神樹に到着したわたしたちは、思わず息を飲んだ。
木々は焼け焦げ、地面には真っ黒な染みがいくつも、ぶすぶすと煙をあげている。
肝心の神樹はまだ無事だけど、神樹を背にしたエアさんとソルトは苦しそうだ。
エアさんとソルトを囲んでいるのは、黒いローブをまとった数人の魔法使いと、赤いローブ、緑のローブを着た魔法使いがひとりずつだ。
「クリスお嬢様、どうされますか? おふたりが囲まれていては、迂闊に手出しできません」
「ローブの人たち、まだこっちに気付いてなさそうだから、全員後ろからやっつける!」
「ええ!? クリスお嬢様!? ちょっと待ってえっ!?」
ソニアの慌てた声に、ローブの数人が振り向く。
しかし、遅い。わたしはすでに、加速して跳躍している。
「止まれ、神樹と精霊がどうなってもがあっ!?」
「どうなってもいいわけないでしょ! だから止まらない!」
ロッドの先から石の弾丸を発射して一気に数人を蹴散らし、すぐに地面を蹴る。
「こいつ知ってるぞ、クレイマスターのばはっ!?」
「は、速すぎふぅっ!?」
残るは三人だ。小さく息を吐いて、ロッドの先から魔法式を躍らせる。
「サディアス様、お逃げくだざびっ!」
これで、残っているのはレイジングフレアとハリケーンの公爵ふたりだけだ。
パキ、と小さな音を立てて、腕輪にはめた速度アップの結晶が砕け散る。やっぱり、腕輪の結晶は消費が激しい。
すかさず、腰のきんちゃくから新しい結晶を取り出して、腕輪にはめ込んだ。
「黒き炎よ!」
赤いローブを着たサディアス・レイジングフレアが、真っ黒な炎の球を投げてくる。
ちらりと後ろに視線を向ける。避けたら、まだ燃えていない木に当たってしまう。
「クリスタルバレット!」
嫌な予感がして、魔力をだいぶ多めに込めたのに、炎の球を相殺するのが精一杯だった。
本当は、炎を貫いてサディアスに結晶の弾を当てようと思ったのに。
「クリスさん、気をつけてくださいっす。その炎、精霊由来の魔法との相性が最悪っす!」
エアさんの言葉に、こくりと頷く。
「これこそは古い魔法に変わる新しい魔法。世界を手中に収める、我らレイジングフレアのみに許された力だ!」
うわ、世界を手中に収めるって言っちゃった。それこそ、国家反逆の疑いありなのでは?
「援護しろ、ハリケーン! 逆賊と、逆賊に操られた精霊をやむなく退治しようではないか」
「精霊まで倒しちゃって、本当に大丈夫なんでしょうね?」
「なに、神樹さえ残っていれば精霊はまた沸いてくる」
ふたりのやり取りに、ふつふつと怒りがこみあげてきた。精霊をなんだと思っているの。
こんな人たちに、エアさんやソルトを傷つけさせてたまるものですか。
「クリスタルランス!」
「黒き炎よ! 壁となれ!」
炎の壁に当たった鉱石の槍が、一瞬にして溶けて消える。
「そのまま走りなさい、黒き炎よ!」
ドリスが、黒い炎の後ろから風魔法をぶつける。
ドリスが使った魔法は、精霊由来の魔法のはずだ。火と風の相性がいいのか、黒い炎にぶつかっても消えるようなことはなく、黒い炎をサポートするような形にしているみたいだ。
走るというほど速くはないけど、風に煽られて勢いを増した黒い炎の壁が迫ってくる。
今のわたしの速さなら、避けるのは簡単だ。簡単だけど、後ろにはソニアがいるし、黒いローブの人たちも倒れている。
わたしとソニアがうまく避けたら、どうするつもりなのだろう。
味方ごとなんて、本当に信じられない。
「ストーンウォールを結晶化……ストーンバレットを結晶化……!」
片手ずつ別の魔法を結晶化させて握りしめ、両手をあわせた。
「ストーン・ウォール・バレット!」
とってもそのままな、わたしの残念なネーミングセンスはともかく、魔法自体はイメージどおりに発動してくれた。
バギャギャゴ、と耳障りの悪い音を立てて、黒い炎の向こう側、火と風のふたりの左右に打ち立てられた石壁から、大量の石つぶてが発射される。
「きゃああ!」
「くっ……うおおおお!」
どうやら命中したようで、迫ってきていた炎の壁がふいと消える。
今ので、ドリス・ハリケーンは気絶したみたいだ。
サディアスも膝をついて、脇腹を押さえている。
「二種類の魔法を重ね合わせた上に、離れたところで自由に発動できるというのか!? そんなばかなことがあるものか!」
「そういえば出せたね! やったあ!」
「おのれえ……やってから気付いただと!?」
エアさんも、信じられないといった表情でぽかんとしているから、これはこれで結構すごいことだったのかも?
