クリスたちが神樹の森に向かってほどなくして、クレイマスター邸はハリケーンから派遣されたと思われる軍勢に取り囲まれた。
 彼らは、南門から屋敷までのメインストリートを一直線にやってきた。
 城塞都市内を蹂躙されなかったのは、不幸中の幸いだった。
 もしそんな素振りがあれば、飛び出していくつもりだったが、考えてみれば彼らの動きは理に適っている。国家反逆を企てた疑いありとして、クレイマスター公爵家を陥れようとしているのに、そのための正義の軍勢が、町を蹂躙したのでは話にならない。
 冷静に考えればわかる話なのに、どこかホッとしている自分がいる。
 それほどまでに、僕の中でレイジングフレアとハリケーンに対する信用度が下がっている。
 王都で父さん母さんを捕らえるほどの用意周到さを見せた割には、軍勢は百に届くかどうかの人数だった。。
 ごく少数の騎士はいるにしても、軍隊らしい軍隊を持っていないクレイマスターなら、この程度で十分と踏んだのか。それとも、火と風の領内でもごく限られた者しか、この企てを知らないのか。どちらにしても、数が少ないのは好都合だ。
 これなら、なんとかなるかもしれない。水の精霊スノーの喉を、ゆっくりと撫でる。
「シェリル、大丈夫かい?」
 隣で、緊張した面持ちで軍勢を見つめるシェリルに声をかけた。
 こちらには火と水の精霊がついているし、クリス特製のエンチャント装備もある。
 僕たちの魔法だって、少し前とは比べ物にならないほど上達している。
 勝ち目がないわけではないと思ってはいても、ふたり対百人で、相手が完全武装しているとなれば、怖くないわけがない。
 いくらか剣や戦い方の訓練を受けている僕ですらそうなのだから、シェリルにとってはなおさらだろう。
「怖かったら、そこにいても大丈夫だよ。僕がなんとかしてみるから」
「ううん、大丈夫。ヒーちゃんもついてるし、お兄様やクリスにばかり負担をかけたくない」
 シェリルはすでに、火の精霊ヒートの背に乗っている。
 ヒートは元々、クリスの肩に乗れるくらいの大きさだったが、この三カ月ほどで随分大きくなった。
 ソルトやスノーよりは小さいものの、シェリルが背に乗るには問題なさそうだった。
「クレイマスター公爵家に国家反逆の罪がかかっている。我々は陛下より勅命を受け、調査に来た。大人しく投降すれば危害は加えない!」
 屋敷を囲んだ軍勢の代表らしき男が、大きな声を出す。
 一足先に、執事やメイドのみんなには、ここを出てもらっている。中にいるのは僕たちと、ダークナイトさんだけだ。
 少しの間を置いて軍が動き始め、軽い衝撃があった。
 南門と同じように、玄関の扉を叩き壊すつもりらしい。
 町の人間には手を出すな、ただしクレイマスターのやつらや屋敷になら、何をしてもかまわない。そう言われているのかもしれない。まったく、心外だ。
「よし、僕が先に出る。シェリル、自分の安全を最優先にね」
 玄関の扉が壊れた瞬間、僕の意志を汲んでくれたかのようにスノーが飛び出す。
 この三カ月、スノーの背にはたくさん乗せてもらった。
 クリスがやってくれていたスノーのご飯やブラッシングも、かわってもらった。
 スノーを知りたかったし、僕のことも知ってほしかったからだ。
 おかげで僕たちは、いいパートナーになれたと思う。
「なんだ、魔獣か!?」
「人が乗っている……あれはクレイマスターの!? 王都にいるのではないのか!?」
「公爵家同士でこのような無礼なふるまい、国家反逆の罪とは貴公らの方ではないのか!」
 玄関から押し入ろうとしていた数人をスノーの突進で弾き飛ばす。
 外に出ると同時に、長剣を掲げて叫んだ。
 僕が、クレイマスターの人間がここにいる事実が、けん制になればいいが、どうだ。
「魔獣を飼いならしているとは、言語道断。反逆者を捕らえろ!」
「僕を背に乗せてくれているのは、水の精霊だ! 精霊に弓を引くつもりか!」
「戯言だ、放て! クレイマスターのガキはできれば生け捕りにしろよ!」
 精霊の名を出してもダメか、とても聞く耳を持ちそうにないな。仕方ない。
「スノー、頼む!」
 なご、と俊敏な動きにそぐわない気の抜けた声を出して、スノーが跳躍する。
 いくつかの矢が間近をかすめていくが、身をひねりながら空中を跳ね回るスノーの動きをみるに、そうそう当たりはしないだろう。
 長剣を杖がわりにして、魔法式を描いていく。
「アース……バインド!」
「うわ、土が全身に巻き付いて……!?」
「動けない!」
 アースバインドは本来、相手の足元を絡めとるだけの初級魔法だ。
