私は自分のことが世界で一番大っ嫌いだ。誰かの顔を常に窺う自分。面白くもないのに笑っている自分。誰にも優しくしている偽りの自分。それら全部、嫌なのに演じている自分が世界で一番、一番大っ嫌いだ。
じりじりと夏の暑さを感じながら今日も自分を何度も何度も貶す。
そうすることで、私は最底辺の人間だと思わす。
夏の暑さを肌で感じながら、私は今日も教室に足を踏み入れた。
夏目加奈は自分の席に座り、机に伏せた。
こうすれば、誰とも目を合わせることはない。誰も私に話しかけてくることはない。話しかけるなオーラを出せば誰も近寄ってはこない。
でも、現実は違う。
優しい人で溢れている。
「おっは~! って、どうして寝てるふりしてんの?」
声の主は東坂周。
何故、こんなにも周に話をかけられるのだろうか。私には到底理解できない。可愛くもない私にどうして、何度も、何度も話かけて来るのか。
私は顔を上げて周を見つめる。
整った顔。整った容姿。どこを非難しても駄目だと知らせて来る。
「おはよ」
そう一声かけて私は机に伏せる。
何も話すことなんてない。ないのだ。
昨日やっていたテレビ観た? 昨日何してたの? とかそんな他愛もない話をする必要はどこにもない。違う、しちゃ駄目なんだ。
誰も私の話なんて興味はない。だから、やってはいけないんだ。
「なぁ、加奈?」
周は横に鞄を掛けて席に座る。椅子を引きずる音が加奈の頭を揺らす。
どことなく落ち着かない雰囲気が教室を包み込んだ。
「何?」
伏せているせいか、加奈の声は不機嫌な声を表す。
「なんで、いつもそんな態度なんだ?」
私はどうしてこうも、嫌な人ばかり集まってくるだろうか。こういうタイプは……苦手だ。
まるで、自分の世界があり、自分が世界の中心人物だと思っている。
デリカシーのない質問ばかりして、自分は悪くないと思っている。そんな奴らが嫌いだ。そして、今私の隣に居る周も……世界で……一番大っ嫌いだ。
違うな、二番目に大っ嫌いだな。
加奈は顔を上げ、周を見つめた。
「どうして、そんなデリカシーのないことを言えるの?」
ああ、どうして私は我慢できないのだろう。言いたいことはそれじゃない。もっとふんわりと言いたかった。
「いや、ごめん。でも、俺は仲良くしたいからさ」
「仲良く? そんな関係になってメリットはあるの?」
周は考えこむように視線を上に向け、目を閉じた。
「あるよ。俺と加奈は似ているから」
似ている……私はそんな存在だったの? 私はあなたみたいにデリカシーがない存在だったの?
到底理解できない。そもそも、私は周みたいに友達も多くない。笑顔だって綺麗じゃない。周みたいにできた人間じゃない。
それなのに、私と周は似ている? あんまり、馬鹿にしないでほしい。
お世辞でもないし、言われても嬉しくものない。ただ、生まれるとするなら……劣等感だけ。
「私は似ていない。そもそも、私と周は住んでいる世界が違う」
「どうして、そんなに自分を貶すんだ?」
「貶してなんかいない。ただ真実を述べているだけ」
「いーや、貶している。加奈は加奈自身が思っているより素晴らしい人だよ?」
綺麗な瞳が私の心まで侵してくる。そんな綺麗な目で見たとしても私の心は汚い物だけしかない。
加奈は目を逸らし、窓に視線を向けた。
「私は、世界で一番私が嫌い」
私は今悲劇を気取っている。と、思われても仕方がないな。こんなくさいセリフを高校1年生になっても言っている私は一生成長しないアヒルだ。
「俺もだよ」
周の声が加奈の耳を激しく突いた。
これ以上私の心臓を破壊しようとするのは悪戯なのか? それとも、私を見下して貶そうとしているのか。それとも……いや違う。
「そこまでして、私の何が知りたいの? いじめたいの? 嫌がらせがしたいの?」
言葉は止まってはくれない。
とまるはずがない。
加奈は迎えたのだ。限界という文字が頭の中を侵し、嫌というほどの感情が心を侵す。
耐えることができなくなった加奈は止まりはしない。
止まることはできない。これまで感じていたストレス、溜まっていたストレス。表すことができなかった嫌な想い。それら全部、全部が周によって溢れてしまう。
「違うよ、俺は友達になりたいんだ」
また、それなんだ。
求めていた答えが違う。なんで、なんで私なんかと友達になろうと思うの? こんなにつまらない私とどうして友達になりたいの?
