次の日も、私は屋上に向かった。
 扉を開けた瞬間、こちらを向いた先輩と目が合った。


「甘いもの好き?」


 当たり前のように私が来たことを受け入れて、開口一番そう問うてきた。
 それが嶋田先輩という人だった。


「甘いもの、めっちゃ好きです」

「よかった」


 先輩はビニール袋から、アーモンドチョコレートを取り出した。


「俺、普段甘いもの食べないんだけど。もし交換するなら、女子はプロテインよりこっちのが喜ぶかもなって」

「先輩はチョコレート、好きじゃないんですか?」


 話しながら、先輩の隣に腰かけた。
 座る直前、ビニール袋の中身が見えた。私が好きなものがわからなかったからだろう、せんべいやらチューイングキャンディーやらがぎゅうぎゅうに詰まっているのが見て取れた。


「嫌いなわけじゃないけど…自分からは買わないかな」


 私は自分の弁当を、先輩に差し出す。
 引き換えに、先輩はビニール袋を私に差し出す。

 苦手なものは俺が食べるから、と言い添えて。


「ぜんぶ、好きです」

「それはよかった」

「でも量が多いから、半分こしましょう」


 私の言葉に、先輩がうなずく。
 そして、するりと包みをほどくと、いつも通りの鮮やかなお弁当が顔を出す。

 今日のメインは、どうやらピーマンの肉詰めらしい。


「見るからにおいしそう」


 先輩はさっそく手を合わせ、ピーマンの肉詰めを一口。
 うんうんとうなずいて、咀嚼する。


「おいしすぎる、やっぱすごい」


 嬉しそうにお弁当を改めて見つめる先輩。
 そして、確かめるようにもう一口食べて私を見る。


「…何回食べてもうまい。これ、どうやって作るの?」


 先輩がピーマンの肉詰めを指さしながら、そう聞いてきた。
 私は一瞬動揺しそうになったが、あわてて記憶を呼び起こす。

 ハンバーグなら、中学校の調理実習で作ったことがある。見た目はそっくりだし、きっとそれと大差はないはず…。


「えっと……ひき肉に、玉ねぎとパン粉と牛乳を入れて揉んで、それをピーマンに詰めて、あとは焼きます」

「このソースもめっちゃおいしいんだけど」

「それは、あの……市販です」

「そうなんだ」


 たぶんソースは絶対市販じゃないし、作り方が正解なのかはわからないけど、先輩も正解を知らないので全く疑っていないようだった。
 ちなみに後々調べたら、おおむね作り方はあっていた。ピーマンに小麦粉をまぶす工程だけ抜けていたけど…。

 ギリギリ答えられそうな料理で助かった。昨日のレンコンの挟み焼きだったら答えられた自信がない。

 私は話題を変えるべく、視線を屋上の下にやる。


「…吹奏楽部、がんばってますね」


 昼練に励む澪の姿が目に留まる。
 月末にマーチングの大会があるとかで、校庭でフォーメーションの確認をしているようだった。


「そういえば、先輩は部活入ってるんですか?」

「いや、入ってない」


 先輩も、私に倣って校庭を見下ろす。
 先生らしき人が話していて、時折部員たちが声を揃えて返事をしているのが遠巻きに聞こえた。


「一年のときは、サッカーやってたんだけど」

「……やめちゃったんですか?」

「うん」


 理由を聞くべきだろうか。
 それとも踏み込んでほしくないだろうか。

 計りかねている私に、先輩が笑って続ける。


「なんかイマイチ本気になれなくて…、サッカーは楽しいし、別に先輩とかともうまくやってたと思うんだけど…。俺にとってはこう、勉強の息抜きみたいな気持ちでサッカーやってたんだよね。でも周りはそうじゃなかったみたいで」

「何か、言われたんですか?周りの人に…」

「いや。周りに合わせて、形だけだけど一生懸命やってたから。ただなんか…周りとの熱量の差を感じるとさ、ここにいていいのかなーって、思うときない?」

「……わかる気がします」


 というか、身に覚えがありすぎる。

 自分より一生懸命な人を見ると…その人のための場所な気がして、居ていいのか不安になる感じ。
 私が先輩を見て、なんとなくで進学する自分が場違いのように感じた、あれと似たような感じ。


「だから、やめちゃったんだけど……いやごめんね、情けない話して…」


 先輩が苦笑するが、私は間髪入れず首を振った。


「部活も、進学先も……選択肢なんていっぱいなんだから…、一発で自分の居場所になるとこを選び取るなんて、できないです」

「………」

「それでも、進路は選んだら進むしかないんですけどね……」


 だから、悩ましいところだ。
 うーんと悩む私の横で、先輩はしばし吹奏楽部の練習を眺めていたが、ぽつりと口を開く。


「ありがとう」

「?」

「部活辞めたこと、なんとなくずっと引っかかってたから……そう言ってもらえると、楽になれる」


 柔らかく微笑む先輩の顔が、私の瞳に焼き付く。
 なんとなくそれを直視できなくて、私はぱっと視線をそらした。


「上谷さんも、何かあったら言ってね。俺でよければ話聞くから」

「何か…」

「うん。進路でも、人間関係でも、それ以外でも。なんでもいいよ」


 先輩の手元に居座る、鮮やかな弁当が目を引いた。
 目下一番誰かに相談したいこととしては、そのお弁当を本当は私が作っていると言い出せないことだろうか。

 まあそれを先輩に相談するわけにはいかないのだけど…。


「…そのときは、頼りにしてます」


 しばらく、先輩への悩み相談はお預けになりそうだ。