アレン、エレナ、そしてガルド。
 三人の奇妙な旅は、禁忌(きんき)の森のさらに奥深くへと続いていた。

 当初の警戒心や不信感が完全に消えたわけではない。しかし、共に数々の危機を乗り越える中で、彼らの間には自然な役割分担と、互いの能力に対する最低限の信頼のようなものが生まれ始めていた。

 ガルドはドワーフならではの頑健さと、長年の経験に裏打ちされた知識で、森に潜む危険な罠や地形を見抜いた。「こっちの道はヤバそうだぜ。妙な魔力の痕跡がある」「このキノコは食えるが、こっちは猛毒だ。気をつけな」。彼の存在は、単なる戦闘力以上に、この過酷な環境を生き抜く上で大きな助けとなった。

 エレナは風魔法を駆使し、広範囲の索敵を担当した。「前方、三時の方向に大型魔獣の反応! 数は二頭!」「風向きが変わったわ……天候が崩れるかもしれない」。彼女の的確な情報は、不意の遭遇や危険を回避する上で不可欠だった。

 そしてアレンは、その圧倒的な戦闘能力で、遭遇する脅威を排除する役割を担っていた。
 虚空魔法(ヴォイド・マジック)による空間認識で敵の位置を正確に把握し、座標移動(テレポート)で奇襲をかけ、空間障壁(ディメンション・シールド)空間偏向(ディストーション)で仲間を守り、空間破砕(スペースクラッシュ)虚数空間(イマジナルスペース)から取り出した剣で確実に仕留める。その戦いぶりは、エレナとガルドにとって依然として理解不能な部分が多かったが、その確実性と効率性は認めざるを得なかった。

 会話は相変わらず少なかったが、焚き火を囲んでガルドが持っていた保存食を分け合ったり、エレナがアレンの小さな傷を風魔法で癒やしたり(アレンは無言でそれを受けた)、そんなささやかな交流の中で、彼らは互いを単なる「一時的な協力者」以上の存在として、意識し始めているのかもしれなかった。

 さらに数日後、三人は森の中でも特に魔力の流れが異なる一帯へと足を踏み入れた。
 これまでの淀んだ空気とは違い、清浄で穏やかな、しかし強い生命力を感じさせる魔力が満ちている。まるで聖域のような雰囲気だった。
 しかし、目の前に広がるのは、これまでと変わらない鬱蒼とした森の風景だけだ。

「……おかしいわね。こんなに強い魔力を感じるのに、何も見えない。風の流れも、ここで不自然に曲げられている……」

 エレナが眉をひそめ、風を使って周囲を探る。

「幻術か、あるいは結界の一種だろう」

 アレンも空間認識能力で探っていた。彼の「視界」には、この一帯を覆うように、薄い膜のような空間の「歪み」が認識できていた。それは自然現象ではなく、明らかに人為的なもの――外部からの侵入者を拒むための高度な結界だった。

「ふん、獣人《ビーストマン》どもがよく使う手だな。連中は余所者を嫌うからな」

 ガルドが吐き捨てるように言った。彼の言葉から、過去に獣人《ビーストマン》と何らかの関わりがあったことが窺えた。

「ここを抜けないと、先に進めないようね……。でも、どうやって?」

 エレナが途方に暮れたように言う。これほど大規模で巧妙な結界を破るのは、並大抵のことではない。

 アレンは黙って結界の歪みを観察し、その構造を解析していた。そして、一箇所だけ、他の部分よりも歪みが薄く、不安定になっているポイントを見つけ出した。

「……ここだ。ここからなら、干渉できるかもしれん」

 アレンはそう言うと、歪みのポイントに右手を向け、意識を集中させた。
 虚空魔法(ヴォイド・マジック)を発動し、空間の歪みの中心点に、針で突くような精密さで、ごくわずかな亀裂を入れる。

 ピシッ……と、ガラスが割れるような微かな音が響いた。
 すると、目の前の森の風景が陽炎のように揺らぎ始め、まるでカーテンが開くように、その向こう側に隠されていた光景が姿を現した。

 そこには、緑豊かな谷が広がっていた。
 太陽の光を浴びて輝く清流、豊かに実った果樹、そして、木材や石で作られた素朴で美しい家々が立ち並んでいる。まるで御伽噺に出てくるような、平和で穏やかな隠れ里だった。

