魔法の勉強を始めてから約一カ月が経って、わたしはすっかり熱中していた。
 最初はそれこそ、パーティーで披露したような残念な泥の塊しか出せなかった。
 それが今では、石の塊をビー玉みたいにまんまるつやつやにしたり、表面をカットして宝石のようにしてみたりと、幅が広がってきている。
 その応用で、魔法式の書き換えも加減がわかってきた気がする。
 魔法の体力というか、魔法を使い続けられる時間も長くなってきた。
 順調すぎて怖いくらいだね。こういう時こそ気を付けるんだよ。
 せっかく、わたしの直感がそう教えてくれていたのに、わたしはすっかり油断していた。
「クリス? 少しいいかしら?」
「え! わ! ちょっと待って!」
 家族みんなで朝ごはんを食べた後、わたしはいつものように部屋にこもる構えを見せた。
 今日は夕方まで時間がありそうだし、ここ数日の成果をチェックして比較してみようかな。
 そう思って、買ってもらった自分用のノートやらこれまで作った石やらを広げたところで、お母様に部屋のドアをノックされたのだ。
 どたばたと片付けをして、ノートも石も引き出しにざっと詰め込んで、しっかり笑顔を作ってドアを開ける。
 そこには、お父様、お母様、エル兄様とソニアが立っていた。なんとなく空気が重い。楽しいお茶会や、お散歩の誘いではなさそうだ。
「どうしたの?」
 念のためとぼけてみる。
 お母様が、笑顔を崩さず首を傾げた。
「よかった、調子が悪いわけではないみたいね?」
「うん、大丈夫だよ」
「最近、よくお部屋にいるでしょう? 何をしているのかしらねって、みんなでお話していたところなの」
「ええと……お絵描き、とか?」
「ごめん、クリス」
 何がどこまでばれているのか様子見しようかな、などと考えていたわたしに、エル兄様が頭を下げる。これは、全部ばれているわね。
「……エルドレッドが言った通りか。魔法の勉強をしているんだね」
 わたしの表情がひきつったのを見て、お父様が小さくため息をつく。
 ダメと言われたものを、ないしょでずっと勉強していたとなれば、ため息のひとつもつきたくなるのは仕方ない。
「ごめんなさい。でもエル兄様は悪くないの。わたしが、無理を言ったんだから。ソニアにも、ないしょにしているようにお願いしたのはわたしなの!」
 思わず身を乗り出した。
 エル兄様や、今はお稽古の時間でここにはいないシェリル姉様、ソニアが叱られるのは、違う。悪いのは完全にわたしなのだから。
「いいや、僕がきちんと止めていればよかったんだ。まさかこんなに、部屋にこもりきりになるとは思わなくて。秘密の約束だったけど、つい心配で……ごめんよ」
 わたしをかばうようにして、エル兄様がお父様とお母様の前に出る。
「いいえ、悪いのは私です! クリスお嬢様と約束したとはいえ、もっと早くに相談するべきでした。このソニア、処分は如何様にも……!」
 エル兄様とわたしをかばうようにして、ソニアも負けじと前に出た。
 わたし、エル兄様、ソニアが順番に、わたしが僕がとぐいぐい前に回り込むものだから、お父様とお母様がたじたじになって後ずさっている。
 見ようによっては、新手の不思議なダンスにも見えるね、などと愉快な妄想をしている場合ではない。全員、必死だ。
「三人ともストップだ。クリス、どうしてルールを決めているか、理由は聞いただろう?」
「……悪い子にならないため」
 お父様の問いかけに、おそるおそる答える。
「そうだね。それじゃあ今、クリスはいい子かな?」
「悪い子。ごめんなさい」
 しっかりと頭を下げて、謝った。
 それから、正直な気持ちをぶつけてみる。
「みんなのために、何かしたかったの」
「みんなのためって?」
「クレイマスターのみんなが、悪く言われるのは嫌だったの」
「おお、クリス……なんと優しい子なんだ!」
「あなた、ステイ」
「……ハイ」
 両手を広げて、ハグのモーションに入りかけたお父様を、お母様が一言で凍らせる。
 まだお説教中なのだし、今はお母様が正しい。
 実の娘の立場から言うのもなんだけど、お父様がチョロすぎて心配になってくる。
「クリスはどうして、魔法のお勉強がみんなの役に立つと思ったの?」
「わたしが魔法を使えたら、クレイマスターが認めてもらえると思って」
「……そう。魔法のお勉強は楽しい?」
「うん、すごく」
 役に立ちたい気持ちはもちろん本当だ。
 そしてそれと同じくらい、魔法の勉強は楽しい。
 没頭しすぎて、家族に心配されるくらいには。
