【文side】
都会の人っていうのは、光が当たっていなくてもきらきらしているんだなあ。
初めて天舞くんを見たとき、俺はそんな感想を抱いた。
御手洗天舞くん。
名前からして只者じゃないオーラがある。天舞くんも自己紹介で「天から舞い降りたような美しさの赤ちゃんだったので、天舞といいます」と言っていた。
ちょっと意味はわからなかったけど、きっと赤ちゃんのときからきらきらしていたのは本当だろう。
天舞くんは背が高くて肌が白い。色素の薄い髪は顔を揺らすたびにさらさらと流れていた。何よりも、顔立ちが完璧に整っている。
芸能人だ、と反射的に思った。周りのみんなもそう思ったみたいで、彼が席に座るなり「御手洗くんって芸能人?」と尋ねていた。
「今は違うけど、遠からずそうなる可能性はあると思う」
天舞くんはそう答えて、得意げに笑った。ただ笑っただけなのに、そこだけ映画の一部を切り取ったみたいだった。
天舞くんはなんでもできた。彼は転校してすぐに体調を崩して一日休んだものの、すぐに復活して教室に現れた。
天舞くんはどの授業で当てられても澱みなく答えるし、体育で体力測定をしてもぶっちぎりの一位だった。規格外すぎてみんな羨むことすらできなかったと思う。
なんだかすごい人がやってきた、と俺はわくわくしていた。
佐里山高校の二年生は俺を入れても十五人しかいない。天舞くんを入れて十六人。けれど、すごいものはすごい。
天舞くんは褒められると「まあ、僕なので」と堂々と言ってのけるあたりも面白い。褒め言葉を真正面から受け止められる人はなかなかいない。
なんでもできすぎて、この高校だと退屈なんじゃないかな、と勝手に想像したりもした。
休み時間の天舞くんは、スマホを取り出してはため息をついて窓の外を見ている。この町はどこへ行っても電波が弱いしWi-Fiを使っても頼りない。小学校からの付き合いの羽瀬川貴樹は、いつも「カクカクしない動画が見てぇな」とぼやいている。
俺はあんまりスマホは使わないけれど、たぶん、これまで当たり前にネットでの繋がりがあった天舞くんには辛いんだろうな、と思った。俺が頑張ってどうこうできる問題じゃないものの、佐里山町が田舎であることがちょっぴり申し訳ない。
俺は佐里山町が好きだ。
けれど天舞くんがこれまで親しんできたもの……華やかで楽しいものは、この町にはない。だから、「ごめんね」って気分になる。
そうやって俺は、天舞くんを遠巻きに見ていた。
そしてある夜、ポロを散歩させていたときに、自転車を押して歩く天舞くんに会ったのだ。
「文、いつの間に御手洗くんと仲良くなったんだよ」
「えっ」
天舞くんとの秘密の特訓が終わり、一週間が経った放課後のこと。
さて帰るか、と立ち上がったところで、隣の席の貴樹から話しかけられた。
天舞くんは日直で、ホームルームが終わるのと同時に教室を出ていた。貴樹の質問に、他のみんなもこちらに視線を寄越してくる。
「いつの間にか『天舞くん』って呼ぶようになってるじゃん。御手洗くんは『文』って呼んでるし」
「えーっと……」
「あと昼飯も一緒に食い始めただろ」
貴樹の言うとおりだった。
俺と天舞くんは、秘密の特訓を経て仲良くなった。……と少なくとも俺は思っている。
天舞くんも俺とよく話してくれるようになり、二人で帰ったり、昼休みには机を並べて一緒に弁当を食べるようになった。
天舞くんのお母さんは料理好きかつ手先が器用らしく、毎回お弁当の蓋を開けるとカラフルなキャラクターが現れる。天舞くんも「かわいいだろう」と毎回自慢してくるあたりが面白い。
ついでに天舞くんは俺の弁当も覗き込んで、「栄養バランスが完璧だ!」と褒めてくれるから照れくさい。褒められるのが上手な人って、褒めるのも上手だ。
「で、なんで?」
「それは……」
貴樹が圧力をかけてくる。好奇心で尋ねられていることはわかる。が、なんとも説明しづらい。
だって、一緒に自転車の特訓をしたから仲良くなった、なんて言ったら、天舞くんが自転車に乗れなかったことがバレてしまう。
この教室に天舞くんを馬鹿にする人はいないと思うけれど、それでも天舞くんにとっては知られたくないことだと思う。あの特訓は、俺たちだけの秘密だ。