誰も私なんて興味がないのは知っている。
「私は友達になりたくない」
「いや、絶対に友達になる」
「ならない」
「いーや、なるよ」
「ならないって!!」
加奈の声が教室を包み込んだ。
やってしまった。
初めて出した自分の大声に驚く。こんな声出せたんだ。今はそんなことはどうでも良い。
早くこの雰囲気をどうにかしないと。
いや、無理だ。私には雰囲気を変える力はない。逃げよう、逃げようじゃないか。
私は鞄を持ち教室を出た。一秒でも居たくなかった。あの、嫌な視線を遮ることができるなら地獄でも行きたい気分だ。
7月15日。
夏の暑さが本格的になってきた頃。
昨日の嫌な出来事を消し、私は今日も席に着く。
「お、おっは~」
何故だろうか。どうして、私はこうも運がないのだ。また、周だ。
いつも、いつも嫌というほど声を掛けて来る。
誰かに相談すれば、この……鬱陶しい周を消せるのだろうか。先生に言えば周は私に話しかけてくることはなくなるだろうか。
いや、そんなことはできない。
私には勇気も希望も何もかもすべてない。
奪われるのが私で、奪うのが周なんだ。
加奈は顔を上げ、小さな瞳で周を睨んだ。
痛い視線を受けた翔は小さく微笑む。
「ごめんな、でも、許してくれ」
翔はそう言いながら鞄を掛け椅子に腰を下ろす。
体を向け、翔は優しく微笑んだ。
「俺は、加奈と友達になりたい。嘘でもない、本当に心からそう思っているし、友達になりたいと願っている」
呆れた。
また、そうやって良い顔を見せて、自分の評価を上げるんだ。
他人を蹴落とし、自分の棚を上げる。そうすることで、素晴らしい評価を得られる。これが、目的なんだ。
何で私なんだろう。
ふん、そっか。こんな端っこに座っている私はちょうどいい人材なんだ。
誰からも評価されていない私。嫌われている私。
完璧じゃん。
周によって人生が変わった! とか言えば周の人生は大きく変わるんだろうな。所詮私は使い捨ての駒でしかない。
「周はさ、自分の評価を上げたいだけなんでしょ?」
でも、私はそんな良い駒にはならない。なりたくない、だってそんな利用されるような人になってしまったら人としての尊厳が奪われるから。
加奈の言葉を聞いた周は目を丸くし、微かかに瞳を動かす。
困惑、悲しみ。そんな思いを乗せた周の瞳は加奈を見つめた。
「俺は、そんなことは気にしてないよ。ただ、友達になりたいんだよ。どうしても、どうしても友達に」
「訳がわからない。私となんで友達になりたいの? 何? 駒にしたいの? 道具にしたいの?」
加奈の声が教室を包み込む。
スマホを触っている生徒はスマホを置き、耳を傾け。立ち話をしている生徒たちは話すことを止める。
「違うんだ。ただ、笑い合える友達になりたいんだよ……」
嫌というほど周の声が私の耳を突く。
なんで、なんでそんな物語の主人公みたいなセリフを言えるの? なんで、迷惑だと言っているのにやめようとはしないの?
馬鹿でも分かるでしょ? 人に迷惑を掛けることは駄目だって小学生だって分かるよ?
