アンドロイドのきみと二人、あの海で知ったこと



 俺たちは砂の上、横に並んで座っていた。
 グッチャグチャに泣く愛海をどうすればいいのか迷った俺は、けっきょくカッコいいことなんか一つもできなかったんだ。

 正面から頬の涙をふいて見つめ合うとか。
 頭をなでながら良さげなセリフを言うとか。
 抱きしめるとか。

 そんなことができるなら、とっくに愛海とつき合ってたよ。悪かったな鈍感で不器用で。




 俺たちは、どうやら両想いらしい。
 俺が言った「好きだ」に、愛海は「あたしも」と返してくれたのだから。

 なのに照れたり喜んだりって状態じゃないのがうらめしかった。
 それは、俺がヘタレなせいじゃない。
 話さなきゃならないことが愛海にはあるんだ。





 愛海は精子提供で生まれた子どもなのだそうだ。父親側に原因がある不妊だと判明して、その選択をした。
 治療の末にやっと手に入れた娘、愛海を両親はかわいがった。
 でも。


 育つにつれ、父親に似ていない部分が目についてくる。
 顔立ちも。
 理系なところも。
 外向的な性格も。


 ――愛海は、自分の血をひいていない。


 その事実を突きつけられて、父親は苦しんだ。
 愛海を愛したいのに愛せなくなる。
 だんだん家庭内はギクシャクし始めて、とうとう離婚することになった。

 愛海はこの夏休みから、母親と一緒によその町へ行くらしい。つらい思い出が積み重なった今の家にはいたくない、と母親が異動願いを出したそうだ。




「そんな、勝手な」
「そうだよね」

 事情を聞かされ絶句した俺に、泣きやんだ愛海はポテンと寄りかかった。肩に。それがすごく嬉しい。


 近くにいたいんだ。体温を感じるぐらいに。
 だって初彼女ができたんだよ、俺。
 たとえ、すぐに引っ越して離ればなれになってしまうとしても。


「離婚するのは、しかたないんだ。あたしの血はどこから来たのかわからないんだもん。お父さんは、あたしのことが気持ち悪いの」
「そんな言い方すんな」

 愛海は気持ち悪くなんかない。俺が好きになった女の子だぞ。

「だけど、作られた命なのは本当でしょ?」
「……それで、アンドロイドなんて言ったのか」
「そ。あたしはアンドロイドと同じ。作り物なの」


 泣きわめいて疲れたか、愛海の話し方はポヤンとしていた。なんだかかわいい。
 肩から伝わる愛海の声は夜のようにひそやかだ。だけど静かな声も、俺にはじゅうぶんくすぐったくて困った。
 どうしよ。抱き寄せたい。もっと愛海にふれていたい。


 愛海の肩に動かしたくなる手を、俺は必死に抑えていた。そんなこと知らない愛海はスリ、と俺の肩に顔を伏せる。

「作り物だから。生まれた時からあたしはもう、あの家のバグだったんだ……」
「マナミン」
 
 なんて言えばいいかわからなくて、俺は黙ってしまう。ああほんと、カッコ悪いな。



 バグ。

 父親と母親の間に、すんなり生まれる娘。家族が本来望んでいたのは、そんなかたち。
 叶わなかった望みをゆがめ、誰ともわからない遺伝子をもらって作り出された命だから自分はバグ――失敗作だと愛海は言う。

 でもそうか?
 命ってそういうものか?
 愛海は愛海だと、俺は思う。



「あたしなんか存在しなければよかったんだよ。そしたらお父さんは苦しまなかった。あたしを殺そうと考えることもなかった」
「ころ……って、おい!」
「小学生の時、お父さんと海に来たの。たぶん、この海岸。真冬だった」

 よく見えない砂浜の景色。寄せて返す波音。
 頭を起こして暗い夜を見つめる愛海のまなざしは、おそらく父親と来た冬の海を見ていた。


 何をされたわけでもないと、愛海は言った。
 愛海だけをいきなり連れ出した父親と一緒に、凍りつく風に吹きっさらされていただけだと。身じろぎもせず灰色の波を凝視する父に強くつかまれていた手首が、思い出すと痛いのだと愛海はつぶやいた。


「……いっしょに海へ入ろうとしてたんじゃないかって、後になって思った」
「心中かよ」
「お父さんもわかってたんだよ、あたしは悪くないって。納得して治療したのは自分なのにって。だから二人で」
「……マナミンを殺す必要なんかないだろ!」

 俺はなんだか悔しくなって、低く叫んだ。



 ひどいよ、そんな。
 親だからって勝手すぎる。その場では思いとどまったのだとしても。
 こうして愛海はその時のことを覚えていて、ずっと傷ついたまま生きてきたんだ。



 部外者のくせに怒った俺に驚いたのか、愛海は顔を上げた。
 月明かりの中で視線が合う。愛海はほんのり笑ったように見えた。

「お父さんはバグを消したかった。でもそんな罪を負うのなら、自分も消えなくちゃならないでしょ。せいいっぱいのやり方だったと思う」
「……だからって、怒っていいよ、それは」

 俺はグイと愛海の肩に手を回した。すごく寂しくなったからだ。

 生きていてくれてよかった。
 死ぬことを受け入れたりしちゃダメだ。
 だってそんなの、俺が嫌だから。

 愛海は抵抗せず、ポスンと俺の胸に寄りかかってくれた。





 愛海にとっての海は、死と命に向き合う場所だ。
 だから、今日も海をめざした。


 〈作り物〉で〈バグ〉な自分が、新しい町に連れていかれる前に。
 これまでのすべてを初期化して生まれ変わるための、これは儀式。




 でもそこに俺と来たってことは――俺のこと、特別だと思ってくれてるってことか?


「ぜんぶリセットしたあと、俺とはもう一度つながってくれるんだよな?」

 俺は腕の中にいる愛海に確かめた。
 ピクンとふるえた愛海に回した腕に力をこめる。

 離さないから。
 俺にとって愛海はただの愛海だから、不安になったりするな。

「――それでいいの? 航平はあたしが気持ち悪くない? 作り物だよ?」
「んなわけないだろ――愛海が家族の中でバグみたいに思えるんだとしても、俺にとってはただの人間。俺と同じ」



 ――今の俺は、ただの瀬戸航平だ。〈お兄ちゃん〉じゃなく。
 愛海だって、ただの相田愛海。ああ、離婚して姓は変わるのかもしれないけど。




 俺たちは二人とも、今日この海で家族をリセットする。
 航平として、愛海として、もういちど生まれ直す。

 だって愛海が言ったんだぞ。「命は海みたいなもの」って。
 俺は許さないよ、「作り物だから海にはなれない」なんて言い訳は。

 俺がいるから。
 ちゃんと隣にいるから。
 新しい命を、ここで始めてほしい。
 殺されかけた海から、また生きてみようよ。




「航平とあたしが、同じ――」
「そう」


 ずっと自由になりたかった俺に、勇気をくれたのは愛海なんだ。
 だから俺は、愛海を絶対に離さない。