狐獣人(ビーストマン)の隠れ里での日々は、アレンにとって予想外の穏やかさをもたらした。

 監視役であるルナの目は常に光っていたが、彼女自身がアレンたちの素性や力に強い興味を抱いていたため、過度に干渉してくることはなかった。
 里の長老は、アレンたちが里の規律を乱さない限り、自由な行動を黙認してくれた。

 アレンは与えられた空き家で休息を取りつつ、里の片隅にある古い書庫に通い詰めた。そこには、外部にはほとんど伝わっていない獣人(ビーストマン)の歴史や、森に関する伝承、そしてわずかながら古代文明に関する記述が残されていた。虚空魔法(ヴォイド・マジック)に直接繋がる情報はなかったが、世界の成り立ちや魔法の根源に関する考察は、アレンの知的好奇心を刺激し、自身の力の理解を深める一助となった。

 エレナは、里の子供たちや若者たちと少しずつ打ち解けていた。風を読む彼女の能力は、里の狩りや見回りにも役立ち、当初の警戒心は薄れつつあった。しかし、ふとした瞬間に見せる寂しげな表情や、他人と深く関わろうとしない態度は変わらなかった。

 ガルドは、持ち前の気風の良さと確かな腕前で、すぐに里の鍛冶師たちと意気投合していた。ドワーフと獣人(ビーストマン)、種族は違えど、物作りにかける情熱は共通していたようだ。彼は里の鍛冶場を借り、アレンたちの武具の手入れや改良を進める傍ら、自身の求める「伝説の鉱石」に関する情報を集めていた。

 そしてルナは、監視役という名目で、最もアレンと接する時間が長かった。彼女はアレンの使う虚空魔法(ヴォイド・マジック)について、臆することなく質問を浴びせた。「その力はどうやって発現するのですか?」「空間座標を認識するとは具体的に?」「(いにしえ)の魔法との関連は?」。アレンはほとんどまともに答えなかったが、ルナの鋭い洞察力や豊富な知識には、時折感心させられることもあった。

 そんな日々が数日続いたある夜。
 四人は焚き火を囲んでいた。パチパチと火が爆ぜる音だけが響く、静かな時間。
 ふと、ルナがアレンに問いかけた。

「アレン……あなたのその力は、とても強大ですが……同時にとても危険な匂いがします。あなたは、その力を手に入れて、何をしようとしているのですか?」

 その問いに、エレナとガルドもアレンに視線を向ける。彼らもまた、アレンの目的を知りたいと思っていた。

 アレンはしばらく黙って燃える火を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。

「……復讐だ」

 その一言には、重く、冷たい響きがあった。

「俺は、信じていた仲間に裏切られた。優秀すぎるという、ただそれだけの理由で、罠にはめられ、全てを奪われた。名誉も、居場所も、未来も……。そして、俺を裏切り者だと嘲笑った連中がいる」

 アレンは、感情を押し殺した淡々とした口調で、自身の過去――学園での栄光、パーティー結成、ギルバートの嫉妬、そして遺跡での裏切りと街からの追放――を語り始めた。どこまで話すか迷ったが、彼らの力を借りるためには、ある程度の開示が必要だと判断したのだ。

 彼の告白に、三人は息を呑んだ。
 エレナは、自分と同じ「裏切り」の痛みを経験したアレンに、初めて共感に近い感情を覚えた。
 ガルドは、才能への嫉妬という理不尽な理由に、静かな怒りを感じていた。
 ルナは、アレンの抱える闇の深さと、その力の根源にあるものが何なのかを、改めて思い知らされた。

 アレンの話が終わると、重い沈黙が流れた。
 やがて、エレナが口を開いた。

「……私も、似たようなものよ。信じていた上官に命令され、仲間を見殺しにできなかった。結果、裏切り者の汚名を着せられ、追われる身になったわ」

 次にガルドが続く。

「ワシは、一族の伝統にない新しい技術を追い求めた。それが異端とされ、故郷を追われた。力や才能があっても、それを認めない古い連中がいる限り、ワシらはいつまでも日陰者だ」

 最後にルナが語る。

「私は、知識を求めただけです。エルフの社会で禁忌とされる、世界の真理に繋がる知識を。でも、それを長老たちは許さなかった。私は……ただ知りたかっただけなのに」

 四人の間に、言葉はなくとも通じ合う、深い共感が生まれた。
 彼らは皆、それぞれの理由で社会から弾かれ、傷つき、孤独を抱えていた。

 アレンは、三人の顔を順に見渡し、そして力強く言った。

「俺は復讐する。ギルバート……そして俺を裏切り、嘲笑った者たち全てに。だが、それだけでは終わらせない。俺たちのような人間が、これ以上生まれない世界を作りたい」

 アレンの瞳には、憎悪だけでなく、確かな理想の光が宿っていた。

「才能や努力が正当に評価され、出自や種族で差別されず、誰もが自分の意志で生きられる場所……そんな理不尽のない世界を、俺たちの手で創り上げる。そのために、お前たちの力が必要だ」

 彼は三人に手を差し伸べるかのように、問いかけた。

「俺と共に来て、この腐った世界に一矢報いる気はないか? そして、新たな世界を作る手伝いをしてくれないか?」

 アレンからの、予想外の、しかし真摯な提案。
 三人は、それぞれの思いを胸に、アレンの言葉を受け止めた。

 エレナは、アレンの瞳の奥にある覚悟を見た。そして、彼の理想とする世界に、かつて自分が守れなかった者たちの姿を重ねた。

「……いいわ。あなたと共に往く。ただし、その力が暴走し、道を誤るなら……その時は私があなたを止める」

 ガルドは、アレンの途方もない夢に、ドワーフの血を騒がせていた。己の技術を存分に振るい、世界を変える一端を担えるかもしれない。

「ふん、面白ぇ! 若造の夢物語に、このガルド様が付き合ってやる! お前の復讐に必要な最高の武具もな!」

 ルナは、アレンという存在と、彼が起こそうとしている変革に、知的な興奮と使命感を感じていた。

「あなたの進む道は、きっと世界の真理にも繋がっているはずです。私も同行させてください。私の知識と魔法で、必ずお役に立ちます」

 三者三様の決意。アレンは、差し伸べられた彼らの手――いや、心を、確かに受け止めた。

「……感謝する」

 短く、しかし心のこもった言葉が、アレンの口から漏れた。
 この瞬間、四人の間に、単なる利害関係を超えた、復讐と理想という共通の目的で結ばれた新たな絆が生まれたのだ。

 翌日、アレンたちは里の長老に別れを告げた。
 長老は多くを語らなかったが、彼らの旅立ちを静かに見送った。

「若人たちよ、お前たちの進む道は険しかろう。じゃが……その先に光があると信じるならば、迷わず進むがよい」

 その言葉を胸に、四人は再び禁忌(きんき)の森へと足を踏み出す。
 目的地は、アレンが虚空魔法(ヴォイド・マジック)を得た古代遺跡(エンシェント・ルーイン)。そこを拠点とし、復讐と理想の実現に向けた本格的な訓練を開始するためだ。

 彼らの表情には、過去の傷跡が刻まれている。だが、それ以上に、未来への険しい道のりを見据える覚悟と、仲間と共に歩むという新たな決意が満ちていた。
 アレンの孤独な復讐の旅は、終わりを告げた。
 ここから先は、四人の仲間たちと共に歩む、新たな戦いの始まりだった。