稲の穂が金色に稔る秋。体育館で秋季市民剣道大会が開催された。
稔は、初の対外試合だ。夏休みに桜との競り合いで相当な力をつけた稔は、初心者とは思えない『豪剣』を披露した。順調に個人戦を勝ち進む小さな『鬼』。そんな彼を、杏は余裕の笑みを浮かべて観戦した。
「ヤァアー!」
掛け声を出す相手。その正面から、稔は凄まじい気迫を発した。
「ドゥウアァー!」
稔の周囲の空気が振動し、相手に突き刺さる。相手は稔の気迫に圧倒され、打ち込みを一瞬躊躇った。その刹那!
「メェーン!」
『バコォ!』
稔は、たじろいだ相手に生じた瞬時の心の隙をつく『面』を決めたのだ。
稔が『面』を決めるのを見る度に、杏は鳥肌が立った。自信満々の杏も、これほどの速度での成長は予想していなかった。
この試合に勝ったことで、稔は準々決勝へ駒を進めることになったのだ。この試合に勝つと、稔は三位以上……生まれて初めてのメダルを手にすることになる。
「いい? 稔。相手がどんな手を使ってきても、あんたは私の教えた剣道を貫くのよ。『絶対に勝て』とは言わない。たとえ負けても、あんたは『あんたの剣道』を貫きなさい」
試合前。杏は稔を真っ直ぐ見て言った。普段見せない杏の真剣な美しい表情にドキっとしながらも、稔も真っ直ぐ頷いた。
杏が『絶対に勝て』とは言わないのには理由がある。
準々決勝の相手は、角口という少年。毎回、市民大会で優勝する少年だ。
しかし、杏は決して『角口が稔より強い』とは思っていない。ただ、『勝つ』ためのテクニックに長けている少年なのだ。そんな相手のために、自分が稔に教えた『豪剣』が崩れてしまわないか……杏は、ただそれだけが気掛かりだった。
稔と角口が向かい合い、蹲踞した。
「はじめ!」
準々決勝が始まった。
「ドゥウァアー!」
稔は、気迫を充実させた。
しかし……何か、変だ。何か、違和感がある。
今まで対戦した相手は、稔の真っ向からの気迫に対し、圧倒された。しかし、この角口という相手は、稔の気迫に動じない……というか、受け流していた。
稔がじわじわと右足を前に出した。
しかし、何故か角口との距離は縮まらない。
別に、角口が怖気付いて後ずさりしているようにも見えない。構え自体は堂々としていた。ただ、僅かずつ左足を引き……遠間を保っていたのだ。高まる緊張感に、稔は痺れを切らし……遠間から飛び込む!
「メェェー……」
しかし、次の瞬間、場内がどよめいた。
角口が剣先を稔の喉元に定めた状態のまま、稔は飛び込んだ。稔が飛び込んでも、角口は稔の喉元に向けた剣先を一ミリたりとも動かしていなかった。つまり、角口の竹刀の先が稔の喉元に突き刺さったのだ。
「グハッ……ゴホッ!」
稔は咳込んだ。
「やめっ!」
試合は、中断される。
「ゴホッ、ゴホッ……」
激しく咳込んでいた。
「稔! 稔、大丈夫?」
杏は取り乱し、稔のもとへ駆け寄った。
「は……はい、大丈夫です」
喉元は赤く腫れていたが、稔の呼吸は落ち着いた。どうにか大事には至らなかったようだ。
杏は、稔を真っ直ぐ見て言った。
「いい? 今までの相手は、あんたに立ち向かってきた。だから、あんたの気迫を真っ向から受けるとビビってた。でも、あの相手は違うの。あんたが焦って崩れるのを待ってる。だから、あんたは焦るな。落ち着いて」
「はい!」
稔がいつものように元気に返事をすると、杏は安心して微笑んだ。
「もう一度言うわ。『絶対に勝て』とは言わない。あんたは、『あんたの剣道』を貫きなさい」
「はじめ!」
試合が再開される。
へぇ、まだ来れるのか……。
角口は思った。
この山口という相手、『面』は凄い。あの気迫、あの威力、あの重さ。『合い面』で勝負すると、十中八九負ける。
しかし、それだけだ。その他の『技』、体捌き、足捌き、どれを取っても初心者だ。初心者が『面』を武器に意気がってるだけ……。
角口は、稔が飛び込んだ瞬間、一歩後ろに下がれば躱せたし、竹刀で捌こうと思えば捌けた。しかし、敢えてそれをしなかった。
竹刀を動かさずに喉元を突き、恐怖を植え付けてやったのだ。これであわよくば不戦勝、もし試合が再開されたとしても、恐怖心からあの『面』の威力は半減する。角口は、『勝つ』ために、その後の流れを有利に持っていく手段を取ったのだ。
試合は続行される。でも、こいつの気迫は半減するだろう。そう思っていた。
しかし……
「ドゥアアァー!」
稔の気迫に角口は驚いた。先程にも増す気迫。
それに、先程までの焦りが見られず、落ち着き堂々としているように見えた。その瞬間!