というわけで、俺は無理やり言い訳を捻り出すことにした。
「うーんとね、うちの家族と、御手洗くんの家族が仲良くて」
「嘘、初耳」
「まあね。まあ、それがきっかけで俺たちも話すようになったっていうか……」
俺がたった今考えた嘘なので、それ以上続かない。貴樹も訝しげに俺を見る。俺って頭の回転遅いよなあ、と自分に呆れた。すると。
「そう。僕たちは家族ぐるみの付き合いなんだ」
斜め後ろからよく通る声。振り返ってみると、天舞くんが自信満々な笑みを浮かべ、腕を組んで立っていた。
驚く周囲に向けて、天舞くんは続ける。
「僕の家族はまだこの町の暮らしに不慣れだからね。だから文のご家族からアドバイスをもらってる。そうだろ、文」
「う、うん」
「家族ぐるみの付き合いだよ」
すらすらと話す言葉には説得力があった。俺が思わず「そうだっけ」と思ってしまうくらいに。
貴樹も納得したように頷く。その様子を見ながら、やっぱり天舞くんは頭がいいなあ、と俺はしみじみと感心していた。
「結構苦しい嘘をつくんだな」
貴樹からの質問を上手くかわしたあとの帰り道。
颯爽とペダルを漕ぎながら、天舞くんはいたずらっぽくそう話しかけてきた。背筋をぴんと伸ばして、慣れた様子で自転車に乗る姿が小憎らしい。
「……本当に家族ぐるみになるかもしれないじゃん。それに、天舞くんだってのってきたし」
「僕は機転が利くからな」
ウインクを決めた天舞くんは、突然何かを思いついたように、「あ」と漏らして自転車を止めた。俺もブレーキを握って止まる。見れば、子どもみたいな顔いっぱいの笑みがこちらを向いていた。
「文の家に行ってみたい」
「えっ」
「みんなにああやって言った手前、全く交流がないのはまずいと思う!」
天舞くんはそう朗々と言い放った。緑から黄色に色が変わり始めた田んぼに、声が通っていく。
そしてその響き具合が気恥ずかしかったのか、天舞くんは「んん」と咳払いをしてから続けた。
「だってその……と、友だちっていうのは、お互いの家を行き来するものだろ」
「まあ、そうだね」
友だち、という響きがくすぐったい。嬉しさと照れくさい気持ちをごまかすようにさらっと答えると、天舞くんはぱっと顔を輝かせた。夕方なのに、日中の太陽のように笑顔が眩しい。
天舞くんを家に呼ぶ、と考えたらちょっと気が引けた。だって、うちには元気な家族がいるだけで、おしゃれなものも楽しいものもない。
「おもてなしとか、できないけど……」
「しなくていい!」
やや前のめり気味に天舞くんが言う。自転車が軋んで、俺たちの間を風が通った。まだ夏の青さを纏った、柔らかな匂い。
「そ、それが友だちってものだろ」
ぼそぼそと言う天舞くんの頬は、心なしか赤く見えた。
俺の家族は七人家族。父方の祖父母と両親、小三の妹と小二の弟。
その家族構成を伝えた途端、天舞くんは驚愕の表情で「大家族スペシャルとかに出られるんじゃないか?」なんて言ってきた。
天舞くん。すみませんが、七人家族はそこまで大家族じゃないです。
そんなわけで、俺は天舞くんを家に招待することになった。
「いきなりお邪魔してすみません」
「あらぁ」
居間の電気が点いているのを確認してから天舞くんを招き入れると、まずはばあちゃんが出てきた。天舞くんを見るなり、ぽかんと口を開けている。
気持ちはわかる。天舞くんって、顔が整いすぎて後光が差している。
続いて、妹の花が居間から飛び出した。天馬くんを認めた瞬間、元々大きな花の目がぎょっと見開かれる。
「イケメンだ……!」
「やあ、お嬢さん」
「お兄さん、芸能人!?」
最近難しい名前のアイドルにはまり始めた花にとって、アイドル以上に整った容姿の天舞くんの登場は衝撃的だったかもしれない。一方の天舞くんは、かっこつけて前髪をかき上げている。
「すごい、かっこいい!」
花はそう言ったきり動かなくなって、それから今度は弟の紘がやって来た。こちらも「ゲーノージン!」と騒ぎ出し、とどめとばかりにじいちゃんと母さんが出てきて目を丸くする。
「……文」
「はい」
「君のご家族は審美眼に優れている」
「どうも」
嬉しそうにしている天舞くんをちらりと見てから、俺はみんなに「俺の友だちの御手洗天舞くん」と紹介した。
