翌日。教室の窓から黄金色の眩しい日差しが降り注ぐ窓際の席。稔は、授業も耳に入らずぼんやりしていた。昨日の出来事が反芻し、頭の中を何度も通り抜ける。
声を掛けられて振り向いて、正直少しドキッとした。
透き通るような白い肌に、薄紅色の唇。クールな切れ長の目に、長い睫毛。中学生くらいだろうか。すごく綺麗なお姉さん。
でも……彼女の変なテンションを思い出す。ちょっと変なお姉さん。
だけども……。あの瞬間を思い出した稔は、ゾクッと鳥肌が立った。
……物凄く、強い人。
棒を持って構えた途端、人が変わった。というより、『自分の知らない世界』の人になった。
掛け声と共に、あの人の気迫が自分の周りの空気を振動させて、自分に向かって容赦なく突き刺さった。
自分の本能が、あの人の圧倒的な強さを感じ取った。
でも……何故か逃げようという気は起こらなかった。稔はワクワクして、いつの間にか勝手に体が動き出して、全力で彼女へ向かって行ったのだ。
身震いする怖さを感じたのは、ほんの一瞬だった。
自分の脳天に、棒が振り下ろされた瞬間。ただの棒だと分かっていたのに、それを絢爛と光る日本刀のように錯覚し……『斬られる』と思った。
『死ぬ』、そう感じた瞬間、目を瞑った……。
『キーンコーンカーンコーン』
授業終了のチャイムが鳴り、中間休みになる。結局、授業内容が何一つ頭に入らなかった稔は、教科書とノートを机の中にしまった。
その時、
「おい、稔。ちょっと来いよ」
クラスの一軍の三人……勝、相太、豊が机にやって来た。稔はうんざりする。
「今日は、お前に剣術を伝授してやるよ」
校庭の隅。木の陰へ追いやられた稔を見て、勝はニヤニヤしている。
「伝授……キラーン!」
お調子者の相太と豊は、棒っきれを持って囃し立てた。
いつもの三人。クラスのリーダーの勝とその手下の相太、豊。三年生になるのに、クラスに『馴染めていない』稔は、いつもこの三人に『いじめられる』。
こいつらが『強い』からいじめられるんじゃない。『馴染めない』自分がリーダーに刃向かうのはクラス内でのタブー……だから、『いじめられる』のだ。
三人が棒っきれで稔を殴る。稔はその棒を全て目で追い……自分にとって最もダメージの少ない部分で棒を『受けて』いた。
「躱そうと思えば全部躱せたでしょ」
昨日のお姉さんの言葉を思い出す。
こんな奴ら、強くも怖くもない。僕は昨日……『本当に強い人』に会ったんだから!
調子に乗った勝は、また棒を稔に振り下ろす。しかし、稔は……さっきまでとは違う稔は容易く躱した。不意をつかれ、空振った勝は目を丸くする。稔は、冷たく……哀れむような瞳で勝を見た。
三人は、仰天した。今まで、稔に躱されたことは一度もない。でも……今日のこいつはいつもと違う。
それに、あの『目』。自分達のことを全て見透かすかのような稔の『目』……。
「あんた達、何やってんの?」
そんな四人……仰天する三人と、彼らを冷たく見つめる稔に凛とした声が掛けられる。勝達は振り返った。
「げっ、春山……」
「まぁた、下らない剣術ごっこ?」
その少女……四人と同じクラスの桜は、呆れ顔で勝の持つ棒っきれを見つめる。
「お前には関係ねぇだろ。おい、行こうぜ」
三人はそそくさと立ち去った。
「春山……さん、ありがとう」
「別に。ちょっと通りがかっただけよ」
稔が礼を言うと、クールな桜は踵を返し立ち去って行った。
「くそっ、くそっ」
勝は苛立っていた。
「しょうがないって。あいつ、春山は剣道っての、めちゃくちゃ強いらしいし」
相太と豊はフォローする。
「違うよ」
勝は、よりイライラして言った。
「あいつ……稔の目。俺の一番嫌いな目をしてた。仲間に入れないクセに、俺達のことをバカにする目。だから、俺、あいつのことが嫌いなんだ」
