「どこだ?あぁん?布団の中??」

 布団をかぶっている僕は、音に驚いたが、どうにかする間もない勢いでズカズカと入ってきた男に布団をひっぺがされる。


「おいっ!てめぇ!聞こえてんだろうが!」

 僕は膝を抱えて(うずくま)るように横向きに寝ていた顔をあげた。

「…」

 真っ暗な部屋、蝶番(ちょうつがい)ごと破壊されたドアを踏み越えた男が逆光になっていて、目が眩んでよく見えなかった。


「おいっ こっちこい!」
「わっ!」

 僕の胸ぐらを勢いよく掴んで、部屋の外へ連れ出した。
 息をつまらせ、引きずられるように部屋から廊下へ、廊下から玄関、玄関から外へ…
 ズンズンと男のペースで進んでいって、自分の靴も履かずに、玄関の扉を開けて外へ出た。そして、門扉から目の前の道へ出て、突き放すように手を離した。

「おらっ!」
「痛っ」

 男は靴下を履いているものの、僕は素足で何も履いていない。
 地面に突き飛ばされて、倒れた拍子に顔をしかめた。


「おめぇ…」

 男は僕を見下ろしていたが、さっと身軽に屈んで目線を合わせる。

「ババアに似てねぇな」
「え?」

 眉間にシワを寄せた男は、切れ長の瞳で真っ直ぐに僕を見た。眉毛は些か薄くて短め。
 ツーブロックの髪を背後で丸めて束ねて、耳にはたくさんピアスが開いていた。ニキビがいくつかあるが、それを差し引いても彼の顔は華があった。モテるだろうと僕は思った。

「っていうか、全然好みなんだけど…」
「はい?」

 男は、独り言をブツブツいいながら、睨んでいないのに睨んでいるように見える強い眼差しで、僕のことを見つめた後、勢いよく振り向いた。


「あん!?うっせぇ!人がゲイビ見てるところにアンタ現れてただろ!空気読めよな!クソババア!…あぁあ?!んだと、コラ!?」

 青筋を滾らせ、声を荒げて後ろを見上げる。
 眉間に濃いシワを寄せていた。


「てめぇの言う通りにしたんだから、もう文句ねぇだろ!」
「…」

 何を言っているんだろう…
 僕は茫然と彼を見つめた。視線に気づいたのか、話が終わったのか、彼は親指で今まで見上げていた方向を指差す。腕まくりをした逞しい手首に透明な水晶の念珠をしていた。


「お前のばあちゃんが『あんたは一人じゃない』だってよ」
「…」

 僕は手首から目を離す。

「『ちゃんと見てごらん』って言ってっけど?」

 男はチラリと視線だけを上げた。

 ーーーーーち ゃん と 見て ごら ん…

 その言葉に導かれるように僕は目を閉じた。恐怖のあまり、自分の中のスイッチを切っていた。スイッチというのは、霊を見るスイッチのことで、生前ばあちゃんからアドバイスをされて身に付けた習慣だった。
 それは自分の中の匙加減でオンとオフが可能で、いつでもそれを押すことができる。意識の問題かもしれないが、そのスイッチをオンにすると霊が見えてオフにすると見えない。仕組みは、うまく言葉では説明できない感覚的なものだ。
 僕は、ばあちゃんがいないという不安から、スイッチをオフにしていた。そして、聞こえもしない見えもしない暗闇で(うずくま)っていたのだ。まるで黒い箱の中に入るように…
 僕がスイッチを入れて目を開けると彼の後ろには、ばあちゃんがいた。腹部から上部にかけて宙に浮くような姿をしてキラキラした光を(まと)っていた。

「ば…あちゃん…」

 僕が呟くとばあちゃんはその声を聞いて穏やかに頷いていた。
 なんだかすごく満足そうな表情をしていた。


「死んでまでババアに心配させてんじゃねぇ、側にいるっつってたんだろ? こんなすげぇ ババアがついてて何が怖ぇんだよ?」

 口こそ悪いが彼の言葉は力強かった。
 男の言葉に何度か頷いたばあちゃんは光に溶けるように消えてしまった。

「あ!」

 久しぶりのばあちゃんを見ることができた嬉しさ。いなくなってしまった悲しさ。今まで自分の側にいたのに気づかなかった愚かさ。けれど、約束を守ってくれるという安心感。そんな入り乱れた感情のやり場がなく茫然と空を見つめた。

「…」
「…あのさ」

 僕は男に視線を移した。


「あんたも見えんだろ?」
「…」

 おそらく彼は全てを知っている。
 死んだばあちゃんを知っているということはそういうことだ。

 だから躊躇(ためら)わずに僕は頷いた。

 僕は、自分とばあちゃん以外で見える人…世間的にいうなら『霊感のある人』に、会うのは初めてだった。生前ばあちゃんの霊媒師友達みたいな人に会ったことがなかった。たぶん、いたんだろうけど、ばあちゃんから紹介されたことはなかった。


「…外に出るのが怖ぇなら、俺がついててやるよ」
「え?」

 彼は僕から視線をそらした。そして両膝を地面について、手を腰や肘などソワソワと彷徨わせた。何かとても言いづらそうだった。


「ババアが常に側にいるってわけじゃねぇって感覚、アンタわかんだろ?だから俺が守ってやるよ…」

 彼はゴニョゴニョと口を尖らせた。
 チラチラと僕のことを見ながら多めに瞬きを繰り返していた。


「あー違ぇ。いや、違わねぇ…なんつうかな…ババアの代わりっつーか…それも違ぇな。…だから、一緒にいてやるっつーか…側にいてやるっつーか、面倒見てやるっつーか?…気持ち分かるつーか…その…なんつうかな…うまくいえねぇけど…」

 ばあちゃんは側にいる。けれど、それはずっとじゃない。
 その感覚を知っていることに、僕はとても安堵した。同時に一人じゃないというばあちゃんの言葉がストンと今、心の奥に落ちた気がした。今だったら、特別アイテムを手に入れて敵を蹴散らすような無敵状態だと思うことができる。

「ありがとう」
「…」

 制服は違うし、言葉は乱暴だし、部屋のドアは破壊されたし、引きずられて道路に突き飛ばされたし。普段から地味目な僕なんかとは交わらないような人だと思う。
 けれど、ばあちゃんが連れてきたってことは、この人は悪い人じゃない。だからきっと、ドア越しの時から、この人には恐怖を感じなかったんだと思う。


「よろしくお願いします」

 人間にも善人や悪人がいるように霊も同じだと、ばあちゃんはいつもどちらに対しても平等に接していた。『だから人は見かけじゃない』と世間的によくいう言葉だが、その真髄を体験したばあちゃんが、わざわざ取り憑いてまで連れてきたこの人に前向きな興味が湧いた。そこから、久しぶりの笑みが自然に溢れる。

「…」

 男は、僕の笑みを見た瞬間、顔を赤た。


「こちらこそ…よ、よろしく」
 
 それが『夜露死苦(よろしく)』と聞こえてしまう不思議に僕はまた頬を緩めた。