ」


 先輩がスマホを伏せた。


「親御さんとメッセージでやりとりするんですね。私も一応交換したけど、普段はほぼやりとりしてないです」

「あー、まあうちの親、かなり忙しいから。メッセージのほうが確実にやりとり出来ていいんだよね」


 言われてみると、先輩は毎日コンビニでお昼を買っている。
 親御さんが忙しいのが、その理由の一つなのだろう。


「あと三者面談の連絡だったからっていうのもある。できるだけ早めに伝えたほうがいいかなって」
「なるほど…」


 先輩は確かに、来年から受験生だ。私以上に進路に直面しているだろう。


「ちなみに先輩は、進路のこと、親御さんと話してますか?」


 私は進学するということしか話してない。
 というかそれ以外決まっていないし、話しようもない。


「まあ…軽く」


 先輩は少し、口ごもった。でもそれは一瞬のこと。


「好きにしていいって言われてるんだ。一応候補は伝えたけど、反対はされてないし」

「そうなんですね」

「上谷さんは?」


 私があいまいな反応を返すと、先輩は苦笑した。


「上谷さんの親御さんは優しそうだから、心配させないようにちゃんと相談しなよ?」

「……まあ、決まったら」

「決まらなくても、何に悩んでるのか相談してくれるだけで嬉しいと思うよ」


 先輩は、悟ったように言う。
 その横顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。


「特にほら、父親からすると娘が一人暮らしって心配するものでしょ。早めに言ってあげれば心の準備ができるからさ」


 私は、先輩が半分ほど食べたお弁当を、じっと見つめる。


「……そうですね。父にはいつも心配かけてるし、進路のことだけでも安心させてあげないと」


 心にもないことを言ったせいか、私の喉がきゅっと締め付けられた。
 それをごまかすようにお茶を流し込んだけれど、のどの痛みは流されてはくれなかった。