臍を噛み、愛を食む

 症状別風邪薬を三種類。
 エネルギー補給用のゼリーに、冷却シート、ミネラルウォーター、スポーツドリンク2本、のど飴。

 とりあえずのお見舞いセットをもって、私は先輩宅のチャイムを鳴らした。

 なかなか反応がなく心配したが、しばらく経ってゆっくりと扉があいた。


「服……着替えてて、」


 先輩がかすれた声で話しだしたかと思うと、せき込んだ。


「だ、大丈夫ですか…?」

「……お金だけ払うから、レシート頂戴……」

「いえ、あの……頼まれたもの以外も勝手に買ってきてしまったので、お金は大丈夫です」

「……そういうわけには」


 そこで先輩は言葉をとめ、目をつむった。
 そのまま顔をうつむけて、じっと黙り込む。


「せ、先輩……」

「……ずっとねてたから……、たちくらみ、してるだけ……、」


 どこからどう見ても限界そうだった。

 部屋の奥は明かりがともっておらず、静まり返っていて、親御さんがいないことはすぐに見て取れた。


「…先輩、なにかあればお手伝いしますけど……」

「…だいじょうぶ、寝てたら治る。それより長居するとうつるから…」


 先輩が私の提げたビニール袋を少し強引に受け取った。

 が、思ったより重かったのか、持ち上げきれずガクンと腕がさがった。
 スポーツドリンクが2本も入っているし。


「先輩、部屋まで運びましょうか」

「いや、さすがに…」

「このまま帰ったら、逆に心配で落ち着かないです」

「………」


 先輩が私の言葉に眉をひそめる。
 そして、しばらく考え込む。


「……わかった。じゃあこれはこぶだけ…、お願い」


 先輩の言葉に、私は驚きながら大きくうなずく。
 言っておいてなんだけど、先輩は絶対断るだろうと思っていたから。


「…お、おじゃまします……」


 若干おぼつかない足取りの先輩に続いて、私は先輩のお宅にあがった。

 掃除の行き届いた綺麗なおうち。
 でも生活感の薄さとか、暗くて静かなリビングとか、なんだか少し寂しい印象がした。


「どうぞ」


 先輩の部屋も、いたってシンプルだった。
 勉強机、ベッド、参考書…なんというか必要最低限だけをそろえたような部屋。


「それ、そのへん適当においてて…」


 先輩が弱々しくそう言って、ベッドに体を預けた。
 立っているのが辛いのかもしれない。

 私は言われた通りビニール袋を勉強机におき、薬を取り出す。


「先輩、熱ありますか?」
「……38度5分…」
「のどの痛みとか、頭痛とか気になる症状はあります?」
「……のど痛いのと…あとずっと体がだるくて。あと、寒気が少し……」