いつもは自由に暮らしている家族は、珍しく声を揃えて「友だち……」と俺と天舞くんの顔を見比べた。何がどうなってこの二人が友だちに? とみんなの顔に書いてある。
つり合わないのはわかっているが、家族にそこまで露骨に振る舞われるとは思わなかった。
「友だち、です」
そういえば、俺が友だちを家に連れてくるなんていつぶりだろうか。小学生の頃まではよく学校の友だちを呼んでいたけれど。
首を捻る俺の隣で、天舞くんは「御手洗天舞です」とやたらといい声で言った。
いきなり連れてくるのはまずかったかなぁ、という俺の心配は杞憂に終わり、天舞くんはあっさりと我が家に受け入れられた。
「ああ、御手洗さんって東京から来たっていう! 息子さんがとってもかっこいいって噂になってたんだよ」
「どうりで垢抜けていると思ったわ。素敵ねぇ」
「ありがとうございます。素敵、かっこいいとよく言われます」
特に花と紘の懐き具合は俺が呆気に取られるほどだった。天舞くんの腕をぐいぐい引っ張って居間の座卓に座らせ、互い違いに話しかける。
「ねーねー、てんまくんってモデルさん? アイドル?」
「当たらずとも遠からず、といったところかな」
「なんか難しい言葉知ってるね! 東京のどこから来たのー? あ、おむすびパーティーする?」
「こら。花、紘」
両腕を引かれ続けて、天舞くんは振り子のように揺れていた。困らせているんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。
けれど天舞くんはにこやかなままで、紘に顔を近づけてこそこそと尋ねた。
「おむすびパーティーとは?」
「えっとねぇ、みんなで好きなもの入れて、みんなでおむすびを食べるの」
楽しいんだよ、と続けた紘に、天舞くんは真剣な顔を向けた。
「それはいい。どちらのおむすびがおいしいか、勝負をしよう」
「する!」
「花もする~!」
「…………」
俺が呆気に取られている間に、母さんとばあちゃんは食卓におむすびの具材を並べ始めた。
ボウルに盛られた炊き立てのご飯。うちの田んぼでとれたものだ。
続いて、具材となるたらこや梅干し、こんぶやツナ、卵焼きに海苔、大葉やごま塩なんかが次々と現れる。
ぼんやりしているのは俺だけで、家族はみんな食卓に着き、めいめいボウルから茶碗へとご飯を移していた。ラップを敷いて、そこで思い思いのおむすびを握る。うちの家族が時々開催する、おむすびパーティー。
「花がてんまくんに作ってあげる~!」
「ずるい! 紘も~!」
「じゃあ僕は二人に作ろうかな」
すんなりと馴染んだ天舞くんは、なぜかお寿司の形のおむすびを作り始めた。その上に具材を乗せて、花と紘にそれぞれ差し出す。
二人はぱちくりと瞬きをしたあと、同時に「何これ~!」と笑い出した。天舞くんが胸を張って言う。
「僕はお寿司が好物なんだ。だからお寿司型にした」
「……斬新だね」
「文にも作ってやろうか?」
冗談で聞かれたのかと思ったけれど、天舞くんを見たら花と紘に負けないくらいにわくわくした顔をしていたので、俺は小さく笑って答えた。
「お願いしようかな」
「てんまくん! おすしおむすびもう一個作って!」
「いいとも。順番だ」
今度は寿司職人顔負けの動きでおむすび……なのかお寿司なのかわからないけれど、とにかく手を動かし始めた天舞くんに、花と紘はすっかり心を奪われてしまったようだった。
隣に座る母さんとばあちゃんが、「気さくで面白い子ねぇ」とけらけら笑う。なぜか俺が誇らしくなる。
そう、天舞くんは気さくで面白い。たくさんのことを知っているし、とても正直で誠実だ。
「文! 僕の特製だ」
「ありがと、天舞くん」
お寿司型のおむすびが、俺の皿の上に載せられる。卵焼きの上にたっぷりのたらこ、器用に細く切った海苔で帯が巻かれている。
「おいしいだろ」
「まだ食べてないよ」
「そうだった」
笑い声が絶えない食卓に、俺はこっそりと笑った。
斬新な形のおむすびはおいしくて、お腹を満たしてくれる以上に、胸が温かかった。
***
結局、天舞くんがうちの家族から解放されたのは、炊飯器が空になってしまってからだ。
