ある教室。冬の寒さや春を感じさせる風が吹く中二人の男女はゆっくりとした様子で話し合っていた。仲が良さそうで楽しそうに。
 俺――柊周は恋をしている。
 
 目の前で楽しそうに話している――東山陽菜に恋をしている。
 
「明日卒業だね」
 
 陽菜は窓から見える海を眺めながら言う。思い出を乗せるように出る彼女の言葉は悲しみを思わせる。
 
「そうだな。もう卒業か」
 
 僕も陽菜と同じように窓から見える海を眺める。
 
 日差しが海を照らす。
 
 見るだけで眩しく感じてしまう。でも、どこか悲しい気持ちを与えてくる。
 まるで、そこだけを照らし、他の所は関係ない的な。そんな訳な分からない想いをしてしまう。
 
 ああ、でも、うん。
 
 太陽のように存在感を示せたらどれほど幸せだったのだろうか。
 
 誰から見ても存在感が分かり、やりたいこと、していること、が分かるような存在になれたらどれだけ楽だったんだろう。
 
「こうして、話せるのも最後だね!!」
 
 陽菜は悲しそうな瞳で海を眺める。
 
 そう、最後なんだよな。最後なんだよ。なんで、なんで言おうとしないんだよ。なんで、なんで「好き」って言うことができていないんだよ。
 絶対に後悔することは知っているし分かっている。でも、でもさ、怖いんだ。
 
 分かるダサいっていうことは分かっている。
 
 でも、もし、もし振られてしまったら。この関係は終わってしまう。そう考えると告白しないのが正解なんじゃないのか?
 
「確かに。なんていうか、楽しかったな」
 
「ほんと? 私もずっと楽しかったな。部活とかない日はこうやって放課後まで話して、相談とかにも乗ってくれて」
 
 陽菜はニッコリと笑う。
 
 その笑みを心で受け取り、周もゆっくりと頬を緩めた。
 
「それな。多分、放課後、陽菜と話す機会があったから学校に来られたと思うな」
 
「ええー。それは買い被りすぎだよ。周は真面目でしょ」
 
「いや。本当だよ。こうしてありのままで話せる存在ってでかいし」
 
「ふーん。なら、ちゃんと私に感謝しないとね」
 
「それりゃもちろん感謝っしてるよ。心の底から」
 
「ふふ。どういたしまして!」
 
「本当に感謝してるよ」
 
「そんな悲しそうな声で言ったら泣いちゃうよ」
 
 小さな声で呟く陽菜に周は心を痛める。
 どこからくる痛みなのか、何を感じた痛みなのかは明確であった。
 辛い。怖い。悲しい。楽しい。とかいう喜怒哀楽ではない。
 心の奥底にある、恋という感情が周を支配する。
 
 終わってしまう。このままでいいのか? このまま何も言わないで、何もしないで本当にいいのか? 良くないだろ。絶対に、後悔するだろ。
 もう、頑張ってくれよ。動いてくれよ。
 
 そうこうしている内に時間は走って行く。
 
「ねぇ、陽菜。僕は」
 
「ん?」
 
 陽菜の声を聞きすぐに周は言葉を変える。
 
「本当に、楽しかったよ。こんな冴えない僕と友達になってくれたのが本当に嬉しかった」
 
「うん。私も楽しかったし周と話せたことが本当に嬉しいよ」
 
 陽菜と周は目を合わす。
 
 誰も目を逸らしやしない。じっと、見つめ合う。
 
 けど、誰も口に出すことはない。好きだと言う言葉は時に人を破壊する。関係を、地位を、想いを、破壊するのだ。
 たった、一言だけなのに、それだけなのに、2人とも決して口には出そうとはしない。
 
「すっかり、暗くなったし帰ろっか」
 
「そうだ……ね」
 
 ああ。今日が終わってしまう。
 僕という人はどうして行動することができないタイプなんだ。
 本当に愚かで臆病だ。
 
 陽菜と周は鞄を持ち立がる。
 窓を閉目る時ふと海の方に視線を寄せる。
 ああ、綺麗だな。
 
 どこまでも続く海。透明で綺麗で心を癒してくれる。もう、この素晴らしい景色を見ることができないと思ってしまうと悲しくなるな。いや、違うな。
 もう二人で眺めることはできないことに悲しんでいるんだな。
 
 窓をゆっくりと閉め。
 周と陽菜は教室を出た。




 卒業式は無事に終わり。
 
 卒業生たちはグランドに集まり写真を撮るなど最後の別れを行っていた。そんな中、周は加奈に呼び出されていた。
 
「ごめんね。急に呼び出したりして」
 
 人気のない細い道。
 
 だが、そんな細い道の中でも加奈は照らされていた。
 
「別に、大丈夫だよ」
 
「ついに私たち卒業だね」
 
「そうだな。中高一緒だったから悲しくなるな」
 
 周と加奈は向き合いながら思い出話に花を咲かせる。
 突然呼ばれた周は戸惑いながらも加奈を見つめる。
 中高では真面目だった加奈が今日は化粧をしていた。先生にバレないような化粧を。
 
「そうだね!」
 
 加奈はニッコリと笑う。微かに震えている手を隠すようにスカートを握る。
 
「周ってさ……」
 
 加奈は一呼吸置き、まっすぐな目で周を見つめる。
 
「陽菜のこと好きだね?」
 
 陽菜の言葉を聞いた周は固まる。
 否定しようにも言葉が出てくれない。口が動いてはくれいない。
 好きじゃない、と言いたい。
 今日ずっと考えないようにしていた。そうすれば、辛い想いはせずにいられたからだ。
 でも、校長先生の話も会長の挨拶も全部耳を通してはくれない。
 分かっている。でも、今は好きじゃない。うん。好きじゃないんだ。
 
