稔は急ぎ足で道場へ向かっていた。季節は夏。街路樹に留まった蝉の声が響いている。しかし、蝉の声に混じり聞き慣れない声が聞こえた。
『ピーヨ、ピーヨ!』
どこからだろう? 耳をすました。音の方向は……公園の中からだ。音を頼りにしゃがみ込んで、声の主を探した。
「こいつだ……」
雛鳥が、公園の木の下の芝生の上で懸命に鳴き声を振り絞り、親を呼んでいた。木の上の枝には、その雛のものと思われる巣があったのだ。
「どうしよう……」
何もできずに、ジッと雛を見つめていた。その時。
「みのるちゃーん、何してるの?」
白い道着に白袴の杏が、スポーツドリンクの入った袋をぶら下げてやって来た。
「杏姉貴、稽古は?」
「私は重役だから、途中からでいいの。あんたこそ、遅刻よ。それより、そいつ、どうしたの?」
「多分、あの巣から落ちたんじゃないかな……」
稔は目を細めて上を向く。すると、杏は袋を地面に置いた。
「落ちたんじゃないかな、じゃないわよ! 早く戻してやらなきゃ」
「えっ?」
ぼやっとする稔を置いて、杏はスルスルと木に登った。
「いや、姉貴。危ない……」
「ほら、そのコ、渡しなさい」
ある程度まで登った杏は、下へ手を伸ばす。稔は仕方なく、雛を拾って渡した。受け取った杏は、今度は上の木の枝に掛かっている巣へ、雛を持った手を伸ばした。
あと少し、あと少し……よし、入った!
雛を巣に戻した杏は、安心して一瞬気を抜いた。その時。
「あわわわっ!」
足を滑らせて転落したのだ。稔は、咄嗟に受け止めようと動いた。
『ドシーン!』
「いたたたた……」
木から落ちた杏は、稔が下敷きになっているのに気付いた。
「わわっ、ごめん、ごめん。大丈夫?」
慌てて稔から離れる。
「はい。大丈夫です」
稔はどうにか起き上がり、尻についた土を払った。
「あんた、もしかして、私を受け止めようとしてくれた?」
杏は悪戯な笑みを浮かべる。
「別に、そんなんじゃないですよ。それより、無理しないで下さい」
「無理しないで?」
杏は切れ長の目をキッと稔に向けた。
「あんた、剣道やって、強くなって、何を守れるようになった? 本当に強い奴は、どんなに小さな命でも命懸けで守るの。それができないようじゃ、あんた、本当に強くなったって言えないわよ」
ザワッ……
突如吹いた風が、公園の木々の枝を通り抜ける。それと同時に、稔の中を得体の知れない胸騒ぎが駆け抜けた。杏姉貴は、やっぱり立派だ。でも、何だかよく分からないけど……胸騒ぎがする。この立派さのせいで、姉貴が遠くへ行ってしまいそうな、漠然とした不安……。
「でも……やっぱり、あんま無理しないで下さい。だって、俺、あなたのことが……なんだから」
消え入りそうな声で言った。
「なーに、しんみりしてるのよ。それに、何? 最後の方が聞こえなかった。もう一回、はっきし言いなさい」
髪に葉っぱを付けながらも元気な杏を見て、稔は赤くなって目を逸らす。
「それは、次の……秋の大会で優勝できたら、はっきりと言います。それと……道着、早く直して下さい」
杏の道着は、木から落ちた時の反動で胸元がはだけていた。
「何、あんた。生意気に年頃? こんなの、減るもんじゃなし、どんどん見ちゃいなさいよ。まぁ、あんまないけどね」
「やめて下さい」
面白がってからかう杏に、稔はさらに真っ赤になって目を逸らした。
その日の道場の稽古。
「メンヤァアー!」
『バクゥッ!』
杏の『面』にますます磨きがかかっていた。
それもそのはず。杏は夏の県大会を土曜日に控えていたのだ。
杏の練習を見ている稔は、ドキドキと落ち着かなかった。さっき会った時は渡すどころじゃなかったが、稽古後にでも渡したいものがあった。だって、桜から聞いたんだけど、今日は……。
稽古後。掃除を終了した稔は、杏の元へ走り寄った。
「杏姉貴! これ……」
黒くて小さいケースを渡した。
「何?」
杏はケースを開けた。そこには、ジルコニア製の人工物と思われるルビーのネックレスが入っていた。
「あんた、これ……」
「姉貴、今日、誕生日だったんでしょ。俺、お金持ってないからジルコニアしか買えなかったんだけど……プレゼントです」
「いや、ジルコニアっつっても高かったでしょ? 本当にいいの?」
稔は頷いた。
「姉貴、剣道も強いけど、凄く綺麗だから……そういうのつけたら、めっちゃ似合うと思うんです。それと、さっき姉貴に伝えたかったこと……絶対に俺、秋の大会で優勝して、姉貴に伝えます」
