アンドロイドのきみと二人、あの海で知ったこと



 暗い街道は通る車もまばらだった。
 等間隔に立つ電信柱の下だけが、ぽっかりと明るい。


 外灯に切り取られた車道を行くのは二台の自転車――乗っているのは俺と、愛海だ。

「おーいマナミン。海に行くのに、なんで夜?」

 のんびりしたペースで自転車をこぎながら、俺はブツクサ言う。

「バーカ、あたしは逃げてるんだよ? 逃避行なんだから、真っ昼間より夜でしょ!」

 返ってきた愛海の声は楽しそうだ。
 でも俺は大げさにため息をついてみせる。勝手なことばかり言いやがって。





 海へ。

 愛海のその願いをかなえたいと、俺は思った。
 何があったのかは知らない。だけど愛海がふるえながら頼んだことを俺は断われなかった。友だちだから。

 なのにひどくないか? 「バーカ」って。
 俺だってちょっとはリスク負って出てきたんだぞ。
 こんなでも愛海は女の子だ。夜に二人で出かけるなんて親に言えない。
 仕方なく、中学時代の男友だちの家に泊まりに行くと嘘をついた。



 俺は親に信用されている。
 というか実際は放置されているんだけど。まだ小学生の弟が虚弱体質で手がかかるので。

 母親は弟の体調ばかり気にしているし、今年から父親は単身赴任になった。俺は自分のことは自分でやらなきゃならない。
 そんなだから、ろくに理由も訊かれず外泊許可はもらえた。親同士はつながってないから、たぶんバレないはずだ。

 まあそもそも母親は、俺のことを何も気にしていないんだよな。「お兄ちゃんはしっかりしてるから」っていつも言ってるし。

「くそッ……!」

 俺の存在なんて空気のような家のことを思い出し、俺はつぶやいた。



 ――俺は勝手なんだ。
 消されるという愛海を、抵抗しろとそそのかしたくせに。
 自分は親のもとで、言われるままに生きている。

 ひどい偽善者だ。





 俺と愛海は、横に並んで自転車を走らせた。

 静かな住宅地。
 シャッターの下りた商店街。
 林しかない丘のすそ。

 そんな道を走り抜けながら、俺たちはポツポツと話す。


 夏休みの間にアンドロイドの愛海は処分されることになっているのだそうだ。
 学校では休み明け、担任が発表するはずだと愛海は言う。「急に転校することになった」とかなんとか。

「あたし、七月いっぱいでリセットの予定なんだ」
「……リセット」

 それはどういうことだろう。



 アンドロイドが初期化されるなら、これまでの学習がパアになるだけだ。ボディはそのまま再起動できる。
 でももちろん〈相田愛海〉としての記録が消滅するなら、〈マナミン〉は死ぬに等しい。

 だけど、そんなの嘘ならば。
 相田愛海が人間だとすると、本当は引っ越すだけなんじゃないか? 家庭の事情か何かで。
 転勤が理由なら引っ越しなんか普通だ。高校生が親についていくのは当然で、俺たちに抗うすべなんかない。養ってもらってる未成年なんだから。

 生活のリセット、なのかな。
 引っ越しのセンはあり得ると思った。
 でもそれだけじゃ、「自分はアンドロイドだ」なんて言い出す理由にはならない――。



 隣で自転車をこぐ愛海をチラリと見た。
 ゆったりめのデニムパンツ。パステルイエローのタンクトップに水色のパーカー。制服じゃない愛海を見るのは初めてのような気がする。

 だらだら続く軽い登り坂で、愛海はしかめっつらをしていた。でも俺の視線に気づいて振り向くとニコッと笑う。

「ちょっとキツイね」

 息を切らして、でも嫌そうにはせず頑張る――そういうところ、好きだ。




 ああでも。
 愛海はいなくなるんだな、きっと。

 アンドロイドだとか人間だとか、そんなことは関係なく、もう同級生じゃなくなる。
 それは確定なのか?




