アレンとエレナ。二人の禁忌(きんき)の森での道行きは、奇妙な緊張感を保ったまま続いていた。
 会話はほとんどなく、互いの気配を探り合うような距離感が常にあった。

 エレナは風を操り、鳥のように軽やかに木々を渡りながら周囲を索敵し、危険をアレンに伝える。アレンは虚空魔法(ヴォイド・マジック)による空間認識で広範囲を警戒し、遭遇する魔獣を効率的に排除していく。
 その連携は、信頼に基づいたものではなく、あくまで生き残るための、そして互いを利用するためのドライな協力関係に過ぎなかった。

 エレナは、アレンの使う力の異質さと、その底知れない冷徹さに依然として強い警戒心を抱いていた。彼が時折見せる人間離れした戦闘能力は、頼もしくもあり、同時に恐ろしくもあった。

(この男……一体何者なの……? あの力は、普通の魔法じゃない……)

 一方のアレンも、エレナの能力は評価していた。風による索敵と機動力は、この森を進む上で有用だ。しかし、彼女の瞳の奥に宿る不信感や、時折見せる人間らしい感情の揺らぎは、アレンにとって理解不能であり、あるいは単なる弱さとしか映らなかった。

(利用できるうちは利用する。それだけだ)

 そんなぎこちない同行が数日続いたある日のこと。
 獣道から少し外れた、鬱蒼とした茂みの奥から、何者かの荒い息遣いと、金属が擦れるような音が聞こえてきた。

「……! この気配……人間? それに、何か魔力が……!」

 エレナが風で気配を探り、アレンに合図を送る。
 二人は慎重に音のする方へと近づいていった。

 茂みを抜けた先、少し開けた場所で、彼らは信じられない光景を目にする。
 地面から突き出した何本もの黒い杭と、それらを繋ぐように張り巡らされた、魔力を帯びた鋼線。その巧妙な罠に、一人のドワーフががんじがらめに捕らえられていたのだ。

 ドワーフは屈強な体つきで、立派な髭を蓄えている。背中には巨大な戦斧を背負っているが、罠によって動きを封じられ、身動きが取れないでいた。彼は怪力に物を言わせて鋼線を力任せに引きちぎろうとしているが、鋼線は特殊な合金でできているのか、びくともしない。

「くそったれが! どこのどいつだ、こんな陰険な罠を仕掛けやがったのは!」

 ドワーフは悪態をつきながら、なおも抵抗を続けている。魔獣避けにしては手が込みすぎている。明らかに人間――それも、ドワーフの怪力をも封じることを想定した罠だった。

「……ドワーフ? なぜこんなところに?」

 エレナが訝しげに呟く。ドワーフが単独で禁忌(きんき)の森の深部まで来るのは珍しい。

 アレンは黙って罠の構造を観察する。
 魔力を帯びた鋼線、地面に打ち込まれた杭の配置、そして罠全体を維持していると思われる魔力の流れ。解除は容易ではない。

「……助けるの?」

 エレナがアレンに尋ねる。彼女の声には、警戒とわずかな同情が混じっていた。

 アレンは少しの間考えた。ドワーフを助ける義理はない。しかし、このまま放置すれば、いずれ魔獣の餌食になるだろう。そして何より――この状況は、虚空魔法(ヴォイド・マジック)の新たな応用を試すのに都合が良かった。

「……どけ」

 アレンは短く言うと、エレナを下がらせ、罠の前に立った。
 捕らえられているドワーフが、アレンの姿に気づき、ギョッとした顔をする。

「ん? なんだ、お前は……? 助けてくれるのか?」

 アレンはドワーフの言葉には答えず、右手をゆっくりと罠に向けた。
 そして、空間そのものに干渉する力を発動させる。

「《空間干渉(スペースインターフェア)》」

 アレンの意思に応じ、ドワーフを拘束している鋼線の周囲の空間が、目に見えないレベルで微細に歪み、振動し、そして――断裂した。
 物理的に切断したのではない。空間ごと、その繋がりを「無かったこと」にしたのだ。
 魔力を帯びた鋼線は力を失い、だらりと垂れ下がる。杭もまた、固定されていた空間の座標がずれたことで、簡単に地面から抜け落ちた。

