人の峠の裏には

……と、そこへ、透が前に出た。

「やめましょう、こんなこと。
“いい人”になったって、誰のことも救えなかった。
俺の母も、姉も、“黙って”いなくなった。
自分を殺すことでしか、この村にいられなかったんだ!」

透の声が響く。

その声に、春菜も続いた。

「本音を言うって、怖いことかもしれない。
でも――それを隠し続ける方が、もっと恐ろしい」

そのときだった。
村の空気が、初めて“ざわついた”。

一人の老婆が、ぽつりとつぶやいた。

「……私も、本当は、こんな暮らしに疲れてた」

次々と、村人たちが口を開いた。

「……うちの息子は、都会に行きたいって言った。でも、言わせなかった」

「私は、あんたに嫉妬してた。……でも、言えなかった」

“いい人”をやめた村は――静かに崩れはじめた。



数日後

春菜は東京のオフィスに戻っていた。

原稿のタイトルは――

『人の峠の裏には:笑顔の下に潜む、沈黙の村』

透は、村を出て大学に入り直した。
人を観察する心理学の研究者を目指すという。

春菜は思う。

(“人の裏”は、たしかに怖い。
でも――そこを見つめる勇気が、本当の“つながり”を生むのかもしれない)

PCのモニターに、記事の最後の一文を打ち込む。

「人の性格の裏には、誰もが見せたかった“ほんとうの顔”がある」