禁忌(きんき)の森――その深い闇は、アレンの絶望を慰めるかのように静かだったが、同時に容赦のない牙を剥き続けていた。

 鬱蒼と茂る木々は太陽の光を遮り、昼なお暗い森の中は方向感覚を失わせる。不気味な鳴き声を上げる未知の鳥、毒々しい輝きを放つ植物、そして絶えず襲い来る凶暴な魔獣たち。

 アレンは傷ついた体を引きずり、当てもなく森をさまよっていた。
 魔力回路(マナサーキット)の損傷は深刻で、魔法はほとんど使えない。頼りになるのは、学園で叩き込まれた知識と体術、そして復讐への執念だけだった。
 食料は木の実や狩った小動物で何とか繋いでいたが、それも限界に近い。体力は削られ、空腹と疲労が思考を鈍らせる。

(寒い……腹が減った……)

 夜は特に過酷だった。身を隠せる洞穴を見つけられない日は、大樹の陰で震えながら夜明けを待つしかない。眠りに落ちれば悪夢にうなされ、起きている間は過去の裏切りが幻覚となってアレンを苛んだ。

『アレン、貴様にはここで消えてもらう』
『すまん、アレン……死にたくない』
『ごめんなさい、アレン君……』
『裏切り者!』『臆病者!』

 嘲笑と罵声が頭の中で木霊する。そのたびに、アレンの胸にはどす黒い憎悪が燃え上がり、かろうじて意識を繋ぎ止めていた。

(復讐する……必ず……!)

 だが、その誓いも、尽きかけた生命の前ではか細い灯火のようだった。
 衰弱しきったアレンは、ついに力尽き、大樹の根元に倒れ込んだ。
 霞む視界の中で、自分の惨めな最期を予感する。

(こんな……ところで……)

 意識が途切れかけた、その時だった。
 ふと、アレンは空気中に漂う魔力の流れに、奇妙な偏りがあることに気づいた。
 森全体を覆う淀んだ魔力とは明らかに異なる、微弱だが清浄で、そして力強い流れ。それはまるで、暗闇の中に差し込む一筋の光のように、特定の方向へとアレンを誘っているかのようだった。

 鈍った魔力感知(マナセンス)でも、その流れが尋常でないことは分かった。
 周囲の魔獣たちが、その流れを本能的に避けているようにも感じられる。

(なんだ……? この魔力は……)

 それは、最後の希望か、それとも新たな罠か。
 だが、もはやアレンに選択肢はなかった。
 彼は最後の力を振り絞って立ち上がり、震える足で、その不思議な魔力の流れを辿り始めた。

 どれくらい歩いただろうか。
 魔力の流れは次第に強くなり、周囲の植物もどこか神聖な雰囲気を帯び始める。
 禍々しい魔獣の気配は完全に消え、代わりに清浄な空気が満ちていた。

 やがて、アレンは巨大な岩壁の前にたどり着いた。
 そこには、まるで自然の一部であるかのように、苔むした巨大な石造りの扉が存在していた。
 悠久の時を感じさせるその扉には、複雑怪奇な紋様と、見たこともない古代文字(こだいもじ)がびっしりと刻まれている。扉そのものが、周囲に満ちる清浄で強力な魔力の源泉であるかのようだった。

(古代遺跡……? こんな森の奥深くに……?)

 アレンは息を呑んだ。
 あの裏切りの舞台となった遺跡とは明らかに異なる、荘厳で神秘的な雰囲気。
 ここなら、何かがあるかもしれない。失われた力、あるいは、この絶望的な状況を打破する手がかりが。

 扉には取っ手も鍵穴も見当たらない。どうすれば開くのかも見当がつかない。
 アレンは疲労困憊の体で、祈るような気持ちで扉の表面にそっと手を触れた。

 その瞬間、アレンの手のひらから迸った微弱な魔力――あるいは、裏切りの際にその身に宿った澱みの力の残り香――に呼応するかのように、扉の紋様が淡い光を放ち始めた。

 ゴゴゴゴゴ……

 重々しい地響きと共に、巨大な石の扉がゆっくりと内側へと開き始める。
 隙間から漏れ出してくるのは、外とは比較にならないほど濃密で清浄な、しかし同時に人知を超えたような威圧感を伴う古代の魔力だった。

 それは、拒絶ではなく、むしろ誘いであった。
 この先に進めば、もう後戻りはできない。アレンの本能がそう告げていた。
 だが、彼に迷いはなかった。

 アレンは、最後の力を振り絞り、光差す扉の奥へと、ふらつく足取りで一歩を踏み出した。
 重い石扉が、彼の背後で再びゆっくりと閉じていく。

 外界から完全に隔絶された、古の遺跡の中へ。
 新たな運命が、彼を待ち受けていた。