それからというもの。
私は時折、彼が歌っているあの駅へ足を運ぶようになったのだった。
本当になんとなく、なんとなく気になっただけ。一目惚れなんて不合理な行為ではないのだと己に言い聞かせながら。
「本城さんって前はどこで歌ってたんです?」
その日は、彼がまだシートを敷く前に到着した。ゆえに、彼が準備をしている間二人だけで話をすることができたのだった。半ば、彼の準備を邪魔してしまっている気がしないでもないが。
「登坂駅です。あそこ、自宅アパートの最寄り駅なので。小さい駅だしお店とかも少ないけど、なかなかいい場所ですよ、登坂って」
最初はもじもじしていた本城亜樹も、段々と私に心を開いてくれるようになってきたらしい。ちょっとプライベートに踏み込んだことも話してくれる様になった。最初に会った時、買い物をやめたことで浮いたお札を投げ銭したのが大きかったのかもしれないが。
嬉しい反面、ちょっとだけ心配になる。
年齢以上に、なんとも純朴そうな彼。本名で、自宅最寄り駅まで明かして活動するのはちょっと危険な気がするのだが大丈夫だろうか?今時男性ならストーカーに遭わないなんてこともないだろうに。
「登坂って、JR東京線の登坂駅であってる?」
勉強は苦手だが、興味をもったことを覚えるのは大得意な私である。頭の中にもやもやもやーっと路線図を思い浮かべながら言う。女の子ながら、子供の頃は電車が大好きだったのだ。従兄弟とともに鉄道博物館に連れて行ってもらって大はしゃぎしたのはいい思い出である。
東京線の登坂駅は、大きな駅と駅に挟まれた場所にある駅だった。
東京線は平日の昼などは快速運転をしていて、その時間帯だと見事に飛ばされてしまうような位置にある駅ではなかっただろうか。実際、私も降りたことはなかった。ただ。
「ひょっとして、大学に近いからそこに住んでるとか?」
「正解です。うちの大学、登坂キャンパスってのがあって……経済学部や文学部は登坂なんですよね。四年間みっちり勉強するつもりだし、ならもう近くに住んじゃうのが一番かなぁって」
「なるほど。ずっと歌っていたのもその駅前?」
「はい」
なるほど、なかなか気概のある学生らしい。――将来やりたいこともなく、かといって高卒で働く元気もなく。ついでに亜里紗から「お願いしますうううううううう同じ大学受験してええええええええ!」と泣きつかれたなどの理由から、今の自分の学力でも合格できる大学に入って今に至るのが私とは大違いだ。
やりたいことなんてない。
特に夢や希望があるわけでもない。
親のすすめもあって経営学部に入ったはいいが、適当に最低限単位が取れる授業をやって、最低限学校に行けばいいやという毎日だった。二年生だからまだ就職活動を始める必要もないと呑気になっているのもある。
だから、四年間みっちり勉強したい、なんて言える亜樹のことが少しだけ眩しくて、同じだけ羨ましく感じたのだった。
「そういえば、この駅にも月英大学のキャンパスあるんだっけ?潮騒キャンパス」
私はちらり、とショッピング・モールの方へ視線を投げる。あのショッピング・モールを超えた先に、月英大学のキャンパスかあることは知っている。むしろ月英大学といえばそっちのキャンパスの方が規模が大きくて有名であるはずだった。なんせ大きな体育館とグラウンドが併設されており、運動部系の多くのサークルがあそこで活動しているからである。
大学多しといえど、テニスコートにナイター設備完備の野球場、アメフト専用コートまでばっちりある学校はここくらいなものだろう。
ちなみに解説し忘れていたが、ここの駅の名前も『潮騒駅』だったりする。JR山下線と、東京線が両方乗り合わせている大きな駅だ。ショッピング・モール以外にも施設やお店が充実していて、最近は若者の街として潮騒駅はかなり人気が高いと聞いている。
「詳しいんですね、聖羅さん」
亜樹は目を丸くして言った。ちなみに彼が私を下の名前で呼ぶのは、純粋に私がそうお願いしたからである。平凡な名字より、私は親がつけてくれたこのお洒落な名前を気に入っているのだった。
