スノーが見つかって作物が消えることもなくなり、神樹の雫に端を発した一連の作物問題は、ひとまずの落ち着きを見せ始めていた。
 品質も量も……エアさんからしたら量には不満があるみたいだけど、安定してきている。
 ここから先は、畑や作物の流通を管理している人と、お父様たちの仕事だ。
 神樹と作物の問題から手を離したわたしは、次にクレイマスターの主産業が気になった。
 少しずつ盛り返してきてはいるものの、まだ今ひとつなので、実際に品物や工房を見てみたい。鍛冶も工芸品も、興味あるしね。
 鍛冶や工芸の工房は城塞都市の中にもいくつかあって、一流の職人たちが技を磨いている。
 今日はその中のひとつを、エル兄様と訪ねる予定を取り付けている。
「エル兄様、今日は一緒に来てくれてありがとう!」
「いいよ。それに僕にとっても、いい機会だからね」
 ソルトの背中に乗せてもらえるようになって、わたしの行動範囲はさらに広がった。
 今日はエル兄様が一緒なので、ソルトにはわたしとソニアが乗り、エル兄様はスノーに乗せてもらっている。
 自由気ままで人の話など聞かない、という各文献の伝承は間違っているのでは、と思うほど、スノーはエル兄様に懐いている。
 エアさんの話では、毛並みを美しいと褒めたエル兄様は、なかなか見どころがあって悪くないとの仰せなのだそうだ。スノー、相変わらずめちゃくちゃ偉そうである。
「今日は皆さんでお散歩ですか?」
「やあおはよう、工房の視察に行くんだ」
「そいつは精が出ますな。ソルトとスノーは、大きな音は大丈夫なんで? お気をつけて!」
 精霊であると公表はしていないものの、エアさん、ソルト、スノーは城塞都市内ではすっかり有名になっていて、みんな慣れたそぶりであいさつしてくれる。
 クレイマスターのみんなは、こういう大らかなところがいいよね。ソルトが明らかに巨大化しても、そういうものなのかな、と受け流してくれるし、変な目で見られることもない。
 それもきっと、お父様やご先祖様たちが素敵な関係性を築いてきたからだ。多少貧しくても、悪いようにはしないだろうという謎の信頼感が領地全体に浸透している感じというか。
 外からやってきた人たちには、まだまだびっくりされるし、魔獣と間違えたのかすごい形相になる人もいるけどね。
「さ、着いたよ。ここが城塞都市内の工房のまとめ役をやってくれているんだ」
 考え事をしている内に、わたしたちは一軒の大きな工房の前までやってきた。
 工房がいくつか並ぶエリアの中でも、ひときわ立派な建物だ。
「公爵様の坊ちゃん嬢ちゃんが見学に来てくれるなんて光栄だね、ゆっくりしてっておくれ」
 出迎えてくれたのはおかみさんだ。奥では職人気質な雰囲気のおじさんが、剣の仕上がりを見ているようだった。
 工房内には武器防具の他にも、ちょっとした装飾品や調理器具……フライパンやおたまのようなものまで置いてある。
 大戦があったような大昔ならともかく、今は武器を使うシーンが減っている。国同士の小競り合いがないわけではないのでそういう時や、後は魔獣退治くらいだろうか。
 城塞都市の中では、悪いことをした人の取り締まりにも使うらしいけど、それにしたってそう頻繁に買い替えるものではないだろう。
 生活に役立つものや装飾品もあわせて作っていくように、工房も変化しているのかもしれない。
「すごいんだろ、新しい魔法って? おかげさまで、随分仕事がしやすくなったよ。エルドレッド坊ちゃんも忙しいだろうに、ちょこちょこ顔を見せてくれるから、公爵家御用達ってんで大助かりさね」
 工房内は作業場とその手前とで、床の色が違っている。
 わたしのような子が危なくないように……というよりは、作業場に勝手に入ってくるんじゃねえ、という無骨な雰囲気を、奥の親方さんからひしひしと感じる。
 オープンな作業場の奥には、親方専用と思われる個室の作業場も見えた。
「わあ、これとかいい感じ!」
「クリスお嬢様にもきっとお似合いですよ」
「なるほど、おもしろいですね。金属の土台に石をはめて首から下げるのですか?」
 エアさんが心の底から不思議そうに、鉱石をトップに据えたネックレスを眺めている。
