Blind Spot

聖臣が近付けば近付くほど、悠は一歩下がる。

逃げている、というほど露骨じゃない。
目を逸らす。声を落とす。距離を取る。
どれも「いつも通り」を装うための小さな動作だった。

でも、その小ささが積み重なって、空気を歪ませていく。


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朝、家の前。

「おはよ。」

聞き慣れた声。
昔から変わらない、安心するはずの声。

「....おはよ。」

返事はした。
けれど視線は足元に落としたまま。

「眠い?」
「....まあ。」

会話はそれで終わる。
前なら、意味のない話をしながら校門まで歩いていたのに。

聖臣は横目で悠を見た。
何かを言いかけて、飲み込む。

(.....気のせい、じゃないよな)


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昼休み。
悠は教室を出て、学食へ向かった。

最近は、昼を一緒に食べる約束をしなくなった。
声をかけられる前に動いてしまえば、考えなくて済む。

トレーを持って席を探していると、聞き覚えのある声がした。

「....あれ、悠?」

振り向くと、隣のクラスの佐々が手を上げていた。
焼きそばパンを片手に、すでに席に座っている。

「一人?」
「うん。」

そう答えると、佐々は顎で向かいを示した。

「じゃ、ここ来いよ。ちょうど一人だった。」

向かいに座ると、ナポリタンの湯気が目に入る。
食欲はあまりなかった。

少し離れた席。
クラスメイト数人に囲まれて、聖臣が彼女と笑っている。

距離はある。
それでも、見なくても分かる存在感だった。

「.....なぁ」
佐々が声を落とす。
「最近、浅田となんかあった?」

箸が止まる。

「別に。」
「その“別に”が怪しいんだって」

佐々はちらっと、聖臣の方を見る。

「喧嘩、って感じでもないしさ」
「してない。」
「だよな。でも──」

言いかけて、言葉を選ぶみたいに間を置く。

「浅田、お前の方見た時だけ顔変わる。」

心臓が跳ねた。

「....普通だろ。」
「悠的には?」

少し考えてから、短く答える。

「変わってない。」

その瞬間、視線を感じた。
聖臣がこちらを見ている。

一瞬、目が合う。
反射的に逸らした。

聖臣の眉が、わずかに寄る。

「.....へぇ」
佐々は納得してない顔で笑った。
「それ、本人に言ってやりたいわ。」

悠は何も言わなかった。

(あー.....)
佐々は心の中でため息をつく。
(これ、完全に拗れてる)


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放課後。
昇降口で待っていると、聖臣が現れる。

「今日、一緒に帰る?」

いつもなら、当たり前の問い。
今日は、胸がきゅっと縮む。

「.....用事あるなら、先帰っていい。」

拒否ではない。
でも、どこか突き放す言い方。

「用事ない。」
聖臣はそう言って、距離を詰めてくる。

反射的に、悠は一歩下がった。

「....悠?」

低くなった声。
それだけで、心臓が跳ねる。

「なんでもない。」
「今の、なんだよ。」

責めてはいない。
それが余計に苦しい。

「気のせい。」

そう言って歩き出す。
聖臣は追いかけてこなかった。

背中に、視線だけが刺さる。

同じような日が、何日も続いた。

近付けば、離れる。
声をかければ、短く返される。

触れようとすれば、避けられる。

(....俺、何かしたか?)

考えても、答えは出ない。
それでも、頭から離れないのは悠のことだけだった。

彼女と過ごす時間でさえ、心ここにあらずになる。

「最近さ」
彼女が言った。
「悠くんの話ばっかだよね。」

聖臣は否定できなかった。

「私のこと、ちゃんと見てる?」
「....見てる。」

でも、その言葉は空っぽだった。

数日後、彼女はあっさり言った。

「もう分かってるでしょ。聖臣の気持ち、私じゃない。」

引き留めなかった。
いや、引き留められなかった。

沈黙が、答えだった。


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翌日。

「浅田、別れたらしいぞ。」

誰かの噂話が耳に入る。
悠は聞かなかったふりをした。

知っても、意味がないと思った。

昼休み。

「悠」

呼ばれて、肩がわずかに跳ねる。

振り向くと、聖臣が立っていた。

「今日、一緒に食わない?」

一瞬、迷う。
胸の奥がざわつく。

近付かれたら、隠せない。
今の距離じゃ、平静でいられない。

「.....佐々と食う。」

その言葉に、聖臣の表情が固まる。

「...そっか」

それ以上、何も言わなかった。

背を向ける。

佐々はその背中を見て、小さく息を吐いた。

(完全に、逆方向行ってるな)

悠は俯いたまま、ナポリタンを口に運ぶ。

味は、ほとんど分からなかった。