それなのに、今私の目の前に居る周は分かっていない。
嫌いという感情が加奈を襲う。
いや、怒りであった。
幾度なく見てきた世界で輝いている周が加奈に話しかけてきている。それは、加奈にとって一番嫌なこと。
自分の世界で誰にも迷惑を掛けないように過ごしていたのに、周によってそれは崩された。
加奈にとって一番大切なことは、関係を築かないこと。
あの日味わってしまった悲しみは耐えることはない、何度も、何度も加奈の心をえぐった。
だからなのだろう、加奈は友達を作ろうとはしない。いや、できないのだ。
悲しみが恐怖が襲うから。
「私は! 周みたいな人は嫌いだよ? 友達になんてなれない。それに、なりたくない」
あぁ最悪だ。
生きた心地がしない。助けを求める相手もいない。誰も救ってはくれない。
だって、私には友達なんていないんだから。
「嫌われてもいい。だから、1週間だけ俺と友達になってくれ。そしたら、もう迫ることはしない」
「も……もう。止めてよ……」
「嫌いなんだって。私はあんたみたいな人が一番嫌い。あんたみたいな奴、死んじゃえば」
ああ、本当に最悪だ。
なんで、なんでこういうことを言ってしまうのよ。
相手を傷つけてる。分かってる、分かってるよ。
素直に話を聞けば解決できるって。でもね、私は一度知ってるのよ? 友達に裏切る恐怖を。駒となる恐怖を。
知っているのに周の手を取ることなんてできない。
後悔した加奈は周を見つめて謝ろうとする。だが、謝る直前加奈は言葉を失う。
「…………」
周は泣いていた。
何か思い当たる節があるのか、周は幼き少女のように悲しそうに泣く。
綺麗な涙が周の頬を伝う。
やってしまった。私の言葉で周を泣かした。
私の言葉で。
「ごめん、そんなつもりはないんだ……本心じゃない。だから、泣かないで」
紡いで出た言葉は幼稚。
逃げるような言葉ばかり話私が嫌いになる。
相手を傷つけているのに反省できていない私が嫌いだ。
「……俺の方こそごめん」
そう言いながら周は机に伏せた。
沈黙が教室を包み込んだ。
ああ、死んだ方がいい人間はたぶん私なんだ。
あの日から周は学校に来なくなった。
先生は体調不良と言ったけど、それはたぶん違う。私のせいだ。
私の投げた言葉は周の心に傷を与えた。なにやっているんだよ私は。
加奈は窓に視線を向ける。
私は人が嫌いだ。
自分の良い所だけを見せようとするから。誰かを助けるとか生き舞えているけど、何か見返りを求めるから。
誰かを傷つけることを自然とやるから。
私の悪口を言うから。
高校1年生の時、私は人間不信になった。いや、なるべくしてなったのだ。
金城南。私の親友、だった。
私より可愛くて、勉強もできて。運動もできる。
完璧な南だった。でも、ある日、南は恋をした。
周に恋をしたのだ。私は……心の底から応援をした。応援することは全然苦じゃなくて、むしろ楽しかった。親友である南についに彼氏ができると喜んでいた。
でも、結果的に南は振られた。
当然南は泣いていた。
南の恋は失恋に終わった。でも、失恋では終わりはしなかった。
ある噂が流れた。『加奈は周のことが好きと』
そんな噂に驚いた。だけど、南はその噂を信じた。
友達の好きな人を好きになることは決していけない事ではないと思う。
ただ、振られた直後に流れたから、この噂は凶器となった。
南とは当然というか、なんていうか。
呆気なく友達という関係は壊され、知らない人とのように扱われた。
ショックだった。親友の南に着き離されたことは私に生涯における傷を与えた。でも、なんとか、なんとか耐えることはできた。
けど、現実というは残酷。
南はスクールカーストにおいてトップの存在。
つまり、南の命令は絶対。
あとは、もう簡単。
陰湿な無視。広まっていく酷い噂。
そうこうして、私は人間不信になった。
だけど、一番嫌なことは、逃げた自分だ。あの時否定していたら、私の人生は大きく変わっていた。それなのに、私は黙り込んでしまった。
その時どのような……感情を芽生えていたかは知らない。
ただ、一言「好きじゃない」とだけ言えば、私の運命は変わっていた。
だから、私は世界で一番自分のことが嫌いだ。嫌いでしかない。
偽りを演じていた私。心の中で潜んでいた想いを吐き出さない私。それら、全部全部嫌いだ。
いっそこのまま、死んでやろうか。
そんなことを考えている加奈は周の席に視線を向ける。
昨日は嫌な気持ちに侵されていた。でも、今はなんというか違う。ほんのり少しだけ寂しいと感じている。
