殺人事件ライラック(ブリキの花嫁と針金の蝶々)


 手記――あの死刑囚の手記の続きは?
 
 私は「あれで終わりです」それだけ答えた。
 
 なぜ?
 
 今は答えられません。
 
 ――私は彼が既に死んでいることは秘密にしておこうと思っていた。
 
 しかし……
 
 続きは書かないのですか? 死刑囚の手記なしでも書けるんじゃないですか?
 
 書きたい……
 
 では、書いてください。
 
 患者は再び黙った。
 
 一つお願いしてもいいでしょうか?
 
 私は患者にそう訊いた。
 
 何でしょう?
 
 あなたの手記で「彼」とは「水沼」なんでしょう?
 
 患者は答えない。
 
 できれば続きは「彼」ではなく「水沼」で書いてくれませんか?
 
 患者は返事をしなかった。
 
 それにあなたは「鹿野信吾」なのでしょう?
 
 これには患者はこう答えた。
 
 私は「佐藤稔」です。
 
 それは実名、つまり本名でしょう? この世界――夢の国、つまりはワンダーランド、このミステリーでのあなたの名前は「鹿野信吾」そうなんでしょう?
 
 患者は再び返事を拒んだ。
 
 しかし、患者「佐藤稔」の十章は九章なしで、無事に書かれた。旧友は「彼」ではなく「水沼」となっていたし、自分のことを「鹿野信吾」だと認めていた。