相太と豊は目を見合わせた。
土曜日。公園の角を曲がる稔の鼓動は高鳴った。『剣信館』と書かれた一枚板の貼られた門の前で、稔は固まる。
「あれ? あんた……山口?」
ぼぉっと佇む背後から声、をかけられた。稔は、振り返った。
「春山さん?」
白い道着に白袴……あの日のお姉さんと同じ格好をした桜が、黒い防具袋を引っ掛けた竹刀袋を担いでいる。
そして、その後ろには……
「あらぁ、小羊ちゃん。約束通り来てくれたのね!」
稔は、ドキッとした。あの日会ったお姉さんが桜と同じ格好で、やはり防具袋と竹刀袋を担いで、悪戯な笑みを稔に向けたのだ。
「小羊ちゃん? 約束?」
怪訝な顔をする桜を置いて、杏は稔のもとへ駆け寄った。
「あんたは、今日からここの門下生よ」
「門下生?」
「そっ!」
杏が少し屈んで目を合わすと、稔は赤くなって目を逸らした。
「私があんたを、最強の剣士に育てるんだから!」
「最強の剣士?」
稔は逸らした目を丸くして、再度、杏を見た。
「そ。あんたに拒否権はなし。だって、あんた、『負けた』でしょ!」
「え? 最強の剣士って、そんな弱虫を? お姉ちゃん、どういうこと?」
狐につままれる桜を置いて、杏は稔の手を引き、厳かな雰囲気を漂わせる道場へ入って行った。
「前後正面素振り、はじめっ!」
「壱!」
『メンッ!』
「弐!」
『メンッ!』
道着に防具を装着した格好の少年少女が、道場の中央へ向けて竹刀の素振りをしている。予備の道着に着替えさせられ、片隅に正座してそれをじっと見つめる稔は、圧倒されていた。
その中でも、稔の視線はやはり杏に釘付けになる。
竹刀の軌道が他の少年少女と全く違う。一切の無駄のない、最小限の軌道……。稔も、自分でも気付かぬ間に手だけ杏の素振りを真似ていた。
「黙想!」
オロオロする稔を端っこに並ばせて正座させ、練習開始前の黙想が行われた。
「やめ! 礼!」
「お願いします!」
「正面に! 礼!」
「お願いします!」
「面つけ!」
『面』をつけた少年少女は、『切り返し』から練習を始める。皆が『切り返し』をする傍ら、杏は稔の指導に入った。
「いい? 稔くん。剣道はね、礼に始まり礼に終わる武道よ。道場への感謝の気持ち、打ち合う相手への尊敬の意を込めて、練習の始まりと終わりには必ず礼をするの。その礼儀を忘れるようじゃ、本当に強くはなれないわよ」
「礼儀……」
稔は、「いいなぁ……」と思った。
スポーツは全て相手を打ち負かす、野蛮なもの。そう思っていた。でも……自分が今踏み込もうとしている世界はこんなにも清く、正しい剣の道なのだ。
「そこまで分かったら、まず、足運びからね」
杏は、稔に『摺り足』を教えた。
「うんうん、そうそう。上手、上手。やっぱあんた、私が見込んだだけのことはあるわ」
ただの摺り足に上手も何もなさそうなものだが、杏はいつまでもニヤニヤ笑って稔の足運びの練習を見ていた。
「ちょっと、お姉ちゃん! いつまでサボってんの? 摺り足まで教えたなら、いつまでもついてなくていいでしょ!」
練習の間の小休止に、桜が凄い剣幕で来た。
「ありゃあ、バレちった。だって、この時期、暑くてバテるんだもん」
杏はベロを出す。清く、正しい剣の道……。自由奔放におちゃらけるお姉さんを見た稔は、その道に一抹の不安を覚えた。
しかし、杏は稔の方に向き直り、凛とした顔で言った。
「あんた、私達の練習、見ときな。摺り足しながらでも、見れるでしょ」
この美しく真剣な顔と、さっきのおちゃらけた顔。どちらが本当の彼女なのか分からず、稔は不思議な気分になった。
「ドゥォアアァー!」
『面』を着けた杏は人が変わる。竹刀を中段に堂々と構え、威圧的な存在感を相手に放った。
「コ……」
相手の竹刀が手元を狙ったその瞬間!