外に出るとあたりは真っ暗で、月も見えなかった。新月の夜だ。
俺は途中まで天舞くんを送ることにして、自転車に跨った。
しゃりしゃりとタイヤが鳴る音の中、二台分の自転車のライトだけが行先を照らしていた。涼しくなった夜風が気持ちいい。
「かつてないほど満腹だ」
ふう、と息を漏らしながら天舞くんが言った。
花と紘のお手製おむすびをたらふく食べさせられていた光景を思い出して、苦笑する。
「ごめんね、花と紘がはしゃいじゃって」
「いや、楽しかった。僕は子どもと遊ぶのが得意みたいだ」
またひとつ特技を見つけてしまった、と呟く天舞くんは嬉しそうだ。
聞けば、天舞くんはこれまでほとんど子どもと接したことがないらしい。初めてであれだけ花と紘の心を掴むだなんてすごい。ノリがあの二人と合うのかも、と一瞬失礼なことを考えた自分を、密かに反省する。
不意に、天舞くんが口を開いた。
「文のお父さんは、仕事で遅いのか?」
それは自然な問いだった。夕食の最後まで、父さんは現れなかった。俺だって天舞くんの立場だったら同じ疑問を抱く。
けれどわずかに胸はちくりと痛んだ。痛む理由からは目を逸らして、俺はできるだけ淡々と答える。
「……父さんは、入院してる。肺が悪くて、調子がいいときは帰って来れるんだけど」
天舞くんが言葉に詰まったのがわかる。
優しくおおらかな父さんは、俺が中学二年のときに肺に病気が見つかった。穏やかな性格はそのままに、けれど身体は随分痩せた。すぐに命に関わるような病気ではないと聞いているが、今も入退院を繰り返している。
天舞くんに気を遣わせちゃうのは嫌だな、と思いながら俺は続けた。
「父さんがいない分、俺がしっかりしないといけないんだけど」
じいちゃんもばあちゃんもまだまだ元気だ。母さんも決して悲観しているわけじゃない。
でも父さんの代わりに、俺がもっとしっかりしていたら、みんな安心するんじゃないか、って思う。
俺って頼りないから、という言葉は呑み込んだ。そんなことを言われたって、天舞くんが反応に困るだけだ。
「しっかりするって、結構難しいんだよね」
花と紘があんなに楽しそうにしているのを見るのは久しぶりだった。お腹を抱えて笑って、天舞くんの腕に絡んで思いっきり甘えて。
きっと普段の二人は、いつも注意してばかりの俺に遠慮してるんだろうなって、そう思ってしまった。
「そうか?」
「え?」
天舞くんがブレーキをかけて止まった。俺がそれにならうと、真っ直ぐな視線が飛んでくる。辺りは暗いのに、天舞くんの瞳はよく見えた。
「文はしっかりしてるだろ」
「いや、そんなことは……」
「僕が言うんだから間違いない。文はしっかりしてる。花ちゃんや紘くんの面倒をちゃんと見てる。家事の手伝いだってしているし、僕が帰るタイミングも考えてくれていただろ」
「…………」
それだけしかやってないよ、と心の中で思う。けれど天舞くんは、俺の「それだけ」を認めてくれる。
褒められるのが上手な人は、褒めるのも上手い。
そして褒められたら、その気持ちは素直に受け止めたほうがいい。
「ありがとう」
天舞くんの目を見て、俺はそう答えた。天舞くんはきっと、お世辞なんて言わない。だから今差し出された言葉は本物だってわかる。
「僕には及ばないけれど、文はデキる男だな」
「天舞くんに追いつくのって、きっと大変だよ」
「でも自転車の腕前は文のほうが上だ」
涼しさをはらんだ風が吹いて、天舞くんの髪を揺らした。細い糸が夜にひらめいているみたいだった。
俺の隣にいるのが不思議に思えるくらい、天舞くんはきれいだ。
「……ところで、文」
べっこう色の瞳が、俺を見る。
「今度は文がうちに来ないと『家族ぐるみ』にはならない」
天舞くんの声は、少しだけ上擦っていた。照れてるのかな、と思ったら笑いそうになった。
「いつなら行ってもいい?」
顔を覗き込んで聞くと、天舞くんは驚いたように瞬きをした。
それから、頬が緩んで笑みが現れる。
「明日でもいいぞ」
「明日? 急だなあ」
「あさってでもいい」
「どうしようかな」
なんでもできてしまう天舞くん。でも、いい意味で完璧じゃない。
「嘘。じゃあ明日、遊びに行かせて」
俺はそれが、嬉しいと思う。