自分で傷つけたのに、寂しいとか感じている私は本当に終わっている。
でも、これも本心で昨日の気持ちも本心だ。
人間不信の影響なのかな。
誰かを信じることができなくなってしまった私は、いったいいつから本当の私で亡くなったのか。
この胸に泳いでいる気持ちは果たして何なのか。
人は誰しも気持ちがある。楽しい気持ち。悲しい気持ち。面白い気持ち。気持ちとは人生にとって大切なことで小さな光みたいなもんだ。
でも、私にはそんな多種多様な気持ちは持ってはいない。
楽しい気持ちは生憎持ってはいない。
悲しい気持ちもあの日から捨てた。悲しむことは人生において損だからだ。
面白い気持ちはそもそもあの日から芽生えることはなくなった。
怒りの気持ち……あるだろう。
昨日の私は周に怒ってしまった。助けようとしている彼の手を拒んだ。
「もう、分からないよ。私は何を考えているの? どうして、どうして、笑うこともできなくなった私が怒ることができているの?」
誰も居なくなった教室に加奈の声が響く。
蝉は返事をするように鳴き。無邪気な太陽は加奈を照らす。
悲劇。
気取ってはいない。でも、傍から見てしまえば加奈は悲劇そのもである。
悲しい事の連続。
劇ではない。現実に起きた問題。現実に起きた出来事。
ありとあらゆる悲しみが加奈を襲った。
運命とかいう言葉では説明はできない。ただ、運命があるとするなら何故、加奈にこれほどの悲しい現実を与えたのだろう。
誰も助けることができない、誰も救ってはくれない。そんな環境の中で加奈は戦ってきた。
頑張って、頑張って戦ってきた。
一人で生きて行けると思って、明日に希望なんて持ってなくて、必死に生きようと頑張った。
それを、それらを、周は壊した。
「私は、あの日から感情を失った。そうだよ……ね? じゃあ、昨日の怒りはなんだったのか」
「ああ、そうなんだ。周という存在が居たから私は怒ったんだ」
「周が……この学校に……居なければ、南とまだ親友だったかもしれない。そうなんだよ、昨日怒ったのは周が私の人生を壊したから」
「うん。そうなんだ。じゃなきゃ、私は怒ったりしない」
「怒ったり……しない」
どよめく胸の中で私は必死に否定する。
もう一人の私が言ってくる。
どうして、南に問われた時……否定しなかった?
私は周のことなんて好きじゃない。だって、あんな奴のことを好きなるなんてない。
それに、南が好きだった人。
ありえない。ありえてたまるか。
やめるんだ。否定しよう。演じるんだよ。
彼のことが好きじゃない私を演じるんだ。そうすれば、また静かな人生を歩むことができるじゃないか。
「私は周のことなんて嫌いだ。いい顔をしたあんな奴のことが好きなんてあり得ない。ありえてたまるか」
「そして、私は自分が世界で一番嫌いだ。あの日のように偽っている私が嫌いだ。偽って……」
加奈の心の中で何かが弾けた。
蓋をしないと駄目。
だって、だって、私は周のことは嫌い。
鬱陶しくて、私の人生を壊した。そんな悪魔のことが好きになるはずはない。
滲む視界。
溢れてくる言葉。
あの日止まってしまった思いが溢れてしまう。
止めなきゃダメ。
偽り演じなきゃ駄目。
どこからどこまでが、私か分からない。
変わってしまった人格。偽りだけの想い感情、言葉。
そんな、終わっている私がたった一つだけ嘘じゃない想い。
「私は、周のことが好きなんだ」
心が晴れていく。
蝉の鳴き声が鳥のさえずりのように聞こえてしまう。
涙が頬を伝う。
あの時感じてしまったときめきが想いを胸を走らせてくる。
「もう、私の感情は分からない。死にたいと思っていたのに、嫌いと思っていたのに、今はもう違う。生きたいし、周のことを好きだと思っている」
「明日から頑張ろう。みんなの顔を気にしないで、頑張ってありのままでいよう」
周という存在が加奈の気持ちを変えた。
明日に希望を持ち、人生を大きく変えた。
加奈にとって希望となる人ができた。運命と思えるような気持ちの変化。
奇跡。
「周と友達になりたい」
加奈の声が教室を甘い雰囲気にする。
蝉の鳴き声は止み、太陽の光が止まる。
カチカチという針の音が止まる。
加奈はスマホを取り出し、チャットグループを開く。
だが、どれほど待っても次の画面には進みやしない。
あれ? 圏外?
左上に表示された文字を呟く。
あれー、どうして圏外なんだ? 不安が胸を襲う。
その時、ドタドタと足音が響く。
息を荒げている周が教室に入ってくる。
なんで、周が?
