夢物語は輝く君のため


 メディアセンターの前のちょっとした開けたスペース。
 そこには、壁際にベンチが二つ設置されている。
 ベンチにカバンを下ろして座れば、ためらいなく隣にぴたりと座った。

「俺は、もう小説は書かないの」
「それは、わかってます。それでも、書いて欲しいんです」
「なんでそんなに俺にこだわるわけ? 噂を信じて?」

 噂は、噂だ。
 俺は誰かの願いを叶えられるような人間じゃない。
 たとえ、できたときても、神様じゃないんだからそんなことはしたくない。

「噂だけじゃないんです。どうしても、先輩がいいんです」

 あと数日で、この付きまといも終わる。
 だったら、逃げ続ければいい。
 わかってるのに突き放しきることができないのは、お人よしすぎるんだろう。

 それでも、よしわかった、とは請け負えない。

「理由は?」
「先輩の小説が好きだから……」
「は?」

 読んだことがあるのだろうか。
 どれのことだろう。
 記憶を辿っても、後輩に読ませたことは思い出せなかった。

「先輩の物語に背中を押されて、今の私がいるんです。だから、先輩の物語の力をもう一度借りたいんです」
「はぁあ……」

 あまりのひたむきさに、無碍にできなかった。
 小説なんて、ちゃちゃっと書けばいい。
 そう言われてきた。
 起こりそうな事実に沿って書けばいいんだから。
 それは、でも小説じゃない。
 俺が書きたいのは、希望に溢れた夢物語だった。

「不思議な力なんて本当にないんだぞ」
「無くて良いんです。先輩の物語なら、なんだって私の力になるから」

 これを最後にしよう。
 そう思ってしまうのは、俺自身が小説にまだ未練があるからだろうか。
 そんなことはやめたと言いつつ、頭の中には、何個も物語が広がっていく。

 誰かが幸せになれる話。
 泣いて、感動する話。
 誰かに、力を届けられる人間になりたかった。
 だから、小説を書いていたことを、思い出してしまったんだ。

「名前は?」
「いまさらですねぇ」

 ちょっと生意気な後輩に、ムッとする。
 それでもカバンの中から創作ノートを取り出して、広げた。
 やめたと言いながら、捨てられなかった俺の大切なノート。

紫都(しづ)です。紫色に、都で」
「しづ……苗字でいいだろ!」
「苗字は嫌なので、しーちゃんでも、紫都でも、好きに呼んでください!」

 勝手だなと思いながら、ノートにメモをする。
 紫都。
 紫色に都。
 紫色が確かによく似合うと思った。
 可愛い中に、凛とした美しさを持ってる。

「先輩の名前は知ってますよ。神悠希(じんはるき)先輩。ハル先輩でいいですか?」
「勝手にしろ」
「ハルちゃん先輩とかも、可愛くていいですよね」

 隣でケラケラと笑う。
 休憩時間にしては長居してる気がしたが、突っ込むのもやめた。

「で、甲子園に行けるような物語にして欲しいんだな?」
「甲子園に行きたいは、行きたいですけど。私が真剣にチアダンスに祈りを込めて踊りきる、って感じでお願いします」

 抽象的なお願いに、首を傾げる。
 俺の願いが叶う小説を聞いて、書いて欲しいとねだっていたわけじゃないのか?

「ハル先輩に背中を押して欲しいだけなので。結果は自分で掴まないと意味ないじゃないですか」

 紫都の言葉に、呼吸の仕方を忘れた。
 仕方なく、書こうと思っていたのに。
 紫都のためなら、書いてもいいとすっかり思えてる。
 単純な自分に、ちょっとだけ、笑えてしまった。

 それでもすぐに書くとは、決心できない。
 だから、せめて紫都のことを知ろうと思った。

「練習姿を見てもいいか?」
「私の、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「見せたら、書いてくれますか?」

 紫都は一瞬、困ったような顔をした。
 そして、スマホを取り出す。
 どうして悩んでるのかは、わからない。
 まぁ、チア部に俺みたいな男が来るってだけでも変に思われそうだからそれかもしれないが。
 俺の方も確約はできない。
 それを決めるために、見に行きたいんだから。

「確約はできないけど、せめて紫都のことを知りたい」

 紫都はスマホから顔を上げて、すうっと一呼吸置いた。
 そして、こくりと小さく頷く。
 
「明後日の放課後なら、大丈夫です」
「上の廊下から見るから、大丈夫だよ」
「その方が怪しくないですか?」
「じゃあどういう理由で見に行くんだよ」
「見学、とか? マネージャー志望とか?」

 絶対俺が、クラスメイトとかに殺されるだろ。
 それだけは避けたい。
 でも、それ以外に良い理由は思い浮かばない。
 やっぱり、上の廊下から眺めるのが一番いい気がする。