都会の人っていうのは、光が当たっていなくてもきらきらしているんだなあ。
初めて天舞くんを見たとき、俺はそんな感想を抱いた。
御手洗天舞くん。
名前からして只者じゃないオーラがある。天舞くんも自己紹介で「天から舞い降りたような美しさの赤ちゃんだったので、天舞といいます」と言っていた。
ちょっと意味はわからなかったけど、きっと赤ちゃんのときからきらきらしていたのは本当だろう。
天舞くんは背が高くて肌が白い。色素の薄い髪は顔を揺らすたびにさらさらと流れていた。何よりも、顔立ちが完璧に整っている。
芸能人だ、と反射的に思った。周りのみんなもそう思ったみたいで、彼が席に座るなり「御手洗くんって芸能人?」と尋ねていた。
「今は違うけど、遠からずそうなる可能性はあると思う」
天舞くんはそう答えて、得意げに笑った。ただ笑っただけなのに、そこだけ映画の一部を切り取ったみたいだった。
天舞くんはなんでもできた。彼は転校してすぐに体調を崩して一日休んだものの、すぐに復活して教室に現れた。
天舞くんはどの授業で当てられても澱みなく答えるし、体育で体力測定をしてもぶっちぎりの一位だった。規格外すぎてみんな羨むことすらできなかったと思う。
なんだかすごい人がやってきた、と俺はわくわくしていた。
佐里山高校の二年生は俺を入れても十五人しかいない。天舞くんを入れて十六人。けれど、すごいものはすごい。
天舞くんは褒められると「まあ、僕なので」と堂々と言ってのけるあたりも面白い。褒め言葉を真正面から受け止められる人はなかなかいない。
なんでもできすぎて、この高校だと退屈なんじゃないかな、と勝手に想像したりもした。
休み時間の天舞くんは、スマホを取り出してはため息をついて窓の外を見ている。この町はどこへ行っても電波が弱いしWi-Fiを使っても頼りない。小学校からの付き合いの羽瀬川貴樹は、いつも「カクカクしない動画が見てぇな」とぼやいている。
俺はあんまりスマホは使わないけれど、たぶん、これまで当たり前にネットでの繋がりがあった天舞くんには辛いんだろうな、と思った。俺が頑張ってどうこうできる問題じゃないものの、佐里山町が田舎であることがちょっぴり申し訳ない。
俺は佐里山町が好きだ。
けれど天舞くんがこれまで親しんできたもの……華やかで楽しいものは、この町にはない。だから、「ごめんね」って気分になる。
そうやって俺は、天舞くんを遠巻きに見ていた。
そしてある夜、ポロを散歩させていたときに、自転車を押して歩く天舞くんに会ったのだ。
「文、いつの間に御手洗くんと仲良くなったんだよ」
「えっ」
天舞くんとの秘密の特訓が終わり、一週間が経った放課後のこと。
さて帰るか、と立ち上がったところで、隣の席の貴樹から話しかけられた。
天舞くんは日直で、ホームルームが終わるのと同時に教室を出ていた。貴樹の質問に、他のみんなもこちらに視線を寄越してくる。
「いつの間にか『天舞くん』って呼ぶようになってるじゃん。御手洗くんは『文』って呼んでるし」
「えーっと……」
「あと昼飯も一緒に食い始めただろ」
貴樹の言うとおりだった。
俺と天舞くんは、秘密の特訓を経て仲良くなった。……と少なくとも俺は思っている。
天舞くんも俺とよく話してくれるようになり、二人で帰ったり、昼休みには机を並べて一緒に弁当を食べるようになった。
天舞くんのお母さんは料理好きかつ手先が器用らしく、毎回お弁当の蓋を開けるとカラフルなキャラクターが現れる。天舞くんも「かわいいだろう」と毎回自慢してくるあたりが面白い。
ついでに天舞くんは俺の弁当も覗き込んで、「栄養バランスが完璧だ!」と褒めてくれるから照れくさい。褒められるのが上手な人って、褒めるのも上手だ。
「で、なんで?」
「それは……」
貴樹が圧力をかけてくる。好奇心で尋ねられていることはわかる。が、なんとも説明しづらい。
だって、一緒に自転車の特訓をしたから仲良くなった、なんて言ったら、天舞くんが自転車に乗れなかったことがバレてしまう。
この教室に天舞くんを馬鹿にする人はいないと思うけれど、それでも天舞くんにとっては知られたくないことだと思う。あの特訓は、俺たちだけの秘密だ。