「メンヤァァー!」
『バゴォッ!』
凄まじい破壊音と共に杏の竹刀が相手の『面』にめり込む。
「凄い……」
稔は、ゾクッと身震いした。『豪剣』……杏のそれは、無敵だった。杏の竹刀は凄まじい加速度とともに、どんな相手の『面』にもめり込む。
稔があの時感じた『斬られる』という感覚。今、正に目の前で杏が剣士達を真っ二つに『斬って』いる。あの時感じた、身震いするような怖さ。しかし、それ以上に稔の心の底から、震えるほどの感動が沸き起こっていたのだった。
道場の皆が雑巾がけの掃除をしている。
「どうだった?」
皆が掃除をする傍ら、杏が稔に声をかけた。
「凄かったです……」
ありきたりだが、稔の口からはその言葉しか出なかった。よく見ると、その道場には『市民大会 小学生◯年女子の部 優勝 春山 杏』と書かれた賞状がいくつも飾られており、その中には『中学生女子の部 優勝』もある。
「お姉さん、中学生ですか?」
「そ、中一」
「中一で中学生女子の部優勝!?」
「そうね。ま、この地区では男子でも私に敵う中学生はそうはいないけどね」
「すごい……」
稔は目を輝かした。
「僕……お姉さんみたいに、強くなれますか?」
「そうねぇ、それは、これからのあなた次第ね」
杏は、美しい瞳を横に細長く伸ばして、悪戯そうに笑った。
「でも。『本当に強い相手』を恐れずに向かってくる根性。『あの時』のその根性があれば、大丈夫。絶対、あんた、強くなるわよ!」
杏は悪戯な笑みを浮かべながらも、美しい瞳は真っ直ぐ、真剣な眼差しを稔に向けた。
『ドクン……』
真剣な眼差しを受ける稔は、金縛りにあい動けなくなる。
「ま、どんなに強くなっても、私には及ばないけどね」
すぐにふざけて茶化す杏に、稔の金縛りも解けた。
「ちょっと、お姉ちゃん! 掃除サボるな!」
「ありゃあ、また、バレちった」
雑巾を持った杏は頭をポリポリかき、雑巾がけをする桜達のもとへ戻りながら、稔に顔を向けた。
「水曜の六時と土曜の十時!」
「えっ?」
「その時間にここに来なさい。私があんたを、最強の剣士に育てるって言ったでしょ!」
杏は、ニーっと笑った。
「ま、私の次に、だけどね」
そう呟いて、雑巾がけの掃除に戻ったのだった。
声を掛けられて振り向いて、正直少しドキッとした。
透き通るような白い肌に、薄紅色の唇。クールな切れ長の目に、長い睫毛。中学生くらいだろうか。すごく綺麗なお姉さん。
でも……彼女の変なテンションを思い出す。ちょっと変なお姉さん。
だけども……。あの瞬間を思い出した稔は、ゾクッと鳥肌が立った。
……物凄く、強い人。
棒を持って構えた途端、人が変わった。というより、『自分の知らない世界』の人になった。
掛け声と共に、あの人の気迫が自分の周りの空気を振動させて、自分に向かって容赦なく突き刺さった。
自分の本能が、あの人の圧倒的な強さを感じ取った。
でも……何故か逃げようという気は起こらなかった。稔はワクワクして、いつの間にか勝手に体が動き出して、全力で彼女へ向かって行ったのだ。
身震いする怖さを感じたのは、ほんの一瞬だった。
自分の脳天に、棒が振り下ろされた瞬間。ただの棒だと分かっていたのに、それを絢爛と光る日本刀のように錯覚し……『斬られる』と思った。
『死ぬ』、そう感じた瞬間、目を瞑った……。
『キーンコーンカーンコーン』
授業終了のチャイムが鳴り、中間休みになる。結局、授業内容が何一つ頭に入らなかった稔は、教科書とノートを机の中にしまった。
その時、
「おい、稔。ちょっと来いよ」
クラスの一軍の三人……勝、相太、豊が机にやって来た。稔はうんざりする。
「今日は、お前に剣術を伝授してやるよ」
校庭の隅。木の陰へ追いやられた稔を見て、勝はニヤニヤしている。
「伝授……キラーン!」
お調子者の相太と豊は、棒っきれを持って囃し立てた。
いつもの三人。クラスのリーダーの勝とその手下の相太、豊。三年生になるのに、クラスに『馴染めていない』稔は、いつもこの三人に『いじめられる』。
こいつらが『強い』からいじめられるんじゃない。『馴染めない』自分がリーダーに刃向かうのはクラス内でのタブー……だから、『いじめられる』のだ。
三人が棒っきれで稔を殴る。稔はその棒を全て目で追い……自分にとって最もダメージの少ない部分で棒を『受けて』いた。
「躱そうと思えば全部躱せたでしょ」
昨日のお姉さんの言葉を思い出す。
こんな奴ら、強くも怖くもない。僕は昨日……『本当に強い人』に会ったんだから!
