ことの発端は、切羽詰まった様子の知人に再会したことだった。

「……西明寺(さいみょうじ)くん。俺、また落ちる夢を見たんだよね」

大学のサークル活動の帰り道、正門前で声をかけられた。

「落ちる、夢……え、なにどうしたの、大丈夫?」
「知らない? 落ちる夢を見たら自分に危険が迫ってるんだよ……だから、そろそろ」

私はその暗い表情に少したじろいでしまった。校門前の街灯に照らされて目の下には影が落ちている。彼、斎藤文孝(さいとうふみたか)は、がっしりした体育会系の体つきをしているので、余計にその表情の暗さと、覇気のない声が際立って気味が悪く見えたのかもしれない。そばに来た瞬間、まるで大きな青い鬼火が現れたように感じて、私は背中に強い寒気を感じた。

「えーっと、危険って」
「昨日も、その前も、ここ最近、毎日」
 
彼の話は、たどたどしくて中々要領を得ない。とりあえず彼が悪夢に悩まされている、ということだけは分かった。私は大学で心理学を専攻していて、ちょうど講義で『心理状態が夢に与える影響について』を学んでいる。

――夢分析、夢診断。

精神分析の始祖であるフロイトは、無意識下に抑圧された感情や記憶を理解するためには、夢を調べるのが大切だと考えていたらしい。
そういった、私が学んでいる学問とは関係なく、夜眠っているときに見た夢を起きた時にネットや本で調べる人もいるだろう。夢を調べること自体は、別に変な行為ではない。

現にネットで検索すれば「歯が抜ける夢」は何か心配なことがあるときに見る夢だとか、「空を飛ぶ夢」は現実逃避したい気持ちの現れだと出てくる。
そういった行為は、ただの夢占いの分野で星占いをやるのと変わらない。
けれど目の前の彼は少し病的に見えたし、病院での治療が必要な状態に感じた。

私に夢の相談をしてきた男、斎藤は、それほど親しい友人ではなかった。去年の学園祭のとき同じ実行委員会で、何度か飲み会で話した程度の付き合いだった。それに彼は経済学部なので心理学部の私とは講義でも関わりがない。学園祭のときラインの交換はしたが、昨年の秋に連絡したのが最後だった。

おそらく彼はメンタル的に切羽詰まった状況で、私が「心理学専攻」だったことを思い出して声をかけてきたのだろう。
ただあいにく自分は学生で、学者でも医者でもない。彼の悪夢を魔法のように治せるとは思えなかった。
それでも、今にも倒れそうな顔色の悪い彼を放置していくほど人でなしでもなかった。

私の通っている大学は山の上にあった。通学には、だらだらと長い坂道を歩いて登るか、バスが必要で、とても交通の便の悪い場所に建てられていた。もちろん駅まで直通のバスもあるのだが、学生たちは交通費を節約したいので、いつも長い坂道を歩いている。
たしか彼はここから電車で一時間くらいかかる実家に住んでいると言っていた。幸い自分は大学から徒歩で帰れる場所に下宿を借りていたので、彼を自宅で休ませてあげようと思った。

「よかったら話聞こうか? 聞くだけで何にも力になれないと思うけどさ」
「いいのか……」
「うん、いいよ。家近いからおいでよ」

私がそう伝えたとき、彼は心底安心しきった表情になった。さっきまで心臓がどくどくと深く波打っていたが、彼のほっとした顔をみて出会い頭に声をかけられた時の恐怖は少しだけ和らいだ。

彼を鬼火のようだと例えたが、私は幽霊や妖怪より、こういった状態の人間の方が怖い。
経験した人にしか分からないと思うが、心を病んでいる人間と話すのは、聞いている方にも多大なストレスがかかるのだ。心配だからと安易に手を差し伸べて、不要な言葉をかけた結果、本人を傷つけたり、家族が共倒れなんていうのはよくある話だった。

専門家に任せた方が、相手にも自分にもメリットがある。
けれど、特別な言葉をかけたりはできなくても、友人として、ただ隣で話を聞くことはできる。そうすることで現在の彼の抑圧されている心の暗い部分を取り除く手助けにはなるかもしれない。
これを、心理学用語でカタルシス効果というらしい。

きっと、彼が自分の家から帰る頃には、――話して楽になった。そう言ってくれるに違いない。と、この時は安易に考えていた。