まあ、画数が多いせいで小学校の習字の授業ではだいぶ悲惨なことになっていたわけだが。
「そりゃ、月英大学は志望校候補の一つでしたからね。調べたわけですよ、いろいろと」
彼が敷いたビニールシートの前にしゃがみこみ、苦笑する私。
「テストの判定ヤバすぎるし、友達が一緒の大学に行ってって頼んでくるしで結局早々に志望校から外れたわけですけどね。いやぁ、本城さん凄いわマジで。月英に行けるなんて、頭いいんだろうなぁ」
「ギリギリですよ、俺なんて。それに、元々月英に行こうと思った動機も結構不順なものですしね」
「そうなの?」
「はい。高校の時の恩師が……引退後に、月英大学の客員教授になると聞いて。それで、先生の授業がまた受けられるかもしれないならと死物狂いで勉強して月英に行きました。結果、他の先生の講義も面白くて、非常に有意義な大学生活を送れることになったのですが」
「へえ、良かったじゃん!」
いけない、と私は慌てて口を抑えた。ついつい、人に馴れ馴れしく接してしまうのが悪い癖だ。まだ数回会っただけのストリートミュージシャンとファンの関係でタメ口はないだろう、タメ口は。
「ごめんなさい、敬語、苦手で」
しょんぼりして告げると、彼はからからと明るく笑って手を振った。
「気にしないでください!良いですよ、タメ口でも」
「ほんと?」
「はい。それに、歳の近い女性にこうして話しかけて貰えて俺も嬉しいです。あんまり女性と話すのは得意じゃないんですけど、聖羅さんはすごく気さくで話しやすいし」
「ほ、ほんと?良かった!」
私はなんて安いんだろう。
たったそれだけの言葉で、まるで天にも登る心地となっているのだから。
「高校時代に、軽音部でバンドやってて。他の仲間はみんなやめちゃったけど、俺は音楽やめられなくて。どうしても、これだけは続けたかったから。……大学行きがてらバイトしてお金貯めつつ、ここで歌ってるってわけなんですよね」
そうこうしているうちに彼の準備が終わる。歌い始めるとギャラリーがわぁっと増えるのは既にわかりきっていたことだったので、私は少しだけ彼が座っている柱から距離を取った。
彼はいつも、一曲目にエトランゼを歌い、そのあとは新曲やお気に入りの曲をランダムで歌う。今日もきっと同じコースになるだろう。
「今日もたっぷり聞かせて貰うね!」
私は心の底から言った。
「好きなんだ、本城くんの曲!」
「ありがとうございます。心を込めて歌わせて頂きますね」
「うん!」
ギターのコードなんてわからない。音痴だし、音階なんて全然聞き取れない。
それでも彼がギターを鳴らすと、音符がふわりと浮かんで、風船のように鮮やかに空間を彩ると知っている。果たして今日は、私をどんな世界に誘ってくれるのだろうか。
***
ライブの合間。
私は思い切って彼に、どうして歌う駅を変えたのかと尋ねてみたのだ。確かに登坂駅は小さい駅だが、自宅にも大学にも近いなら通いやすいし、知り合いも多く通ることだろう。足を止めて聞いてくれる人も多いのではなかろうか。
すると彼は困ったように笑って、条例で歌えなくなっちゃって、と言った。だから別の場所を探したのだと。
確かに近隣のクレームのせいで、音楽活動が制限されてしまうのはままあることかもしれないが。
「……変だな」
その日の夜。
ネットで登坂駅やその周辺について調べてみた私は、首を傾げることになったのだった。
というのもこの駅のある地域で、条例によりストリートミュージシャンが活動できなくなったなんて話はどこにもない。それどころかこの駅、来週には新しくストリートピアノが設置されることになっている。誰でも弾けるピアノが置かれるような場所なのに、ギターの演奏は駄目なんてそんなことはないだろう。亜樹が演奏するのは基本的に平日の夕方か、土日の昼間というから尚更に。
――ということは。……他に理由があるのに、それを、隠したかったってこと?
