「クリスお嬢様、結晶化はいかがでしたか?」
「はっ! 忘れてた! エアさんごめんなさい、もう一回お願いしてもいい?」
 予想以上の効果に、肝心の結晶化を忘れていた。エアさんにお願いして、もう一度同じ速度アップをかけてもらう。
 胸に手を当てた。川の水から魔力を集めた時と同じイメージで、バフ魔法の源になっているやわらかな魔力を右手に集める。 
 温かくて、心地よくて、優しい感じだ。手の中に収まって揺れる光を、ゆっくりと結晶にしていった。
「できた、速度アップ魔法の結晶!」
「ほうほう、限りなく魔法に近いスキル感なんすね。クリスさん、もしかしてもともと精霊だったとかあります?」
「え!? それは、ないと思う」
「素晴らしいです、クリスお嬢様……私は……私は!」
 エアさんがにへらと興味深そうに笑い、ソニアはなぜか涙腺が崩壊している。
「この結晶、試してみてもいい?」
 頷いて、エル兄様に結晶を手渡す。
 それを握りしめて、エル兄様が軽くその場でジャンプする。
「すごい。本当に身体が軽くなるね」
 今度は腕を振り、いくつかのステップを踏んで感触を確かめる。
 エル兄様は普段から、剣術や体術、色々な稽古をしているから、身体の使い方が上手なのかな。どれもキレのある動きで、様になっている。
「なるほど……このままでは難しいかもしれない」
 ひとしきり動いて戻ってきたエル兄様が、結晶を握りしめていた手を開く。
「あれ、小さくなってる?」
「そうなんだ。結晶にしても、バフ魔法としての効果を発揮するのに魔力を消費したとみなされるらしい。魔法で生み出した土を結晶にするのとは、勝手が違うんじゃないかな。それに、多少軽くなるとは言っても、やはり劇的にとはいかないね」
 結晶を作って、例えばそれをペンダントトップにしたネックレスがあれば。ずっと魔法効果が続くアイテムになると思っていた。
 エル兄様が見せてくれたように、少し動いただけで結晶が小さくなってしまうのでは、とても実用的とは言えない。
「根本的な解決にはならないかもしれませんが、こういうのはどうすかね。試しに速度アップをもう二回、結晶にしてくださいっす」
 エアさんにいわれて、速度アップの結晶をふたつ作る。
 結晶を作るやり方自体はコツを掴めたし、ほとんど同じ品質のものができたはずだ。
「これをこうして……さあどうぞ」
 ふたつの結晶を重ねあわせて、エアさんがエル兄様にそれを渡す。
「なんだこれは……なるほど、これなら!」
 結晶を手にしたエル兄様が、驚いた顔になってから納得した様子で、とんと地面を蹴る。
「わ、速い!」
「なんという身のこなしでしょう!」
 エル兄様は、目にも止まらない速さで工房内を駆け回って、わたしの前で止まった。
「ふたつ合わせると、効果が倍かそれ以上になるみたいだ……クリスもやってみる? 動く時は気を付けてね」
 結晶を受け取った瞬間、エル兄様が驚いた理由がよくわかった。
 軽くジャンプしただけで、エル兄様の顔の高さまで跳べたし、ものすごく身体が軽い。羽みたいだ。
「消えちゃった……」
 だけどやっぱり、エアさんが言っていた通り、根本的な解決にはならなかった。
 得られる効果は重ね掛けで改善できても、魔法アイテムとして使うには、やはり持続時間の壁が分厚い。
「あまりお力になれず申し訳ないっす」
「そんなことないよ! ふたつ重ねられるならみっつ以上もきっと大丈夫だよね? そしたらすごいことになるんじゃないかな?」
「使った時の制御は覚える必要があるけど、一時的とはいえかなり強力な効果を得られるだろうね」
 エル兄様が実感のこもった様子で、首を縦に振ってくれる。
 バフ魔法でなくても、魔法を結晶化して重ねたら、効果がすごくなったりするのかな?
 別の魔法でも、試してみる価値ありかもしれない。
「あんたたち、なんだかドタバタと何やってるんだい?」
 親方に呼ばれて奥に引っ込んでいたおかみさんが、笑顔半分呆れ顔半分で戻ってきた。
 エル兄様に目くばせすると、エル兄様が頷いて返してくれる。
「実はこういう感じで魔法を結晶にして、装飾品とかにその効果をつけたいなって思って。でもうまくいかなくて」
「なあんだってえ!?」
「ひえ、ごめんなさい!」
「おっと、驚かせたならごめんよ。ちょいと待ってな。あんた、あんた!」
 おかみさんが顔色を変えて再び奥に引っ込み、親方を引っ張って戻ってくる。
「うちの道具に、変な混ぜものをしたいんだって?」
 待って、おかみさん。全然伝わってない空気なんですけど!?