稔は真っ赤な顔で、それでも真っ直ぐに杏を見つめた。
ドクン……
杏の胸の中に、今まで響いたことのない鼓動が響き渡る。稔は顔を赤くしたまま、逃げるように道場を出た。
うそ、やだ。何これ? 私、もしかして……
杏はネックレスを見た。ここまでされたら、大鈍感な杏も流石に気付く。あいつの気持ち……。
「全く、私としたことが……。自分の育てた『鬼』に食われるとはね」
杏は頬を赤らめる。しかし、今までで一番美しい純粋な笑みを浮かべて、そのネックレスをつけたのだった。
県大会の日。
「じゃあね、桜。行ってくるわ」
杏は竹刀と防具袋を持って玄関を出た。
「うん。気をつけてね」
桜が笑顔で見送ると、上機嫌な杏は振り返り言った。
「絶対に優勝して帰ってくるからね!」
首元にルビーを輝かせた杏は、鼻歌交じりに出掛けた。
「全く、分かりやすいんだから」
桜はそんな杏を見て微笑んだ。杏はネックレスをつけたその日から、ずっと上機嫌だったのだ。
快晴の青空の下。防具を担いだ杏は浮き足立っていた。数分おきに首に掛かっているネックレスを触り、微笑む。
じんわりと込み上げる、温かい気持ち。私がこの大会で優勝して、あいつも秋の大会で優勝したら……私の気持ちも打ち明けてやろう。顔が自然にほころんだ。
しかし、幸せを噛み締めながら歩道を歩く杏は気付いた。隣の車道を茶色くて小さいものが横切ろうとしている。
「子犬? あんな所に……」
その時だった。横からトラックが、猛スピードで突っ込む!
「危ない!」
思うより早く、体が動いた。即座に防具を置いて車道へ出て、瞬時に子犬を抱きかかえた。その瞬間!
ダァァーン!
杏は子犬を抱かかえたまま、物凄い衝撃と共に宙に浮いて、そして……地面に叩きつけられたのだ。
何が起こった?
体中が痺れて……痛いのかどうかさえ分からない。目が霞んで……何も見えない。でも……
「クゥーン」
自分の抱える腕の中で、小さな命が懸命に自分を舐めているのが分かった。
「そっか。助かったんだ、お前……」
だけど、舐められている感覚は消えてゆき……さらに霞みゆく視力に、意識だけは苦笑いした。
「でも、私の方は……ダメっぽいけど」
微かに残る意識が遠くへ吸い込まれてゆく。しかし……
「お願い、もう少しだけ……」
必死にそれに縋り付いて最期の言葉を想う。
「お父さん、お母さん……私、小さい時から迷惑かけてばかりだったけど、でも……こいつを見捨てること、できなかったんだ。許してね」
「桜……あんたは私よりずっとしっかりしてるから心配ないけど……いつまでも私のことを引きずらないで、ちゃんと前を向きなさいよ」
そして……まだ辛うじてある首元の感覚から、ルビーの感触を感じる。
「稔……」
ゆっくりと目を閉じた。
「できるなら……あんたが『最強』の金メダル、かける瞬間が見たかったな……」
目の前にぼんやりと、金メダルをかけた稔が映り……徐々に薄くなってゆく。杏の目から涙が頬を伝い……意識は遠のき、快晴の青空の奥へと吸い込まれていった。
「稔、どうした?」
道場での基本稽古を突然中断した稔に相手が聞いた。
「いや、何か、呼ばれたような気がしたから」
「え、誰も呼んでないぞ」
「そうか……」
不思議に思いながらも、稽古を再開した。しかし、得体の知れない胸騒ぎ……数日前に感じたそれが、あの時よりはっきりと稔を襲い、言い様のない不安に駆られる。
その時だった。
「大変だ! 春山の姉ちゃんが……」
報せを聞いた門下生が青ざめ、動転して駆け込んだ。稔の体中を、冷たいものが通り抜ける……。
杏が運び込まれた病院への道。稔と桜は、必死に走っていた。道着姿のまま、汗だくの二人は病院の階段を駆け上がり、病室に駆け込んだ。
そこには……白いベッドの上に寝かされた少女がいた。そして、その顔の上には白い布が被せられている。その前では見覚えのある……あの時会った、桜の母親が顔を手で覆っている……。
信じられない……いや、信じたくなかった。
でも、白い布を被せられた顔の下……首元にあるネックレス。それは、確かにあの、プレゼントしたネックレス……。
「お姉ちゃん! やだ、起きてよ。お姉ちゃん!」
桜が青ざめて白い布を取り……体を揺すった。
白い布の下の顔は、所々に痛々しい生傷がついていたが、それでも美しく、綺麗な杏で……いつものような生気や温もりは全く感じられず、作り物の『人形』のようだった。
