アンドロイドのきみと二人、あの海で知ったこと



 あの夜の、あの海。
 たぶん一生忘れないあの場所から、俺と愛海はちゃんと家に帰った。だってこのまま失踪してしまうわけにはいかない。
 俺たちはまだ高校二年生の子どもで、なんの力もないんだ。



 これから愛海は母親についてよその町へ行き、暮らすことになる。
 名前もそっちの旧姓に変えるそうだ。

 そして俺はたぶん――母親の言うなりに良い子の〈お兄ちゃん〉でいるのをやめるのだと思う。すこしずつでいいから、そう努力する。
 勇気をくれた愛海に恥ずかしくないように。




 離れて過ごすことになる俺たちだけど、つながりが切れてしまうわけじゃなかった。
 初めて気持ちを伝えた相手と秒で遠距離恋愛になるのはキツいものがあるけどな。
 クラスLINEではなく、二人で直接連絡が取り合えるようにしたからだいじょうぶ。


 誰にも言わずに消え去るつもりだった愛海は、あの海を出発する前にクラスLINEから抜けた。アカウントごと消してしまったんだ。

 ぽん、とタップする指先ひとつで、誰も愛海にアクセスできなくなる。
 〈相田愛海〉という存在は、その操作だけで電子の海の藻くずと消えた。まさに初期化されたように。

「こんなんで、二年五組のマナミンはいなくなっちゃうんだ」
「そうね……ひどいな、あたし」

 愛海は寂しそうに笑った。



 姓が変わること、離婚すること。
 それは何も恥ずかしいことじゃない。

 だけど相田の両親がそうなったのは、愛海の生まれ方のせいだ。そう愛海自身は考えている。
 大人同士が苦しんで言い争って決めたのなら、理由はそれだけじゃないんじゃないか。そう俺は思ったけど、今の愛海は自分を許すことができないらしい。
 だから友だちには何も言わずに消えることにしたそうだ。事情を話すだけでも苦しくてムリ、と。

「おまえ友だちたくさんいるのに……みんな怒るよ、きっと」
「うん。わかってる」

 うつむく愛海に、俺ができることはない。それがすこし悲しかった。



 何年かしたら。
 笑って話せるようになったら。
 誰の血を継いでいようと愛海は愛海なのだと自信を持てるようになったら。
 もう一度みんなと会えるといいな、愛海。



 そして愛海はすこしだけ不安そうにする。

「でも――航平のカノジョの愛海は、いてもいい?」
「――もちろん」

 新しい連絡アカウントが入ったスマホを握り、俺は強くうなずいた。








 夏休み明け、俺が登校した教室に愛海はいなかった。

「えー、相田さんは事情があって急に引っ越すことになった」

 愛海が予想したとおりの言葉を担任が告げ、同級生たちはブーイングする。
 あちこちで女子たちがスマホを取り出し悲鳴をあげた。

「つながんない! 休み中も反応ないなって思ってたけど!」
「うっそマナミンひどい」
「どうしちゃったのよぉ……」

 休み時間以外スマホ禁止、と怒鳴る担任は、本当のことを言うつもりはなさそうだ。
 夏休み前から計画していた引っ越しだなんて知らせたら暴動が起こるよな。女子に束になられたら敵う気がしない。

 俺は沈黙を守り、心の中でクラスメイトに謝罪した。





 いつも愛海がいた場所がぽっかり空いているの、俺だってすごくつらい。

 だけど俺は、愛海とつながっているから。スマホとかじゃなく、心で。
 なんてったって真夏の夜の逃避行を一緒にやった仲だから。


 離れていたってメッセージを送るよ。電話をかけるよ。
 長期休みになったらきっと会える。愛海が暮らし始めた町を俺も見てみたいし、もう秋の連休にでもさっさと行ってみようか。
 それから次の冬休みも、春休みも、来年の夏休みだって、ちゃんと会いに行く。

 そして――大学は、近くにしたいと俺は願った。

 今からほんの一年半ぐらい我慢すれば、俺たちはまた状況を変えることができる。そして大人になれば、家族に振り回されずに済む日も、きっと遠くない。
 それまでにやれることを、俺は積み上げていくよ。自分の力で生きるために。



 きっとできる。
 だってあの海で愛海といっしょに――俺も、生まれ直したから。




  (了)