 走ったら顔に当たりませんかね、などと言っているところを見ると、精霊の世界にはアクセサリーはないのかもしれない。
「おかみさん、質問してもいい?」
「あいよ、もちろんさね」
「魔法の効果がついたアイテムってあるの?」
「魔法の……?」
 あれ、この空気はやっちゃったかも。
 そっと振り返ると、ソニアがふるふると首を横に振っている。
「あっははは、安心したよ。五歳の天才魔法使い様も、ちゃんと夢見る女の子じゃないか」
「クリスお嬢様、今でこそクレイマスター家の魔法がありますが、もともと魔法はこの世に残せないものでした。その効果を持ったアイテムも同様なのです」
「残念ながら、私もそういうのは聞いたことないっすね」
 ソニアの説明に続いて、ネックレスを胸に当ててみていたエアさんも、にへらと笑って首を傾げた。
「家で読んだ魔導書に、身体を硬くする魔法とか、力を強くする魔法、動きを速くする魔法、反対に相手の動きを遅くしちゃう魔法とかもあったでしょ? だから、そういうのをアイテムにできたらいいのになって思ったの」
「なるほど。バフ、デバフの魔法をですか。さすがはクリスお嬢様、おもしろい発想ですが、あれは上級者向けといいますか……扱いが難しい割に効果が薄いので、あまり使っている人はいないと思います」
「ほうほう、そうなんすか? 便利なのにもったいない。私たちからすれば、土魔法で石壁や道路の舗装をしている方が不思議な使い方っすよ」
 ソニアの解説に、エアさんが驚く。
 ところどころで、わたしたちと、エアさんたち精霊が使う魔法には違いがあるみたいだ。
 わたしたちの魔法は土や石を生み出す方に長けていて、エアさんたち精霊は、補助的な魔法……バフ、デバフの魔法に長けているらしい。
 考えてみればわたしも、バフ、デバフと呼ばれる魔法はあまり使っていない。
 ソニアが言う通り、どうも効果が実感できなくて使いにくいのだ。
 だからこそ、それを補う魔法アイテムがあったらいいなと思ったんだよね。
「そうだ、それならこういうのは?」
「うん? 何か思いついた?」
「思いついた……けど、ここで使っていい?」
 ちらりと、おかみさんと、奥にいる親方に視線を移す。
 信用できる人の前でしか、わたしは魔法を使ってはいけないことになっている。
「それなら大丈夫だよ。親方とおかみさんは、僕が小さい頃から公爵家御用達の、信頼できる人たちなんだ。だからこそ、クリスが魔法を使えることも最初に話したしね」
 そっかと頷いて、わたしは空気中の魔力を集めて結晶にしてみせた。
 スノーが色々と頑張ってくれていた川に比べたら微々たる魔力だし、砂利サイズなのはご愛敬だ。
「こういう感じで、バフ魔法を結晶化させて、アイテムにくっつけるの!」
「なるほど、クリスお嬢様ならその手がありました。空気中の魔力を結晶にできるなら、ご自身で使う魔法でなくても結晶化できるかもしれませんね!」
「いやいや、なんすかそれ。どれだけとんでもない話がおわかりっすか!?」
「わかっているつもりですが、慣れました! 相手はクリスお嬢様ですので!」
 ソニアが胸を張り、エアさんはふらりとよろけて天を仰いだ。
 信じられないものを見た、という顔だ。
「神樹の森に高濃度の魔力水を流すのにも、この結晶化スキルを使ってるんだよ。領地で使う水の魔力濃度を薄めようと思って、水から魔力の結晶を作ったのが最初なんだ」
「神樹復活の裏側に、そんなとんでもスキルの存在があったんすか。魔力を結晶にしたり戻したりなんて、私たちにもできないっすよ」
 結晶化スキル、精霊の目から見てもとんでもないスキルらしい。外で使う時は本当に気を付けないと。
「というわけでエアさん、バフ魔法をお願い!」
「了解っす。効果を体感できるのがいいっすよね。速度アップでいってみますか」
 エアさんが魔法式を描き終わると、やわらかな光がわたしの身体を包み込んだ。
 身体が、軽い。工房の中だから飛び回ったりするのはまずいよね。ということで、その場で軽くステップを踏んでみる。
「すごい、ちゃんと軽くなってるってわかる!」
 そういう魔法であるから当たり前なのだけど、こうして感動できるくらい、わたしたちが使うバフ魔法は効果が薄い。