「お姉ちゃん、やだよ! やだー!」
杏に縋り付き、泣き叫んだ。
稔は、虚ろな足取りで歩んだ。ベッドの杏に近付くにつれて、目から涙が溢れ出す。
「姉貴……嫌だ、起きてくれよ。姉貴……」
杏の腕に触れた。しかし、それは人形……。稔の知る温もりはなく、硬い……。
「姉貴……」
稔は杏に顔を押し付け、声も上げずに……ただ、ひたすらに目から溢れ出る涙を押し潰していた。
病室に入る足音。院長先生が、曇った表情で段ボール箱を抱えていた。
「本当は、病院に入れてはいけないんだけどね。お嬢さんが……命懸けで守った、小さい命だから」
段ボール箱の中では、茶色の小さな……本当に小さな子犬が、片隅で震えていた。
「やっぱり、そうなんだ。姉貴は……姉貴は、最後まで、本当に強かったんだ……」
稔の目から、涙が溢れて止まらなかった。
翌日の通夜には、『剣信館』の皆が訪れた。道場で最大と言ってよいほど偉大で美しく、強かった女剣士の最期に涙を流さない者はいない。誰もが涙を堪えることのできないまま日が沈む。
稔はかすれた声で桜の母親に尋ねた。
「あの……僕も今晩、お姉さんの側にいていいですか?」
「あなたは……」
真っ赤な目の母親は、稔をまじまじと見つめて……そして、静かに微笑んだ。
「いいわよ。今晩、杏の側にいてやって」
稔は桜の家族と一緒に、杏の棺桶の部屋に泊まった。
みんな寝静まり……杏の死からずっと泣き続け疲れたのであろう桜も眠りについた時、稔は起き出した。薄明かりの中、棺桶の窓をそっと開けた。化粧で傷を隠され、長い睫毛の目を閉じて……人形になってしまった杏は、それでもやはり美しくて……稔は見つめ続ける。
「綺麗だよ、姉貴。本当に。でも……ネックレスつけてくれた笑顔が見たかったな……」
稔の目に、また涙が込み上げた。その時。
「稔くん……だよね?」
振り向くと、母親がいた。
「あなたが、杏にネックレスくれたんだよね」
稔の横にしゃがんだ。
「本当に、こんなに一途に想ってくれるコを置いて逝っちゃうなんて、何してるんだろうね」
杏の面影を持つ母親は綺麗で、でも少しやつれていて……でもやはり、悲しいくらいに気丈だった。
「でもね。杏は小さい時、『死』を身近に感じていたから……だからこそ、きっと、小さい命を見捨てることができなかったんだと思うの」
「『死』が身近だった……?」
母親は、頷いた。
「あなたが見てきた杏からは想像もつかないかも知れないけど……杏は小さい時、命が危なくなるほど喘息がひどくて入院してたの。いつ激しい喘息発作に襲われるかとびくびくして……発作が襲うたびに『死』が自分を連れ去ってしまうんじゃないかって……自分のことを弱くて小さい存在だと思って震えてた。丁度、小学三年生くらいの頃だったかな。体調が良くなって、強くなりたいって剣道始めて、『弱い奴を守りたい、だから誰よりも強くなりたいんだ』って、いつも言ってて。それまでの人生を取り返すくらいに必死で打ち込んで、本当に誰よりも強くなっていったの」
母親は噛み締めるように、ゆっくりと語った。
「短かったけど……本当に短かったけど、杏は杏なりに、命を燃やして、精一杯輝いていたのよね」
稔は熱い涙を流した。稔の知っている杏……それはいつでも、元気いっぱいで、誰よりも強くて、眩いばかりに輝いていた。そして、その輝きは杏の中に『弱くて小さい自分』がいたから……だからこその輝きだったのだ。
葬式では、稔は泣かなかった。杏は『いなく』なる……もう二度と会えないけれど、自分は杏の夢を背負ってるから……大好きな人の夢そのものだから、いつでも強くなければならないんだ。
棺桶の杏の美しい顔の横にネックレスを贈って……ずっと、ずっと、この世で一番大切な人を見続けて……永遠に想い続けると誓ったのだった。
葬式から帰った稔は、張り詰めていた力が抜けた。
部屋のベッドでぐったりと横になると、いつの間にか意識が遠のいていた。気がついた時には日が変わっており、もう昼過ぎだった。目を覚ました稔は、また重く悲しい現実に引き戻されて体が重くなり、ベッドに横たわった。
でも、何か忘れているような気がする。何だろう?
ごちゃごちゃになっている頭を働かした。
そうだ、子犬だ。あの子犬、一度、桜の家に預けられることになって、でも、桜の家はマンションで…………あの仔犬、どうなるんだ?
