「今日まっすぐ家に帰ってくるなよ」
「え?」

 毎朝姉は、朝ごはんと弁当を作ってくれる。
 起き抜けで、ボサボサの金髪を適当にまとめて向いのテーブルに座って朝食を取っていると、味噌汁を啜りながら姉はそういった。

「いつもの公園に寄って、鐘がなったら帰ってきなさい」

 質問を重ねそうになったが、それ以上姉は何も言わなそうなので、聞くのをやめた。鐘というのは夕方に鳴る鐘のことだろう。大体16時30分か17時くらいになるやつだ。

「…わかった」

 静かに頷く。
 いつもの公園と言われて真っ先に思い浮かぶのは、ユウキと立ち寄っていた公園だろうが、どうして姉がそれについて知っているのかを尋ねるのは、もはや蛇足というものだ。
 
 姉ちゃんの言いつけ通り公園で待って1日目。何事もなく家に帰る羽目になった。姉に「どうだった?」と聞かれることもなく朝を迎えて、まるでループしている世界かのように、また同じことを言われた。
 そして2日目。また、何事もなく鐘が鳴ったので帰る。
 ユウキとの浅い思い出がある公園だったし、何日もそこで時間が過ぎるのをただ待っているのは、気分が良くなかった。暇つぶしにケータイをいじってもすぐに飽きるし、本を読むようなタイプでもない。幸いなことに、試験がボロボロだったので勉強をしてみるが、相手がいないと張り合いもない。結局、顔を伏せて寝るものの人の声が気になって寝れない。
 そうして、過ごすのが5日目になった。姉は相変わらず「まっすぐ帰ってくるな」としか言わないし、俺もそれ以上「なんで?意味なくね?」とも言わないし、黙って早めに帰るようなこともしない。姉のいうことは絶対守らなければならないし、それを疑うこともしない。例え、他人から見たら変だとか不審がられたとしても信じて続けるしかない。姉が良いという許可が出るまで。

「おいっ」

 今日もいつものように、いつもの場所に座っていると、俺の姿を見つけた別の高校生が近づいてきた。

「誰?」

 制服が違うで、他校の生徒だということはわかったが、名前まではわからない。見覚えのある顔でもないが、坊主でTシャツが赤かった。

「こないだお前に墓参り行けって言われたゲンキだよ」
「…」
 
 あー
 言ったような気もするし、違うような気もする。記憶にない。

「覚えてねぇ」
「そうかよ」

 どかっと俺の目の前の席に座った。
 そこには、本来ユウキが座って勉強をしていたのだ。別の人が座ってしまい、なんだか寂しい気分になった。

「お前さ、こないだ俺に墓参りいけって言ったろ」
「ああ、まぁ…」

 そうだっけ?
 と俺は首を傾げながらも頷いた。
 そうしなければ、話がそれ以上に進まそうだったからだ。できれば、早めに話を切り上げて去ってもらいたいと思った。

「ありがとな」
「は?」

 坊主ヤンキーは、視線を逸らしながら小さな声でお礼を言った。
 予想外の出来事に俺は眉を顰めた。

「俺、マコト先輩に誘われててさ…ああ、マコト先輩って族のやべえ人なんだけどさ。俺、族に入れって言われて嫌だったんだけどさ、しょーがねぇかなぁと思って。そうしねぇと走らせてくれなさそうだったしさ…でも、墓参り行った後マコト先輩が何人かで事故ってさ。今入院してんだよ…んでさ、集会がなくなって、誘われなくなってさ。よかったーって思ってるわけ」

 そのマコトとかいう先輩のことは知っている。
 最近、姉ちゃんのところに彼女が依頼で訪れていたからだ。

「っていうか、お前ノゾミだよな?」
「そうだけど」

 なんで知ってんだ?
 こいつに名乗ったことはない。

「だって、マコト先輩の彼女に二股かけられてるって噂だぜ?」
「はぁああ?」

 なんだそれ?
 寝耳に水の噂に俺は眉間に皺を寄せた。

「だって、マコト先輩の彼女と歩いてたって…」
「歩いてねぇよ」

 姉ちゃんのところに依頼で彼女がきていたのは確かだ。
 レディースに入っているこちらも族の女子で、姉ちゃんのところに片親に連れられてきていた。普段は、仕事中に呼び出しされないのだが、珍しく姉ちゃんから手伝ってほしいと言われて、お祓いの時間中に呼び出されて行ったことがある。

「金髪のロングでギャルと…」
「そりゃあ、うちの姉ちゃんだよ」
「はぁああ!?」

 坊主のヤンキーは驚いていた。ちなみに、レディース女子は黒髪でロングだった。どこから歪んだ噂話になったのかわからないが、確かに、姉ちゃんもそういうやばい女に見えなくはないし、実際見た目はギャルなので間違えた噂が広がっても変な話じゃない。