この場合、理由は大きく二つ考えられることだろう。
一つ、登坂駅で音楽活動ができない理由があった。
二つ、登坂駅以上に、潮騒駅でストリートをやりたい理由ができた。
ギター演奏を禁止されていないからといって、登坂駅を避ける理由が他にないとは言い切れない。例えば駅の周辺で遭遇したくない人がいるとか、他のミュージシャンとかち合うのが嫌だったとかそういうのも考えられなくはないだろう。しかし現状、そんなネガティブな理由より二つ目の方が遥かにあり得るように感じるのは気のせいだろうか。
つまり、潮騒駅になんらかの拘りがあるパターン。
最近この駅周辺で、何か特別なイベントでもあったのだろうか?
――潮騒駅は、アイドルのコンサート会場とかも近いしなー。ショッピング・モールでもイベントやってたりするから、間違いなく人が多くて目立つのは事実なんだけど。
彼は、目立ちたくて音楽をやっているのだろうか?なんだかそれも違うような気がしている。
見た目だけでどうこう判断することはできないが、亜樹は服装も地味だし演奏中に掲げている看板も非常にシンプルなものだ。それこそストリートミュージシャンの場合は、スカウト狙いというケースも少なくない。また、演奏をしながらユーチューブに投稿する動画を撮影している人も多いだろう。
ゆえに自分の名前や曲名を書いた看板をど派手に掲げて、さらには動画を撮影しながらという人も少なくないのだが――彼はどちらもやっていない。看板は掲げているがダンボールで作られた、名前だけしか書いてない簡素なものだ。カメラを立て掛けていたこともなかったように思う。
『高校時代に、軽音部でバンドやってて。他の仲間はみんなやめちゃったけど、俺は音楽やめられなくて。どうしても、これだけは続けたかったから。……大学行きがてらバイトしてお金貯めつつ、ここで歌ってるってわけなんですよね』
――どうして音楽、やめられなかったんだろう。他の仲間はみんなやめちゃったのに。自分だけで食べていける自信があったとか?いや……そんなに自分の才能を信じてるタイプには見えなかったしなぁ。
彼の言葉を思い返しながら、私はカチカチとマウスを動かした。どうして音楽をやめられなかったのか、尋ねてみればよかった。単に好きだからとか、面白いからとか、そういうシンプルな理由かもしれないけれど。
――……なんとなく、違う気がする。そう、例えば……大切な人に、想いを届けたくて歌ってたとか、そういうのあるのかな?