「よかったら、どんなお勉強をしているか見せてくれる?」
 わたしは頷いて、引き出しを開けて中を探った。
 引き出しの奥には、自分なりにカットしたキラキラ小石やビー玉風の石も入っている。ただしこれは、お父様やエル兄様の紋章に比べたらまだまだだ。
 こっちはもう少し、自分なりに納得できる形になってからお披露目したい。
 今日のところは、自分なりに改良した魔法式を見てもらおう。
「シェリル姉様から借りたノートを見て、自分で書いたの」
 自動的に発動する土を固める処理と、必要なさそうな繰り返し処理を消した式を見せる。
 シェリル姉様のノートに書いてあったものより、少しだけ楽に魔法を発動できるようになっているはずだ。
 これならきっと、本気で取り組んでいるって、わかってもらえるはずだよね。
「なかなか……アーティスティックな魔法式だね」
「本当ね。クリスは芸術の才能もありそうだわ」
 感心したようにノートをのぞき込むお父様とお母様の脇から、エル兄様が申し訳なさそうに口を開く。
「確かに芸術的だと思うけど、これは難しそうだね……」
 エル兄様の一言に、お父様とお母様も顔を見合わせて、少し困った顔をした。
 あれ、なんだろうこの反応。
 本人が気付いていないミスを誰が指摘すべきか、視線のキラーパスを出しあっている微妙な空気だ。どうぞどうぞ、押すな押すな、である。
「クリスが本気で魔法の勉強を頑張っているのは、よくわかったよ。でも、この魔法式だと、残念ながら魔法は発動しないんじゃないかな」
 目くばせ合戦の結果、お父様が口を開く。
「そう……なの?」
 おかしいな、ちゃんと自分で試してうまくいった式なのに。
「ちょっと見ていてごらん」
 お父様は杖を取り出して、魔法式をなぞってくれた。
 しかしそれは、何の効果も発揮せず、ぱあんと弾けて終わってしまった。
「シェリルが描いたものと比べてごらん。ところどころは合っているけど、だいぶ違うだろう?」
 ううん、そんなに違うかな?
 お父様が指さす先を見てみると、まさしくわたしが魔法式を改良した部分だった。
 だんだんわからなくなってくる。わたしが魔法を使う時だけ、無意識に、書いていない処理を入れてしまっているのだろうか。
「今回は残念だったけど、たった一月で魔法式を見様見真似で描いてみているんだもの。頑張っているわよね」
「ああ、頑張っているとも!」
「まずはシェリルのノートに書いてある式をそのままなぞって、しっかり形を覚えるのがいいかもしれないね」
 眉間にしわを寄せて魔法式を見つめるわたしに、三人がそれぞれ慰めたりアドバイスをしてくれたりする。
 気遣いなのはわかるけど、ちょっと悲しくなってきた。待って、違うの。これでうまくいくはずなのに。
「クリスが真剣に取り組んでいることは、よくわかった。勉強したい理由もクリスらしい優しさのあるものだったし、これならきっと悪い子にはならないな」
「あなたったら……しょうがないわね」
「え! それじゃあ?」
「これからは、ないしょでお勉強しなくても大丈夫よ」
「本当!? ありがとう!」
「クリス、よかったね。シェリルのを写し終わったら、僕のノートも貸してあげる」
 魔法がうまく発動しなかった理由は気になるけど、これは嬉しい。
「た、だ、し!」
「う……はい」
 涙目から一転、両手をあげて大喜びしたわたしに、お母様が笑顔のままで人差し指をピンと立てる。
 お母様がこの笑顔をしている時は、表情以上にお怒りの時だ。イエスマム、ちゃんと聞きます。
「お食事以外は丸一日お部屋にこもっているとか、そういうのはやめましょう。時間を決めて、メリハリをつけてお勉強しましょうね」
「はい!」
 正論過ぎて、答えはハイかイエスしかない。
 二十八歳の限界SEなら、休みの日の使い方は自由だけど、四歳の子供にとって丸一日カンヅメなんて、よろしくないに決まっている。
 その場で時間の目安を取り決めて、わたしは無事に解放された。
 謎がひとつ増えたとはいえ、これは大きな進歩だ。
 もう誰かに後ろ暗い思いをさせる必要はなくなったし、堂々と勉強ができる。
「そうと決まれば、さっそく!」
「クリスお嬢様……今日のお勉強時間はもうおしまいですよ」
「嘘でしょ!? お願い、もうちょっとだけ!」
「ダメです、お父様お母様との約束ですよ」
「うう……はーい」
 初日から、約束を破るわけにはいかないか。
 勉強がしたくて駄々をこねるという、前世では考えられないムーブをキメたわたしは、ソニアに連れられてすごすごと部屋を後にした。