稔は突然気になって起き上がり、外へ出た。
桜の家への道を急ぐ。川の土手、青々とした芝生の上を小走りで進んだ。その時、ふと向こうの川岸で段ボールを持った少女が佇んでいるのを見つけた。
あれは……桜! そして、持っているあの段ボールは……。
桜はそっと段ボールを川面に置き、流そうとした。
「桜、何してる!」
稔は叫んだ。土手を下りて川岸へ、桜のもとへ走り、段ボールを拾いあげた。
「やっぱり……」
段ボールの中では、茶色い子犬がソワソワと動き回っている。
「こいつのせいよ」
桜は真っ赤な目で段ボールを睨んだ。
「こいつのせいで、お姉ちゃんはいなくなった」
だが、稔はゆっくりと桜の目を見つめた。
「なぁ、桜。そんなことして、姉貴が本当に喜ぶと思うか?」
ぐっと下を向いた桜は、首を横に振った。
「杏姉貴はな、本当に強かった。どんなに小さい命でも、命を懸けて守った。だからな、俺達、強くならないといけないんだ。姉貴の分も、誰よりも。そうしたら……姉貴、絶対に喜んでくれるよ」
開けた稔の目には涙が滲んでいたが……それでも、桜にしっかりと杏の遺志を伝えた。ぎゅっと目を瞑っている桜の顔の先の地面に、大粒の雨がポトポトと落ちた。
「なぁ、桜」
川沿いを歩きながら、少し落ち着いた様子の桜に稔が言った。
「こいつ、俺が引き取るよ」
段ボールの中を見た。さっきまで動き回っていた仔犬は、少し安心したのか片隅で丸まって眠っている。
「そんで、俺が立派に育てる。だって、姉貴が命懸けで守った命だもん」
桜は黙って頷いた。
それぞれの想いを胸に、二人はオレンジ色の夕陽の差す土手道を歩き続けた。しかし、稔はふと思い立って口を開く。
「そうだ、桜。俺達、これから戦わねぇ?」
「戦う?」
「そう。今から道場行って。何だか、無性に体動かしたい気分なんだ」
「え、でも……私、そういう気分じゃ……」
「いいから、いいから。行こうぜ!」
半ば強引に道場へ向かった。
道場の玄関の隅っこに置かれた段ボール箱の片隅では、子犬がすやすやと眠っていた。しかし……
「ドゥアアァー!」
「ヤァァアー!」
凄まじい気迫のぶつかり合いに飛び起き、そわそわと段ボールの中を歩き回った。
「メン、コテェ!」
「メンヤァアー!」
道場の予備ではあったが、長い間着けてなかったようにも感じられた防具をつけた二人は、激しくぶつかり合う。
瞬時に間合いを遠ざけて離れた。そこからの、桜の怒涛の連続技!
「コテ、メン、メントォ、ドォオー!」
桜の華麗な『剣舞』。稔の『目』をもってしても、ついてゆくのがやっとだ。
辛うじて動きに付いていっていた稔は、隙をついて再度、間合いを遠ざけた。
剣先をしっかりと桜の中心に向ける。体勢を立て直した桜も、すっと稔の中心を取る。
そうだよな、桜。
稔はニッと笑った。
お前も、『尊敬し合う相手』との『真剣勝負』の時には、絶対に『面』のぶつかり合いで勝負するんだよな……。
静寂が包む、緊迫した空気の中。『面』の奥から、互いの空気を感じ合う。
その刹那!
二人は飛ぶ。二本の竹刀は真っ直ぐに、そして同時に『面』を捉える!
