「おお、ヒート様じゃないすか。近くに気配があるとは思ってたんすよね」
エアさんが納得顔でその子に近づき、そっと抱き上げる。
遠目に見るより長毛なのか、エアさんの腕がもふもふの毛玉に沈む。
「どうも初めまして、ヒート様……ってなるわけないやろがい! どうして街中の工房に火の精霊がいるんですか! なんだかんだで、四属性揃っちゃってますし!?」
ソニアが壊れた。確かに、気持ちはわかる。
エアさんは、神樹の森の地下で種を守っていた。
ソルトも神樹の守り手として、力尽きかけてはいたけどこの地に戻ってきた。
そしてスノーも、神樹を復活させるべくクレイマスターにやってきて、川の魔力濃度を高めていた。
それぞれ理由があったけど、今回は違う。
「ヒート様は火の領地で目を覚ましたものの、外法の餌食にされそうになり、逃げてこられたそうっすよ」
「火の……それに外法とは?」
不穏な単語に、エル兄様が反応する。
「詳しくはわかんないっすね。私たちや皆様が使っている魔法……精霊魔法の理を曲げるものであるとか」
「レイジングフレアが、そんなものに手を出していると?」
「それで、逃げてきたの?」
「そうっすね。ここに来たのは神樹に引かれたのもあるんでしょうけど。外法にあてられた力がどうにも戻らず、もうダメかと思っていたところで、魔力と炎がいい感じにブレンドされたこの場所を見つけて、イチかバチかで飛び込んだそうっすよ」
それはもしかしなくても、さっきまで散々頑張っていた、アイテムに魔法効果を付与しようとしたあれこれのことだよね。
頭がくらくらするくらい頑張った、魔法アイテム作成の挑戦が、結果的に火の精霊ヒートを救うことになったらしい。
きゅい、と鳴いてヒートがエアさんの腕の中を抜け出し、わたしの肩にひょいと乗っかった。
「ヒート様は、クリスさんを命の恩人だとおっしゃっているっす」
「神樹も四属性の精霊も、ほとんど全部助けてしまうなんて、すごいな……!」
「エル兄様、おおげさだよ」
「いやいや、そんなに大袈裟でもないっすよ? 仮にヒート様の命が尽きていれば、次代の火の精霊が生まれるまで、まあまあ時間がかかるっすからね。そうなりゃまあ、世界はだいぶ冷えてたと思うんすよね。ってことはクリス様は結果的に、世界を救ったともいえるっす」
「ひええ、世界!? より大きな話になってる!?」
火の精霊の命が尽きれば、次代の精霊が生まれるまで、火の力が急激に弱まる。しかも、しかるべき期間を全うして、成熟した精霊として次代に託して消えるのではなく、イレギュラーな消え方だ。
「実際、世界のバランスはだいぶ崩れてたと思うんすよね。どんな影響が出てたかわかんなかったっすよ」
「そんなとんでもない事態に……レイジングフレアは、いったい何をやっているんだ」
「ヒート様からお聞きした話だけでは、全貌はつかめないっすね」
なんだか、ものすごく壮大な話になってきた。
世界のバランスとか公爵家の陰謀まで話が発展してくると、魔法アイテムはまた今度にするしかなさそうだよね。結果的に、ヒートを救えたのはよかったし。
エアさん以外の精霊が、みんなおねこさまの姿なのは、もう間違いなく、わたしのイメージの影響だ。役得……とか言っている場合じゃないかもしれないけど、こうしてサイズや毛並みが様々なおねこさまに囲まれているのは、だいぶ嬉しい。
「ヒート様? なるほど、それならいけるかもしれないっすね」
「エアさん、どうしたの?」
「お疲れのところ申し訳ないんすけど、もう一度だけ試してみません?」
「試すっていうと?」
「ヒート様が、金属を熱する時に、魔力の調節をしてくださるそうっすよ。魔法結晶と金属の親和性を高めて……ああつまり、くっつけやすくしてくれるみたいっす」
「そいつはおもしろそうだ。クリス嬢ちゃん、いけるかい?」
親方は完全にやる気満々で、目をキラキラさせている。思わず噴き出して、もちろんと返事をした。
結果は、予想以上の大成功だった。
ヒートが魔力を込めてくれた、特別な炎で熱せられた金属は、今までの挑戦が嘘のように、魔法結晶とするする溶け合ってくれたのだ。
剣としての仕上げまでには一週間くらいかかるとのことではあったけど、バフ魔法の力を練り込んだ長剣のベースを作るところまではこぎつけられた。
「こいつが完成すれば世界初! 魔法をエンチャントした武器の誕生ってわけか……ぞくぞくするぜ」
「そうだ、親方さん。これとは別にいくつか作ってほしいものがあるの。お願いできる?」
わたしは、さらさらとイメージをスケッチしたノートの切れ端を見せる。
「おう、これくらいなら大丈夫だ。なるほど、石をいくつかはめられるようにするわけか」
魔法結晶を練り込んだエンチャント装備を作るには、ヒートの協力が必要だ。
すごい発明ではあるものの、条件が限定的なので、一度にたくさん作るのは難しそうだ。
それなら、バフ魔法の結晶を重ね掛けした時のとんでもない相乗効果を、短時間でもいいから使えるようにしておきたい。
バフ魔法の結晶だけなら、精霊たちの魔法とわたしのスキルがあれば、すぐ作れるからね。
