臍を噛み、愛を食む

【嶋田先輩side】
「……」


 いつも通り無言で家に入ろうとしたら、部屋の明かりがついていた。

 父か、母か。
 どちらかが家にいるらしい。

 俺は少し顔がこわばるのを感じながら、リビングの扉を開いた。


「お、孝之。おかえり」


 疲れた顔の父が、そう言ってソファから身を起こした。
 父の顔を見るのは一週間ぶりくらいだったが、前回見たときよりクマが濃くなっている気がした。


「……ただいま。ずいぶん疲れてるね」

「しばらく大きい手術が立て込んでてな……、孝之にも迷惑かけてすまんな……」

「いいよ。一人は一人で気楽だし」


 俺はそこでリュックを背負いっぱなしだったことに気づいて、荷物を降ろす。
 肩の荷は下りたはずなのに、気は休まらない。


「孝之、今日晩ごはんはどうする予定だ?」

「決めてないけど……適当にどっか食べにでも出ようかなって」

「そうか。じゃあいっしょに車で行こう」


 父は伸びをして、軽く首をまわして、立ち上がる。


「孝之、何が食べたい?」

「えー……肉」

「ははは、高校生だなぁ」


 そう言って父が笑う。
 俺は今高校生なんだからそりゃそうだとしか言いようがない。


「焼肉か、しゃぶしゃぶなら近くにあるけど、孝之はどっちがいい?」

「……じゃあ焼肉で」

「わかった」


 父が出かける準備を始めたのを見て、俺は心の中でため息をつく。

 別に、父は嫌いじゃないんだけど……。
 思考に耽りそうになった俺の耳に、ガチャッと扉の開く音が飛び込んでくる。


「ただいまー」

「!」


 直後、母がリビングに姿を現す。


「あら!孝くんだけかと思ったらパパもいるの!」

「おー!おかえりママ」


 二人がびっくりしたように顔を合わせて笑う。


「ママも今日早かったのか」

「うん、しばらく帰れてないし無理言って抜けてきたわ」

「ははは、頼もしいなぁ。これから孝之と焼肉行くから、ママも行こう」

「えー?今日くらい健康的なご飯食べたいんだけどー……」

「まあそう言わず、な。今日くらい孝之の食べたいもの食べに行こう」

「それもそうね」


 父と母が和やかな笑い声をたてる。

 ここだけ切り取れば、まさに理想の幸せな家庭って感じだ。
 母が俺に向きなおる。


「孝くん、準備は?」

「これで行こうかなって」

「えぇ?焼肉なんでしょ、匂いうつるから着替えたほうがいいわよ?」

「……そうか、そうだった。ちょっと着替えてくる」


 俺は笑って言い残し、自分の部屋に向かう。


「孝くんの、しっかり者なのにときどき抜けてるとこ、パパそっくり」

「俺はしっかりしてるよ。孝之はママ似だろ?」


 笑い合う父と母の声を聞きながら、俺は部屋の扉を閉めた。
 そして、息をつく。

 母さんが帰ってきてくれてよかった。

 父も母も嫌いじゃないけど……正直一対一は気が重い。

 三人なら、父と母がおしゃべりしているのを聞いていればいい。
 気まずい中でご飯を食べることにならなくて、少しほっとした。