「上の廊下から見てる奴らたまにいるだろ」
「いますけど……」

 言い濁す姿に、首を傾げる。
 紫都は意を結したように、ふぅっと息を吐いてから、意外な言葉を口にした。

「変態って思われますよ」
「へ?」
「上の廊下から見てくる人たちいますけど、先輩たち、キモいっていつも言ってます」

 知らなかった。
 いや、俺は別に眺めてたことはないけど。
 あそこでチア部にきゃーきゃー言ってたやつらに、ちょっとだけ同情を覚えた。

「見学もやばくないか?」
「うーん、あ、じゃあ、先輩噂に耐えられますか?」
「噂?」
「私の彼氏とか言っておけば……」

 紫都の提案に、そっちの方が殺されそうな気がする。
 想像だけで、寒気がした。

「噂にならないようにはできないわけ?」
「人の口に戸は立てられないですから」
「っていうか、彼氏に勘違いされるぞ」
「いないですから」

 首をブンブンと横に振る仕草は、本当のように見える。
 紫都の練習風景を見なくても、きっと物語は書けるだろう。
 でもそれは、きちんとした物語じゃない。
 だから、見には行きたいが、どうしたものか。

 変態と思われても、上の廊下から見るのが一番な気がする。

「いいよ、キモイって言われても、こっそり見にいく」
「私が良くないんですけど……」
「そんな長居はしないから」
「わかりました、じゃあ待ってますね?」
「おう」

 休憩にしてもらったとは言っていたが、こんなに長く抜けていて良いものなんだろうか?

「大丈夫か?」
「何がですか?」
「練習」
「あー、戻ります! 戻ります!」

 今からでも、良いのかもしれない。
 そうは思ったけど人の少ないこの時間に見にいく方が、避難を浴びそうだ。
 やめておこう。

 立ち上がって、たったっと小走りに去っていく。
 急に紫都は止まって、こちらを振り返った。

「じゃあ、ハル先輩よろしくお願いします」

 そして、ちいさくペコっとお辞儀をする。
 また、小走りをして階段を下っていった。
 どうしても俺が良い。
 そう言われたくて、誰かの特別になりたかった。
 それが、こんな形で叶うとは。
 しかも、可愛い後輩。

 ちょっとだけ邪な気持ちが浮かびそうになって、必死に打ち消した。
 書くとは、まだ決めていない。

 ***

 次々とクラスメイトたちが教室を、出ていくのを見送る。
 わざとらしく、机の中からゆっくり教科書をカバンに詰めながら。
 できるだけ、誰かと鉢合わせするのは遠慮したい。
 知らないチア部にキモイと言われるのは耐えれても、クラスでキモイとは言われたくないから。

 シーンっと教室が静まり返った頃、カバンを持ち上げてゆっくりと教室を出た。
 吹奏楽部の練習や、踊り場で自習をしてる同級生たちを横目にまっすぐアトリウムへ向かう。

 部活動は基本的に外か、アッセンブリルームがメインだからか校舎内には数えるほどしかいなさそうだった。
 二階の廊下には、確かにチア部を見に来たような奴らが下を覗いてる。
 これと一緒にされるのはたまらないが、書くかどうか決めるためだ。
 腹を括って、下のアトリウムを覗き込む。

 チア部が声を出しながら、合わせてダンスの動きの確認をしていた。
 真剣な表情で額に汗をかく、紫都を端の方に見つける。
 俺の方には気づきもせず、まっすぐ前を見据えていた。

「ワン・ツー」

 カウントを取りながら、一糸乱れぬ姿で踊っている。
 あまりの美しさに息を呑んだ瞬間。
 紫都がよろめいた。
 動きが、おかしい。

「紫都!」

 近くにいた子が駆け寄って、手を伸ばしてる。
 足を挫いたのか……?
 そう思えば、紫都は首を横に振る。

 大丈夫だから、と言ってるように見えた。
 そして、もう一度立ち上がってまっすぐ前を見つめてる。

「無理だって、その足で……」
「大丈夫だから!」

 全く大丈夫じゃなさそうな顔で、その言葉を発する。
 一瞬、紫都がこちらを見上げて、バツの悪そうな顔をした。
 足をケガでもしてるのか……?
 それでも、そこまで打ち込む理由はなんだ。
 今日、俺が見にくるから?