『バクゥッ!』
『パァァーン!』
『面打ち』の音も同時に響き渡る。互いに、真っ直ぐ残心を取った。
「……私の負けね」
振り返った桜は『面』の奥で微笑む。
「そうだな」
稔も爽やかな笑顔を浮かべた。
完全に同時の『面』。恐らく、試合の審判も十人中九人は『相打ち』の判定をするだろう。
それは、二人にしか分からない勝負……二人にしか分からない、僅かな『重さ』、僅かな『剣速』の差だったのだ。
「なぁ、桜」
『面』を外した二人は、道場に寝転んでいた。
「ん?」
「やっぱ俺達ってさぁ。何があっても、剣道やめられねぇよな。だって、こんなに楽しいんだもん。姉貴が……真剣に相手とぶつかり合うことの楽しさを教えてくれたんだもん」
「うん」
桜は目を閉じて頷いた。瞼の奥には、さっきとは違う温かい涙がじんわりと浮かんでいる。
稔はゆっくりと体を起こした。
「俺さ。絶対に秋の大会、優勝する。そんで……姉貴に、俺の気持ちを伝える。だって……姉貴と、そう約束したんだから」
桜は心の奥から熱い気持ちが込み上げて、何も答えられなかった。ただ、閉じた目から一筋の涙が頬を伝う。
稔……ありがとう。
何も言わない桜の胸を熱くするその想いは、稔の胸の奥にも確かに伝わった。
もう薄暗くなっていた道場には、ぼんやりと満月の白い明かりが射し込んでいた。
『ピーヨ、ピーヨ!』
どこからだろう? 耳をすました。音の方向は……公園の中からだ。音を頼りにしゃがみ込んで、声の主を探した。
「こいつだ……」
雛鳥が、公園の木の下の芝生の上で懸命に鳴き声を振り絞り、親を呼んでいた。木の上の枝には、その雛のものと思われる巣があったのだ。
「どうしよう……」
何もできずに、ジッと雛を見つめていた。その時。
「みのるちゃーん、何してるの?」
白い道着に白袴の杏が、スポーツドリンクの入った袋をぶら下げてやって来た。
「杏姉貴、稽古は?」
「私は重役だから、途中からでいいの。あんたこそ、遅刻よ。それより、そいつ、どうしたの?」
「多分、あの巣から落ちたんじゃないかな……」
稔は目を細めて上を向く。すると、杏は袋を地面に置いた。
「落ちたんじゃないかな、じゃないわよ! 早く戻してやらなきゃ」
「えっ?」
ぼやっとする稔を置いて、杏はスルスルと木に登った。
「いや、姉貴。危ない……」
「ほら、そのコ、渡しなさい」
ある程度まで登った杏は、下へ手を伸ばす。稔は仕方なく、雛を拾って渡した。受け取った杏は、今度は上の木の枝に掛かっている巣へ、雛を持った手を伸ばした。
あと少し、あと少し……よし、入った!
雛を巣に戻した杏は、安心して一瞬気を抜いた。その時。
「あわわわっ!」
足を滑らせて転落したのだ。稔は、咄嗟に受け止めようと動いた。
『ドシーン!』
「いたたたた……」
木から落ちた杏は、稔が下敷きになっているのに気付いた。
「わわっ、ごめん、ごめん。大丈夫?」
慌てて稔から離れる。
「はい。大丈夫です」
稔はどうにか起き上がり、尻についた土を払った。
「あんた、もしかして、私を受け止めようとしてくれた?」
杏は悪戯な笑みを浮かべる。
「別に、そんなんじゃないですよ。それより、無理しないで下さい」
「無理しないで?」
杏は切れ長の目をキッと稔に向けた。
「あんた、剣道やって、強くなって、何を守れるようになった? 本当に強い奴は、どんなに小さな命でも命懸けで守るの。それができないようじゃ、あんた、本当に強くなったって言えないわよ」
ザワッ……
突如吹いた風が、公園の木々の枝を通り抜ける。それと同時に、稔の中を得体の知れない胸騒ぎが駆け抜けた。杏姉貴は、やっぱり立派だ。でも、何だかよく分からないけど……胸騒ぎがする。この立派さのせいで、姉貴が遠くへ行ってしまいそうな、漠然とした不安……。
「でも……やっぱり、あんま無理しないで下さい。だって、俺、あなたのことが……なんだから」
消え入りそうな声で言った。
「なーに、しんみりしてるのよ。それに、何? 最後の方が聞こえなかった。もう一回、はっきし言いなさい」
髪に葉っぱを付けながらも元気な杏を見て、稔は赤くなって目を逸らす。
「それは、次の……秋の大会で優勝できたら、はっきりと言います。それと……道着、早く直して下さい」
杏の道着は、木から落ちた時の反動で胸元がはだけていた。
「何、あんた。生意気に年頃? こんなの、減るもんじゃなし、どんどん見ちゃいなさいよ。まぁ、あんまないけどね」
「やめて下さい」
面白がってからかう杏に、稔はさらに真っ赤になって目を逸らした。
その日の道場の稽古。
「メンヤァアー!」
『バクゥッ!』
杏の『面』にますます磨きがかかっていた。
それもそのはず。杏は夏の県大会を土曜日に控えていたのだ。