「好きじゃないよ」
 
「それは、本当?」
 
 加奈は目の色を変えず、ただ真っすぐに見つめる。
 うん。僕は好きじゃないんだ。陽菜のことは好きじゃない。
 
「本当だ――」
 
「じゃあ、私と付き合って」
 
「え」
 
 まって、どういうこと? ちょっと理解できない。その、えーと。
 
「え、どういう……こと?」
 
「だから、そのままの意味だよ。私と付き合ってよ。私は周のことが中学の時からずっと好きだった」
 
「え」
 
「本当よ。困っている人が居たら積極的に助けるし、イケメンだし。優しいし。でも、たまに見せる弱さも好き」
 
「えーと、その……ありが……とう」
 
「それで、答えを教えて周」
 
「え、えーと」
 
 春風が強く吹く。
 
 小さな花が地面に落ちる。
 
「ごめんなさい」
 
 花が落ちるとき小さな声が加奈の耳を突く。
 
「うん。ありがとね周。どう? 今誰を考えた?」
 
「え? 誰も考えて……ないよ」
 
 周は視線を下に向ける。
 
 僕は誰も考えていない。いない、いない……よな。
 
 頭に、あの日の放課後の映像が流れる。止めてくれ違うだろ。
 好きじゃない。好きじゃない。そう思えば辛い想いはしないだろ。
 
「陽菜でしょ?」
 
「違う! 本当誰も」
 
「周! 私ね、あなたのことが好きだけど、一個だけ嫌いな所があるよ。それは、勇気を出さないこと」
 
 加奈の言葉が周の心臓を棘のように鋭く指す。
 
「だから……僕は陽菜のことは好きじゃ……」
 
「行ってこい!! 周。今行動しないと絶対に! 絶対に後悔するよ。だから、行くんだよ後悔しないために!」
 
「でも、僕は」
 
「泣き言は泣いてから言うんだよ! いつまでも情けない姿を私に見せないでよ。それに、振られたら私が貰ってあげるから」
 
 加奈の言葉に周の心臓が心が燃え始める。
 
 確かに、泣き言は泣いてからだな。
 
 やろう。やってやろうじゃないか。結末が分かっていたとしても挑戦するのが僕だろ。
 
「ありがとう」
 
 周はそう言い加奈の横を走る。
 春風より速く。一瞬の速さで。
 
「行ってらっしゃい」
 
 加奈の小さな囁きは春風によってかき消される。


 人気の居ない場所に残った加奈は壁にもたれ腰を下ろす。
 腰を下ろしながらしゃがみ込む。
 
「うぁぁぁ」
 
 大丈夫。私は大丈夫でしょ。
 好きな人を想うことが一番大切でしょ。
 だから、落ち着いてよ。私の心臓ゆうことを聞いてよ。
 なんで、なんで涙が出てくるのよ。私の行動は正しいじゃない、だから大丈夫なのよ。何も問題は起こしたりはしてないのよ。
 それなのに、どうして泣いているのよ。
 ああ、もう。分かってる。
 
 今の私は失恋したってことくらい分かってるよ。でも、前向きな結果になったじゃない。
 
 抗う一方で涙は止まってはくれない。
 
 涙と同じように沢山の思い出が頭の中に流れて来る。
 周と遊んだあの日。一緒に勉強した時。ゲームセンターで取ったプリクラ。
 思い出したくないよ。
 
 辛いよ。悲しいよ。
 
「うぁぁぁ」
 
 加奈の声が人気のない場所に響く。
 助けてくれる人はもういやしない。
 ただ、そこにあるのはどんよりとした空気だけがあった。
 数分程泣いた加奈はゆっくりと立ち上がる。
 手で目元を拭い深呼吸をする。
 
「よし。もう、あんな馬鹿なんて嫌い」
 
 小さく呟いた言葉は春風に乗り、どこか遠く遠い場所に散っていった。




 スマホを片手に走る。
 きっと陽菜はあそこに居るんだ。あの場所に。
 周はスマホを持ちながら全速力で走る。
 何故だろう疲れなんて一切こない。体力には自信なんてないのに今日の僕はおかしい。
 
「はぁ、はぁ」
 
 息を吐きながら走る。
 
 やがて、目的地に着くと彼女、陽菜が居た。
 
「やっぱりここに居たんだ」
 
 周はゆっくりと歩き陽菜に近寄る。
 
「うん。やっぱりこの海とのお別れがしたくてね」
 
 陽菜は小さな声で呟き海に視線を戻す。
 
「確かに。ずっと眺めていたからね」
 
「うん。こんなに綺麗な海が見ることができなくなってしまうのが悲しいよ」
 
「陽菜の方が綺麗だと思うけど」
 
「え?」
 
 陽菜はゆっくりと周の視線を向ける。
 
「本当に思ってるよ」
 
 なんでこんな照れくさいセリフを言ってしまったんだろう。
 ザァーという波の音が二人の心臓を撃つ。
 
「それは、告白?」
 
「うん。ずっと好きだった」
 
 陽菜は目を丸くする。
 陽菜は視線を海に戻す。
 周もまた海を眺める。
 日差しが海を照らす。
 
「私も好きだよ」