結晶は宝石みたいにカットしておいて、装飾品の石を付け替えるみたいな感じで使えたら、おしゃれでテンションも上がるし、実用性もあっておもしろいと考えた。
「これはお試しで作ってたもんだが、こういう感じで合ってるか?」
親方が見せてくれたのは、石を五つはめられるようになっている腕輪だ。ちょっと、だいぶゴテゴテしているけど、まあイメージは近い。
「うんうん、こういう感じ! もうちょっと華奢な感じの方がかわいいかも。それから石も、もう少し小粒なのを散りばめられる感じがいいな」
「ふんふん、なんとなくわかったぜ。とりあえず、こいつは嬢ちゃんに預けとこうか。先にドッタンバッタンやってたあれ、試してみたいんだろ?」
「わあ、ありがとう!」
ごっつい腕輪を両手で受け取る。
見た目以上の重量感だ。二の腕あたりなら、なんとかつけられるかな。
さっそく外に出て、ストックしてあった速度アップの結晶を五つ、それぞれ台座にはまるように形を整えてはめ、腕輪をガチャンと二の腕につける。
軽く走って、試してみようとしただけのはずだった。
そのはずだたのに、景色があっという間に加速して、目の前に太い木の幹が迫る。
「や、やば!」
それを避けようとして、思い切り地面を蹴った。
「うわわわわ!」
見下ろす町並みが、高速で後ろに流れていく。
地面に戻ろうと思って、わたしは何の気なしに空を蹴った。
ぱあんと、地面が近づく。
ぶつかってしまう前にもう一度、空を蹴りつけると、再び地面が遠くなる。
「空を……走ってる!?」
五つ分の結晶から溢れ出た光が、わたしの全身を包んでいる。
おそらくこの魔力のおかげで、わたしは自由に空を走れているのだ。
「クリス! 大丈夫か!?」
スノーの背に乗ったエル兄様が追い付いてきて、心配そうに叫ぶ。
「クリスお嬢様!」
反対側には、ソルトに乗ったソニアもいる。
「大丈夫! これ、すっごい楽しい!」
すっかりテンションの上がったわたしは、上下左右に方向を変えて、ジェットコースターのようにぐるぐると回る景色を楽しんだ。
「あれ?」
ひとしきり空を駆け回ったところで、しゅんと音がして、全身を包んでいた魔力がはじけて霧散する。
「わ、落ち……!?」
急に襲ってきた重力に冷たい汗をかいたけど、ぼふんとソルトの背に着地する。
「ご無事ですか!? いきなり失速されたので冷たい汗をかきました……」
「ごめんソニア。ソルトもありがとう! そっか……こんなにすぐ終わっちゃうんだ」
腕輪に目を落とすと、不思議な光を放っていた結晶は五つとも、跡形もなく消えていた。
「というわけで、火の精霊ヒートだよ! 今日からよろしくね!」
とっぷり日が暮れた頃に屋敷に戻ったわたしたちは、みんなにヒートを紹介した。
「……あなた、朝になったら起こしてくださる?」
「気を確かにするんだ、ハンナ! これは夢じゃない、現実だぞ!」
「かわいい! クリスにひっついてるから、触っても熱くないよね?」
お父様とお母様の混乱ぶりとは反対に、シェリル姉様はすっかりヒートがお気に入りだ。
「それからね、もうひとつお話があるの」
「わかった、言ってくれ。もうこれ以上は驚かないさ。ははははは!」
「ええ、おほほほほ!」
ヤケクソ気味な笑顔は気になるものの、わたしはにっこり笑って左腕の腕輪を見せる。
「わたしが普通に走ると、こうでしょ?」
ぱたぱたと玄関の端から端まで、走ってみせる。
少しホッとしたように、お父様がうんうんと頷く。
「ここに、エアさんに作ってもらった速度アップ魔法の結晶をとりつけると」
「んうん? 速度アップ魔法の? 結晶?」
「うん、バフ魔法を結晶化できたの。今日はそれを使って、親方さんの工房で魔法のアイテムを作ってたんだよ!」
「ダメだ、クリスが何を言っているのかわからない。私も朝になったら起こしてくれないか」
「父さんも気を確かに! 突拍子がなさすぎる話だけど、本当なんだ。僕が保証するよ」
エル兄様が苦笑いのまま、ふらりとよろけたお父様を支える。
「それでね、速度アップの結晶をここにはめると、こんな感じ!」
びゅん、と玄関の端から端へ、一瞬で移動してみせる。
「クリスや……どこに行くんだい、私たちを置いていかないでおくれ」
「え、どこにって?」
「なんでもない、なんでもないんだ。少しだけ時間をくれないか」
「もちろん。じゃあこれ、貸してあげるね」
「なるほど、ここに結晶を。そもそも魔法の結晶とはいったい……いやしかし……ああそうだ、この件も陛下へご報告しなければ……剣を一振り作ってもらって……」
お父様は、手渡した腕輪と結晶をしげしげと眺めて、自分でもつけて身体を動かしてみては、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。
「なんだか、いけないことしちゃったのかな」
「どうか見守ってあげてください。アレクシス様は今、戦っておられるのです」
「戦ってるの!? 何と!?」
「ご自身の常識と、です。私もそれを何度か乗り越えて、こうしてクリスお嬢様のおそばにいるのですよ」
ソニアが清々しい顔で、ふふんと胸を張った。