杏の練習を見ている稔は、ドキドキと落ち着かなかった。さっき会った時は渡すどころじゃなかったが、稽古後にでも渡したいものがあった。だって、桜から聞いたんだけど、今日は……。
稽古後。掃除を終了した稔は、杏の元へ走り寄った。
「杏姉貴! これ……」
黒くて小さいケースを渡した。
「何?」
杏はケースを開けた。そこには、ジルコニア製の人工物と思われるルビーのネックレスが入っていた。
「あんた、これ……」
「姉貴、今日、誕生日だったんでしょ。俺、お金持ってないからジルコニアしか買えなかったんだけど……プレゼントです」
「いや、ジルコニアっつっても高かったでしょ? 本当にいいの?」
稔は頷いた。
「姉貴、剣道も強いけど、凄く綺麗だから……そういうのつけたら、めっちゃ似合うと思うんです。それと、さっき姉貴に伝えたかったこと……絶対に俺、秋の大会で優勝して、姉貴に伝えます」
稔は真っ赤な顔で、それでも真っ直ぐに杏を見つめた。
ドクン……
杏の胸の中に、今まで響いたことのない鼓動が響き渡る。稔は顔を赤くしたまま、逃げるように道場を出た。
うそ、やだ。何これ? 私、もしかして……
杏はネックレスを見た。ここまでされたら、大鈍感な杏も流石に気付く。あいつの気持ち……。
「全く、私としたことが……。自分の育てた『鬼』に食われるとはね」
杏は頬を赤らめる。しかし、今までで一番美しい純粋な笑みを浮かべて、そのネックレスをつけたのだった。
県大会の日。
「じゃあね、桜。行ってくるわ」
杏は竹刀と防具袋を持って玄関を出た。
「うん。気をつけてね」
桜が笑顔で見送ると、上機嫌な杏は振り返り言った。
「絶対に優勝して帰ってくるからね!」
首元にルビーを輝かせた杏は、鼻歌交じりに出掛けた。
「全く、分かりやすいんだから」
桜はそんな杏を見て微笑んだ。杏はネックレスをつけたその日から、ずっと上機嫌だったのだ。
快晴の青空の下。防具を担いだ杏は浮き足立っていた。数分おきに首に掛かっているネックレスを触り、微笑む。
じんわりと込み上げる、温かい気持ち。私がこの大会で優勝して、あいつも秋の大会で優勝したら……私の気持ちも打ち明けてやろう。顔が自然にほころんだ。
しかし、幸せを噛み締めながら歩道を歩く杏は気付いた。隣の車道を茶色くて小さいものが横切ろうとしている。
「子犬? あんな所に……」
その時だった。横からトラックが、猛スピードで突っ込む!
「危ない!」
思うより早く、体が動いた。即座に防具を置いて車道へ出て、瞬時に子犬を抱きかかえた。その瞬間!
ダァァーン!
杏は子犬を抱かかえたまま、物凄い衝撃と共に宙に浮いて、そして……地面に叩きつけられたのだ。
何が起こった?
体中が痺れて……痛いのかどうかさえ分からない。目が霞んで……何も見えない。でも……
「クゥーン」
自分の抱える腕の中で、小さな命が懸命に自分を舐めているのが分かった。
「そっか。助かったんだ、お前……」
だけど、舐められている感覚は消えてゆき……さらに霞みゆく視力に、意識だけは苦笑いした。
「でも、私の方は……ダメっぽいけど」
微かに残る意識が遠くへ吸い込まれてゆく。しかし……
「お願い、もう少しだけ……」
必死にそれに縋り付いて最期の言葉を想う。
「お父さん、お母さん……私、小さい時から迷惑かけてばかりだったけど、でも……こいつを見捨てること、できなかったんだ。許してね」
「桜……あんたは私よりずっとしっかりしてるから心配ないけど……いつまでも私のことを引きずらないで、ちゃんと前を向きなさいよ」
そして……まだ辛うじてある首元の感覚から、ルビーの感触を感じる。
「稔……」
ゆっくりと目を閉じた。
「できるなら……あんたが『最強』の金メダル、かける瞬間が見たかったな……」
目の前にぼんやりと、金メダルをかけた稔が映り……徐々に薄くなってゆく。杏の目から涙が頬を伝い……意識は遠のき、快晴の青空の奥へと吸い込まれていった。
「稔、どうした?」
道場での基本稽古を突然中断した稔に相手が聞いた。
「いや、何か、呼ばれたような気がしたから」
「え、誰も呼んでないぞ」
「そうか……」
不思議に思いながらも、稽古を再開した。しかし、得体の知れない胸騒ぎ……数日前に感じたそれが、あの時よりはっきりと稔を襲い、言い様のない不安に駆られる。
その時だった。
「大変だ! 春山の姉ちゃんが……」
報せを聞いた門下生が青ざめ、動転して駆け込んだ。稔の体中を、冷たいものが通り抜ける……。
杏が運び込まれた病院への道。稔と桜は、必死に走っていた。道着姿のまま、汗だくの二人は病院の階段を駆け上がり、病室に駆け込んだ。
そこには……白いベッドの上に寝かされた少女がいた。そして、その顔の上には白い布が被せられている。その前では見覚えのある……あの時会った、桜の母親が顔を手で覆っている……。