前とは思えない感情が私の胸を襲ってくる。
青春の一ページのように甘い香りが教室を――
「時が止まっている」
周は顔色を変えず、真剣な顔で呟いた。
じりじりと夏の暑さを感じながら今日も自分を何度も何度も貶す。
そうすることで、私は最底辺の人間だと思わす。
夏の暑さを肌で感じながら、私は今日も教室に足を踏み入れた。
夏目加奈は自分の席に座り、机に伏せた。
こうすれば、誰とも目を合わせることはない。誰も私に話しかけてくることはない。話しかけるなオーラを出せば誰も近寄ってはこない。
でも、現実は違う。
優しい人で溢れている。
「おっは~! って、どうして寝てるふりしてんの?」
声の主は東坂周。
何故、こんなにも周に話をかけられるのだろうか。私には到底理解できない。可愛くもない私にどうして、何度も、何度も話かけて来るのか。
私は顔を上げて周を見つめる。
整った顔。整った容姿。どこを非難しても駄目だと知らせて来る。
「おはよ」
そう一声かけて私は机に伏せる。
何も話すことなんてない。ないのだ。
昨日やっていたテレビ観た? 昨日何してたの? とかそんな他愛もない話をする必要はどこにもない。違う、しちゃ駄目なんだ。
誰も私の話なんて興味はない。だから、やってはいけないんだ。
「なぁ、加奈?」
周は横に鞄を掛けて席に座る。椅子を引きずる音が加奈の頭を揺らす。
どことなく落ち着かない雰囲気が教室を包み込んだ。
「何?」
伏せているせいか、加奈の声は不機嫌な声を表す。
「なんで、いつもそんな態度なんだ?」
私はどうしてこうも、嫌な人ばかり集まってくるだろうか。こういうタイプは……苦手だ。
まるで、自分の世界があり、自分が世界の中心人物だと思っている。
デリカシーのない質問ばかりして、自分は悪くないと思っている。そんな奴らが嫌いだ。そして、今私の隣に居る周も……世界で……一番大っ嫌いだ。
違うな、二番目に大っ嫌いだな。
加奈は顔を上げ、周を見つめた。
「どうして、そんなデリカシーのないことを言えるの?」
ああ、どうして私は我慢できないのだろう。言いたいことはそれじゃない。もっとふんわりと言いたかった。
「いや、ごめん。でも、俺は仲良くしたいからさ」
「仲良く? そんな関係になってメリットはあるの?」
周は考えこむように視線を上に向け、目を閉じた。
「あるよ。俺と加奈は似ているから」
似ている……私はそんな存在だったの? 私はあなたみたいにデリカシーがない存在だったの?
到底理解できない。そもそも、私は周みたいに友達も多くない。笑顔だって綺麗じゃない。周みたいにできた人間じゃない。
それなのに、私と周は似ている? あんまり、馬鹿にしないでほしい。
お世辞でもないし、言われても嬉しくものない。ただ、生まれるとするなら……劣等感だけ。
「私は似ていない。そもそも、私と周は住んでいる世界が違う」
「どうして、そんなに自分を貶すんだ?」
「貶してなんかいない。ただ真実を述べているだけ」
「いーや、貶している。加奈は加奈自身が思っているより素晴らしい人だよ?」
綺麗な瞳が私の心まで侵してくる。そんな綺麗な目で見たとしても私の心は汚い物だけしかない。
加奈は目を逸らし、窓に視線を向けた。
「私は、世界で一番私が嫌い」
私は今悲劇を気取っている。と、思われても仕方がないな。こんなくさいセリフを高校1年生になっても言っている私は一生成長しないアヒルだ。
「俺もだよ」
周の声が加奈の耳を激しく突いた。
これ以上私の心臓を破壊しようとするのは悪戯なのか? それとも、私を見下して貶そうとしているのか。それとも……いや違う。
「そこまでして、私の何が知りたいの? いじめたいの? 嫌がらせがしたいの?」
言葉は止まってはくれない。
とまるはずがない。
加奈は迎えたのだ。限界という文字が頭の中を侵し、嫌というほどの感情が心を侵す。
耐えることができなくなった加奈は止まりはしない。
止まることはできない。これまで感じていたストレス、溜まっていたストレス。表すことができなかった嫌な想い。それら全部、全部が周によって溢れてしまう。
「違うよ、俺は友達になりたいんだ」
また、それなんだ。
求めていた答えが違う。なんで、なんで私なんかと友達になろうと思うの? こんなにつまらない私とどうして友達になりたいの?