調子に乗った勝は、また棒を稔に振り下ろす。しかし、稔は……さっきまでとは違う稔は容易く躱した。不意をつかれ、空振った勝は目を丸くする。稔は、冷たく……哀れむような瞳で勝を見た。
三人は、仰天した。今まで、稔に躱されたことは一度もない。でも……今日のこいつはいつもと違う。
それに、あの『目』。自分達のことを全て見透かすかのような稔の『目』……。
「あんた達、何やってんの?」
そんな四人……仰天する三人と、彼らを冷たく見つめる稔に凛とした声が掛けられる。勝達は振り返った。
「げっ、春山……」
「まぁた、下らない剣術ごっこ?」
その少女……四人と同じクラスの桜は、呆れ顔で勝の持つ棒っきれを見つめる。
「お前には関係ねぇだろ。おい、行こうぜ」
三人はそそくさと立ち去った。
「春山……さん、ありがとう」
「別に。ちょっと通りがかっただけよ」
稔が礼を言うと、クールな桜は踵を返し立ち去って行った。
「くそっ、くそっ」
勝は苛立っていた。
「しょうがないって。あいつ、春山は剣道っての、めちゃくちゃ強いらしいし」
相太と豊はフォローする。
「違うよ」
勝は、よりイライラして言った。
「あいつ……稔の目。俺の一番嫌いな目をしてた。仲間に入れないクセに、俺達のことをバカにする目。だから、俺、あいつのことが嫌いなんだ」
相太と豊は目を見合わせた。
土曜日。公園の角を曲がる稔の鼓動は高鳴った。『剣信館』と書かれた一枚板の貼られた門の前で、稔は固まる。
「あれ? あんた……山口?」
ぼぉっと佇む背後から声、をかけられた。稔は、振り返った。
「春山さん?」
白い道着に白袴……あの日のお姉さんと同じ格好をした桜が、黒い防具袋を引っ掛けた竹刀袋を担いでいる。
そして、その後ろには……
「あらぁ、小羊ちゃん。約束通り来てくれたのね!」
稔は、ドキッとした。あの日会ったお姉さんが桜と同じ格好で、やはり防具袋と竹刀袋を担いで、悪戯な笑みを稔に向けたのだ。
「小羊ちゃん? 約束?」
怪訝な顔をする桜を置いて、杏は稔のもとへ駆け寄った。
「あんたは、今日からここの門下生よ」
「門下生?」
「そっ!」
杏が少し屈んで目を合わすと、稔は赤くなって目を逸らした。
「私があんたを、最強の剣士に育てるんだから!」
「最強の剣士?」
稔は逸らした目を丸くして、再度、杏を見た。
「そ。あんたに拒否権はなし。だって、あんた、『負けた』でしょ!」
「え? 最強の剣士って、そんな弱虫を? お姉ちゃん、どういうこと?」
狐につままれる桜を置いて、杏は稔の手を引き、厳かな雰囲気を漂わせる道場へ入って行った。
「前後正面素振り、はじめっ!」
「壱!」
『メンッ!』
「弐!」
『メンッ!』
道着に防具を装着した格好の少年少女が、道場の中央へ向けて竹刀の素振りをしている。予備の道着に着替えさせられ、片隅に正座してそれをじっと見つめる稔は、圧倒されていた。
その中でも、稔の視線はやはり杏に釘付けになる。
竹刀の軌道が他の少年少女と全く違う。一切の無駄のない、最小限の軌道……。稔も、自分でも気付かぬ間に手だけ杏の素振りを真似ていた。
「黙想!」
オロオロする稔を端っこに並ばせて正座させ、練習開始前の黙想が行われた。
「やめ! 礼!」
「お願いします!」
「正面に! 礼!」
「お願いします!」
「面つけ!」
『面』をつけた少年少女は、『切り返し』から練習を始める。皆が『切り返し』をする傍ら、杏は稔の指導に入った。
「いい? 稔くん。剣道はね、礼に始まり礼に終わる武道よ。道場への感謝の気持ち、打ち合う相手への尊敬の意を込めて、練習の始まりと終わりには必ず礼をするの。その礼儀を忘れるようじゃ、本当に強くはなれないわよ」
