「…」
キッチンに置いてあるダイニングテーブルに座ってぼーっとしていた。
暗くなれば、厚手のカーテンを閉めて、時間を確認して夕飯の準備をするが、そんな気になれない。部屋が真っ暗になっていることすら気づかずいると玄関のドアがガチャっと開いた音がしてハッと我にかえる。
「…あぁ?」
玄関のドアが開くと、姉が帰ってきた。
ぱちっと先に電気をつけられて、玄関を開けてすぐ真横にあるキッチンの椅子に座っていた弟の俺と目があう。
「!」
あ、やばい…
姉ちゃんに見つかった。普段通りにしなければ。
動こうとすると体も気も重くて動作が鈍くなる。
とりあえず、立ちあがろうとするが、姉は靴を履いたまま俺の首根っこを掴んでズルズルと玄関の外へと連れ出す。
「おら、行くぞ」
「ど、どこに…!?」
姉は、自分の荷物を玄関へ放って、つんのめりながら靴を履かせて俺を引き摺り出す。
「そんなこともわからないのか?」
心当たりがないわけではないが…
知られたくないというか、黙っていたいというか。
普段の俺だったら、姉に対してそんなことは無意味だということが理解できるのだが、正常に頭が回っていない今、うまく考えることもできない。玄関の鍵を閉めて、引きずられるように外へと連れ出される。
「…」
アパートを出て帰宅する人々と逆走する2人は、姉を先頭にして俺が後ろを歩く。姉は何も言わずに、まっすぐなんの迷いもなく歩いていく。
街灯がついていて、仕事から帰宅する人や主婦とすれ違う。明かりのついている家からは、換気扇を通って夕飯の美味しそうな匂いが漂っている。それを嗅いでいるだけで、幸せなんだろうと羨ましくなる。
昔は、夜に出歩いて補導されることもあった。けれど、今はこうして夜2人で歩いても連れて行かれることはない。姉のせいで職質に会うことはよくあるが。
「ほら、ここ」
姉が止まったので俺も止まる。
姉が纏っている線香の匂いがふわりと香ってくる。
「自分でやりな」
その場所は、つい何時間前にユウキと別れた場所だった。
「…」
俺は頭の中のユウキとのやりとりを思い出していた。
「おい、ノゾミ?」
姉は怪訝そうに俺の顔を覗き込んでくる。
金髪ロングは頭頂にお団子にされ、ツーブロックにした部分に刺青を入れている。耳には両耳合わせて10個以上ピアスがあいている。
姉は一見するとかなり派手な見た目をしていて驚かれる。ちなみに刺青は首にも入っている。
「ああ。うん…」
「っち」
姉は舌打ちをして不思議な呪文を唱え始める。ぶつぶつ呪文を唱えながら、俺の体に触れる。
この地域では土着の信仰が根強い。霊媒師もそうだが、目に見えないものを古から大切にしているから不思議な風習も残っている。
昔から、人は大きく吃驚するとその場に、魂を落とすと言われていた。魂を落とすということは死ぬのか?と思うだろうが、そうではなくて、いわゆる生命エネルギーのようなものをまとめたものといえば伝わるだろうか。昔の人には魂に見えたのか、もしくはひっくるめてそう言ったのかはわからない。
人は決められた数のいくつかの魂があって、それを全部失うと死ぬと言い伝えられている。魂を欠損させた人は、頭がぼーっとして何も手がつかなくなったり、自分じゃないような感覚があるという。だから、できるだけ元に戻せたほうがいい。もしも自覚がなかったり、場所が分からなかったりすると霊媒師を呼んで儀式をしてもらうこともある。
これは普通の人でも吃驚したと思った時に、同じ呪文を唱えて魂を戻す作業をすることはできる。それは大人でも子供でも変わらず、自覚があるないに限らず吃驚したと思ったら、必ずこの呪文を唱えて儀式をする。どちらかといえば、子供の方が魂を落とす確率は高く、大人になると日常的に吃驚することは少なくなる。
「何年ぶりだ。お前にやってやったの」
「姉ちゃん。ありがと…」
俺は、少し正気を取り戻して姉を見た。目の前の景色が鮮明になったことで、俺は自分が魂を落としていたことを自覚した。けれど心なしか、まだ体の感覚が違うような気がする。
霊媒師が側にいると、何も言わずに現場に連れて行かれることはよくある。幼い頃、幽霊に驚いたり大人同士の喧嘩を見たり、驚くことが多かった俺は知らずに魂を落として夜姉に連れて行ってもらって自分の魂を回収していた。
「さっさと帰るよ」
「うん」
姉に促されて、トボトボと歩く。
「…」
姉はポケットから紙タバコを取り出して口に咥えた。