というわけで、俺は無理やり言い訳を捻り出すことにした。
「うーんとね、うちの家族と、御手洗くんの家族が仲良くて」
「嘘、初耳」
「まあね。まあ、それがきっかけで俺たちも話すようになったっていうか……」
俺がたった今考えた嘘なので、それ以上続かない。貴樹も訝しげに俺を見る。俺って頭の回転遅いよなあ、と自分に呆れた。すると。
「そう。僕たちは家族ぐるみの付き合いなんだ」
斜め後ろからよく通る声。振り返ってみると、天舞くんが自信満々な笑みを浮かべ、腕を組んで立っていた。
驚く周囲に向けて、天舞くんは続ける。
「僕の家族はまだこの町の暮らしに不慣れだからね。だから文のご家族からアドバイスをもらってる。そうだろ、文」
「う、うん」
「家族ぐるみの付き合いだよ」
すらすらと話す言葉には説得力があった。俺が思わず「そうだっけ」と思ってしまうくらいに。
貴樹も納得したように頷く。その様子を見ながら、やっぱり天舞くんは頭がいいなあ、と俺はしみじみと感心していた。
「結構苦しい嘘をつくんだな」
貴樹からの質問を上手くかわしたあとの帰り道。
颯爽とペダルを漕ぎながら、天舞くんはいたずらっぽくそう話しかけてきた。背筋をぴんと伸ばして、慣れた様子で自転車に乗る姿が小憎らしい。
「……本当に家族ぐるみになるかもしれないじゃん。それに、天舞くんだってのってきたし」
「僕は機転が利くからな」
ウインクを決めた天舞くんは、突然何かを思いついたように、「あ」と漏らして自転車を止めた。俺もブレーキを握って止まる。見れば、子どもみたいな顔いっぱいの笑みがこちらを向いていた。
「文の家に行ってみたい」
「えっ」
「みんなにああやって言った手前、全く交流がないのはまずいと思う!」
天舞くんはそう朗々と言い放った。緑から黄色に色が変わり始めた田んぼに、声が通っていく。
そしてその響き具合が気恥ずかしかったのか、天舞くんは「んん」と咳払いをしてから続けた。
「だってその……と、友だちっていうのは、お互いの家を行き来するものだろ」
「まあ、そうだね」
友だち、という響きがくすぐったい。嬉しさと照れくさい気持ちをごまかすようにさらっと答えると、天舞くんはぱっと顔を輝かせた。夕方なのに、日中の太陽のように笑顔が眩しい。
天舞くんを家に呼ぶ、と考えたらちょっと気が引けた。だって、うちには元気な家族がいるだけで、おしゃれなものも楽しいものもない。
「おもてなしとか、できないけど……」
「しなくていい!」
やや前のめり気味に天舞くんが言う。自転車が軋んで、俺たちの間を風が通った。まだ夏の青さを纏った、柔らかな匂い。
「そ、それが友だちってものだろ」
ぼそぼそと言う天舞くんの頬は、心なしか赤く見えた。
俺の家族は七人家族。父方の祖父母と両親、小三の妹と小二の弟。
その家族構成を伝えた途端、天舞くんは驚愕の表情で「大家族スペシャルとかに出られるんじゃないか?」なんて言ってきた。
天舞くん。すみませんが、七人家族はそこまで大家族じゃないです。
そんなわけで、俺は天舞くんを家に招待することになった。
「いきなりお邪魔してすみません」
「あらぁ」
居間の電気が点いているのを確認してから天舞くんを招き入れると、まずはばあちゃんが出てきた。天舞くんを見るなり、ぽかんと口を開けている。
気持ちはわかる。天舞くんって、顔が整いすぎて後光が差している。
続いて、妹の花が居間から飛び出した。天馬くんを認めた瞬間、元々大きな花の目がぎょっと見開かれる。
「イケメンだ……!」
「やあ、お嬢さん」
「お兄さん、芸能人!?」
最近難しい名前のアイドルにはまり始めた花にとって、アイドル以上に整った容姿の天舞くんの登場は衝撃的だったかもしれない。一方の天舞くんは、かっこつけて前髪をかき上げている。
「すごい、かっこいい!」
花はそう言ったきり動かなくなって、それから今度は弟の紘がやって来た。こちらも「ゲーノージン!」と騒ぎ出し、とどめとばかりにじいちゃんと母さんが出てきて目を丸くする。
「……文」
「はい」
「君のご家族は審美眼に優れている」
「どうも」
嬉しそうにしている天舞くんをちらりと見てから、俺はみんなに「俺の友だちの御手洗天舞くん」と紹介した。