「え、でも逮捕されたんだよな?」
「いや」

 女の先輩の話をしているだろうから、首を横に振っておいた。
 その人なら、姉ちゃんの言いつけを守らなかったので、今病院にいるはずだ。

「なんだそれ」
「こっちが聞きたいわ」

 ゲンキは呆れていた。
 それ以上に、俺も呆れている。

「じゃあ、彼女どこいったんだよ?」
「しらねぇよ」
 
 個人情報なので、それ以上答えてやる義理はない。
 適当に、首を横に振っておく。

「ってか本当にお前二ま…」
「かけられてねぇし、付き合ってもねぇよ」

 しつこく尋ねてくるもんだから、鬱陶しそうに否定する。

「だよなー」
「何しにきたんだよ」

 俺はゲンキを邪険にする。
 ゲンキは熱量を失っていた。

「だから、礼を言いにきてやったんだよ」
「求めてねぇし」

 救ってやったという実感もなければ、助言をしてやったという恩着せがましさもない。

「お前が勝手に墓参り行っただけだろ」

 なんの証拠もない。
 ただ、なんとなく墓参りに行けと言われて、心で引っかかったからそれに従う。そう言われて、何も思い当たらない人もいれば、別にどうだっていいだろうがと怒り出す人もいる。だから、墓参りに行けと言われて飛び出して行ったゲンキにお礼を言われる筋合いはなかったりする。
 案外、そういうなんでもないアドバイスを聞いた人こそ、律儀に感謝を伝えにきてくれたりするもので、こちらが体力を使って手助けをしたという実感のある人ほど、何もなかったりする。別に見返りがほしいと思っているわけではないのだが。
 
「ってか、お前霊感あんの?」
「さっさと帰れよ」
「いいじゃねぇかよ」
 
 陽キャか。
 先ほどの熱量とはまた違う興味を抱き出す。
 めんどくさいなぁと、俺は思う。

「なぁ、見えんの?」
「だったらなんだよ」
 
 鬱陶しい。
 俺は、それを前面に出している。隠そうとしていないのに、ゲンキは目を輝かせていた。

「マジかよ!やばっ」

 俺に特殊な能力があると知った人の次の質問は大体決まっている。

「なあ、俺になんか憑いてる?」
「はぁあああー…」

 俺は眉間に皺を寄せてピアスをいじった。
 ほらみろ、大体何をいうか決まっているんだ。
 そして、これは最終的にどうなるのかまで決まっている。

「お前、黙れよ」
「なぁ、なんか憑いてる?」
 
 うるせぇな
 俺は舌打ちをした。
 相手は、希望に満ち溢れた目をこちらに向けている。
 みんな俺へ勝手に羨望を向けてくる。見えないと伝えると失望して、見えるというと物珍しさを求めてくる。それで俺が、見えている世界を相手に伝えてると、どんな関係性であれ最終的には破綻する。俺はもしかしたら、人間関係に向いていないのかもしれない。どうせ、俺の周りにいる人は、俺から離れていく。 

「しらねぇよ」
「いいじゃねぇかよ、教えろよ」
 
 よくねぇよ。
 姉ちゃんにも相手にするなと言われているで、相手にしない。
 俺は霊媒師じゃない。だから、こいつが求めている答えを伝えたら、姉ちゃんにぶん殴られる。

「まじお前うっせぇな」
 
 しつこいゲンキは、まだこだわっている。
 いっそ、彼が求めている答えを言ってしまった方が、この面倒臭いやり取りは終わるかもしれない。けれど、その場しのぎだということはわかっている。だから、頑なに言いたくない。

「ってか守護霊って誰?お前見えんだろ?」

 ああ、もう…
 本当に面倒臭い。
 短いか長いかの差で、最終的には破滅する人間関係を始めることに意味はあるのか。だったら、最初から人との繋がりなんてない方が良いに決まってる。
 俺は、姉ちゃんに言われて公園にいるが、こんな面倒臭いやつと遭遇して、嫌な思いをするためにここにいるんじゃない。言いつけを破って、家に帰っていた方がまだ、今この苦痛な時間を過ごさなくて済んだかもしれない。

「ノゾミ!」

 姉ちゃんの言いつけ通りに公園へ通っているばっかりに巻き込まれて、ゲンキのいう言葉通りのことを彼に伝えたらぶん殴られる。八方塞がりな状況に、俺の味方はいないような気がして、閉じかけていた心の扉に向かって俺を呼ぶ声に顔をあげた。