それからさらに三カ月で、わたしは魔法とスキルをこれでもかと勉強した。
 前世のどの瞬間より勉強した、と胸を張って言える。
 シェリル姉様と、その後に借りたエル兄様のノートにあった魔法式はほとんど覚えて、自由に処理を組み合わせられるようになった。前世にはなかった魔法を使えるだけでも楽しいのに、思い通りに組み立てられる感覚がたまらない。
 お勉強用の消える魔法で出力を調整して、配分がわかったらクリア処理を削って好きなものを作る。このルーティンが、とてもわたし向きでいい練習になった。
 魔法を自由に扱えるようになってきたところで、わたしはネイルアートにハマった。前世で隙間時間にやっていたのを思い出して、ハマり直したというべきか。
 わずかなお休みの日に、自分の好きを爪先に詰め込んでおくと、平日に手元を見るだけで生き残れるわけですよ。
 デザインするだけなら前世のネイルより楽ちんかつ、固めるのも結晶化スキルで一瞬となれば、やってみたくなっちゃうよね。
 最初は、固めた状態を解除できなくて焦ったけど、スキルを反転させるようなイメージで使ったら、結晶化の解除もできるようになった。
 数十分はかかるはずのネイルオフが一瞬とか、結晶化スキルの使いどころはこれしかないという感じだ。
 しかもこのネイルアート、決められた勉強時間外にもできてしまう。部屋に篭る時間を決めたからといって、外に出たら勉強をしないという意味にはならないものね。
 二十八歳のわたしが悪知恵を働かせた結果、わたしは無邪気な笑顔で外に出て、そのまま外で、お散歩しながらネイルアートを繰り返すようになった。
 そのおかげで、頭の中に思い浮かべたデザインで、両手の爪十本を数十秒でしゅるりと飾れるくらいに上達している。
 土と石、それから硝子のような質感のパーツを組み合わせて、アースカラーベースにしかならないデザインにもバリエーションを持たせている。
 ネイルアートのおかげで魔法とスキルの精度が上がってくると、わたしは他のものも作るようになっていった。
 自分の机や椅子をデコってみたり、我が家の紋章を描いてみたり、ソルトの置物を作って飾ってみたりという具合だ。
 そんなこんなで、わたしの部屋はどんどん好きなもので溢れていった。
 本当は、順番に消しておけばいいのかもしれないけど、ついつい残してしまう。
「もう少し練習したら、きっとみんなの役に立てるよね……!」
 わたしが勉強と練習に没頭している間も、家族はみんな忙しくしていた。
 土属性なのに、といったら先入観があるかもしれないけど、クレイマスターの土地は痩せている。
 絶妙な距離にある川から水を引いてくるはずの水路は、随分古くなって役目をはたしていないし、畑を見て回っても、なんだかちんまりした野菜や果物ばかりだ。
 生活に必要なものを自分たちで賄いきれないから、商人や他領地からの使者を丁寧にもてなして、色々なものを売ってもらう約束をしたり、仕事をもらってきたりする。
 それでも足りないのか、お父様が他の領地へ交渉にいったりする機会も多い。エル兄様が、お父様に同行しているのもよく見かける。
 エル兄様はわたしより本格的な訓練や勉強で忙しそうなのに、お仕事まで頑張っていて頭が下がる。過労になっていないか、ちょっと心配だ。
 シェリル姉様はシェリル姉様で、令嬢としての教育の頻度が増えてきて、エル兄様とはまた違った意味で大変そうにしている。
 個人的に、令嬢教育がすごく心配だ。箸の使い方は上手な方だと思うけど、さすがにこの前世知識は役に立たないものね。
 シェリル姉様を教えているのは、主にメイド長だ。これもクレイマスターの懐事情によるもので、他の公爵家はよそから名のある先生を呼んでくるのが普通らしい。
 二十八歳の視点でものを見ていくと、最初は広すぎると思った屋敷や部屋も、老朽化が進んでいるのが目についてしまう。
 わたしはこの家族が大好きだし、今の生活だって、前世からしたら十分に裕福で自由にさせてもらっていると思う。
 それでも、公爵家としては、かなり切り詰めた暮らし向きなのは間違いないらしい。
 大好きな家族が、最底辺の公爵家として、残念な扱いを受けているのがつらい。
 これを打開するには、やはり魔法の力を示すしかない。
 それが、わたしが今の時点で出した結論だった。
 魔法なら、今のわたしにもいくつか可能性がある。例えば、老朽化した建物をピシっと綺麗にしちゃうとか。
 前世の知識を生かして、この世界ではあまり見かけないデザインや質感にできたら、目をひくのではないだろうか。とはいえそれには、公爵家にふさわしい完成度の高さが必要だ。
「クリスお嬢様、そろそろ今日のお勉強はおしまいですよ」
「はーい。ちょっと待ってね、片づけたらすぐに行くから」
 だからわたしは、今日も全力で知識を増やして、経験を積む。
 ソニアと一緒にお勉強の後に出かけるお散歩だって、この世界を知る大事な手がかりだ。