誰も私なんて興味がないのは知っている。
「私は友達になりたくない」
「いや、絶対に友達になる」
「ならない」
「いーや、なるよ」
「ならないって!!」
加奈の声が教室を包み込んだ。
やってしまった。
初めて出した自分の大声に驚く。こんな声出せたんだ。今はそんなことはどうでも良い。
早くこの雰囲気をどうにかしないと。
いや、無理だ。私には雰囲気を変える力はない。逃げよう、逃げようじゃないか。
私は鞄を持ち教室を出た。一秒でも居たくなかった。あの、嫌な視線を遮ることができるなら地獄でも行きたい気分だ。
7月15日。
夏の暑さが本格的になってきた頃。
昨日の嫌な出来事を消し、私は今日も席に着く。
「お、おっは~」
何故だろうか。どうして、私はこうも運がないのだ。また、周だ。
いつも、いつも嫌というほど声を掛けて来る。
誰かに相談すれば、この……鬱陶しい周を消せるのだろうか。先生に言えば周は私に話しかけてくることはなくなるだろうか。
いや、そんなことはできない。
私には勇気も希望も何もかもすべてない。
奪われるのが私で、奪うのが周なんだ。
加奈は顔を上げ、小さな瞳で周を睨んだ。
痛い視線を受けた翔は小さく微笑む。
「ごめんな、でも、許してくれ」
翔はそう言いながら鞄を掛け椅子に腰を下ろす。
体を向け、翔は優しく微笑んだ。
「俺は、加奈と友達になりたい。嘘でもない、本当に心からそう思っているし、友達になりたいと願っている」
呆れた。
また、そうやって良い顔を見せて、自分の評価を上げるんだ。
他人を蹴落とし、自分の棚を上げる。そうすることで、素晴らしい評価を得られる。これが、目的なんだ。
何で私なんだろう。
ふん、そっか。こんな端っこに座っている私はちょうどいい人材なんだ。
誰からも評価されていない私。嫌われている私。
完璧じゃん。
周によって人生が変わった! とか言えば周の人生は大きく変わるんだろうな。所詮私は使い捨ての駒でしかない。
「周はさ、自分の評価を上げたいだけなんでしょ?」
でも、私はそんな良い駒にはならない。なりたくない、だってそんな利用されるような人になってしまったら人としての尊厳が奪われるから。
加奈の言葉を聞いた周は目を丸くし、微かかに瞳を動かす。
困惑、悲しみ。そんな思いを乗せた周の瞳は加奈を見つめた。
「俺は、そんなことは気にしてないよ。ただ、友達になりたいんだよ。どうしても、どうしても友達に」
「訳がわからない。私となんで友達になりたいの? 何? 駒にしたいの? 道具にしたいの?」
加奈の声が教室を包み込む。
スマホを触っている生徒はスマホを置き、耳を傾け。立ち話をしている生徒たちは話すことを止める。
「違うんだ。ただ、笑い合える友達になりたいんだよ……」
嫌というほど周の声が私の耳を突く。
なんで、なんでそんな物語の主人公みたいなセリフを言えるの? なんで、迷惑だと言っているのにやめようとはしないの?
馬鹿でも分かるでしょ? 人に迷惑を掛けることは駄目だって小学生だって分かるよ?
