「すみません。お土産までいただいてしまって」
「いいよー。また食べにおいで。ほら、大和。ちゃんと送ってあげな」
「あ、いえ。大丈夫です。そこまでお世話になるわけには」
「いいよー。普段通らない道だと帰り道わかんないだろ? 腹ごなしにちょっと動きたいし」
 スニーカーを履いた赤城が玄関ドアを開けると、夜風が頬を撫でた。
「ご馳走さまでした。すごく美味しかったです」
 ぺこりと頭を下げた白戸に赤城の父は優しく微笑んだ。
「またおいでね、白戸君」
「はい。ありがとうございます」
「白戸、見て見て。星が出てる」
 先に外に出た赤城が無邪気に空を指差す。
「わ。ほんと、星が綺麗ですね」
 赤城と白戸はカーポートから引っ張り出してきた自転車を押しながら、どちらともなく横に並んで歩く。
「あー、お腹いっぱいです。美味しかったですね、赤城先輩の家の唐揚げ」
「なー? なんか血ぃ吸い過ぎて真っ直ぐ飛べない蚊の気持ちー。幸せ苦しー」
「その例え、わかりますけど、次回から叩きにくくなっちゃいますね」
「んー。でもさ、お腹はいっぱいなんだけど、しょっぱい物ばっか食べたから甘い物食べたいなー。白戸、コンビニでアイス買ったげようか?」
「いや、そんなもう入りませんよ。自転車のサドルに座るのもキツイくらいお腹パンパンなんですから……」
「白戸も成長期だろ? どれだけ食っても腹減らない? ここ数か月で目線がだいぶ近くなってきた気がする」
「そう、ですかね?」
 ちら、と赤城を見ると、確かに以前より赤城の身長に近づいている気がする。
 ただそれだけで、赤城自身に少し近づけているような気がして白戸の心は浮足立った。
「あ、あそこのコンビニ、いつも前を通るんです。先輩、ここからなら道わかりますんで、お見送り大丈夫ですよ」
「ん。じゃ、あそこのコンビニまで送るわ。アイス買お」
 ……やっぱりまだ食べるんだ。
 ふと白戸は街灯に照らされた赤城の首元に赤い痕を見つけ、ぎくりと身体を強張らせる。
「あの、赤城先輩。その首のとこ……」
「ん? 首? 蚊でもいた?」
 首元を手でさする赤城を見て、白戸の脳裏に夕方見た光景が次々にフラッシュバックする。明らかに欲望の捌け口として赤城を利用しようとした英語教師と、楽し気に談笑し、意識を失っている間に抱き寄せられた赤城の姿。
 白戸はきゅ、と唇を引き結んだ。
 想いを告げる気なんて無かった。
 ただ傍にいられるなら、それだけで充分だと思っていた。あの瞬間までは。
 誰かに取られるくらいなら、失敗してもいいじゃないか。
 自転車のハンドルを握り締めた白戸は立ち止まり、赤城の顔を真っ直ぐに見つめて短く息を吸った。
「……先輩。僕、先輩のことが好きです」
 赤城はにこりと笑って白戸の頭をぐりぐりと撫でる。
「かわいいこと言ってくれるなー。俺も白戸のこと好きだわー。いっつも怪我したら飛んできてくれるし、頭良いし、遊びに行くのも付き合いいいし、食べ物の好き嫌いも無くてー……」
「……っ、! だからっ! そうじゃ、なくて……っ!」
「……白戸?」
 白戸は片手で赤城のTシャツを掴んで引き寄せ、正面から赤城の顔を見つめて言った。
「そういう意味じゃない! 僕、赤城先輩のこと、誰にも渡したくないんです! 赤城先輩の特別になりたい!」
 言ってしまった瞬間から、白戸は後悔した。
 いや、こんな喧嘩腰みたいな告白、ムードもへったくれも無いな。冷静なもう一人の自分に心の中でツッコミを入れられ、我に返った白戸は掴んでいた赤城のTシャツを恐る恐るゆっくりと手放した。
「…………。すみません送ってくださってありがとうございました失礼します!」
 一息に言い放って頭を下げ、顔もあげられないまま自転車に飛び乗って、白戸は文字通り逃げ帰った。
 アパートの駐輪場に鍵すらかけずに自転車を横倒しに放りだして帰宅したことに気付いたのは翌朝のことだった。それくらい、気が動転していた。
「天史? この唐揚げすごく美味しいけど、どこで買ったの?」
 夜勤明けで帰宅した母親に声をかけられ、ああ、唐揚げだけは辛うじて持ち帰ったのか、と睡眠不足でぼんやりとした頭で考えた。
「学校の……先輩の家でご馳走になって、お土産にどうぞってもらった」
「ああ。あのよく話してた血塗れの先輩?」
 声を出す気力すら湧かず、白戸は力無く頷いた。
「いつも天史がお世話になってるのに、こんな美味しいお土産まで申し訳ないわねぇ。お返しにお菓子用意しようか?」
 白戸は肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息を吐き、嫌われたかも、と呟いてソファの隅に膝を抱えて小さく丸まった。
 きっと先輩、突然わけがわからないことを一方的にまくしたてられて、挙句逃げられて、さぞや驚いたことだろう。呆れられたかもしれない。
 帰宅してからも白戸の情緒の乱高下は収まらず、結局眠りについたのは夜が明けてからだった。
「……ええと、よくわからないけど、喧嘩?」
 白戸は膝に額をくっつけたまま、首を横に振った。
「僕が、一方的に喚いて、迷惑かけた。先輩は何も悪くない」
「……そう。先輩には、ちゃんと謝った?」
「謝ったのか、帰るために断りを入れたのか、自分でもよくわかんない。ソーリーじゃなくて、エクスキューズミー的なニュアンスだったような気もする。うまく説明できないけど」
 ソファの隣が沈み込む気配がした。
「図体は大きくなったのに、丸まっちゃう癖は昔から変わらないねえ」
 ぽんぽん、と白戸の背中を温かい手が優しく叩いた。
「天史もよくわかってると思うけど、人間明日どうなるかなんて誰にもわかんないの。後悔しないように。明日も楽しく過ごせるように。さっさと謝っちゃいなさい」
 膝からそっと顔を上げて、部屋の一角に飾られた遺影に目を向ける。
「……うん。そうだね」