「変な混ぜもの……えっと、これなんだけど」
「貸してみな。うお、なんだこいつは!?」
「身体が軽くなる魔法を、結晶にしたものだよ。効果がずっと続く装飾品とかが作れたらなって思ったんだけど、使うとなくなっちゃって」
「何言ってんのかわからんが、わかった! こいつを練り込んだ武器を作りたいんだな!?」
「できるの!?」
 親方は腕をがっしりと組んで、にやりと笑ってふんぞり返った。
「わからん!」
 親方以外の全員が、がっくりとずっこける。
「わからんが、こんなおもしろそうな話に乗らんわけにはいくまいよ。そうと決まれば、お前さんらも奥に来い!」
 素人は立ち入り禁止では?
 のしのしと歩いていく親方の後を追って、わたしたちはおっかなびっくり、工房の奥に足を踏み入れる。
 工房の奥は、わたしにとっての初めてが詰まっていた。
 壁にはずらりと、作業に使うであろう金属製の道具が掛かっている。
 壁の道具と同じく、きちんと整理された作業台に、親方が作っている途中と思われる剣が一本寝かせてあった。
 作業台のすぐ近くには、金属を熱するための炉が、燃え盛る炎をたたえている。
 炎がぱちぱちと音を立てて揺らめくたびに、部屋全体が一緒に踊っているようで、わくわくするような、ドキドキするような、とても不思議な気持ちになった。
「火が、息をしているみたい」
 ぽつりと口から出た言葉に、親方がにやりと笑って顎をさする。
「おもしろいこと言うな。そういや嬢ちゃん、名前は?」
「ちょっとあんた、公爵様のとこの、クリスちゃんだよ。噂の天才魔法使いさんなんだから」
「どうりでおかしな鉱石を持ってるわけだ」
 わかってくれたのかどうでもいいのか、とりあえずやってみるか、と親方が作業台の前に腰かける。
「こいつはこれで最後ってわけじゃないんだろ? 使い捨てて問題ないか?」
 エアさんに視線で確認してから、こくりと頷く。
 そこからは、わたしたちと親方とで試行錯誤を重ねていった。
 そもそも、炉で熱して加工できるのかすらわからないものだ。
 とりあえず炉にくべる、熱した金属に重ねてたたいてみる、金属も一緒に熱してみるなどなど、思いついた順番にやってみた。
「なかなか難しいね……少し休憩にしない?」
 どれくらい時間が経っただろうか。エル兄様が、額の汗をぬぐう。
 魔法の結晶をいくつも炉にくべたからなのか、室内の熱気が増している気がする。
 今のところ、結果は芳しくない。
 炉に魔法結晶をくべても、加工できるようなやわらかさにはならない。
 かといって、熱した金属と一緒に叩いても、うまく混ざってくれない。
 それどころか、ある程度以上の力を加えると結晶は割れてしまう。
 熱した金属と一緒にたたく時に、タイミングを見て結晶化を解除してみても、ただのバフ魔法として霧散してしまう。そんな具合だ。
「おっと、ぶっ続けで悪かったな……少し出るとするか」
 手前の涼しいところに戻って、おかみさんが出してくれたお茶を飲む。
 なんだか、頭がぼんやりする。エアさんに使ってもらった魔法を結晶化して、親方が熱した金属をたたくのにあわせて解除して……集中力を使いすぎた。
「エアさんは大丈夫?」
「まだ平気っす。ごめんなさい、クリスさんに無理をさせてしまったようで」
「日が高くなっちまったな。こんなに頑張るとは、根性のある嬢ちゃんだ。うちの弟子にほしいくらいだな」
「あんまり不敬なこと言わないでおくれよ。坊ちゃん、嬢ちゃん、この人、悪気はないんだ。商売禁止だとかはやめておくれよ?」
 そんなことしませんよ、とエル兄様が苦笑いする。
 開いた扉の外に目をやると、ソルトとスノーがくっついて丸くなり、すやすやと木陰で眠っているのが見えた。幸せそうな寝顔に癒される。
 ふと、ソルトがぴくりと耳を立てて、むくりと起き上がった。
 しゅる、と大きさを家猫サイズに変えて、とことこと工房に入ってくる。
「自分で大きさ変えられたの!? っていうかどこ行くの、そっちは熱くて危ないよ」
 振り向いて、みいと鳴いたソルトは、お構いなしに奥へと進んでいく。気がついた親方が止めようとしたけど、さっとすり抜けて炉のある部屋に入っていってしまった。
 わたしたちも、慌てて追いかける。
「これは……!?」
 炉の前に、一匹のおねこさまがいた。
 炎がそのまま飛び出してきたかのような、オレンジ色の毛並みが美しい。その子が大きなあくびをすると、毛並みから舞い上がった火の粉がぱちぱちと弾ける。