「な……なんだぁ!?」

 突然拘束から解放されたドワーフは、何が起こったのか理解できず、目を丸くしている。
 エレナも、アレンが見せた新たな力の片鱗に、息を呑んだ。物理法則を無視するかのような、あまりにも不可解な現象だった。

「……助かったぜ。妙な力を使う奴だが、腕は確かなようだ。俺はガルド。お前らは?」

 ガルドと名乗ったドワーフは、ぶっきらぼうながらも立ち上がり、アレンに礼を言った。

「アレンだ」
「……エレナ」

 アレンとエレナが簡潔に名乗ると、ガルドはアレンの腰に差されたショートソードに目を留めた。

「ふん、アレンか。しかしお前、そんな業物(ナマクラ)でよくここまで来れたもんだな。見ればわかる、ひでぇ安物だ。ちっと貸してみろ」

 有無を言わさぬ口調で、ガルドはアレンから剣を受け取る。そして、慣れた手つきで剣を検分し始めた。

「ほう……やはりな。鋼の質も悪いし、バランスもなってない。これじゃあ、まともに斬ることすらできんだろう」

 ガルドは呆れたように言いながらも、どこからともなく携帯用の金床とハンマー、砥石などを取り出し、その場で剣の手入れを始めた。
 カンカン、とリズミカルな金属音が響く。刃を研ぎ、熱を加えて歪みを直し、柄を調整する。その動きは熟練の職人のものであり、確かな技術力が窺えた。

「……鍛冶師なのか?」

 アレンが尋ねると、ガルドは手を止めずに答えた。

「まあな。これでも昔は、ちっとは名の通った一族の……いや、よそう。過去の話だ」

 その横顔には、わずかに寂しげな色が浮かんでいた。

「礼代わりだ。素材が悪すぎて根本的な改善はできんが、多少はマシになったはずだ」

 手入れを終えた剣をアレンに返すガルド。アレンが受け取ってみると、確かに以前よりも手に馴染み、刃の鋭さが増しているように感じられた。

「……礼を言う」
「ふん。それより、お前らもこんな森の奥で何をしてるんだ? まさか、お前らも追われてるクチか?」

 ガルドが探るような視線を向ける。

「……まあ、そんなところだ」

 アレンは短く答える。エレナは黙って俯いていた。

「そうか。ワシも似たようなもんだ。ちょっとした『研究』が、故郷の連中の気に障ったらしくてな。おかげでこんな所で、探しモンをする羽目になってる」

 ガルドは自嘲気味に笑う。

「探しモン……?」
「ああ。この森のどこかにあるっていう、伝説の鉱石を探してるんだ。そいつがあれば、ワシの作りてえモンが作れる。ワシの技術が正しいってことを、証明できるんだがな……」

 その瞳には、鍛冶師としての強い矜持と、世に認められないことへの frustration が宿っていた。

 アレンは、ガルドというドワーフに利用価値以上の何かを感じ始めていた。
 彼の持つ卓越した鍛冶技術、そして、彼もまた社会から疎外された者であるという境遇。

(こいつも……使えるかもしれん)

「……俺たちも、この森を抜ける必要がある。目的地は同じかもしれん。どうだ? 一時的に同行しないか?」

 アレンは、先ほど自分がエレナに言ったのと似たような提案を、今度はガルドにした。

 ガルドはアレンの顔をじっと見つめ、やがてニヤリと笑った。

「ふん、面白ぇ。お前さんの妙な力も、嬢ちゃんの風も、役に立ちそうだ。いいだろう、道連れになってやる。ただし、足手まといになるんじゃねえぞ」

 こうして、アレン、エレナ、そして新たに加わったガルド。三人の追放者たちの奇妙な旅が始まった。
 彼らの間には依然として警戒と不信が渦巻いていたが、共通の目的(あるいは共通の敵意)が、彼らを束の間、結びつけようとしていた。