ソニアは例によって、大粒の涙をぼろぼろこぼして「ご立派になられて」なんて言ってくれている。
「ばけものめ……貴様だけはなんとしてもここで!」
サディアスが地面を蹴って、こちらに駆けてくる。
全身を覆うように黒い炎をまとい、瞳もめらめらと燃えているようだ。
ただし、息は荒く、あまり健康的ではない汗をかいている。
やっぱりあの黒い魔法、身体によくないのだと思う。
精霊魔法と別のところから生まれた、術者の身体を蝕む魔法……そんなものに頼って、味方もお構いなしに暴れてまで、この人が何をしたいのか、わたしにはわからない。。
次の魔法を頭の中で組み立てながら、サディアスが振った腕をひらりとかわす。
ものすごい熱気が頬をかすめて、思わず顔をしかめた。
「クリスタルバレット!」
肩口を狙った鉱石の弾は、さっき炎の壁にぶつかった時と同じように、一瞬にして溶けて消えてしまった。
「効かない!? それなら……!」
正解なんてわからない。それでもわたしは、ひらめいたアイデアを即座に実行に移す。
いくつかの魔法を頭の中で紡いで、右手に集中させていく。
「クリスタル……バレット!」
「ははは、また同じ魔法か! 芸がない……があっ!?」
今度は、わたしが放った弾丸は黒い炎には溶けず、サディアスを弾き飛ばした。
「この炎は、精霊魔法などには負けぬはず……いったいどうやって!?」
右肩を押さえて絶叫するサディアスから、いったん距離をとる。
肩口以外の炎が消えたわけではないし、制御が乱れているのか、無差別に火の粉が飛んできて、危ない状態だ。
「はあ……はあ……もういい」
「あきらめてくれるの?」
「神樹など、もういらん!」
「どういう意味!?」
「はは、そうだ……最初からこうすればよかったのだ。この俺の、この魔法以外の魔法がすべて消えれば、解決するではないか!」
「ちょっと待って、何を言っているの!?」
「くはは、わからんか?」
サディアスが両手を真上に掲げた。
全身を覆っていたすべての炎が、両手に集中し、巨大な火球へと姿を変える。
真っ黒な、禍々しい炎の球を満足そうにうっとりと眺めて、サディアスが両手をゆっくりと前に出した。
サディアスが狙いを定めた先には、神樹があった。
「こういう……ことだ! 消えてなくなれ!」
待ってとか止めてとか、なんてことをとか、みんなの叫びをすべてかき消して、撃ち出された黒い炎の塊が、ゆっくりと神樹に向かっていく。
エアさんとソルトが、力の限りを振り絞って精霊魔法をぶつけても、びくともしない。
「この命に代えても、神樹は守ってみせるっす!」
「みい!」
魔法を撃ち続けながら、エアさんとソルトが、炎の塊と神樹の間に立ちはだかる。
「クリスタルウォール!」
わたしが打ち立てた最大硬度の鉱石の壁も、バターのように溶けて消えてしまった。
「ははは、無駄なことを! さっきの炎の壁とはわけが違う! 例えこの場でこの俺の意識を奪ったとしても、そいつは止まらんぞ! ははははは!」
「無駄かどうかなんてわからないでしょ! ウォール! シールド! ランス! バレット! ウォール・バレット! エアさん、ソルト、お願いだから避けて!」
エアさんとソルトの魔法に比べて、わたしの魔法は真っ黒な炎の塊を揺らしてはいる。しかし、悔しいけど全然足りない。
鉱石の壁をどれだけ溶かしても、石の槍やつぶてをどれだけぶつけても、複合魔法をぶつけてみても、炎の塊をかき消すにはほど遠い。
「クリスさんこそ、早く逃げた方がいいっすよ。あれはきっと、対象に当たれば爆ぜる邪悪な炎……この場にいれば、無事じゃ済まないっす」
エアさんたちは本当に、命を懸けて止めようとしている。そんなのダメ、嫌だよ。
サディアスは、炎の塊を見つめたまま高笑いしている。
とても正気とは思えないし、本人が言っていた通り、サディアス自身にも、あの炎を止め力はないのだろう。
すう、はあ、と大きく深呼吸した。
「やだ、逃げない」
「クリスさん!? やた、じゃないっすよ! 駄々っ子っすか!」
「わたし、エアさんもソルトも大好きだから。それに、こんなところで爆発させたら、ソニアも、クレイマスターもどうなるかわからないでしょ?」
エアさんやソルトの魔法と違って、わたしの魔法は、わずかながら黒い炎に効いている。
それなら、できるはずだ。
黒い炎の塊の目の前に立って、両手を広げた。
熱風にあてられて、目を閉じそうになるのを、歯をくいしばって必死にこらえた。
「みい!」
ソルトが、黒い炎に向けていた魔法を止めて、わたしにバフ魔法をかけてくれた。
魔法防御力アップのバフで、少しだけ熱さがやわらぐ。
「ソルト、ありがと」
にっこり笑ってお礼を言うと、わたしは炎の塊に突進して、両手で受け止めた。
「クリスお嬢様! いやああああ!」
後ろでソニアの悲痛な叫びが聞こえる。ごめんね、心配かけて。
「自分から突っ込むとはな! 燃え尽きるがいい! ははははは……はあ!?」
サディアスが、高笑いの途中で目を見開いた。
わたしが広げた両手に、黒い炎が吸い込まれていく。
「まさか、黒い炎を結晶化させているんすか!? なんて無茶を!」
エアさんが叫ぶ。
「だい……じょうぶ……!」
すごく熱いし、両手に集まった黒い炎は、今にも弾けそうに暴れている。
でも、大切な人をこれ以上、誰も傷つけさせないために、やってみせる。制御してみせる。
「大人しく……しなさああああああああい!」
わたしの両手と、黒い炎が、まばゆい光に包まれた。
わん、とすべての音が小さくなり、意識が遠くなる。