そういえば、どうしてあの曲は『エトランゼは恋をした』なのだろう。エトランゼ、とはどういう意味だっただろうか。フランス語か何かだった気がするのだが。
私はなんとなく、覚えているあの曲の歌詞を書き出してみることにした。勉強はそこまで得意ではなかったが、好きになったことならばすぐに覚えられる質だ。特に好きな歌の歌詞などを覚えるのは昔からかなり得意なのである。
――……そういえば、ここ、どういうことなんだろう?これが、本当に彼の気持ちを歌ったものなら……。
歌詞を文字にして眺めてみると、なんとなく違和感が浮き彫りになってくる。
私はそれを読み返しながら、パソコンの画面を見て――月英大学のホームページを開いていた。
「!……これって……」
ミステリアスな彼の秘密が、糸が解けるように明らかになっていく。私は名探偵じゃない。ひょっとしたら、もしかしたら、の連続で証拠なんか何もないけれど、でも。
――……確かめてみよう。本当に、そうなのか。もしそうならあんまりにも……あんまりにも、苦しすぎるから。
私は時折、彼が歌っているあの駅へ足を運ぶようになったのだった。
本当になんとなく、なんとなく気になっただけ。一目惚れなんて不合理な行為ではないのだと己に言い聞かせながら。
「本城さんって前はどこで歌ってたんです?」
その日は、彼がまだシートを敷く前に到着した。ゆえに、彼が準備をしている間二人だけで話をすることができたのだった。半ば、彼の準備を邪魔してしまっている気がしないでもないが。
「登坂駅です。あそこ、自宅アパートの最寄り駅なので。小さい駅だしお店とかも少ないけど、なかなかいい場所ですよ、登坂って」
最初はもじもじしていた本城亜樹も、段々と私に心を開いてくれるようになってきたらしい。ちょっとプライベートに踏み込んだことも話してくれる様になった。最初に会った時、買い物をやめたことで浮いたお札を投げ銭したのが大きかったのかもしれないが。
嬉しい反面、ちょっとだけ心配になる。
年齢以上に、なんとも純朴そうな彼。本名で、自宅最寄り駅まで明かして活動するのはちょっと危険な気がするのだが大丈夫だろうか?今時男性ならストーカーに遭わないなんてこともないだろうに。
「登坂って、JR東京線の登坂駅であってる?」
勉強は苦手だが、興味をもったことを覚えるのは大得意な私である。頭の中にもやもやもやーっと路線図を思い浮かべながら言う。女の子ながら、子供の頃は電車が大好きだったのだ。従兄弟とともに鉄道博物館に連れて行ってもらって大はしゃぎしたのはいい思い出である。
東京線の登坂駅は、大きな駅と駅に挟まれた場所にある駅だった。
東京線は平日の昼などは快速運転をしていて、その時間帯だと見事に飛ばされてしまうような位置にある駅ではなかっただろうか。実際、私も降りたことはなかった。ただ。
「ひょっとして、大学に近いからそこに住んでるとか?」
「正解です。うちの大学、登坂キャンパスってのがあって……経済学部や文学部は登坂なんですよね。四年間みっちり勉強するつもりだし、ならもう近くに住んじゃうのが一番かなぁって」
「なるほど。ずっと歌っていたのもその駅前?」
「はい」
なるほど、なかなか気概のある学生らしい。――将来やりたいこともなく、かといって高卒で働く元気もなく。ついでに亜里紗から「お願いしますうううううううう同じ大学受験してええええええええ!」と泣きつかれたなどの理由から、今の自分の学力でも合格できる大学に入って今に至るのが私とは大違いだ。
やりたいことなんてない。
特に夢や希望があるわけでもない。
親のすすめもあって経営学部に入ったはいいが、適当に最低限単位が取れる授業をやって、最低限学校に行けばいいやという毎日だった。二年生だからまだ就職活動を始める必要もないと呑気になっているのもある。
だから、四年間みっちり勉強したい、なんて言える亜樹のことが少しだけ眩しくて、同じだけ羨ましく感じたのだった。
「そういえば、この駅にも月英大学のキャンパスあるんだっけ?潮騒キャンパス」
私はちらり、とショッピング・モールの方へ視線を投げる。あのショッピング・モールを超えた先に、月英大学のキャンパスかあることは知っている。むしろ月英大学といえばそっちのキャンパスの方が規模が大きくて有名であるはずだった。なんせ大きな体育館とグラウンドが併設されており、運動部系の多くのサークルがあそこで活動しているからである。