「メントォォオー!」
突如、目の前に竹刀が現れたかと思った。角口は即座に竹刀で捌き、身を右へ開いて躱した。
しかし、危機一髪。この迷いのない『面』。こいつに恐怖心はないのか?
それに、『打つ瞬間』が分からなかった……。
「ドゥアアァヤァアー!」
角口が驚く間に振り返り、体勢を立て直した稔は、さらなる気迫を彼にぶつけた。
角口は、稔の中に『鬼』を感じ、身震いした。
もう、こいつを初心者だとは思わない。俺は、『俺のやり方』で、全力でこいつを潰す!
角口は、構えを立て直した。
「メェェーン!」
稔の『面』。角口はそれを竹刀で捌き、躱した。角口も百戦錬磨の小学生剣士。強い相手との戦い方は心得ている。
遠間に構えたまま剣先を僅かにずらし、相手が打ち込むのを誘う。相手の『打ち』は躱し続け、体力を消耗させる。そして、相手の中心をとって攻め続け、相手が崩れた瞬間を狙い……決める! その戦法を立てていた。
稔は、徐々に体力をすり減らしていた。
苦しい……。勝負から逃げてしまえば、楽になれるかも知れない。
でも……。
「あんたは、『あんたの剣道』を貫きなさい」
杏の言葉が、逃げようとする想いを封じた。
逃げてはいけない。たとえ負けたとしても、僕は、『僕の剣道』を貫く!
「ドゥォオラァアー!」
追い詰められた状況で、稔は最大の気迫を発した。それは、試合を見守る観客達を、そして、角口を驚かせた。
あの『面』がくる!
角口は、そう直感した。
『面』では敵わない……。
瞬時に、中心をとっていた竹刀を僅かに上げ、稔の右手元へ伸ばす!
「コテェ!」
竹刀は相手の右手首を捉え、体自体は瞬時に右にずらしての『小手』。
『パーン!』
稔の右手首を竹刀が打つ音が響く。稔の竹刀がかすめた角口の『面』にも、ビリビリと衝撃が伝わる。
「小手あり!」
試合終了間際の『出小手』。準々決勝は稔の一本負けに終わった。蹲踞をして戻った稔は、一気に脱力した。
試合に負けた稔は、中学生女子の決勝戦を見ていた。
「ウォォアァー!」
杏の気迫がビリビリと試合会場内の空気を震わせる。試合会場の観客、皆の視線が集まった。
「メンヤァアー!」
『バコォッ!』
竹刀が、まるで吸い寄せられるかのように相手の『面』のど真ん中にめり込んだ。
「凄い……」
稔は、何度見ても感動する。
自分も、多少なりとも迫力のある『面』を打てるようになったつもりではいた。しかし、この『面』には、まだ遠く及ばない。でも、いつか、必ず……。稔は、手をグッと握った。
試合は、いつも通り、杏と桜の姉妹が優勝という結果に終わった。
「みのーるちゃん!」
金メダルを首にかけ、上機嫌の杏は稔のもとへ駆け寄った。
「あれー、あんた、メダル取れなかったの?」
知ってるクセに、茶化す。デリカシーのなさは人一倍だ。
「ごめんなさい……三位にもなれなかったんです」
稔が本当に泣きそうな顔になったので、杏は慌てた。
「あ、いや、ごめん。そんなにヘコんでるとは……」
頭をポリポリかく。しかし、ふと何かを思いついた。
「稔。こっち向きなさい」
「えっ?」
すると、杏は稔の首に自分が取った金メダルをかけたのだ。
「私が、あげる」
杏は屈んで稔と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
「あんたの、初めての金メダル」
「えっ……でも」
「あんたは、負けても『あんたの剣道』を貫いた。『あんたの剣道』を貫く限り、あんたはどこまでも強くなる。この金メダルを見るたびに、それを思い出しなさい」
杏は優しく言った。その言葉に、稔の目から堪えていた涙が溢れ出す。
「お姉さん……」
稔の顔が涙でグショグショになる。
「僕、悔しい……」
杏は、稔の頭を撫でた。
「うん、うん。その悔しさを忘れるな。忘れない限り、あんたは絶対に強くなるんだから」
屈んだまま、ぐしゃぐしゃに涙を流して泣く稔を撫で続けた。その金メダルは、いつまでも、ずっと……稔の一生の宝物になるのだった。
稔は、初の対外試合だ。夏休みに桜との競り合いで相当な力をつけた稔は、初心者とは思えない『豪剣』を披露した。順調に個人戦を勝ち進む小さな『鬼』。そんな彼を、杏は余裕の笑みを浮かべて観戦した。
「ヤァアー!」
掛け声を出す相手。その正面から、稔は凄まじい気迫を発した。
「ドゥウアァー!」
稔の周囲の空気が振動し、相手に突き刺さる。相手は稔の気迫に圧倒され、打ち込みを一瞬躊躇った。その刹那!
