あめ降る日々

話が盛り上がる中、スカートにしまったスマホが振動した。着信だ。SNSやゲームアプリの通知はサイレントにしているから、画面を確認しなくても分かる。今どきわざわざ電話を掛けてくる人は少ない。だからすぐに発信元の見当がついた。心配性で過保護なその人は、雨が降ったり、帰りが遅かったりするとこうして電話を掛けてくる。
 
「ごめん、電話」

短い言葉で謝りを入れて、彼から三歩だけ離れて電話に出る。思ったとおり、掛けてきたのはママだった。
 
「沙紀、今どこにいるの?」
「えっと、まだ学校」
 
電話がつながってすぐの質問に、私は声を潜めて答えた。それでもこの距離では優馬くんに聞こえてしまう。別にたいした嘘ではないが、後ろめたさと申し訳なさがあった。ママに対してじゃない。優馬くんに対してだ。恐る恐る彼の方を見やると、何かを察したようで黙って頷いてくれた。
 
「そうなの? 何かあった?」
「ううん、雨降ってたから残って勉強してただけ。もう少ししたら帰るね」
「誰かと一緒?」
「ううん、一人」
「そう。じゃあ気をつけて帰ってきなさい」
 
言いたいことはそれだけだったのが、あっさり電話は切れた。スマホをしまい直して、ふぅと息をつく。先程までの楽しい気分が一転、なんだかどっと疲れてしまった。
 
「大丈夫?」
 
私の様子を見た優馬くんが、心配そうな顔で聞いてくれる。優しい子だ。私は堂々嘘をついていたというのに。
 
「うん。ごめんね、話切っちゃって」
「それはいいけど。もしかして早く帰らなきゃだったりする? 俺こそごめん、引き止めちゃってて」
「違う違う! あのね、うちの母親ちょっと過保護っていうか過干渉で。どこにいるの、誰といるの、何してるの、って全部把握したがるんだよね。スマホも勝手に見るし。なんか追及されるのが嫌で、つい嘘ついちゃった」
 
ママのことが嫌いなわけではない。むしろ仲はいい方だと思う。でも、根掘り葉掘り聞かれるのも、勝手にスマホを見られるのもストレスなのだ。そんな理由で嘘をつくなんて、幻滅されただろうか。こうやって優馬くんと話しているのに、一人でいるふりをして。それを近くで聞く立場だったらいい気はしないだろう。だが、優馬くんは嫌そうな顔一つしていなかった。ただ少し驚いたような表情をしているだけだ。
 
「スマホまで見られるんだ! それは確かに嫌だね」
「そうなの。しかも、それを悪いと思ってないというか。親なんだからいいでしょって感じで、平然と見てくるからさ。……って、ごめん! 親の愚痴なんか聞かせちゃって」
「全然いいよ。親のこと愚痴りたいときってあるもんねぇ」
 
愚痴っても嫌がらない。普通、初対面で親の愚痴なんて聞かされたら、少し嫌な気持ちがするものではないだろうか。しかし、彼にはそんな素振りは全くなく、むしろ話しやすい雰囲気を作ってくれている。優しいし、聞き上手だ。そのおかげで、親の愚痴から広がって、またいろんな話をしてしまった。

 
話に夢中になっていると、段々と空が暗くなってきた。さっきのように雨だから暗いわけではなく、日が落ちて暗くなっている。さすがにそろそろ帰らなくてはいけない時間だ。
 
「だいぶ話し込んじゃったね。私もう帰らなきゃ」

そう伝えると、彼は明らかに悲しそうな顔をした。そんな顔をしてくれるほど、この時間が楽しかったのだろうか。それなら嬉しい。私だって、久しぶりにこんなに話ができて楽しかった。叶うことなら、またこうして会って話がしたい。

「……沙紀ちゃんさえよければさ、また今度会えないかな?」

優馬くんは少し不安げな声でそう言った。こういう出会い方だったから、再会を望むのがはばかられるのも分かる。でも、同じことを考えていたのだから、断る理由がない。
 
「私もまた会いたいって思ってたから嬉しい。優馬くん、スマホ持ってる? 連絡先交換しようよ」

そこまで言ってからハッとした。連絡先を交換するにしても、ママにやり取りを見られたら困る。いや、困るというより嫌だ。男子とのメッセージなんて、親に見られたくないもの上位に入るだろう。優馬くんも困り顔をしていた。スマホを勝手に見られると愚痴っておいて、こんなお誘いをされたら、そんな顔になるのも当然である。
 
「ごめん、今のなしで。でも連絡先交換しないと会うの難しいかな。どうしよっか」
「それなら、次また雨の降る日にここで会わない?」
 
そう提案されて、ついつい笑ってしまった。そんなあやふやな約束、変だ。変だけど、なんだかロマンチックで素敵な気もした。
 
「うん、そうしよ。早く雨が降るといいね」
「そうだね。次の雨が楽しみだなぁ」
「じゃあ、また今度ね!」

それから私は手を振って歩き出した。だが、一つ思うところがあったので、すぐに足を止めて彼の方を振り返る。彼は不思議そうに首を傾げた。
 
「最後に一つだけいい?」
「いいよ。何?」
 

「なんで冬服なの?」
 
これは私が最初から思っていたことだった。
今は九月の下旬。暦では秋というが、まだまだ気温は高い。私は今、半袖のワイシャツにサマーベストという格好をしている。だが、彼の格好は紺のセーターにブレザーと、暑そうなものだった。
 
私の質問に、彼はとても困った顔をして沈黙した。うっかり地雷を踏んでしまったのかもしれない。あまりにも無神経だった。この暑さの中冬服でいるということは、きっとそれなりの理由があるはずなのに。
 
「あっ、別に答えてくれなくてもいいの。ちょっと気になっ」
「寒いの苦手なんだ」 

私の言葉を遮って、優馬くんが答えた。先程までと比べて語気が強く、びっくりしてしまう。しかし、彼の目は少し潤んでいる気がした。
 
「そっか」

私は努めて明るい声で言った。もし何か事情があるのであれば、これ以上突っ込むべきではないだろう。
 
「ばいばい」
 
私がそう笑いかけると、彼もどうにか笑って応えた。
 
「また雨の日に」
 
私は雨が好きではない。でも、次の雨の日が待ち遠しくなり始めていた。