 しかし、その穏やかな光景とは裏腹に、里の中から放たれるのは、侵入者に対する強い警戒と、明確な殺気だった。
 結界が破られたことを、即座に察知されたのだ。

 アレンたちが呆然と里の光景を見つめていると、鋭い気配と共に、一陣の風のように一人の少女が彼らの前に立ちはだかった。
 肩までの長さの銀色の髪、大きな三角形の耳、そして背後で揺れるふさふさとした純白の尾。整った顔立ちには、しかし険しい表情が浮かんでいる。腰には鞘に収められた一振りの刀。――狐の獣人(ビーストマン)だった。

「何者だ!」

 少女――ルナは、射抜くような鋭い瞳でアレンたちを睨みつけ、低い声で問い詰めた。その声には、里を守る者としての強い意志と、侵入者への敵意が込められている。

禁忌(ここ)を破り、我らの里に何の用だ! 答えによっては、命はないと思え!」

 彼女の身のこなし、纏う気の鋭さから、相当の手練れであることが一目で分かった。エレナとガルドは咄嗟に身構える。

 緊迫した空気が流れる。
 アレンはルナの敵意を正面から受け止めながら、冷静に状況を判断していた。ここで戦闘になれば、里全体を敵に回すことになる。それは避けたい。

 アレンは前に一歩出ると、両手を軽く上げて敵意がないことを示しながら口を開いた。

「我々に敵意はない。ただ、この森を抜けるための情報を求めている。できれば、一時的な休息も許されるとありがたい」
「信用できるか!」

 ルナは即座に否定する。

「貴様たちのような余所者、それも……」

 ルナの視線がアレンに注がれる。彼女の獣人《ビーストマン》としての鋭い感覚は、アレンの纏う虚空魔法(ヴォイド・マジック)の異質さと、その底にある闇を感じ取っていた。

「……その禍々しい力を持つ者を、易々と里に入れるわけにはいかない!」
「禍々しい、か……。ならば、その力で語る方が早いか?」

 アレンの声が、わずかに低くなる。右手をゆっくりと持ち上げると、指先から黒い靄のようなエネルギーがゆらりと立ち昇った。これ以上の問答は無用、とでも言うように。

 ルナもまた、腰の刀の柄に手をかけ、抜刀寸前の構えを取る。
 一触即発――。

 その時、穏やかだが威厳のある声が響いた。

「待ちなさい、ルナ」

 声の主は、ゆっくりと姿を現した。
 長い白髭を蓄え、深い叡智を湛えた瞳を持つ、老齢の狐獣人(ビーストマン)。質素な衣を纏ってはいるが、その存在感はルナを遥かに凌駕していた。里の長老のようだった。

 長老は、アレン、エレナ、ガルドの三人を順に、値踏みするように見つめた。

「ふむ……傷つき、追われ、あるいは何かを探し求める者たちか。それぞれに、複雑な事情を抱えておるようじゃな」

 長老の視線がアレンで止まる。その瞳が、アレンの力の深淵を覗き込むかのように細められた。

「特に……そこの若いの。その力は、尋常ではない。まるで、(いにしえ)の……いや」

 長老は何かを察したようだったが、それ以上は言葉にしなかった。

「まあ、よい。争いは好まぬ。お前さんたちの言葉、今は信じよう。客人としてもてなす」

 長老の意外な言葉に、ルナが驚きの声を上げる。

「長老!? しかし!」
「ただし」

 長老はルナの言葉を遮り、続けた。

「監視はつけさせてもらう。ルナ、お前がその役目を負いなさい。彼らから決して目を離すな。少しでも怪しい動きがあれば、即座に報告するように」
「……はっ」

 ルナは不満そうな表情を隠しきれなかったが、長老の命令には逆らえず、渋々頷いた。

 こうしてアレン、エレナ、ガルドの三人は、監視付きという条件付きではあったが、獣人《ビーストマン》の隠れ里での一時的な滞在を許されることになった。

 彼らは、この静かな里で束の間の休息を得ると共に、新たな出会いと、それぞれの運命に繋がる情報を得ることになるのかもしれない。
 そして、監視役となったルナとの間にも、新たな関係が築かれていくことになるだろう。