「礼儀……」
稔は、「いいなぁ……」と思った。
スポーツは全て相手を打ち負かす、野蛮なもの。そう思っていた。でも……自分が今踏み込もうとしている世界はこんなにも清く、正しい剣の道なのだ。
「そこまで分かったら、まず、足運びからね」
杏は、稔に『摺り足』を教えた。
「うんうん、そうそう。上手、上手。やっぱあんた、私が見込んだだけのことはあるわ」
ただの摺り足に上手も何もなさそうなものだが、杏はいつまでもニヤニヤ笑って稔の足運びの練習を見ていた。
「ちょっと、お姉ちゃん! いつまでサボってんの? 摺り足まで教えたなら、いつまでもついてなくていいでしょ!」
練習の間の小休止に、桜が凄い剣幕で来た。
「ありゃあ、バレちった。だって、この時期、暑くてバテるんだもん」
杏はベロを出す。清く、正しい剣の道……。自由奔放におちゃらけるお姉さんを見た稔は、その道に一抹の不安を覚えた。
しかし、杏は稔の方に向き直り、凛とした顔で言った。
「あんた、私達の練習、見ときな。摺り足しながらでも、見れるでしょ」
この美しく真剣な顔と、さっきのおちゃらけた顔。どちらが本当の彼女なのか分からず、稔は不思議な気分になった。
「ドゥォアアァー!」
『面』を着けた杏は人が変わる。竹刀を中段に堂々と構え、威圧的な存在感を相手に放った。
「コ……」
相手の竹刀が手元を狙ったその瞬間!
「メンヤァァー!」
『バゴォッ!』
凄まじい破壊音と共に杏の竹刀が相手の『面』にめり込む。
「凄い……」
稔は、ゾクッと身震いした。『豪剣』……杏のそれは、無敵だった。杏の竹刀は凄まじい加速度とともに、どんな相手の『面』にもめり込む。
稔があの時感じた『斬られる』という感覚。今、正に目の前で杏が剣士達を真っ二つに『斬って』いる。あの時感じた、身震いするような怖さ。しかし、それ以上に稔の心の底から、震えるほどの感動が沸き起こっていたのだった。
道場の皆が雑巾がけの掃除をしている。
「どうだった?」
皆が掃除をする傍ら、杏が稔に声をかけた。
「凄かったです……」
ありきたりだが、稔の口からはその言葉しか出なかった。よく見ると、その道場には『市民大会 小学生◯年女子の部 優勝 春山 杏』と書かれた賞状がいくつも飾られており、その中には『中学生女子の部 優勝』もある。
「お姉さん、中学生ですか?」
「そ、中一」
「中一で中学生女子の部優勝!?」
「そうね。ま、この地区では男子でも私に敵う中学生はそうはいないけどね」
「すごい……」
稔は目を輝かした。
「僕……お姉さんみたいに、強くなれますか?」
「そうねぇ、それは、これからのあなた次第ね」
杏は、美しい瞳を横に細長く伸ばして、悪戯そうに笑った。
「でも。『本当に強い相手』を恐れずに向かってくる根性。『あの時』のその根性があれば、大丈夫。絶対、あんた、強くなるわよ!」
杏は悪戯な笑みを浮かべながらも、美しい瞳は真っ直ぐ、真剣な眼差しを稔に向けた。
『ドクン……』
真剣な眼差しを受ける稔は、金縛りにあい動けなくなる。
「ま、どんなに強くなっても、私には及ばないけどね」
すぐにふざけて茶化す杏に、稔の金縛りも解けた。
「ちょっと、お姉ちゃん! 掃除サボるな!」
「ありゃあ、また、バレちった」
雑巾を持った杏は頭をポリポリかき、雑巾がけをする桜達のもとへ戻りながら、稔に顔を向けた。
「水曜の六時と土曜の十時!」
「えっ?」
「その時間にここに来なさい。私があんたを、最強の剣士に育てるって言ったでしょ!」
杏は、ニーっと笑った。
「ま、私の次に、だけどね」
そう呟いて、雑巾がけの掃除に戻ったのだった。