ジッポで火をつけてそれを吐き出す。嗅ぎ慣れた姉のタバコの匂いに少し心が落ち着くような気がした。
「あのさ」
姉は怪訝そうに俺を見た。
「このまま、神様の部屋行くから」
「…」
まじか…
俺はさらに凹んだ。
姉のいう神様の部屋というのは、姉が依頼を受けるときに使っている部屋のことで、住んでいるアパートとは別に部屋を借りている。姉は霊媒師を生業としていて、今日も仕事を終えて帰ってきたところだったが、俺のせいで戻ることになる。
なぜ、部屋に戻らないかといえば、このまま家に戻ってしまうとそのまま霊を連れて帰ることになるからだ。と言っても、もうすでに一度無意識に連れて帰ってしまっているのだが…もし、部屋に霊が残っていたら姉が敏感に察知してどうにかすると思う。
ただ、霊に使う能力というのも、肉体労働とひとしく体力を使うから、無尽蔵に仕事ができるわけではない。だから、姉は霊に対して対処のできない俺がそういうものに接触するのを過剰に叱る。
「憑いてる?」
「3体」
「うわぁ、まじかよ…」
俺はユウキとのショックから魂を落とし、さらに帰路に着くときに幽霊を3人背負ってしまっているらしい。泣きっ面に蜂だ。この場合は弱り目に祟り目と言えばよりリアルだろうか。散々だ。
3体も背負っていたら、体も気も重くなるはずだし、自分が自分じゃないような感覚がするはずだ。
「失恋したくらいで落ち込むなよ。どうせ、相手男だろ?」
姉にバッサリ言われる。
ちなみに、俺が男を好きだということを話したこともなければ、好きな相手が誰かを言ったこともない。
「ああ、あの人のお孫さんだったね…」
「…」
姉は霊媒師なので、俺が何でこんなに凹んでいるのかをもうわかっている。最初に玄関で目があった時から…いや、下手したら帰ってくる道で分かっていたりする。姉曰く、俺の守護霊が姉のところに言いに行くらしい。
人権侵害とか、プライバシーの侵害とか思うだろうが、訴えたところで、なんの証拠もないから霊媒師というやつは厄介だと思う。
「へー美人じゃん。こういうのがタイプだったんだね」
姉はタバコを咥えて紫煙を盛大に吐き出している。
まるで吐き出した紫煙の中に浮かび上がっていてそれを姉だけが見えているかのようだった。
「なんでわかんだよ」
「お前がもやもや悩んでるからだよ」
じゃあ、何も考えなければ見えないのかと思うとそうでもない。
姉に隠し事は通用しない。例えば、姉を利用して私腹を肥やそうとする人や、自分のわがままを押し付けようとする人や、宗教関係者など。そういうのは、外面よく近づいてきて調子の良い言葉を舌先にのせる。けれど、姉の前にはとっくに丸裸にされている。
それは俺に限らず、姉を頼ってくる全ての事象が含まれる。姉が相手にしているのは、人だけに限らないから。
「お前が悩むと碌なことにならない」
「…」
そんな簡単に割り切れねーよと、俺の心はやさぐれる。
「ひねくれてんじゃねぇよクソ童貞」
「うるせぇ」
捩れた心さえ悟られる。まだ反発する体力がある。
もう何をしたって、姉には敵わない。抵抗するだけ無駄なことをさっさと理解したほうがいい。
「童貞のくせに、カッコつけるから悪ぃんだよ」
「…」
何も言い返せなかった。
姉に隠し事が通用しないことはわかっているが、今一つで素になりきれない部分というのは人間だから存在する。見栄を張ったり、自分を魅力的に見せたくなったりしてしまう。自然体が良いなんて口先ではいうくせに。
「かっこいいとこ見せようとか、かっこいいこと言おうとかバッカじゃねぇの?」
「…」
弱っている俺を容赦無く追い詰める。
姉にズバズバ言われて、グサグサと槍が刺さるような感覚がするということは、まだ自分はどこかで姉に対して隠し事をしようとしていたということなのだろう。それは、ユウキに対して貼ろうとしていた小さな見栄であって、漢気なんてかっこいいもんじゃなかったのだと思い知らされる。所詮は、高校生が小さなハリボテで相手を傷つけてしまったに過ぎないのだ。
「一人相撲して、勝手に土俵から落っこちて怪我してりゃ世話ねぇな」
ぐうの音も出ない。
でも、好きな人には少なからず良いと思って欲しいと思うのは当たり前じゃないだろうかと、小さなプライドが邪魔をする。
「…はい」
本当に姉ちゃんには頭があがらない。全ての悪態をバキバキに折られる。
素直に頷くしかない。そんな小さなプライドのせいで嫌われてりゃあ世話ない。