それなのに、今私の目の前に居る周は分かっていない。
嫌いという感情が加奈を襲う。
いや、怒りであった。
幾度なく見てきた世界で輝いている周が加奈に話しかけてきている。それは、加奈にとって一番嫌なこと。
自分の世界で誰にも迷惑を掛けないように過ごしていたのに、周によってそれは崩された。
加奈にとって一番大切なことは、関係を築かないこと。
あの日味わってしまった悲しみは耐えることはない、何度も、何度も加奈の心をえぐった。
だからなのだろう、加奈は友達を作ろうとはしない。いや、できないのだ。
悲しみが恐怖が襲うから。
「私は! 周みたいな人は嫌いだよ? 友達になんてなれない。それに、なりたくない」
あぁ最悪だ。
生きた心地がしない。助けを求める相手もいない。誰も救ってはくれない。
だって、私には友達なんていないんだから。
「嫌われてもいい。だから、1週間だけ俺と友達になってくれ。そしたら、もう迫ることはしない」
「も……もう。止めてよ……」
「嫌いなんだって。私はあんたみたいな人が一番嫌い。あんたみたいな奴、死んじゃえば」
ああ、本当に最悪だ。
なんで、なんでこういうことを言ってしまうのよ。
相手を傷つけてる。分かってる、分かってるよ。
素直に話を聞けば解決できるって。でもね、私は一度知ってるのよ? 友達に裏切る恐怖を。駒となる恐怖を。
知っているのに周の手を取ることなんてできない。
後悔した加奈は周を見つめて謝ろうとする。だが、謝る直前加奈は言葉を失う。
「…………」
周は泣いていた。
何か思い当たる節があるのか、周は幼き少女のように悲しそうに泣く。
綺麗な涙が周の頬を伝う。
やってしまった。私の言葉で周を泣かした。
私の言葉で。
「ごめん、そんなつもりはないんだ……本心じゃない。だから、泣かないで」
紡いで出た言葉は幼稚。
逃げるような言葉ばかり話私が嫌いになる。
相手を傷つけているのに反省できていない私が嫌いだ。
「……俺の方こそごめん」
そう言いながら周は机に伏せた。
沈黙が教室を包み込んだ。
ああ、死んだ方がいい人間はたぶん私なんだ。
あの日から周は学校に来なくなった。
先生は体調不良と言ったけど、それはたぶん違う。私のせいだ。
私の投げた言葉は周の心に傷を与えた。なにやっているんだよ私は。
加奈は窓に視線を向ける。
私は人が嫌いだ。
自分の良い所だけを見せようとするから。誰かを助けるとか生き舞えているけど、何か見返りを求めるから。
誰かを傷つけることを自然とやるから。
私の悪口を言うから。
高校1年生の時、私は人間不信になった。いや、なるべくしてなったのだ。
金城南。私の親友、だった。
私より可愛くて、勉強もできて。運動もできる。
完璧な南だった。でも、ある日、南は恋をした。
周に恋をしたのだ。私は……心の底から応援をした。応援することは全然苦じゃなくて、むしろ楽しかった。親友である南についに彼氏ができると喜んでいた。
でも、結果的に南は振られた。
当然南は泣いていた。
南の恋は失恋に終わった。でも、失恋では終わりはしなかった。
ある噂が流れた。『加奈は周のことが好きと』
そんな噂に驚いた。だけど、南はその噂を信じた。
友達の好きな人を好きになることは決していけない事ではないと思う。
ただ、振られた直後に流れたから、この噂は凶器となった。
南とは当然というか、なんていうか。
呆気なく友達という関係は壊され、知らない人とのように扱われた。
ショックだった。親友の南に着き離されたことは私に生涯における傷を与えた。でも、なんとか、なんとか耐えることはできた。
けど、現実というは残酷。
南はスクールカーストにおいてトップの存在。
つまり、南の命令は絶対。
あとは、もう簡単。
陰湿な無視。広まっていく酷い噂。
そうこうして、私は人間不信になった。
だけど、一番嫌なことは、逃げた自分だ。あの時否定していたら、私の人生は大きく変わっていた。それなのに、私は黙り込んでしまった。
その時どのような……感情を芽生えていたかは知らない。
ただ、一言「好きじゃない」とだけ言えば、私の運命は変わっていた。
だから、私は世界で一番自分のことが嫌いだ。嫌いでしかない。
偽りを演じていた私。心の中で潜んでいた想いを吐き出さない私。それら、全部全部嫌いだ。
いっそこのまま、死んでやろうか。
そんなことを考えている加奈は周の席に視線を向ける。
昨日は嫌な気持ちに侵されていた。でも、今はなんというか違う。ほんのり少しだけ寂しいと感じている。
自分で傷つけたのに、寂しいとか感じている私は本当に終わっている。