 そんな都合のいい妄想をして、ため息を吐き出した。
 書くしか、ないだろう。
 あんなに必死に、ケガをしていようが気高い姿を見せられたら。

 俺がひよって、逃げてるのが、バカバカしくなる。
 どうしたらそこまで、真剣になれるのか。
 紫都の理由が、気になって仕方がなかった。

 これが最後だ。
 それなら、とても良い終わりな気がした。
 だから、書こう。
 俺の力で願いは叶えてやれないけど、紫都の背中を押すための物語を。

 俺の物語を心の底から求めてくれてる。
 紫都のために、幕を下ろす。

 ちらりと紫都に視線を送ってから、メディアセンターへ向かう。
 チア部の練習がいつ終わるのかはわからない。
 紫都の連絡先も知らない。
 それでも、メディアセンターで待っていれば、紫都は来る気がした。

 たった数日前に知り合ったばかりなのに、勝手に理解し合えてるつもりになっている。
 
 メディアセンターは放課後でも、人は少ない。
 この前は土曜日だからかと思ったが、そもそも利用者があまりいないようだ。
 あの時の司書さんを見つけて、ぺこりとお辞儀をする。
 特に文句も言われず、お辞儀を返された。

 あの日と同じ窓際に、座る。
 もしかしたら、またすぐに紫都が来るかもと思ったが、メディアセンターの扉は開きそうにない。

 机の上に開いた真っ白なノートは、夕日に照らされている。
 紫都がチアを踊りきる物語。
 俺が知ってる紫都は、ワガママで、それで、掴みどころがない女の子。
 そんな紫都が本気でチアと向き合って、甲子園で踊りたい理由はなんだ?
 誰かとの約束……?
 彼氏はいない、と言っていた。
 本当かは知らないが。

 今までの紫都が、知りたかった。
 それでも、それをなぞるのは物語じゃない。

 なぞってしまえば……俺の物語は、本当に力を持つ。
 夢物語を描きたかったのに、辞めた理由は、本当に叶えてしまうからだった。
 そんな力はないと、否定し続けていたけど。
 事実だ。
 一番最初に気づいたのは、小説をまだよくわかっていなかった頃。
 子どものおままごとのような、作文のような、短編を書いた小学五年生の頃だった。

 ***

 担任の先生が、黒板にカッカッと音を立てながらチョークで文字を書いていく。
 先生の提案で国語の授業で「物語を書こう」となった。
 何を書けば良いか思いつかない。

「身近なことでもいいんです。友だちとこうして、こういう気持ちになった、とか。それをもっと空想を膨らませてください。ドラゴン退治でもいいですし、行ったことのないところへ行く話でも」

 先生の言葉に閃いたのは、水族館だった。
 テレビの中では見たことのある魚がいっぱい泳いでるところ。
 あと、ペンギンやアザラシもいるらしい。
 動物園には行ったことがあったけど、水族館には行ったことがなかった。

 だから、一番仲良しのハジメくんと行けたら楽しいだろうな。
 ハジメくんは塾が忙しいから、あんまり遊べないけど。
 いつかは、行けたらいい。
 来年には転校してしまうって言ってたから、来年までに。
 ううん、すぐだったら、嬉しいな。

 そう思って、ハジメくんと水族館に行く物語を書き始めた。
 
 今週の土曜日。
 ハジメくんと二人で、水族館を見て回った。
 ハジメくんも水族館は、はじめてで、大きなサメの水槽の前ではしゃいでる。
 俺もハジメくんと初めて、お休みの日に遊びに出かけられたことが嬉しくて、水族館内を走って回った。
 転んでしまってヒザをケガしたけど、ハジメくんがハンカチを貸してくれて、笑ってくれる。
 売店でお揃いのボールペンをハジメくんは、買ってくれた。
「転校しても、いつか再会しようぜ! スマホはまだダメって言われてるから、これで手紙書いてくれよ」
 そう言いながら、ちょっと泣きながら渡してくれた。
 ハジメくんが転校するまで、あと数ヶ月。
 俺は、いっぱいハジメくんと思い出を作ろうと思った。

 原稿用紙に書いた物語を先生は、じっくりと読んでくれる。
 そして、赤ペンで空いてる部分に花丸を書いてくれた。

「神さんの物語は、やさしいですね」
「やさしい?」
「ハジメくんへの思いがたっぷり詰まっていてステキです」

 その言葉に、胸がジーンとなる。
 だから、もっと、書きたいと思ってしまった。
 そしたら、また先生は褒めてくれるかもしれない。

 ***

 そして、本当に物語を書いた週の土曜。
 ハジメくんに誘われて、俺は行ったこともない水族館に行く事になった。
 ハジメくんの両親の車で送ってくれて、水族館に入るまでは四人。
 水族館の中は二人で見ておいでと言われて、俺は走り出した。
 ハジメくんの手を引いて。

 そこで転んで、まぁ、物語の通りになった。
 まだ小学五年生でよく分かっていなかった俺は、そういうこともあるかくらいの感覚だったけど。

 誰か実在の登場人物を描くたびに、それが現実に起こる。
 まるで、神様になったかのようだった。
 幼くて、バカだった俺は……
 みんなにその事実を言いふらして、みんなの物語を描くと違った。
 小学生のおまじないのように、俺の小説は人気が出た。