キッチンに置いてあるダイニングテーブルに座ってぼーっとしていた。
暗くなれば、厚手のカーテンを閉めて、時間を確認して夕飯の準備をするが、そんな気になれない。部屋が真っ暗になっていることすら気づかずいると玄関のドアがガチャっと開いた音がしてハッと我にかえる。
「…あぁ?」
玄関のドアが開くと、姉が帰ってきた。
ぱちっと先に電気をつけられて、玄関を開けてすぐ真横にあるキッチンの椅子に座っていた弟の俺と目があう。
「!」
あ、やばい…
姉ちゃんに見つかった。普段通りにしなければ。
動こうとすると体も気も重くて動作が鈍くなる。
とりあえず、立ちあがろうとするが、姉は靴を履いたまま俺の首根っこを掴んでズルズルと玄関の外へと連れ出す。
「おら、行くぞ」
「ど、どこに…!?」
姉は、自分の荷物を玄関へ放って、つんのめりながら靴を履かせて俺を引き摺り出す。
「そんなこともわからないのか?」
心当たりがないわけではないが…
知られたくないというか、黙っていたいというか。
普段の俺だったら、姉に対してそんなことは無意味だということが理解できるのだが、正常に頭が回っていない今、うまく考えることもできない。玄関の鍵を閉めて、引きずられるように外へと連れ出される。
「…」
アパートを出て帰宅する人々と逆走する2人は、姉を先頭にして俺が後ろを歩く。姉は何も言わずに、まっすぐなんの迷いもなく歩いていく。
街灯がついていて、仕事から帰宅する人や主婦とすれ違う。明かりのついている家からは、換気扇を通って夕飯の美味しそうな匂いが漂っている。それを嗅いでいるだけで、幸せなんだろうと羨ましくなる。
昔は、夜に出歩いて補導されることもあった。けれど、今はこうして夜2人で歩いても連れて行かれることはない。姉のせいで職質に会うことはよくあるが。
「ほら、ここ」
姉が止まったので俺も止まる。
姉が纏っている線香の匂いがふわりと香ってくる。
「自分でやりな」
その場所は、つい何時間前にユウキと別れた場所だった。
「…」
俺は頭の中のユウキとのやりとりを思い出していた。
「おい、ノゾミ?」
姉は怪訝そうに俺の顔を覗き込んでくる。
金髪ロングは頭頂にお団子にされ、ツーブロックにした部分に刺青を入れている。耳には両耳合わせて10個以上ピアスがあいている。
姉は一見するとかなり派手な見た目をしていて驚かれる。ちなみに刺青は首にも入っている。
「ああ。うん…」
「っち」
姉は舌打ちをして不思議な呪文を唱え始める。ぶつぶつ呪文を唱えながら、俺の体に触れる。
この地域では土着の信仰が根強い。霊媒師もそうだが、目に見えないものを古から大切にしているから不思議な風習も残っている。
昔から、人は大きく吃驚するとその場に、魂を落とすと言われていた。魂を落とすということは死ぬのか?と思うだろうが、そうではなくて、いわゆる生命エネルギーのようなものをまとめたものといえば伝わるだろうか。昔の人には魂に見えたのか、もしくはひっくるめてそう言ったのかはわからない。
人は決められた数のいくつかの魂があって、それを全部失うと死ぬと言い伝えられている。魂を欠損させた人は、頭がぼーっとして何も手がつかなくなったり、自分じゃないような感覚があるという。だから、できるだけ元に戻せたほうがいい。もしも自覚がなかったり、場所が分からなかったりすると霊媒師を呼んで儀式をしてもらうこともある。
これは普通の人でも吃驚したと思った時に、同じ呪文を唱えて魂を戻す作業をすることはできる。それは大人でも子供でも変わらず、自覚があるないに限らず吃驚したと思ったら、必ずこの呪文を唱えて儀式をする。どちらかといえば、子供の方が魂を落とす確率は高く、大人になると日常的に吃驚することは少なくなる。
「何年ぶりだ。お前にやってやったの」
「姉ちゃん。ありがと…」
俺は、少し正気を取り戻して姉を見た。目の前の景色が鮮明になったことで、俺は自分が魂を落としていたことを自覚した。けれど心なしか、まだ体の感覚が違うような気がする。
霊媒師が側にいると、何も言わずに現場に連れて行かれることはよくある。幼い頃、幽霊に驚いたり大人同士の喧嘩を見たり、驚くことが多かった俺は知らずに魂を落として夜姉に連れて行ってもらって自分の魂を回収していた。
「さっさと帰るよ」
「うん」
姉に促されて、トボトボと歩く。
「…」
姉はポケットから紙タバコを取り出して口に咥えた。
