「……は?」

アキラの思考が停止した。

エリオット王子と剣を交える?いやいや、何かの間違いでは?

「待ってくださいリリス様!それはあまりにも——」

「あなた、私の教育係でしょう?」

リリスは涼しい顔でそう言ったが、その瞳にはどこか楽しげな色が浮かんでいた。アキラはギクリとする。実際、教育係とは名ばかりで、アキラがリリスに教えたことといえば、せいぜいブラック企業で培った忍耐力や時間管理術程度。貴族の礼儀作法や社交術は、むしろ彼がリリスから教えられている始末だった。

そして、リリスの唇が僅かに弧を描いた時、アキラは悟った。彼女は、この状況を心底面白がっている、と。

「いえ、私は教育係であって、剣術の指南役では……!」

「ほう。リリス嬢の教育係、か。面白い。彼女を御せるほどの才覚の持ち主ということだな?ぜひ、手合わせ願いたい。」

エリオット王子は興味深げにアキラを見つめる。

(ちょ、ちょ、待って待って!エリオット王子、完全にその気だ。俺、剣とか触ったこともないってばよ!?)

逃げ道を探すように視線を泳がせるが、観客の注目は完全にアキラに向いていた。期待と興味が入り混じった視線が突き刺さる。

(うわぁ、これ断れる雰囲気じゃないやつだ……!リリス様、どうか!どうか、考え直してください!)

「アキラ、あなたに勝ち目がないとは言っていませんよ?」

リリスはくすっと笑いながら言った。その言葉に、アキラは内心膝をつきそうになった。

(いや、普通に勝ち目ないからね!?相手超強そうだし!?)

しかし、ここで断るのも、それはそれでマズい気がする。王族の誘いを正面から断るなど、平民の自分には到底できる芸当ではない。

断れば無礼、引き受ければ死。まるで選択肢のないブラック企業の上司からの無茶振りみたいだ……!

アキラは脳裏に、かつての職場での記憶がよぎる。「この書類整理、今日中に終わらせておいて」そんな理不尽な要求に耐えてきた日々。そうだ、あの時も結局『わかりました』と答えるしかなかった……。

「……わかりました。」

アキラは重い口を開いた。

「やります。」

観客席から歓声が上がる。エリオット王子は満足げに頷いた。

「では、準備ができたら始めよう。」

アキラは、じわりと滲んだ涙を袖で拭った。それは、ブラック企業時代にも流れなかった、久々の涙だった。