信じられない……いや、信じたくなかった。
でも、白い布を被せられた顔の下……首元にあるネックレス。それは、確かにあの、プレゼントしたネックレス……。
「お姉ちゃん! やだ、起きてよ。お姉ちゃん!」
桜が青ざめて白い布を取り……体を揺すった。
白い布の下の顔は、所々に痛々しい生傷がついていたが、それでも美しく、綺麗な杏で……いつものような生気や温もりは全く感じられず、作り物の『人形』のようだった。
「お姉ちゃん、やだよ! やだー!」
杏に縋り付き、泣き叫んだ。
稔は、虚ろな足取りで歩んだ。ベッドの杏に近付くにつれて、目から涙が溢れ出す。
「姉貴……嫌だ、起きてくれよ。姉貴……」
杏の腕に触れた。しかし、それは人形……。稔の知る温もりはなく、硬い……。
「姉貴……」
稔は杏に顔を押し付け、声も上げずに……ただ、ひたすらに目から溢れ出る涙を押し潰していた。
病室に入る足音。院長先生が、曇った表情で段ボール箱を抱えていた。
「本当は、病院に入れてはいけないんだけどね。お嬢さんが……命懸けで守った、小さい命だから」
段ボール箱の中では、茶色の小さな……本当に小さな子犬が、片隅で震えていた。
「やっぱり、そうなんだ。姉貴は……姉貴は、最後まで、本当に強かったんだ……」
稔の目から、涙が溢れて止まらなかった。
翌日の通夜には、『剣信館』の皆が訪れた。道場で最大と言ってよいほど偉大で美しく、強かった女剣士の最期に涙を流さない者はいない。誰もが涙を堪えることのできないまま日が沈む。
稔はかすれた声で桜の母親に尋ねた。
「あの……僕も今晩、お姉さんの側にいていいですか?」
「あなたは……」
真っ赤な目の母親は、稔をまじまじと見つめて……そして、静かに微笑んだ。
「いいわよ。今晩、杏の側にいてやって」
稔は桜の家族と一緒に、杏の棺桶の部屋に泊まった。
みんな寝静まり……杏の死からずっと泣き続け疲れたのであろう桜も眠りについた時、稔は起き出した。薄明かりの中、棺桶の窓をそっと開けた。化粧で傷を隠され、長い睫毛の目を閉じて……人形になってしまった杏は、それでもやはり美しくて……稔は見つめ続ける。
「綺麗だよ、姉貴。本当に。でも……ネックレスつけてくれた笑顔が見たかったな……」
稔の目に、また涙が込み上げた。その時。
「稔くん……だよね?」
振り向くと、母親がいた。
「あなたが、杏にネックレスくれたんだよね」
稔の横にしゃがんだ。
「本当に、こんなに一途に想ってくれるコを置いて逝っちゃうなんて、何してるんだろうね」
杏の面影を持つ母親は綺麗で、でも少しやつれていて……でもやはり、悲しいくらいに気丈だった。
「でもね。杏は小さい時、『死』を身近に感じていたから……だからこそ、きっと、小さい命を見捨てることができなかったんだと思うの」
「『死』が身近だった……?」
母親は、頷いた。
「あなたが見てきた杏からは想像もつかないかも知れないけど……杏は小さい時、命が危なくなるほど喘息がひどくて入院してたの。いつ激しい喘息発作に襲われるかとびくびくして……発作が襲うたびに『死』が自分を連れ去ってしまうんじゃないかって……自分のことを弱くて小さい存在だと思って震えてた。丁度、小学三年生くらいの頃だったかな。体調が良くなって、強くなりたいって剣道始めて、『弱い奴を守りたい、だから誰よりも強くなりたいんだ』って、いつも言ってて。それまでの人生を取り返すくらいに必死で打ち込んで、本当に誰よりも強くなっていったの」
母親は噛み締めるように、ゆっくりと語った。
「短かったけど……本当に短かったけど、杏は杏なりに、命を燃やして、精一杯輝いていたのよね」
稔は熱い涙を流した。稔の知っている杏……それはいつでも、元気いっぱいで、誰よりも強くて、眩いばかりに輝いていた。そして、その輝きは杏の中に『弱くて小さい自分』がいたから……だからこその輝きだったのだ。
葬式では、稔は泣かなかった。杏は『いなく』なる……もう二度と会えないけれど、自分は杏の夢を背負ってるから……大好きな人の夢そのものだから、いつでも強くなければならないんだ。
棺桶の杏の美しい顔の横にネックレスを贈って……ずっと、ずっと、この世で一番大切な人を見続けて……永遠に想い続けると誓ったのだった。
葬式から帰った稔は、張り詰めていた力が抜けた。
部屋のベッドでぐったりと横になると、いつの間にか意識が遠のいていた。気がついた時には日が変わっており、もう昼過ぎだった。目を覚ました稔は、また重く悲しい現実に引き戻されて体が重くなり、ベッドに横たわった。
でも、何か忘れているような気がする。何だろう?
ごちゃごちゃになっている頭を働かした。
そうだ、子犬だ。あの子犬、一度、桜の家に預けられることになって、でも、桜の家はマンションで…………あの仔犬、どうなるんだ?