ジッポで火をつけてそれを吐き出す。嗅ぎ慣れた姉のタバコの匂いに少し心が落ち着くような気がした。
「あのさ」
姉は怪訝そうに俺を見た。
「このまま、神様の部屋行くから」
「…」
まじか…
俺はさらに凹んだ。
姉のいう神様の部屋というのは、姉が依頼を受けるときに使っている部屋のことで、住んでいるアパートとは別に部屋を借りている。姉は霊媒師を生業としていて、今日も仕事を終えて帰ってきたところだったが、俺のせいで戻ることになる。
なぜ、部屋に戻らないかといえば、このまま家に戻ってしまうとそのまま霊を連れて帰ることになるからだ。と言っても、もうすでに一度無意識に連れて帰ってしまっているのだが…もし、部屋に霊が残っていたら姉が敏感に察知してどうにかすると思う。
ただ、霊に使う能力というのも、肉体労働とひとしく体力を使うから、無尽蔵に仕事ができるわけではない。だから、姉は霊に対して対処のできない俺がそういうものに接触するのを過剰に叱る。
「憑いてる?」
「3体」
「うわぁ、まじかよ…」
俺はユウキとのショックから魂を落とし、さらに帰路に着くときに幽霊を3人背負ってしまっているらしい。泣きっ面に蜂だ。この場合は弱り目に祟り目と言えばよりリアルだろうか。散々だ。
3体も背負っていたら、体も気も重くなるはずだし、自分が自分じゃないような感覚がするはずだ。
「失恋したくらいで落ち込むなよ。どうせ、相手男だろ?」
姉にバッサリ言われる。
ちなみに、俺が男を好きだということを話したこともなければ、好きな相手が誰かを言ったこともない。
「ああ、あの人のお孫さんだったね…」
「…」
姉は霊媒師なので、俺が何でこんなに凹んでいるのかをもうわかっている。最初に玄関で目があった時から…いや、下手したら帰ってくる道で分かっていたりする。姉曰く、俺の守護霊が姉のところに言いに行くらしい。
人権侵害とか、プライバシーの侵害とか思うだろうが、訴えたところで、なんの証拠もないから霊媒師というやつは厄介だと思う。
「へー美人じゃん。こういうのがタイプだったんだね」
姉はタバコを咥えて紫煙を盛大に吐き出している。
まるで吐き出した紫煙の中に浮かび上がっていてそれを姉だけが見えているかのようだった。
「なんでわかんだよ」
「お前がもやもや悩んでるからだよ」
じゃあ、何も考えなければ見えないのかと思うとそうでもない。
姉に隠し事は通用しない。例えば、姉を利用して私腹を肥やそうとする人や、自分のわがままを押し付けようとする人や、宗教関係者など。そういうのは、外面よく近づいてきて調子の良い言葉を舌先にのせる。けれど、姉の前にはとっくに丸裸にされている。
それは俺に限らず、姉を頼ってくる全ての事象が含まれる。姉が相手にしているのは、人だけに限らないから。
「お前が悩むと碌なことにならない」
「…」
そんな簡単に割り切れねーよと、俺の心はやさぐれる。
「ひねくれてんじゃねぇよクソ童貞」
「うるせぇ」
捩れた心さえ悟られる。まだ反発する体力がある。
もう何をしたって、姉には敵わない。抵抗するだけ無駄なことをさっさと理解したほうがいい。
「童貞のくせに、カッコつけるから悪ぃんだよ」
「…」
何も言い返せなかった。
姉に隠し事が通用しないことはわかっているが、今一つで素になりきれない部分というのは人間だから存在する。見栄を張ったり、自分を魅力的に見せたくなったりしてしまう。自然体が良いなんて口先ではいうくせに。
「かっこいいとこ見せようとか、かっこいいこと言おうとかバッカじゃねぇの?」
「…」
弱っている俺を容赦無く追い詰める。
姉にズバズバ言われて、グサグサと槍が刺さるような感覚がするということは、まだ自分はどこかで姉に対して隠し事をしようとしていたということなのだろう。それは、ユウキに対して貼ろうとしていた小さな見栄であって、漢気なんてかっこいいもんじゃなかったのだと思い知らされる。所詮は、高校生が小さなハリボテで相手を傷つけてしまったに過ぎないのだ。
「一人相撲して、勝手に土俵から落っこちて怪我してりゃ世話ねぇな」
ぐうの音も出ない。
でも、好きな人には少なからず良いと思って欲しいと思うのは当たり前じゃないだろうかと、小さなプライドが邪魔をする。
「…はい」
本当に姉ちゃんには頭があがらない。全ての悪態をバキバキに折られる。
素直に頷くしかない。そんな小さなプライドのせいで嫌われてりゃあ世話ない。