大学多しといえど、テニスコートにナイター設備完備の野球場、アメフト専用コートまでばっちりある学校はここくらいなものだろう。
ちなみに解説し忘れていたが、ここの駅の名前も『潮騒駅』だったりする。JR山下線と、東京線が両方乗り合わせている大きな駅だ。ショッピング・モール以外にも施設やお店が充実していて、最近は若者の街として潮騒駅はかなり人気が高いと聞いている。
「詳しいんですね、聖羅さん」
亜樹は目を丸くして言った。ちなみに彼が私を下の名前で呼ぶのは、純粋に私がそうお願いしたからである。平凡な名字より、私は親がつけてくれたこのお洒落な名前を気に入っているのだった。
まあ、画数が多いせいで小学校の習字の授業ではだいぶ悲惨なことになっていたわけだが。
「そりゃ、月英大学は志望校候補の一つでしたからね。調べたわけですよ、いろいろと」
彼が敷いたビニールシートの前にしゃがみこみ、苦笑する私。
「テストの判定ヤバすぎるし、友達が一緒の大学に行ってって頼んでくるしで結局早々に志望校から外れたわけですけどね。いやぁ、本城さん凄いわマジで。月英に行けるなんて、頭いいんだろうなぁ」
「ギリギリですよ、俺なんて。それに、元々月英に行こうと思った動機も結構不順なものですしね」
「そうなの?」
「はい。高校の時の恩師が……引退後に、月英大学の客員教授になると聞いて。それで、先生の授業がまた受けられるかもしれないならと死物狂いで勉強して月英に行きました。結果、他の先生の講義も面白くて、非常に有意義な大学生活を送れることになったのですが」
「へえ、良かったじゃん!」
いけない、と私は慌てて口を抑えた。ついつい、人に馴れ馴れしく接してしまうのが悪い癖だ。まだ数回会っただけのストリートミュージシャンとファンの関係でタメ口はないだろう、タメ口は。
「ごめんなさい、敬語、苦手で」
しょんぼりして告げると、彼はからからと明るく笑って手を振った。
「気にしないでください!良いですよ、タメ口でも」
「ほんと?」
「はい。それに、歳の近い女性にこうして話しかけて貰えて俺も嬉しいです。あんまり女性と話すのは得意じゃないんですけど、聖羅さんはすごく気さくで話しやすいし」
「ほ、ほんと?良かった!」
私はなんて安いんだろう。
たったそれだけの言葉で、まるで天にも登る心地となっているのだから。
「高校時代に、軽音部でバンドやってて。他の仲間はみんなやめちゃったけど、俺は音楽やめられなくて。どうしても、これだけは続けたかったから。……大学行きがてらバイトしてお金貯めつつ、ここで歌ってるってわけなんですよね」
そうこうしているうちに彼の準備が終わる。歌い始めるとギャラリーがわぁっと増えるのは既にわかりきっていたことだったので、私は少しだけ彼が座っている柱から距離を取った。
彼はいつも、一曲目にエトランゼを歌い、そのあとは新曲やお気に入りの曲をランダムで歌う。今日もきっと同じコースになるだろう。
「今日もたっぷり聞かせて貰うね!」
私は心の底から言った。
「好きなんだ、本城くんの曲!」
「ありがとうございます。心を込めて歌わせて頂きますね」
「うん!」
ギターのコードなんてわからない。音痴だし、音階なんて全然聞き取れない。
それでも彼がギターを鳴らすと、音符がふわりと浮かんで、風船のように鮮やかに空間を彩ると知っている。果たして今日は、私をどんな世界に誘ってくれるのだろうか。
***
ライブの合間。
私は思い切って彼に、どうして歌う駅を変えたのかと尋ねてみたのだ。確かに登坂駅は小さい駅だが、自宅にも大学にも近いなら通いやすいし、知り合いも多く通ることだろう。足を止めて聞いてくれる人も多いのではなかろうか。
すると彼は困ったように笑って、条例で歌えなくなっちゃって、と言った。だから別の場所を探したのだと。
確かに近隣のクレームのせいで、音楽活動が制限されてしまうのはままあることかもしれないが。
「……変だな」
その日の夜。
ネットで登坂駅やその周辺について調べてみた私は、首を傾げることになったのだった。
というのもこの駅のある地域で、条例によりストリートミュージシャンが活動できなくなったなんて話はどこにもない。それどころかこの駅、来週には新しくストリートピアノが設置されることになっている。誰でも弾けるピアノが置かれるような場所なのに、ギターの演奏は駄目なんてそんなことはないだろう。亜樹が演奏するのは基本的に平日の夕方か、土日の昼間というから尚更に。
――ということは。……他に理由があるのに、それを、隠したかったってこと?
