あめ降る日々


「それ以上は、お互いに辛いだけだよ」
 
耳元で聞こえた声は少し震えていた。その言葉はきっと彼なりの優しさだ。生きている私と、死んでいる優馬くん。本来なら交わることはない。それが分かっていても私は伝えたかったのに。途中で止められた言葉は、そのまま雨音の中に消えていってしまった。その代わりに、私も彼の背に手を回す。距離がさらに縮まった。目からは自然と涙がこぼれた。
 
このまま時が止まってしまえばいい。そんなことを考える。無理だと分かっていても、そう願うしかなかった。しばらくそのままの状態でいたが、音だけでも雨が弱くなったのが分かるころになると、優馬くんは私を離した。密着していた体が離れると、それだけで喪失感がすごい。
 
「ありがとう、沙紀ちゃん」
 
彼は私の目を見て、微笑みながらそう言った。その目は赤くて、頬には涙の跡がある。
 
「こちらこそだよ、優馬くん」
 
私も笑って言ってみせようとしたが、涙のせいできっと酷い顔になってしまっているだろう。だって、優馬くんの顔を見ていたら涙が止まらないのだ。こればかりは仕方がない。
 
「もうそろそろかな」
 
声が震えないようにか、声を低くして彼は言った。表情は優しいが、その手は強く握られていた。
 
「まっ……」
 
待って、という言葉はなんとか抑えた。悲しみを増幅させるだけの言葉なんて言いたくない。でも、それなら私はなんて言うのか正解だろうか。そう考えたとき、優馬くんと出会った日のことを思い出した。
きっかけは、あめ。
 
「私は!」

大きな声で言った。優馬くんは、驚いたように俯きかけていた顔を上げる。
 
「私は、優馬くんと会える雨も、優馬くんのくれる飴もどっちも好き! 大好き!」
 
ほとんど聞こえなくなった雨音を蹴散らすように叫んだ。もうこれ以上言うことはない。言えることはない。私は流れる涙をそのままに、思い切り笑ってみせた。出会えてよかったという心の底からの笑顔だ。それを見た優馬くんも、同じように思い切り笑った。そしてそのまま口を開く。これがきっと私たちの最後の言葉だ。
 
「俺も好きだよ」
 
その瞬間、目の前に眩い光が射した。つい反射で目をつぶってしまう。段々光が弱くなり目を開けたころには、もう優馬くんの姿はなくなっていた。気配もなにも感じられなくて、まるで最初から誰もいなかったかのようだ。そうなってから、私たちの出会いが本当にあったという証拠はどこにもないのだと気がついた。力が抜けて、つい視線が地に落ちる。そこには、何か白いものが落ちていた。
 
「飴……」
 
涙を拭いてしゃがみ込むと、いつもの飴だと分かった。優馬くんからの最後の贈り物だろうか。私は包みを慎重に開け、薄黄色の飴玉を口に入れた。甘くて、酸っぱくて、ほんのり苦い。この味はまるで、私たち二人の恋のようだと感じた。苦味は足りていないかもしれないが。
 
ふと、その瞬間、あることに思い至る。私はなぜこの飴を舐めることができるのだろう。優馬くんは、私の前で何かを食べたり飲んだりすることはなかった。それは、この世に存在しないはずの人間が、この世のものを飲食することはできないからではないか。そうだとしたら、この世に存在しない優馬くんが持っている飴を、この世で生きている私が舐められるのはおかしい気がする。亡くなったときに優馬くんが持っていたのだとしても、事故現場にあった荷物は回収されたはずだ。ということは、この近くに、実際にこの飴があるのではないだろうか。そんな推察が立つ。私は咄嗟に優馬くんの事故現場へ向かった。知っても意味のないことかもしれないが、知らずにいるのは耐えられない。

あるとしたらお地蔵さんの辺りだろう。そんな目星はつけていた。事故現場についてすぐ、お地蔵さんの方を見る。パッと見では花しかない。前に見たときもそうだった。今度は、お地蔵さんの後ろ側まで確認してみる。怪しく見えるかもしれないが、そんなことは気にしていられなかった。
 
「あった……!」
 
そこには見覚えのある包みが三つ並んでいた。雨で濡れてはいるものの、特に汚れているわけではなく、置かれてからまだそんなに日が経っていないように思える。わざわざ後ろ側に置いていることといい、大袋から取り出して置いていることといい、これを供えた人は相当な天邪鬼のようだ。誰が供えたのかは分からない。でも優馬くんの言っていたことを踏まえると、自然と大体見当がついた。
 
ちゃんと話してみればよかった。そう言った優馬くんの悲しげな顔が浮かぶ。私だってそうだ。彼の言っていた通り、話せるうちに話さなくてはならない。
 
私はお地蔵さんに向かって手を合わせ、それから再び歩き出した。泣いた後だからか目もとの肌がピンと張っているが、ふっ切れた顔をしている自覚がある。ついさっきまで雨が降っていた空は、それが嘘だったかのように綺麗に晴れていた。


Fin.