「メェーン!」
『バコォ!』
稔は、たじろいだ相手に生じた瞬時の心の隙をつく『面』を決めたのだ。
稔が『面』を決めるのを見る度に、杏は鳥肌が立った。自信満々の杏も、これほどの速度での成長は予想していなかった。
この試合に勝ったことで、稔は準々決勝へ駒を進めることになったのだ。この試合に勝つと、稔は三位以上……生まれて初めてのメダルを手にすることになる。
「いい? 稔。相手がどんな手を使ってきても、あんたは私の教えた剣道を貫くのよ。『絶対に勝て』とは言わない。たとえ負けても、あんたは『あんたの剣道』を貫きなさい」
試合前。杏は稔を真っ直ぐ見て言った。普段見せない杏の真剣な美しい表情にドキっとしながらも、稔も真っ直ぐ頷いた。
杏が『絶対に勝て』とは言わないのには理由がある。
準々決勝の相手は、角口という少年。毎回、市民大会で優勝する少年だ。
しかし、杏は決して『角口が稔より強い』とは思っていない。ただ、『勝つ』ためのテクニックに長けている少年なのだ。そんな相手のために、自分が稔に教えた『豪剣』が崩れてしまわないか……杏は、ただそれだけが気掛かりだった。
稔と角口が向かい合い、蹲踞した。
「はじめ!」
準々決勝が始まった。
「ドゥウァアー!」
稔は、気迫を充実させた。
しかし……何か、変だ。何か、違和感がある。
今まで対戦した相手は、稔の真っ向からの気迫に対し、圧倒された。しかし、この角口という相手は、稔の気迫に動じない……というか、受け流していた。
稔がじわじわと右足を前に出した。
しかし、何故か角口との距離は縮まらない。
別に、角口が怖気付いて後ずさりしているようにも見えない。構え自体は堂々としていた。ただ、僅かずつ左足を引き……遠間を保っていたのだ。高まる緊張感に、稔は痺れを切らし……遠間から飛び込む!
「メェェー……」
しかし、次の瞬間、場内がどよめいた。
角口が剣先を稔の喉元に定めた状態のまま、稔は飛び込んだ。稔が飛び込んでも、角口は稔の喉元に向けた剣先を一ミリたりとも動かしていなかった。つまり、角口の竹刀の先が稔の喉元に突き刺さったのだ。
「グハッ……ゴホッ!」
稔は咳込んだ。
「やめっ!」
試合は、中断される。
「ゴホッ、ゴホッ……」
激しく咳込んでいた。
「稔! 稔、大丈夫?」
杏は取り乱し、稔のもとへ駆け寄った。
「は……はい、大丈夫です」
喉元は赤く腫れていたが、稔の呼吸は落ち着いた。どうにか大事には至らなかったようだ。
杏は、稔を真っ直ぐ見て言った。
「いい? 今までの相手は、あんたに立ち向かってきた。だから、あんたの気迫を真っ向から受けるとビビってた。でも、あの相手は違うの。あんたが焦って崩れるのを待ってる。だから、あんたは焦るな。落ち着いて」
「はい!」
稔がいつものように元気に返事をすると、杏は安心して微笑んだ。
「もう一度言うわ。『絶対に勝て』とは言わない。あんたは、『あんたの剣道』を貫きなさい」
「はじめ!」
試合が再開される。
へぇ、まだ来れるのか……。
角口は思った。
この山口という相手、『面』は凄い。あの気迫、あの威力、あの重さ。『合い面』で勝負すると、十中八九負ける。
しかし、それだけだ。その他の『技』、体捌き、足捌き、どれを取っても初心者だ。初心者が『面』を武器に意気がってるだけ……。
角口は、稔が飛び込んだ瞬間、一歩後ろに下がれば躱せたし、竹刀で捌こうと思えば捌けた。しかし、敢えてそれをしなかった。
竹刀を動かさずに喉元を突き、恐怖を植え付けてやったのだ。これであわよくば不戦勝、もし試合が再開されたとしても、恐怖心からあの『面』の威力は半減する。角口は、『勝つ』ために、その後の流れを有利に持っていく手段を取ったのだ。
試合は続行される。でも、こいつの気迫は半減するだろう。そう思っていた。
しかし……
「ドゥアアァー!」
稔の気迫に角口は驚いた。先程にも増す気迫。
それに、先程までの焦りが見られず、落ち着き堂々としているように見えた。その瞬間!
