週明け、月曜日。
 予定通り澪は昼練があるとかで昼休み早々部室へ向かってしまった。


「上谷、すぐ終わるからちょっと職員室来てくれ」

「…はい」


 そしてこういう日に限って、タイミングが悪い。
 昼休みに入ってすぐ仲のいい子にご飯の誘いを入れようと思っていた矢先に、先生から呼び出しを受けた。


「この前の進路調査だけど、ちょっと曖昧だったから」


 先生はそう言って、私に進路調査の紙を渡す。

 この学校は進学校なので入学当時からぼんやりと進学することは決めていたのだけど、それだけ。
どこに行きたいかも、何を学びたいかもわからない。


「少しだけ提出期限を延ばすから、もう少し考えてみてほしい。別に書いたからって、絶対そこに行かなきゃいけないってわけじゃないぞ、あくまで現時点での希望だから」


 先生の言葉に、私はとりあえずうなずいた。
 そして、手に残されたやけに白紙の目立つ進路調査を折りたたむ。


「今月中に出せそうか?」


 何を書けばいいのかさっぱりわからなかったけど、私は先生の言葉に、わかりました、と答えた。
 そうして職員室をあとにしたものの、教室をのぞくともうみんなグループで固まってご飯を食べ始めていた。


「…ほんとタイミング悪いなー…」


 もう食べ始めているのに声をかけるのは、さすがに気が引けた。
 机をわざわざ動かしたり、今までの会話を中断したり。別にあからさまに嫌な顔をされるわけじゃないとしても、なんとなく空気が読めない子だと思われそうで。


「まあ、一人で食べるか…」


 目立たないよう、さっとお弁当だけ持ち出して、私は教室をあとにした。
 別に一人が嫌いなわけじゃない。教室で一人だとなんとなく周囲が気になって居心地が悪いだけの話だ。

 人がいない場所でも探そうと思って、校舎内を歩く。
 お昼ご飯を食べるのにうってつけなベンチのある場所は、大抵だれか先客がいた。


「うわ待って、間違えてお父さんの弁当持ってきちゃったんだけど!」

「あははっ、やばい、量多すぎ!」


 他学年らしき女生徒たちが、楽しげに話しているのを見てため息をつく。
 ここも先客がいるらしい。


「うちのお母さんたまーにこれやっちゃうんだよねー…お父さんと私じゃサイズ違うじゃんって思うんだけど…」

「大丈夫、あたしも経験あるから」

「まじ?」

「そう、しかも小学生のときで、あたしのキャラ弁をお父さんがもってて、お父さんのお手紙付き弁当をあたしがもってくっていう…」

「愛妻弁当じゃん!」


 聞くともなしに耳に飛び込んできた会話で、思わず足が止まる。
 自分の片手に提げられた弁当を見やる。


「………」


 いつもならお弁当を食べている時間なのに、今日は不思議と空腹は気にならなくなっていた。
 お腹が空きすぎて何も感じないというやつなのかもしれない。

 私はすっと彼女らから離れ、校庭の隅に置かれたゴミ箱に足を運んだ。
 そして深く考えないまま、弁当を持ち上げる。

 ゴミ箱の中の紙くずやらお菓子のゴミが、風に揺れて小さくカサカサと音を立てた。
 私の手にしがみついているお弁当包みも、全く同時に風に揺れる。

 空腹もなく。深い思考もなく。
 私の心を支配するのは、ほんの小さな気の迷いだ。

 私はその気の迷いにそそのかされるように、手の力を緩める。


「………」

「捨てるの?」


 包みを握っていた手を離そうとした瞬間、後ろから声がかかった。


「!!」


 驚いて振り返ると、一人の男子生徒がこちらに歩いてきていた。
 柔らかそうな黒髪。その隙間からのぞく切れ長の瞳が、私をとらえる。


「弁当、捨てちゃうの?」

「……あ、」


 私は焦って、つい弁当を背後に隠す。もう見られているのだから、今更だけど。


「こ、これは…その、」


 なんと言えばいいのだろう。
 初対面の人とはいえ、間違っても父親が作った弁当を捨てる子だなんて思われたくなかった。


「……じ、自分で作ったんだけど、その…で、出来栄えが気に入らなかったから、食べる気になれなくて」


 咄嗟に、嘘をついた。
 その男子生徒は、知ってか知らずか、ふぅんとつぶやくだけだった。


「じゃあ俺が食べてもいい?」

「えっ」


 予想外のことを言われて、私は固まった。
 彼はそんな私を見て穏やかに笑い、片手に提げたビニール袋をこちらに差し出す。


「コンビニで買ったやつだけど…、これでよければ交換しない?」

「……」


 戸惑ったままビニール袋を見つめる私。


「あ、一応中身はエビマヨと鮭のおにぎりでしょ、あと野菜スティックと、プロテイン」

「……おにぎりとプロテインいっしょに食べるんですか…?」


 思わずそう突っ込んでいた。
 つい突っ込んだだけだったけれど、彼は、確かに、と微笑んだ。

 それを見ていると、悪い人じゃない気がした。
 何より彼と話しているうちに、忘れていたはずの空腹を思い出してきた。


「じゃあ、お願いします」


 私は彼の差し出したビニール袋を受け取って、自分の弁当を差し出した。

 彼は自分で提案しておいて、少し驚いたような顔をした。
 けれど、ためらいもなく弁当を受け取った。


「俺は屋上で食べようと思うんだけど、君はどうする?」

「屋上?」


 屋上は立ち入り禁止だったはず…、という私の考えを見抜いてか、すぐに彼が付け加える。


「生徒会に所属してると、生徒会室から全部の部屋の鍵借りれるんだよ」


 ないしょね、と彼は人差し指を唇にあてた。
 初対面の、しかも異性と、会った直後に食事をいっしょにとることに、抵抗がないわけでもなかった。

 でもそれと同じくらい、この彼に興味もあった。