この場合、理由は大きく二つ考えられることだろう。
一つ、登坂駅で音楽活動ができない理由があった。
二つ、登坂駅以上に、潮騒駅でストリートをやりたい理由ができた。
ギター演奏を禁止されていないからといって、登坂駅を避ける理由が他にないとは言い切れない。例えば駅の周辺で遭遇したくない人がいるとか、他のミュージシャンとかち合うのが嫌だったとかそういうのも考えられなくはないだろう。しかし現状、そんなネガティブな理由より二つ目の方が遥かにあり得るように感じるのは気のせいだろうか。
つまり、潮騒駅になんらかの拘りがあるパターン。
最近この駅周辺で、何か特別なイベントでもあったのだろうか?
――潮騒駅は、アイドルのコンサート会場とかも近いしなー。ショッピング・モールでもイベントやってたりするから、間違いなく人が多くて目立つのは事実なんだけど。
彼は、目立ちたくて音楽をやっているのだろうか?なんだかそれも違うような気がしている。
見た目だけでどうこう判断することはできないが、亜樹は服装も地味だし演奏中に掲げている看板も非常にシンプルなものだ。それこそストリートミュージシャンの場合は、スカウト狙いというケースも少なくない。また、演奏をしながらユーチューブに投稿する動画を撮影している人も多いだろう。
ゆえに自分の名前や曲名を書いた看板をど派手に掲げて、さらには動画を撮影しながらという人も少なくないのだが――彼はどちらもやっていない。看板は掲げているがダンボールで作られた、名前だけしか書いてない簡素なものだ。カメラを立て掛けていたこともなかったように思う。
『高校時代に、軽音部でバンドやってて。他の仲間はみんなやめちゃったけど、俺は音楽やめられなくて。どうしても、これだけは続けたかったから。……大学行きがてらバイトしてお金貯めつつ、ここで歌ってるってわけなんですよね』
――どうして音楽、やめられなかったんだろう。他の仲間はみんなやめちゃったのに。自分だけで食べていける自信があったとか?いや……そんなに自分の才能を信じてるタイプには見えなかったしなぁ。
彼の言葉を思い返しながら、私はカチカチとマウスを動かした。どうして音楽をやめられなかったのか、尋ねてみればよかった。単に好きだからとか、面白いからとか、そういうシンプルな理由かもしれないけれど。
――……なんとなく、違う気がする。そう、例えば……大切な人に、想いを届けたくて歌ってたとか、そういうのあるのかな?
そういえば、どうしてあの曲は『エトランゼは恋をした』なのだろう。エトランゼ、とはどういう意味だっただろうか。フランス語か何かだった気がするのだが。
私はなんとなく、覚えているあの曲の歌詞を書き出してみることにした。勉強はそこまで得意ではなかったが、好きになったことならばすぐに覚えられる質だ。特に好きな歌の歌詞などを覚えるのは昔からかなり得意なのである。
――……そういえば、ここ、どういうことなんだろう?これが、本当に彼の気持ちを歌ったものなら……。
歌詞を文字にして眺めてみると、なんとなく違和感が浮き彫りになってくる。
私はそれを読み返しながら、パソコンの画面を見て――月英大学のホームページを開いていた。
「!……これって……」
ミステリアスな彼の秘密が、糸が解けるように明らかになっていく。私は名探偵じゃない。ひょっとしたら、もしかしたら、の連続で証拠なんか何もないけれど、でも。
――……確かめてみよう。本当に、そうなのか。もしそうならあんまりにも……あんまりにも、苦しすぎるから。