「メントォォオー!」
突如、目の前に竹刀が現れたかと思った。角口は即座に竹刀で捌き、身を右へ開いて躱した。
しかし、危機一髪。この迷いのない『面』。こいつに恐怖心はないのか?
それに、『打つ瞬間』が分からなかった……。
「ドゥアアァヤァアー!」
角口が驚く間に振り返り、体勢を立て直した稔は、さらなる気迫を彼にぶつけた。
角口は、稔の中に『鬼』を感じ、身震いした。
もう、こいつを初心者だとは思わない。俺は、『俺のやり方』で、全力でこいつを潰す!
角口は、構えを立て直した。
「メェェーン!」
稔の『面』。角口はそれを竹刀で捌き、躱した。角口も百戦錬磨の小学生剣士。強い相手との戦い方は心得ている。
遠間に構えたまま剣先を僅かにずらし、相手が打ち込むのを誘う。相手の『打ち』は躱し続け、体力を消耗させる。そして、相手の中心をとって攻め続け、相手が崩れた瞬間を狙い……決める! その戦法を立てていた。
稔は、徐々に体力をすり減らしていた。
苦しい……。勝負から逃げてしまえば、楽になれるかも知れない。
でも……。
「あんたは、『あんたの剣道』を貫きなさい」
杏の言葉が、逃げようとする想いを封じた。
逃げてはいけない。たとえ負けたとしても、僕は、『僕の剣道』を貫く!
「ドゥォオラァアー!」
追い詰められた状況で、稔は最大の気迫を発した。それは、試合を見守る観客達を、そして、角口を驚かせた。
あの『面』がくる!
角口は、そう直感した。
『面』では敵わない……。
瞬時に、中心をとっていた竹刀を僅かに上げ、稔の右手元へ伸ばす!
「コテェ!」
竹刀は相手の右手首を捉え、体自体は瞬時に右にずらしての『小手』。
『パーン!』
稔の右手首を竹刀が打つ音が響く。稔の竹刀がかすめた角口の『面』にも、ビリビリと衝撃が伝わる。
「小手あり!」
試合終了間際の『出小手』。準々決勝は稔の一本負けに終わった。蹲踞をして戻った稔は、一気に脱力した。
試合に負けた稔は、中学生女子の決勝戦を見ていた。
「ウォォアァー!」
杏の気迫がビリビリと試合会場内の空気を震わせる。試合会場の観客、皆の視線が集まった。
「メンヤァアー!」
『バコォッ!』
竹刀が、まるで吸い寄せられるかのように相手の『面』のど真ん中にめり込んだ。
「凄い……」
稔は、何度見ても感動する。
自分も、多少なりとも迫力のある『面』を打てるようになったつもりではいた。しかし、この『面』には、まだ遠く及ばない。でも、いつか、必ず……。稔は、手をグッと握った。
試合は、いつも通り、杏と桜の姉妹が優勝という結果に終わった。
「みのーるちゃん!」
金メダルを首にかけ、上機嫌の杏は稔のもとへ駆け寄った。
「あれー、あんた、メダル取れなかったの?」
知ってるクセに、茶化す。デリカシーのなさは人一倍だ。
「ごめんなさい……三位にもなれなかったんです」
稔が本当に泣きそうな顔になったので、杏は慌てた。
「あ、いや、ごめん。そんなにヘコんでるとは……」
頭をポリポリかく。しかし、ふと何かを思いついた。
「稔。こっち向きなさい」
「えっ?」
すると、杏は稔の首に自分が取った金メダルをかけたのだ。
「私が、あげる」
杏は屈んで稔と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
「あんたの、初めての金メダル」
「えっ……でも」
「あんたは、負けても『あんたの剣道』を貫いた。『あんたの剣道』を貫く限り、あんたはどこまでも強くなる。この金メダルを見るたびに、それを思い出しなさい」
杏は優しく言った。その言葉に、稔の目から堪えていた涙が溢れ出す。
「お姉さん……」
稔の顔が涙でグショグショになる。
「僕、悔しい……」
杏は、稔の頭を撫でた。
「うん、うん。その悔しさを忘れるな。忘れない限り、あんたは絶対に強くなるんだから」
屈んだまま、ぐしゃぐしゃに涙を流して泣く稔を撫で続けた。その金メダルは、いつまでも、ずっと……稔の一生の宝物になるのだった。