いつもは自由に暮らしている家族は、珍しく声を揃えて「友だち……」と俺と天舞くんの顔を見比べた。何がどうなってこの二人が友だちに? とみんなの顔に書いてある。
つり合わないのはわかっているが、家族にそこまで露骨に振る舞われるとは思わなかった。
「友だち、です」
そういえば、俺が友だちを家に連れてくるなんていつぶりだろうか。小学生の頃まではよく学校の友だちを呼んでいたけれど。
首を捻る俺の隣で、天舞くんは「御手洗天舞です」とやたらといい声で言った。
いきなり連れてくるのはまずかったかなぁ、という俺の心配は杞憂に終わり、天舞くんはあっさりと我が家に受け入れられた。
「ああ、御手洗さんって東京から来たっていう! 息子さんがとってもかっこいいって噂になってたんだよ」
「どうりで垢抜けていると思ったわ。素敵ねぇ」
「ありがとうございます。素敵、かっこいいとよく言われます」
特に花と紘の懐き具合は俺が呆気に取られるほどだった。天舞くんの腕をぐいぐい引っ張って居間の座卓に座らせ、互い違いに話しかける。
「ねーねー、てんまくんってモデルさん? アイドル?」
「当たらずとも遠からず、といったところかな」
「なんか難しい言葉知ってるね! 東京のどこから来たのー? あ、おむすびパーティーする?」
「こら。花、紘」
両腕を引かれ続けて、天舞くんは振り子のように揺れていた。困らせているんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。
けれど天舞くんはにこやかなままで、紘に顔を近づけてこそこそと尋ねた。
「おむすびパーティーとは?」
「えっとねぇ、みんなで好きなもの入れて、みんなでおむすびを食べるの」
楽しいんだよ、と続けた紘に、天舞くんは真剣な顔を向けた。
「それはいい。どちらのおむすびがおいしいか、勝負をしよう」
「する!」
「花もする~!」
「…………」
俺が呆気に取られている間に、母さんとばあちゃんは食卓におむすびの具材を並べ始めた。
ボウルに盛られた炊き立てのご飯。うちの田んぼでとれたものだ。
続いて、具材となるたらこや梅干し、こんぶやツナ、卵焼きに海苔、大葉やごま塩なんかが次々と現れる。
ぼんやりしているのは俺だけで、家族はみんな食卓に着き、めいめいボウルから茶碗へとご飯を移していた。ラップを敷いて、そこで思い思いのおむすびを握る。うちの家族が時々開催する、おむすびパーティー。
「花がてんまくんに作ってあげる~!」
「ずるい! 紘も~!」
「じゃあ僕は二人に作ろうかな」
すんなりと馴染んだ天舞くんは、なぜかお寿司の形のおむすびを作り始めた。その上に具材を乗せて、花と紘にそれぞれ差し出す。
二人はぱちくりと瞬きをしたあと、同時に「何これ~!」と笑い出した。天舞くんが胸を張って言う。
「僕はお寿司が好物なんだ。だからお寿司型にした」
「……斬新だね」
「文にも作ってやろうか?」
冗談で聞かれたのかと思ったけれど、天舞くんを見たら花と紘に負けないくらいにわくわくした顔をしていたので、俺は小さく笑って答えた。
「お願いしようかな」
「てんまくん! おすしおむすびもう一個作って!」
「いいとも。順番だ」
今度は寿司職人顔負けの動きでおむすび……なのかお寿司なのかわからないけれど、とにかく手を動かし始めた天舞くんに、花と紘はすっかり心を奪われてしまったようだった。
隣に座る母さんとばあちゃんが、「気さくで面白い子ねぇ」とけらけら笑う。なぜか俺が誇らしくなる。
そう、天舞くんは気さくで面白い。たくさんのことを知っているし、とても正直で誠実だ。
「文! 僕の特製だ」
「ありがと、天舞くん」
お寿司型のおむすびが、俺の皿の上に載せられる。卵焼きの上にたっぷりのたらこ、器用に細く切った海苔で帯が巻かれている。
「おいしいだろ」
「まだ食べてないよ」
「そうだった」
笑い声が絶えない食卓に、俺はこっそりと笑った。
斬新な形のおむすびはおいしくて、お腹を満たしてくれる以上に、胸が温かかった。
***
結局、天舞くんがうちの家族から解放されたのは、炊飯器が空になってしまってからだ。