 症状を聞いて、買ってきた風邪薬のうち一つを選ぶ。


「先輩、コップ借りてもいいですか?」
「…ん、いいよ」


 先輩の返事を聞いて、台所に向かう。
 部屋を出る瞬間、ありがとう、と先輩が言う声が小さく耳に入った。


「……あー、でもそうか、この薬だと……」


 食後30分以内の服用、と書かれた注意書きに目が留まる。
 あの感じだと、たぶん先輩は昼ご飯を食べているとは思えなかった。


「……すみません……」


 誰もいないのに一応ことわりを入れて、私は冷蔵庫を物色させてもらった。

 見るからに、まともな食材がない。
 冷凍食品は充実していたけど、ハンバーグだの揚げ物だの、正直風邪のとき食べるようなものではなかった。


「……しかたない」


 調味料は多少そろっている。
 卵と米さえあれば、おかゆくらいは作れる…はず。

 私が失敗しなければ。


「……えっと、まず米1合に対して水が……」


 私は調理実習くらいしかまともに料理したことがない。
 このおかゆが成功するかどうかは、はっきり言って未知数だった。

 スマホとにらめっこしながら米を煮込んでいく。
 煮ても煮てもなかなか柔らかくならない。


「……あ、やば、ちょっと焦げ付いた…?」


 混ぜるのが甘かったのか、少しだけ焦げ付いた。
 けどまあ許容範囲。


「で、沸騰させた状態でとき玉子を……」


 ぶつぶつ独り言を言いながら格闘する私。
 卵が思ったよりうまく固形にならなくて、米と溶け合ったせいで具なしのおかゆみたいになってしまった。


「……どうしよう」


 出来栄えとしては、70点ぐらいか。
 味はまあ……普通。可もなく不可もない。ただ見た目がちょっと微妙。

 正直これを先輩に出すのは少し気が引けた。
 だって先輩は私のことをものすごい料理上手だと思い込んでいるわけで…。


「……しょうがない、か……」


 おかゆをしばらく睨みつけたあと、これ以上先輩を待たせるわけにはいかないと覚悟を決めた。
 もし、もしこれで先輩に何か言われたら……。


「……弁当のこと、正直に話そう」


 私は唇をぎゅっと噛んだ。

 おかゆをよそって、水と風邪薬といっしょにお盆にのせて、先輩の部屋まで戻った。


「先輩、おかゆ食べれますか?」
「…うん」


 先輩が緩慢な動きでベッドから起き上がって、私の持つお盆を受け取った。
 さっきのビニール袋みたいに取り落としたりしないか不安だったけど、先輩はきちんと自分の膝に乗せた。


「…いただきます」


 先輩が、おかゆを一口すくうと、熱々のおかゆからふわりと湯気が立ち上る。
 そして優しく息を吹きかける。

 私の心臓が、嫌に早くなる。


……もしこれで、先輩に何か言われたら……。


 弁当を作っているのは本当は父なのだと、明かさなければならないだろう。

 そうすればきっと、なぜそんな嘘をついたのか聞かれるだろう。

 父の作った弁当を捨てる子だと幻滅されないだろうか。
 咄嗟に嘘をつくような子だと呆れられないだろうか。

 私の中で不安がうずまく。
 私の心臓がはちきれんばかりに早鐘を打って、ただじっと先輩の口元を見つめる。


「……おいしい」


 先輩が一言、そうつぶやいた。
 ほっとしかけたのも束の間、先輩が言葉を継ぐ。


「……これ、上谷さんがつくったの?」


 びくり、と私の方が震えた。


「……そう、ですけど……何かありますか?」


 声が震えないよう、私は必死に努めた。
 先輩がじっとおかゆを見つめる。


「……いや…なんか普段より……」


 先輩が次に次ぐ言葉がわかって、私は耳を塞ぎたくなった。


「……普段よりおいしく感じるから…ふしぎだなぁって……」

「え?」


 普段よりおいしい?
 このちょっと焦げて卵が固まってないおかゆが?

 あの弁当より?

 私はあっけにとられて、思わず先輩を凝視する。


「……あっ…ごめん、普段のお弁当がおいしくないとかではなくて……」


 先輩はそう言って、おかゆをもう一口。


「……風邪…のとき、おかゆ作ってもらうのとか…ちょっと憧れてたからかな……」


 かすれた声でそうつぶやいた先輩は、少し切なそうだった。
 私は思わず口を開く。


「……そんなおかゆでよかったら、何杯でも作ります……」

「…ん、ありがとう」


 先輩が小さく微笑む。
 普段より弱々しい笑みだったけど、私にはいつも以上に嬉しかった。


「それ食べたら薬飲んで寝てくださいね」

「…うん」


 そう言った私の顔は、なんだか妙に熱い気がした。
 風邪、うつっていないといいんだけど。



 先輩が薬を飲んだのを確認して、私は先輩の家をあとにした。
 外の涼しい空気が、私の火照った頬に心地よかった。


「……いうべき、だよね……」


 今日はどうにかバレなかった。
 見栄えの悪いおかゆだったけど、先輩は喜んで食べてくれたから。

 でもお弁当の嘘をこうしてずっと都合よく隠しきれるとは思えない。

 何より。


「……先輩に、これ以上嘘つきたくない…な……」


 たとえ本当のことを話して、幻滅されたとしても……。
 嘘をついた私のまま、先輩の隣に居続けるよりずっといい。


「……よし」


 決めた。
 私はぎゅっと鞄を握りしめ、歩き出した。