一
水沼は別荘の母屋の中にいた。玄関ホールから正面に続く立派な階段に腰を降ろし、右手の廊下の腰窓を通して外を眺めていた。窓の外、すぐ近くに紫の花をつけた灌木がずっと並んで植えられていて、それが視界を遮るので見えなかったが、母屋の外には廊下に並行して砂利道が離れへと続いているのだった。
ふと、玄関が開いて良美ちゃんが入ってきた。外で、話声が聴こえる。近藤社長とが誰かと会話しているようだったが、良美ちゃんが玄関を締めたので、話の内容まではわからなかった。
少しはにかんだ笑顔で、良美ちゃんはそのまま階段に座っている水沼の脇をすり抜け、二階に上がっていく。
――信吾が来たのかな?
そう思って、玄関の扉が再度開かれるのを待ったが、話声が続いたままで、玄関の扉もそのままであった。
ふと、右手の廊下の腰窓に目をやると、二人の男が並んで離れの方に移動していく後ろ姿が見えた。後ろ姿と言っても、視界が腰窓越しであり、また、茂った灌木で移動していく後ろ姿の頭くらいしか見えなかったけども、一人は近藤社長で間違いなく、もう一人は旧友の鹿野信吾のように思えた。
「来た?」
階段の上で女性の声がしたので振り向くと良美ちゃんだった。
「たぶん、今、離れの方に行っている」水沼がそう返事すると、
「え? そうなの?」良美ちゃんは少し不満げな顔をした。
「まあ、すぐに来るよ」水沼がそう言って、しばらく待っていると、廊下の窓越しに離れから二人の男が戻るのが見えた。やはり旧友のあいつ――鹿野信吾だった。そして玄関の扉が開いた。
鹿野信吾が入って来るや否や、良美ちゃんは嬉しそうに階段の上で笑顔を見せた。あいつも嬉しそうな顔をしたが、すぐに戸惑いの表情を見せた。なぜなら彼女が突拍子もないことをやり始めたからである。
「ねぇ、立派な階段でしょう? 私が言って設計してもらったんだ。これ憶えてる?」そう言って、階段の踊り場から下に一歩踏み出して――いや、踏み出すというより、両足でピョンと一段飛び降りたのである。こう歌いながら――
いちりっとせ♪
メロディには彼も憶えがあった。階段を使った子供の遊び。歌の節目で鬼と同じ段になったら負け、そういう他愛のない遊び。
鹿野はしばらく怪訝な顔をしていたが、ふいに少し驚いた表情をして「いちりとせ?」そう呟いた。
「そう、今からやろうよ。昔みたいに」
やんこやんこせ♪
しんからほけきょ♪
は ゆめのくに♪
そうして、鹿野と彼女は唐突に「いちりとせ」で遊び始めた。いや、単に彼女の歌に合わせて、彼女は階段の上から下へ、鹿野は下から上へ、一段ずつ移動しただけで本当に遊んでいたわけではないだろうが――
ただ、良美ちゃんは嬉しそうに両足でピョンピョン飛んでいたし、彼の方も流石に跳んだりはしなかったが、しっかりと歌に合わせて噛みしめるように律儀に階段を上っていっていた。
明らかにそこには二人だけの世界があった。そういう雰囲気がそこにはあった。
しかし、その雰囲気もすぐに壊れる。近藤社長が咳ばらいをしたからだ。良美ちゃんはずっと無邪気なままだったが、鹿野はすぐにバツの悪そうな顔をして階段を降りてきた。
「よう、久しぶり」頃合いを見計らって水沼は鹿野信吾に声を掛けた。
「よう」鹿野もそれに応えた。「元気そうじゃないか」