 少し力を入れれば解ける程度の拘束だし、全身の動きを封じるような威力はない。
 しかし、この長剣と組み合わせればこの通りだ。
 ただのアースバインドが、鎧を着込んだ屈強な兵士たちをまとめて拘束する、一対多に特化した広範囲魔法に化ける。
 魔法効果増幅、魔法範囲拡大、魔法発動速度上昇、魔力消費量軽減、そして魔法操作補助のエンチャントが組み込まれているからこその芸当だ。
「丁寧に正確に、魔法を操れるエル兄様なら、きっと使いこなせるよ! 今でもね、初めてのパーティーで見たエル兄様の紋章魔法が、一番綺麗だと思っているもの」
 クリスにあんなきらきらした笑顔で言われたら、使いこなしてみせないわけにはいかないじゃないか。だいぶ苦労はしたけど、かなりの使い勝手に仕上がってきたと思う。
「ヒーちゃん、あっち!」
 声のする方を振り向けば、煙幕ならぬ炎幕をまき散らして兵士たちを翻弄しながら、シェリルを乗せたヒートが、駆けていくのが見えた。
 ヒートは火の精霊ではあるが、相手を焼くような魔法はまだ使えない。熱気を目くらましの代わりにして、翻弄しているのだ。
「てえい! たあっ!」
 と思ったが、目くらましをして逃げ回っているわけではなかった。
 すり抜けざまにシェリルが、身の丈ほどもある巨大な石のハンマーで、兵士たちをごんごんと叩いていく。
 シェリルが手にしているのは、元々はエンチャントがなされた杖だったはずだ。
 その効果は僕のものより単純明快で、筋力アップを三つ、身体強化をひとつと、魔法効果持続力アップを足してある。
 シェリルは、杖に付与するバフを相談している時に、思いもよらないことを言い始めた。
「弱いと思われるのは嫌だから、爽快に相手を吹き飛ばすような魔法が使ってみたいのよね」
 土属性魔法で、相手を吹き飛ばすような魔法とは?
 あの時は首を傾げたものだったが、その答えがどうやらこれだ。
 自身の筋力と身体能力を強化し、巨大なハンマーを操り、文字通り相手を吹き飛ばす。
 いや、本当にすごいな。武器を扱うような訓練は、受けていないはずなのに。思わぬところで、新しい才能が開花しているじゃないか。
 僕がシェリルの様子をぽかんと眺め、もとい見守っている間にも、風の兵士たちが次々と宙を舞い、べしゃりと地面に落ちて動かなくなる。
 大丈夫だよな、息はしているよな?
 ハンマーを振り回す妹をサポートしながら、兵士たちの息があるかどうかを確かめる。
 まったく想定と違う、とんでもない形になってきた。
 よかった、死人はひとりも出ていない。もし人死にが出ようものなら、せっかくここまで否定してきた国家反逆の疑いが、真実味を帯びてきてしまう。
「シェリル、ほどほどに加減するんだ! 誰も死なないようにして!」
「任せて、お兄様!」
 あれ、ハンマーが大きくなったんですけど?
 シェリルってば、何を任されたつもりなんだい?
 きらめく笑顔はそのままに、シェリルがハンマーを振りかぶる。
「まずい……アースシールド!」
 シェリルが振りかぶるハンマーと、不幸にもその真正面に立ってしまった兵士の間に、慌てて土の盾を潜りこませる。
 急ごしらえの僕の盾ごと、シェリルのハンマーが不幸な兵士を吹き飛ばす。
 吹き飛んだ兵士が、落下した地面の上で悲鳴をあげる。よかった、生きている。
「み、見ただろう! わが妹は貴公らの不当かつ無礼なふるまいに、心の底から怒っている! 死にたくなければ大人しくするんだ!」
「ひ、ひるむな! ひるみっ……ぎゃあああ!?」
 最初に口上を述べていた代表らしき男が、魔法式を描こうとした途中で、シェリルハンマーの餌食になって飛んでいく。
 危ないところだった。魔法が使える血筋の者も混じっていたのか。
「助けてくれえ!」
「逃がさないんだから! 裁きの鉄槌を受けなさいっ!」
「待つんだ、シェリル! 上から振りかぶるのは本当にまずい! 手加減! 手加減して!」
 僕とシェリルと兵士たちの壮絶な追いかけっこが終わる頃、立っている兵士はひとりもいなくなっていた。
 シェリルが吹き飛ばした分も含めて、僕は風の兵士たち全員を順番にまわって、息があるのを確かめた。それから全員を僕の土魔法で拘束して、ようやく警戒を解いた。
 後は、興奮冷めやらぬシェリルを落ち着かせれば、こちらは完了だ。
「念のため聞くが、本当に国家反逆の意志はないんだろうな?」
「ハハハ、もちろんですよ。ご冗談を」
 ダークナイトさんの視線がとても本気で、大変心苦しい。
 これからのふるまい次第で、闇の公爵家を敵に回してしまうかもしれない。
そんな一抹の不安を抱えながら、僕は大きくため息をついた。