 考えると、胸がなんだか重くなった気がした。
 俺は苦しさを振り払うように、脚に力をこめた。





 海までの道は住宅地と丘をぬうように続いていた。なのであるていどのアップダウンは仕方ない。

 出発前に俺は、目指す海岸までの距離を計算してみた。二十五キロもあって、げんなりした。
 慣れない距離を自転車で。
 しかも愛海は女の子だ(女性型アンドロイドかもしれないけど)。
 待ち合わせ前に連絡した俺は、遠いしバスで行くほうがいいと提案した。だけどあっさり却下された。夜中になるから、と。

 そりゃ終バスの後、移動手段が徒歩しかなくなるのは嫌かもしれない。
 だけどこんな計画につき合う俺って――だいぶお人よしだと思うよ。





 自転車を降りて押しながら、俺たちはやっと坂を登りきった。そこで止まってひと息つく。
 二人して大きく深呼吸し、汗をふいた。
 夜中とはいえ夏の暑さがしつこく残っている。たぶん今日も熱帯夜だ。ジーンズに半袖Tシャツの俺は、腕にチクッとした蚊を叩きつぶした。


「あーあ、電動アシストあれば楽なんだけど。マナミンも普通の自転車だよな――いやアンドロイドなら補助動力なんかいらないのか。あるていど出力の調整きくんだろ?」

 愛海アンドロイド説に疑問を持っている俺は、からかい混じりで言った。
 そのトゲが伝わったのか、愛海はすこし嫌な顔をする。

「まあ、ね」
「ほんと人間そっくりのシステム搭載してるよな。息が乱れて、汗もかくなんて」
「……最先端技術なんで!」

 ムスッと言い返すのはやめろ。嘘だと自白してるみたいじゃないか。
 愛海がアンドロイドである可能性、さらに低下。0.001%だ。

 なんとなく呼吸を抑え、余裕をよそおう愛海。アンドロイドという設定に寄せたのだろう。
 そんな意地っ張りな態度がおもしろくて、俺は笑いをこらえた。


 止まったついで、前カゴに放り込んだカバンからペットボトルを出し、水分補給する。

「オーバーヒートするとマズイんじゃない。マナミンも冷却水入れとけよ」
「あ――うん、そうする」

 設定的にのどが渇いたなんて言いにくいはずだ。でも〈冷却水〉扱いなら問題ない。愛海はゴクゴクとのどを鳴らした。
 どう見ても、愛海はただの女の子だよ。なのに何があったんだろう。

「――なあマナミン、逃げるって本気か?」
「なあに今さら。航平が逃げろって言ったんでしょ」

 え。

 そこまでは言ってないよな?
「処分されていいのか? 逃げるとかしないの?」
 ぐらいのニュアンスだったはず。


「――ま、逃げる気になったのはいいことだと思う」
「うふふ、そりゃどーも」
「アンドロイドだかなんだか知らないけど、こうして動いて考えてるものを消していいなんて理由、どこにもないだろ」


 なんの抵抗もしないのは腹が立つ。
 自分のことじゃないけど、そう思った。

 でもそれは、自分へのいら立ちなのかもしれない。
 俺は親からも家からも逃げたりしていないから。愛海のことばかり言うのは本当に卑怯だ。


「あ、おまえGPSとか内蔵してない? 居場所なんかすぐバレるんじゃ?」
「ああ、それは切ってある。通信システムも切断したから、たぶん平気」

 ほほう。
 アンドロイドという設定は変えないのか。なかなかのへらず口だな。
 どうせスマホは切ったとか、それぐらいのことだろうに。



 だけど海まで逃げて、それからどうするんだろう。どこに行くつもりだよ。



 俺にはなんの準備もない。
 遠出は今夜だけのつもりだったから、ろくな持ち物もお金もない。この先逃げ続ける心がまえなんてどこにもないんだ。



「なあ――なんで海に行きたいの」

 俺はそっと訊いてみた。


 ほら、海をながめるのって意味深だろ。
 目的は海そのものじゃないような気がする。
 傷ついていたり、悩んでいたり――死にたかったり。
 そんな時に行くところ。そう思った。


「……海って、命じゃない?」

 愛海から返ってきたのは、哲学みたいな言葉だった。俺はオウム返しする。

「いのち」
「生命は海でうまれた。生命体には血が流れている。血潮とはよく言ったもんだよね」

 愛海はヒラ、と手のひらをかざす。
 だけど外灯の白い光じゃその血潮は透けなかった。いや、アンドロイドにはそんなもの流れていないのか。

「だから思うんだ。命は海みたいなものだって」
「ふうん?」
「でもあたしは海じゃない。海にはなれない――作り物だから」

 そう言って、愛海はさざ波のように笑った。
 そして俺が何かを言うより早く、サッと自転車にまたがる。

「おっさきー!」
「おい、ずるいぞ!」

 勝手に走り出す愛海の背中が、俺を拒否するみたいに見えた。ズキンと心臓が痛む。



 ――なんでだよ。
 こんなことに巻き込んでおいて。肝心なこと、いつまではぐらかすつもりだ?