外に出るとあたりは真っ暗で、月も見えなかった。新月の夜だ。
俺は途中まで天舞くんを送ることにして、自転車に跨った。
しゃりしゃりとタイヤが鳴る音の中、二台分の自転車のライトだけが行先を照らしていた。涼しくなった夜風が気持ちいい。
「かつてないほど満腹だ」
ふう、と息を漏らしながら天舞くんが言った。
花と紘のお手製おむすびをたらふく食べさせられていた光景を思い出して、苦笑する。
「ごめんね、花と紘がはしゃいじゃって」
「いや、楽しかった。僕は子どもと遊ぶのが得意みたいだ」
またひとつ特技を見つけてしまった、と呟く天舞くんは嬉しそうだ。
聞けば、天舞くんはこれまでほとんど子どもと接したことがないらしい。初めてであれだけ花と紘の心を掴むだなんてすごい。ノリがあの二人と合うのかも、と一瞬失礼なことを考えた自分を、密かに反省する。
不意に、天舞くんが口を開いた。
「文のお父さんは、仕事で遅いのか?」
それは自然な問いだった。夕食の最後まで、父さんは現れなかった。俺だって天舞くんの立場だったら同じ疑問を抱く。
けれどわずかに胸はちくりと痛んだ。痛む理由からは目を逸らして、俺はできるだけ淡々と答える。
「……父さんは、入院してる。肺が悪くて、調子がいいときは帰って来れるんだけど」
天舞くんが言葉に詰まったのがわかる。
優しくおおらかな父さんは、俺が中学二年のときに肺に病気が見つかった。穏やかな性格はそのままに、けれど身体は随分痩せた。すぐに命に関わるような病気ではないと聞いているが、今も入退院を繰り返している。
天舞くんに気を遣わせちゃうのは嫌だな、と思いながら俺は続けた。
「父さんがいない分、俺がしっかりしないといけないんだけど」
じいちゃんもばあちゃんもまだまだ元気だ。母さんも決して悲観しているわけじゃない。
でも父さんの代わりに、俺がもっとしっかりしていたら、みんな安心するんじゃないか、って思う。
俺って頼りないから、という言葉は呑み込んだ。そんなことを言われたって、天舞くんが反応に困るだけだ。
「しっかりするって、結構難しいんだよね」
花と紘があんなに楽しそうにしているのを見るのは久しぶりだった。お腹を抱えて笑って、天舞くんの腕に絡んで思いっきり甘えて。
きっと普段の二人は、いつも注意してばかりの俺に遠慮してるんだろうなって、そう思ってしまった。
「そうか?」
「え?」
天舞くんがブレーキをかけて止まった。俺がそれにならうと、真っ直ぐな視線が飛んでくる。辺りは暗いのに、天舞くんの瞳はよく見えた。
「文はしっかりしてるだろ」
「いや、そんなことは……」
「僕が言うんだから間違いない。文はしっかりしてる。花ちゃんや紘くんの面倒をちゃんと見てる。家事の手伝いだってしているし、僕が帰るタイミングも考えてくれていただろ」
「…………」
それだけしかやってないよ、と心の中で思う。けれど天舞くんは、俺の「それだけ」を認めてくれる。
褒められるのが上手な人は、褒めるのも上手い。
そして褒められたら、その気持ちは素直に受け止めたほうがいい。
「ありがとう」
天舞くんの目を見て、俺はそう答えた。天舞くんはきっと、お世辞なんて言わない。だから今差し出された言葉は本物だってわかる。
「僕には及ばないけれど、文はデキる男だな」
「天舞くんに追いつくのって、きっと大変だよ」
「でも自転車の腕前は文のほうが上だ」
涼しさをはらんだ風が吹いて、天舞くんの髪を揺らした。細い糸が夜にひらめいているみたいだった。
俺の隣にいるのが不思議に思えるくらい、天舞くんはきれいだ。
「……ところで、文」
べっこう色の瞳が、俺を見る。
「今度は文がうちに来ないと『家族ぐるみ』にはならない」
天舞くんの声は、少しだけ上擦っていた。照れてるのかな、と思ったら笑いそうになった。
「いつなら行ってもいい?」
顔を覗き込んで聞くと、天舞くんは驚いたように瞬きをした。
それから、頬が緩んで笑みが現れる。
「明日でもいいぞ」
「明日? 急だなあ」
「あさってでもいい」
「どうしようかな」
なんでもできてしまう天舞くん。でも、いい意味で完璧じゃない。
「嘘。じゃあ明日、遊びに行かせて」
俺はそれが、嬉しいと思う。