でも、これも本心で昨日の気持ちも本心だ。
人間不信の影響なのかな。
誰かを信じることができなくなってしまった私は、いったいいつから本当の私で亡くなったのか。
この胸に泳いでいる気持ちは果たして何なのか。
人は誰しも気持ちがある。楽しい気持ち。悲しい気持ち。面白い気持ち。気持ちとは人生にとって大切なことで小さな光みたいなもんだ。
でも、私にはそんな多種多様な気持ちは持ってはいない。
楽しい気持ちは生憎持ってはいない。
悲しい気持ちもあの日から捨てた。悲しむことは人生において損だからだ。
面白い気持ちはそもそもあの日から芽生えることはなくなった。
怒りの気持ち……あるだろう。
昨日の私は周に怒ってしまった。助けようとしている彼の手を拒んだ。
「もう、分からないよ。私は何を考えているの? どうして、どうして、笑うこともできなくなった私が怒ることができているの?」
誰も居なくなった教室に加奈の声が響く。
蝉は返事をするように鳴き。無邪気な太陽は加奈を照らす。
悲劇。
気取ってはいない。でも、傍から見てしまえば加奈は悲劇そのもである。
悲しい事の連続。
劇ではない。現実に起きた問題。現実に起きた出来事。
ありとあらゆる悲しみが加奈を襲った。
運命とかいう言葉では説明はできない。ただ、運命があるとするなら何故、加奈にこれほどの悲しい現実を与えたのだろう。
誰も助けることができない、誰も救ってはくれない。そんな環境の中で加奈は戦ってきた。
頑張って、頑張って戦ってきた。
一人で生きて行けると思って、明日に希望なんて持ってなくて、必死に生きようと頑張った。
それを、それらを、周は壊した。
「私は、あの日から感情を失った。そうだよ……ね? じゃあ、昨日の怒りはなんだったのか」
「ああ、そうなんだ。周という存在が居たから私は怒ったんだ」
「周が……この学校に……居なければ、南とまだ親友だったかもしれない。そうなんだよ、昨日怒ったのは周が私の人生を壊したから」
「うん。そうなんだ。じゃなきゃ、私は怒ったりしない」
「怒ったり……しない」
どよめく胸の中で私は必死に否定する。
もう一人の私が言ってくる。
どうして、南に問われた時……否定しなかった?
私は周のことなんて好きじゃない。だって、あんな奴のことを好きなるなんてない。
それに、南が好きだった人。
ありえない。ありえてたまるか。
やめるんだ。否定しよう。演じるんだよ。
彼のことが好きじゃない私を演じるんだ。そうすれば、また静かな人生を歩むことができるじゃないか。
「私は周のことなんて嫌いだ。いい顔をしたあんな奴のことが好きなんてあり得ない。ありえてたまるか」
「そして、私は自分が世界で一番嫌いだ。あの日のように偽っている私が嫌いだ。偽って……」
加奈の心の中で何かが弾けた。
蓋をしないと駄目。
だって、だって、私は周のことは嫌い。
鬱陶しくて、私の人生を壊した。そんな悪魔のことが好きになるはずはない。
滲む視界。
溢れてくる言葉。
あの日止まってしまった思いが溢れてしまう。
止めなきゃダメ。
偽り演じなきゃ駄目。
どこからどこまでが、私か分からない。
変わってしまった人格。偽りだけの想い感情、言葉。
そんな、終わっている私がたった一つだけ嘘じゃない想い。
「私は、周のことが好きなんだ」
心が晴れていく。
蝉の鳴き声が鳥のさえずりのように聞こえてしまう。
涙が頬を伝う。
あの時感じてしまったときめきが想いを胸を走らせてくる。
「もう、私の感情は分からない。死にたいと思っていたのに、嫌いと思っていたのに、今はもう違う。生きたいし、周のことを好きだと思っている」
「明日から頑張ろう。みんなの顔を気にしないで、頑張ってありのままでいよう」
周という存在が加奈の気持ちを変えた。
明日に希望を持ち、人生を大きく変えた。
加奈にとって希望となる人ができた。運命と思えるような気持ちの変化。
奇跡。
「周と友達になりたい」
加奈の声が教室を甘い雰囲気にする。
蝉の鳴き声は止み、太陽の光が止まる。
カチカチという針の音が止まる。
加奈はスマホを取り出し、チャットグループを開く。
だが、どれほど待っても次の画面には進みやしない。
あれ? 圏外?
左上に表示された文字を呟く。
あれー、どうして圏外なんだ? 不安が胸を襲う。
その時、ドタドタと足音が響く。
息を荒げている周が教室に入ってくる。
なんで、周が?
前とは思えない感情が私の胸を襲ってくる。
青春の一ページのように甘い香りが教室を――
「時が止まっている」
周は顔色を変えず、真剣な顔で呟いた。


