主治医による挿入(読者のために)
 
 さて八章まで進んだところだ。次は九章だが、あえて示すとこうなる。
 
 ■■さん、これ以上は無理です。あの事件のミステリー的再現で綴り始めたこの小説――。視線操作パソコンでここまで頑張ってきましたが、もう駄目です。目がぼんやりとしか見えなくなってきました。意識も維持するのがしんどくてたまりません。眠いです。眠ったらもう最後かもしれません。       

 ここまで二つの手記を交互に示してきた。実はこの形で進められるのはここまでだ。混乱するといけないので読者のためにこの章を挿入している。
 前回の挿入でいろいろぼかしていたが、明かせるところは明かしておく。
 語り手、視点「水沼」の奇数章は未決の死刑囚の手記で間違いない。あの事件の犯人として逮捕された佐藤稔は、最後大やけどを負い、病院に担ぎ込まれている。何度か手術を繰り返したが、意志の疎通は図れない状態が続いた。
 当時、私はまだ研修医を卒業した程度の若造で、その佐藤稔の精神科での担当の一人だったのだ。外科は専門外なので怪我についてはよくわからないが、事件の被害者が首を切断されるという猟奇性から、精神鑑定が行われることになり、私はそのチームの一員だった。
 佐藤稔は物理的に「黙人」だった。意識があってもしゃべれなかったし、手も動かせないので筆談もできない。医療チームが与えた視線で操作できるパソコンだけが彼にとっての意思伝達手段だった。しかし――
 彼はそれでも最初「黙人」だった。
 
 まるで探偵小説のようなこの世界において――
 世界の悪意のすべては私が引き受けます。
 
 彼がそのパソコンで話した文章はそれだけだった。警察の取り調べにも供述はそれしかないはずだ。仮に完全に何も供述しなかったとしても状況証拠だけで起訴は可能なので、それでも検察は当然起訴した。そして死刑を求刑した。
 被告人は起訴内容――殺人及び放火の罪――その認否について沈黙で答えた。起訴内容に相違はないか? その問いに否定も肯定もせずひたすら「黙人」を貫いた。視線操作パソコンで意思表示できるはずだったのだが――
 それでも検察側は死刑を求刑し、弁護側は精神鑑定を請求した。そうしてその裁判は終わっている。精神鑑定の最中に容態が悪化して死亡した。そういうことだ。