稔は突然気になって起き上がり、外へ出た。
桜の家への道を急ぐ。川の土手、青々とした芝生の上を小走りで進んだ。その時、ふと向こうの川岸で段ボールを持った少女が佇んでいるのを見つけた。
あれは……桜! そして、持っているあの段ボールは……。
桜はそっと段ボールを川面に置き、流そうとした。
「桜、何してる!」
稔は叫んだ。土手を下りて川岸へ、桜のもとへ走り、段ボールを拾いあげた。
「やっぱり……」
段ボールの中では、茶色い子犬がソワソワと動き回っている。
「こいつのせいよ」
桜は真っ赤な目で段ボールを睨んだ。
「こいつのせいで、お姉ちゃんはいなくなった」
だが、稔はゆっくりと桜の目を見つめた。
「なぁ、桜。そんなことして、姉貴が本当に喜ぶと思うか?」
ぐっと下を向いた桜は、首を横に振った。
「杏姉貴はな、本当に強かった。どんなに小さい命でも、命を懸けて守った。だからな、俺達、強くならないといけないんだ。姉貴の分も、誰よりも。そうしたら……姉貴、絶対に喜んでくれるよ」
開けた稔の目には涙が滲んでいたが……それでも、桜にしっかりと杏の遺志を伝えた。ぎゅっと目を瞑っている桜の顔の先の地面に、大粒の雨がポトポトと落ちた。
「なぁ、桜」
川沿いを歩きながら、少し落ち着いた様子の桜に稔が言った。
「こいつ、俺が引き取るよ」
段ボールの中を見た。さっきまで動き回っていた仔犬は、少し安心したのか片隅で丸まって眠っている。
「そんで、俺が立派に育てる。だって、姉貴が命懸けで守った命だもん」
桜は黙って頷いた。
それぞれの想いを胸に、二人はオレンジ色の夕陽の差す土手道を歩き続けた。しかし、稔はふと思い立って口を開く。
「そうだ、桜。俺達、これから戦わねぇ?」
「戦う?」
「そう。今から道場行って。何だか、無性に体動かしたい気分なんだ」
「え、でも……私、そういう気分じゃ……」
「いいから、いいから。行こうぜ!」
半ば強引に道場へ向かった。
道場の玄関の隅っこに置かれた段ボール箱の片隅では、子犬がすやすやと眠っていた。しかし……
「ドゥアアァー!」
「ヤァァアー!」
凄まじい気迫のぶつかり合いに飛び起き、そわそわと段ボールの中を歩き回った。
「メン、コテェ!」
「メンヤァアー!」
道場の予備ではあったが、長い間着けてなかったようにも感じられた防具をつけた二人は、激しくぶつかり合う。
瞬時に間合いを遠ざけて離れた。そこからの、桜の怒涛の連続技!
「コテ、メン、メントォ、ドォオー!」
桜の華麗な『剣舞』。稔の『目』をもってしても、ついてゆくのがやっとだ。
辛うじて動きに付いていっていた稔は、隙をついて再度、間合いを遠ざけた。
剣先をしっかりと桜の中心に向ける。体勢を立て直した桜も、すっと稔の中心を取る。
そうだよな、桜。
稔はニッと笑った。
お前も、『尊敬し合う相手』との『真剣勝負』の時には、絶対に『面』のぶつかり合いで勝負するんだよな……。
静寂が包む、緊迫した空気の中。『面』の奥から、互いの空気を感じ合う。
その刹那!
二人は飛ぶ。二本の竹刀は真っ直ぐに、そして同時に『面』を捉える!
『バクゥッ!』
『パァァーン!』
『面打ち』の音も同時に響き渡る。互いに、真っ直ぐ残心を取った。
「……私の負けね」
振り返った桜は『面』の奥で微笑む。
「そうだな」
稔も爽やかな笑顔を浮かべた。
完全に同時の『面』。恐らく、試合の審判も十人中九人は『相打ち』の判定をするだろう。
それは、二人にしか分からない勝負……二人にしか分からない、僅かな『重さ』、僅かな『剣速』の差だったのだ。
「なぁ、桜」
『面』を外した二人は、道場に寝転んでいた。
「ん?」
「やっぱ俺達ってさぁ。何があっても、剣道やめられねぇよな。だって、こんなに楽しいんだもん。姉貴が……真剣に相手とぶつかり合うことの楽しさを教えてくれたんだもん」
「うん」
桜は目を閉じて頷いた。瞼の奥には、さっきとは違う温かい涙がじんわりと浮かんでいる。
稔はゆっくりと体を起こした。
「俺さ。絶対に秋の大会、優勝する。そんで……姉貴に、俺の気持ちを伝える。だって……姉貴と、そう約束したんだから」
桜は心の奥から熱い気持ちが込み上げて、何も答えられなかった。ただ、閉じた目から一筋の涙が頬を伝う。
稔……ありがとう。
何も言わない桜の胸を熱くするその想いは、稔の胸の奥にも確かに伝わった。
もう薄暗くなっていた道場には、ぼんやりと満月の白い明かりが射し込んでいた。


